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ユメトワ国戦記  作者: k_i
第2章 王都セレモニー
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第8話 靄の中の旅立ち

「西の森にある奇人館、そこへ人々を連れ去った見知らぬ集団、それに私の歌を掠めて西の森へ去ったあの奇怪な乗り手……。これら謎めいた出来事も、全て西の森、妖しい見世物師オイトマが住まうという奇人屋敷が元凶のように今は思えてくる。

 あの乗り手は、どうもオイトマ卿が雇っている山賊やら怪盗の類ではないだろうか。いやもっと、妖術使いのようなものかもしれない。連れて行かれた人々も、ただでは済まされていないはずだ。僕の詩も、彼の館にあるのかもしれないぞ。ハカナイも、もしかしたら何か嗅ぎつけて館の方へ戻ったのかもしれない。僕の詩には僕のにおいがついてるだろうし……」

 

 サイハテは、宵闇迫る林の丘に静かに立ち、妖しい奇人館を隠し、今は盗賊や魔術師の住みついたのかもしれない西の森を見下ろしていました。

 

「ああ、これは冒険の始まりではないか。私はこれから冒険に出るのだ」だけど、いかほどのものだろう……とサイハテは思いました。胸は少し高鳴ってもいましたが、靄のような思いが取りついて離れませんでした。

 

「失くした自分の詩を探しに行く旅……か。(それに、迷子の老犬も!)この丘から見下ろせるちっぽけな森の中の、変人がかまえる屋敷の中に……」

 

 いよいよ夜が訪れ、星たちが森からゆっくりと姿を現わし出しました。西の森のさらに奥には、丈高く鬱蒼とした苔生す森が、遥か西の山々を取り囲んでいました。夜の闇は、その深い森に支えられているのだと思えるように、ずっしりと、古木の樹冠にのしかかって見えました。

 

 サイハテは重たい心持ちのまま、切り株に座り込んでしまいました。サイハテの頭には、色んなことが浮かんできました。失くした詩……それを見つけたところで、なんになるというのだろう。失くした詩の探求を詠う武勲……そんなものが今まであったろうか。サイハテは、オヒツジのことを思いました。彼は、目に見えることをやっていて、それがああして一応、人々の賞賛を得て認められるところとなった。自分はちっぽけな武勲にも残らぬような、形のないものを捉えようとしている。いや、僕には朧げながら形が見えているのに、ほとんどの人には見えやしないんだ! 今や伝説や物語の価値は忘れ去られた……僕みたいな人間の価値が、彼らにとってないものになってしまったのだ!

 

 いつかもう高く上った星たちが遊んで、夜空の原は軽やかに輝いていましたが、ふと見下ろせば、山の麓から、目の前の西森を呑み込むように広がる古い森は、いっそう暗く全くの闇のように見えました。立ち並ぶ高木は闇の中で連なって、手をつなぐ怪獣にも、得体の知れぬ巨大な生き物にも見えました。樹々は風にざわめき立ち、その風は間もなくサイハテのいる丘まで届いてきました。


「誰も知らない国へ、誰も知ることのない素晴らしい歌を探しに行く……。僕だけのために……僕は誰にも知られず僕だけの歌を詠んで生きて死んでいく……。そういうことでも、いいのではないだろうか……」

 

 生温かい風が、サイハテを包みました。サイハテが目を遣っていた奥深い彼方の森は今やサイハテがいるこの場所もサイハテ自身をも呑み込んで、あたりに茫漠と広がり、亡者のような樹々が濃い霧の中に佇んでいました。ドロドロ鳴り轟く太鼓の音が、頭上から響き、見上げれば樹冠の先も見えず遥かに伸びる高木が霧に霞んでいるのでした。生温い風は森の遠い向こうから吹きつけてきて、サイハテを通り越してまたずうっと奥の方へ吹き去っていきましたが、風はサイハテに触れる時、まるで黄泉の河を流される死人が藁にしがみつくかのように彼を掴もうとして、擦り抜けていくのでした。

 

 サイハテは延々続く霧の森を歩き出していました。風は何度となくサイハテを掴むように前方から吹きつけてきました。風が吹いていく所、遥か後方を振り返ると、濃い闇の奥に無数の鬼火がゆらめいて見えました。今や、太鼓の音はドロドロドロと四方で鳴り渡り、足元に黒々とした靄が流れ着いてきていました。靄の中に、漂流物のごとく、動物の死骸や、大きな魚の骨と目玉、腐った果物、ボロ布、風呂敷、棺桶などが浮き沈みし、サイハテの目の前に渦を巻いてゆっくりと沈んでゆきました。サイハテも流れに身を任せていました。

 虫食いの巨大な桃がサイハテの横に流れてきて、萎れて縮まった種のような顔を持った小人が、穴から三つ、四つと現れてまたすぐに体を引っ込めました。物語に聞いた竜と思えるものがゆっくりと近づいてきたかに見えましたが、その姿はすぐ干からびてミイラのように目も鼻もがらんどうになって、固まって沈んでしまいました。皆靄の渦に巻き込まれていきました。渦に消え入るところでは皆、もう骨、骨ばかりでした。

 サイハテがこの五、六重の渦巻きをゆっくり中心へと回っているところで、一艘の小さな屋形船がズウズウと近づいてきました。鬼火のちょうちんが揺れていました。いつの間にか、あたり一面は鬼火を灯した屋形船でいっぱいだったのです。幽霊の巨樹が立ち並ぶ暗き靄の海は、今や鬼火の船で埋め尽くされていました。屋形の障子に太鼓打つ人影が映っていました。そのうちの一艘が、いよいよ渦に消え入らんとするサイハテの目の前まで船体を寄せてきました。ガラリ、と障子が開きました。

 

「なにをお探しですか」

 ひとりの妖精とも子鬼ともつかぬ姿が出てきて、老人のようなしわがれた声で聞きました。

 

「詩を……詩を探している……」

 

「どこで失くしたんですか」

 声は二つ三つになり、妖しく白に染まったお面が、闇の中に浮かんで見えました。

 

「僕の心の中で……」

 

「それは妙ですね。ところでそれは、元々あなたのものだったのですか?」

 幾つもの鬼火が、くるくるとサイハテの周りを回りながら言いました。鬼火の中に意地悪い妖精の顔が見え隠れしました。

 

「僕のものです。僕が作ったのです……」

 

「それはきっかいな! だって、あなたはもう骨ではありませんか!」

 今や輪になって高速でサイハテを巡る鬼火は、様々なおぞましい姿に変わっては、ケラケラと笑うばかりでした。

 

 サイハテは、全く骨ばかりになった自分の両手を見つめました。アバラ骨の間を靄が擦り抜けていきます。今やサイハテは骨でしかありませんでした。

 

「骨に詩が作れるものか! さっさと行っちまうがいい!」

 

 渦に呑まれて落ちていくサイハテの周りで幾百もの声が響きました。ただ、彼の目はまだがらんどうにはなっていなかったのです。彼の瞳はまだ輝きを残していました。

 

「詩だ……! 僕の詩を……」

 

 サイハテは、自分の体が確かな地面に落ちたのを感じました。下は、土でした。サイハテは倒れこみました。地の付近でまだ靄はとぐろを巻いて広がっています。ただあたりは、いつもの丘の林でした。無数の小刻みな足音と囁きが薄れていく霧の中に聞こえました。

 突然けたたましい鳴き声が響き、靄の林に白い綿毛みたいな動物がいっぴき賭けこんで来るや、その小さな動物はサイハテを取り囲んでいたらしい者たちのひとりにさっと飛びつき、たちまちそれを地に押さえつけました。その動物には生きたにおいが満ちていました。あたりの死臭は今破られました。

 

「わぁん!」

 

 犬は間髪入れず二度目の攻撃を仕かけました。ドスッ! ともうひとり、地に落ちた音がしました。とたん、何か別の重たい足音がべチャべチャと靄を踏んで駆け去りました。この捕獲者たちは獣を駆っていました。ドスッ! 老犬は三人目をその乗り物から引きずり落としました。

 

 べチャべチャという音が、微かに甲冑の触れ合う音が、騒然といっせいに西へ去り、訪れた静寂が捕獲者たちの撤退を知らせました。頭上に星が見えました。周囲に立ち込めていた霧は今は完全に去りました。ただ、足元には靄が敗残兵のようにうようよと彷徨っていました。

 

 サイハテは、確かな自分の足で、土を踏みしめて立ち上がりました。まだ足元一面にくすぶる靄の下から、「クゥン」と小さく鳴き声が聞こえました。サイハテは忌まわしい靄から、確かな自分の両手で彼の愛犬をすくいあげて頬ずりしました。サイハテは犬の体に黒く纏いつく靄を払い取って、霧にびっしょり濡れたような体を撫でました。犬は、いつものくたびれた顔で、眠たそうな目をしてもう一度鳴きました。

 

「ハカナイ……ありがとう。君はやっぱり僕になくてはならない守り役だねえ……。さあ、行こう。今、敵を追跡に。僕は僕の詩を探す旅に出るんだ。」

 

 サイハテは老犬ハカナイを抱かえて、西の森へと、そのさらに奥へと吸い寄せられるように引いていく靄を追って、走り出しました。

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