ロールシャッハテスト
「墨ですね」と私は言った。
私の眼前に座る精神分析医は顔を顰めた。
「だからですね、このインクの染みが何に見えるかと訊いているんです」
「私もさっきから言っているじゃぁありませんか。墨ですね」
「解らない人ですねぇ……。これは投影法と云って、心理を読み解くものだなんですよ」
「あなたこそ、解らない人ですね。インクはインクです。墨です」
ロールシャッハテストと云うのは、インクの染みが何に見えるかを訊ねる心理学のテストの一つである。
しかし、私には墨は墨であった。
墨が墨以外の何に見えるのかと。
「あなたには見えないんですか? これが蝶とか人間とかに」
「あの、一ついいですかね?」と私は医者に言った。「あなたには何に見えるんですかね? 墨以外の何に見えるんですかね?」
医者は大きく溜息を吐いた。「もういい」
私は食い下がった。
「何がもういいんですか? そもそもですね、幽霊の正体見たり枯れ尾花と云うではありませんか? 木造家屋の木目が人間に見えるとか、馬鹿じゃないですか。心霊写真をあなたは信じるんですか? あんなの目の錯覚じゃないですか? このテストは視覚の検査なんですか? そうなんですか? それとも妄想の検査ですか? だったら、私は正常です。正常ですから、枯れ尾花が幽霊に見えたりはしません。そうでしょう?」
「あああッ!」医者が怒声をあげた。彼はカルテにこう書いた。『精神異常者』
私は彼の判定に納得がいかなかったが黙っておいた。
その方が私には色々と都合がよかったのである。
何週間かして、私は法廷に立っていた。
目の前でしかつめらしい顔をした裁判官が告げた。「被告は精神鑑定の結果により――」
こうして私は無罪になった。
全く簡単なものである。
何処ぞの少年犯罪者のように『ドラえもんに命令された』なんて言う必要はないのだ。
正直が通じない世の中で、道理を通すことが異常なんである。
やはり、私は《異常者》かもしれなかった。