第7話 王都セレモニーで起こったこと・後編
「おいでよ。とっても面白いことがある。ここにはもうなーんにも面白いことはない」
「おいでよ。とっても面白いことがある。ここにはもうなーんにも面白いことはない。オイトマ伯の館へ、おいでよ」
中央広場から、お面をかぶってぴょんぴょん飛び跳ねる、道化よりももっとおどけた小男たちに引き連れられるように、たくさんの人たちが王都正門から街道の方へ出て行きました。
「おい、もう夜のパレードが始まったのか? まだ星も出ていないのに、気の早い連中だ」
門番の騎士たちはそう言って、喇叭をぴぃぴぃ吹き鳴らし小太鼓をてこてこ叩いて過ぎゆく風呂敷にお面姿の小さな連中をさも邪魔くさそうに見つめました。その後からは無言の、しかし薄笑いを浮かべた祭りの観衆がぞろぞろと続いて行くのでした。彼らは西の森へ向かったようでした。
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サイハテは北東通りへと来ました。
ハナグマの家では、またいつものように壊れた灯りが、日が西へ傾く中調子っ外れにカタカタ点いたり消えたりを繰り返していましたが、いつもの歌の方は聞こえてきませんでした。
「ふむ、まだセレモニーの方にいるのかもしれないな。オイトマ卿の見世物はもう終わったんだろうか? 行ってみよう」
中央広場に着いた彼の目には、おかしな光景が見られました。
たくさんの屋台がもう店を閉め始めていたのです。夜になると中央広場では、軽業師や手品師が芸を始め、吟遊詩人たちは歌い、楽器を奏で、人々も合唱に加わり、それからセレモニーの目玉である舞踏会が開かれ、その後は皆お酒を飲んで大いに食べながら思い思いに歌い踊り騒ぎ続ける筈でした。夜店も、とくに食べ物や飲み物の屋台は最も賑わう時でした。
それなのに今、とうもろこしの店も、焼きそば焼きうどんにお好み焼きの店も、ビールと葡萄酒の店も、幕を下ろして、ある者はもう屋台をたたんで帰り支度をしているのです。
「あのすみません、オイトマ卿の見世物はもう終わったのでしょうか?」
サイハテは、広場外れの木陰で、竪琴をほっぽり出して寝転んでいる吟遊詩人に聞きました。
「オイトマだって! 終わったかって? 終わったよもう!」
「あなたたち詩人さんはこれから歌うのではないのですか?」
「だから終わったよもう。もう歌うことはない」
もう詩人の歌の披露まで終わったのでしょうか、まだ夕刻前なのにおかしいなあとサイハテは思いました。
「歌う歌もさっぱり思い浮かばない」と、サイハテが去ったあと、詩人はふっとつぶやいて、竪琴を置きっぱなしにしたまま街を出て行ってしまいました。たくさんの詩人の竪琴が、木陰やベンチに寂しく置き去りになっていました。軽業師や手品師のスティックやトランプや蹴鞠や帽子がここそこに捨てられ、白い鳩はあちこちの街灯や街路樹や民家の軒先にとまって、ポッポッと鳴いていました。妙に白々しい白鳩でした。
祭りに訪れた客はもう誰も白けてしまっていました。それは中央広場から、環状の主道を伝って王都中に伝染しました。至る所で店を仕舞い帰り支度する露店商をサイハテは見ました。
サイハテはそんな街を一周して再びハナグマの家の前にやって来ましたが、やはり詩は聞こえてきません。通りを行く人は少なく、軒先の吊り灯が、夕闇迫る中調子っ外れにカタカタ点いたり消えたりしているだけです。小さな蛾や羽虫が集まってきていました。サイハテは、どんどんと扉を叩いてみました。
やはり音もないので、サイハテがもう立ち去ろうとした時、ひょんっと、扉にハナグマの顔が現れました。
「ああハナグマ、いたんだ? 君が詩を詠ってないなんて珍しいな」
「今日はもう、歌も物語りも思い浮かばなくってねえ……なんだか知らないけれど、おいらぁ随分疲れてるみたいだよ……」
「オイトマ卿の見世物はどうだった? それから、ハカナイは元気かい?」
「オイトマ……? そうだ、サイハテ、君に言うべきことがあった!」
と言うや彼は話し始めました。
「オイトマ卿の見世物、あのあとだよ……見世物のあと、何人かの、いやあれを見ていた観衆は全員じゃないかなあ、オイトマ卿の館でもっと面白いものが見れるって、連れて行かれたんだよ……。見世物のことは……ああ、あれは確かにとても面白かった筈だ。でも、なんだか今となっては思い出せない……寒気がして……。それで、おいらも……」
ハナグマは遠くを見つめるような目でぼんやりしましたが、思い切ったようにまた話し始めました。
「おいらもいつの間にか、その連中に連れて行かれてた――いや、自分からついて行ってたんだ。知らないうちにね。西の森のオイトマ卿の館へさ。[奇人館]って看板のあるところまで行った。そしたら、君のハカナイが、急にけたたましく吠え立ててねえ。それでおいらぁ気づいたんだよ。なんだかはっとして。ハカナイと一緒に、走って逃げたよ。ぞろぞろとたくさんの人たちが、なんにも言わずに西の森へ入っていく中をね。不気味だった。彼らと一緒に、靄の様なものも、森の中へ吸い込まれて行ったんだ。
そうだ、森の入り口で、ひとり変わったのに会った。やつは、ズングリとして小さくって、妙な動物に乗っていた。やつは、おいらを引き止めようとしたけど、ハカナイがそいつの乗っていた動物の鼻に噛みついたんだ。鼻に噛みついたって、おかしく聞こえるかもしれないけど、そいつは鼻が随分と長かったんだよ。でも象ではなかった。なんだったと思う? まあ、いいさ。おいらぁとにかくこうして無事逃げて来られた。逃げて来たって感じだね。ついて行った人たちは、あの奇人の屋敷で、どんな見世物を披露されてるか知らないけど、あんまり見ていいものだって気はしないよ。ああ、君のハカナイなら、君の家へ戻ってるんじゃないかなあ? なんか、彼はそう言っておいらんとこから走り去って行ったように思うよ。もしかしたら、サイハテを探しに行く、だったのかもしれない……今はそんな気がする。」
ハナグマはいっぺんに喋り続けました。ひと息入れたあと、「おいらぁ随分疲れたよ……もう今日は眠らせておくれ。君も早くハカナイに無事な姿をみせて安心させておやりよ。おやすみ……」とつけ加えると、もう扉の奥にすっ込んでしまいました。
ハカナイは家にいませんでした。
「ハカナイならそのうちに戻って来るわ。なにか食べるかい?」と言う母の声をうしろに聞いて、返事もせずサイハテはまた夕焼けの街へ出て足早に駆けました。
今や祭りを観に来た客の多くは、もう夜の歌と舞踏に参加しようと集まるどころか、早々宿に戻って眠ってしまいました。その多くは、明朝には国へ帰ろうと荷物をまとめて枕元に置いて床に就くのでした。すでに街道を帰途に着く者さえありました。中央広場に屋台はもう三つ四つと残るだけで、白々しい鳩が、石畳やレンガ敷きの道を行ったり来たりして、落ちているもろこし菓子の屑や飴玉や宝石をついばんでいました。それを無気力な街猫がじっとうずくまって見ていました。
サイハテは人々が飾り付けを取り外している商店街を通り、クモの巣に掛かったみたいに旗や灯りもないちょうちんがだらんとなっている第二広場を抜け、「ハカナイ、ハカナイ……!」と心で叫びながら北東住宅街まで走って来ました。
野良犬は何匹かいましたが、サイハテのよく知っている眠い目のムク犬は見当たりませんでした。野良犬たちは皆、死んだような目でうつろに彷徨っていました。
サイハテは三度ハナグマの家の前に立っていました。パジャマで出てきたハナグマもいました。
「オイトマの屋敷に行ったのでは?」
「多分……それはないよ……。だっておいらたちあそこから逃げて来たんだ。もう一度あんなとこ行くのは、今となってはなんだかとんでもなくおっかないよ。それに、今さら館へ行ったところで、どうして入れてくれる? もうすぐ夜になるよ。あのついて行った人たちは、まだ中にいると思うかい? なんだかとてもいやな気がするなあ……。あの奇人の屋敷に、一体何があると思う? ――古文書や図鑑の詰まった本棚? 買い占めた財宝? それとも拷問部屋? 麻薬に媚薬? 見たこともない動物の骨のコレクション? まっぴらだ。だけど、果たしてそんなものだろうか?
あ、それにもちろん……ハカナイも君がそんなとこへ行くなんて思ってないだろうし、彼もきっと、行っちゃあいないよ」
しかしサイハテは、夕暮れ時の街を後にし、あの丘の林までやって来ました。彼はお気に入りの切り株に腰を下ろし、色んなことを思い返しては、物思いにふけり始めるのでした……ハカナイの行方不明、西森にあるという奇人館、祭りでの出来事、騎士オヒツジの見事な剣裁き、親友ハナグマを得たこと、この林で会った不思議な老人、深い目をした野武士クチハテ、奇怪な乗り手との遭遇戦、そして奪われた詩のこと……。