第5話 王都セレモニーで起こったこと・前編
サイハテの部屋は、五階建ての騎士宿舎の三階の隅っこにありました。騎士宿舎自体は王都街壁正門から、城の正門へ伸びる大通りに面していましたが、このサイハテの部屋は通りからいちばん離れた隅にありましたから、さすがに盛大なセレモニーの日でも見物客のわいわい騒ぐ声や、露店商の掛け声、はやし立てる声が届いてくることはありませんでした。騎士宿舎はそれだけ奥行きが広かったのです。しかしそれでも、正午の、大花火の連発とラッパの大合唱は騎士宿舎の長い廊下を貫通し、そのままサイハテの耳も貫通しました。サイハテは飛び起き、あまりのうるささに怒る気にもなりませんでした。サイハテは部屋を出てすぐ隣の洗面所で顔を洗い、「忘れてた」と言って、ふとんにくるまってまだ眠りこけている愛犬を起こしました。しかし、もうひとつ「忘れてた!」もっと大変なことを思い出しました。彼は今日、騎士見習いに割り当てられているセレモニーの巡回番なのでした。彼は正午からでした。
「ああ、遅い。サイハテ。後で隊長に叱られるのは俺なんだよ?」
巡回番は、ひと組五人のグループで、正式な騎士になりたての先輩がひと組にひとりづつ入ってまとめるのでした。正式な騎士たちの大抵は、王城や図書館や城門など重要な各所の守備や王都外壁の周りの警護についているのです。サイハテのグループは三時まででしたが、サイハテの遅刻で一時間当番を伸ばされることになりました。
サイハテは大通り、環状の中央通りと巡回をしながら、セレモニーの様子を見て回りました。子どもを客としたリンゴ飴やモモ飴売り、コマやオハジキ玉売り、妖しいお面売りから、焼きもろこし屋、栗の入った袋売り、珍しい宝石商、剣や鎧を飾った武具店など、露店商は実に様々でした。古代の武器や神話の道具を展示しているというトレジャー・ハンターや、古めかしい紙芝居の老人のもとには、たくさんの大人も老人も集まっていました。吟遊詩人もここそこで思い思いに歌を奏でていました。
「よお。兄さん。鳥の剥製を買っていきなよ。ハチドリだよ。綺麗だろ。可愛いだろ。部屋に飾んな。五千ルピー!」
「ねえそこのあなた、こっちへおいで。私のなぎなたをご覧になって。よく切れますのよ。七十万円ですわ。」
「少年。見たまえ。君にまことの錬金術を教えてあげよう。さあ、入らんのかね? 一時間八千ギィルだぜ?」
「さああ、皆、おい、あんたも! 魔法だ! 魔法の靴であんた、空を飛びたまえ! 一万ゴールド!」
サイハテはもうなんだかおっかなくなってきました。人は押し合い、ぶつかり合って西へ東へ行きかいます。奇跡のお札、神のお酒ネクタル、滅びた旧勢力の財宝、恐竜の化石、妖しい卵、河童に人魚のミイラ……一体このうちに本物がひとつでもあるのでしょうか? あるいはそれが本物だったとして何になるのでしょうか? サイハテは歩き続けました。
北の広場では、武闘会の真っ最中でした。観戦客は賭けに夢中でした。戦う方も、賞金に夢中でした。無数の旗が人々を笑うように、いやサイハテを笑うように、コッケイダ、コッケイダと音を立てて風になびいていました。巡回番の少年たちは、先輩騎士を筆頭にして、今や皆武闘会に夢中になっていました。舞台では今、立派な銀の盾と槍を持った城の名騎士カナリノ卿(ヒゲまで立派な銀色です)と、黒光する鎧を頭からがっぽりとかぶり、桃色の宝石を柄にはめた剣を闇雲に振り回す小男が、じりじりと互いに間合いを縮めていました。
「カナリノ殿、頑張れ!」
「われらが王都騎士団の力を見せてやって下さい! カナリノ卿!」
サイハテは、もうふらふらになって、ひとり噴水の、昨日ハナグマと話していたあたりに腰掛けました。街時計は三時を指していました。
「ああ、そうだ、僕はここでハナグマと待ち合わせたのだった……彼はもう来るぞ。僕はまだ後一時間見回りだ……もう勘弁してくれ。」
「そうなんだ。じゃあその間おいら何していようか?」
ハナグマでした。彼は半分かじったリンゴ飴を手にしていました。
「おいら遅れた。一分遅れた。リンゴ飴にしようかイチゴ飴にしようか迷ったせいだよ。君は時間かっきりだね。騎士ってのは、見習いでもなかなか綺麗な服着せてもらえるんだねえ。ちょっと立派に見えるよ。その花みたいなエボレットとかね……」
「それはどうも。今日は私たちはこの通り巡回番だからね。そしてこれが後一時間伸びてしまったんだ。ごめんよ。」
その時、昨日と同じ風にざあざあいう噴水の音に混じって、ひときわ高い声がこの第二広場に聞こえてきました。
「貴人オイトマの、世にも奇妙なショーが始まるよ! せっかくの機会だから、是非!」
「奇人オイトマの、世にも奇妙なショーは始まるよ! 奇怪だから是非!」
その声は喚声と絶叫と悲鳴に掻き消されました。武闘会の舞台では、黒仮面の小男が、妖しいピンクの剣を振りかざして、カナリノ卿の銀の頭部を宙に飛ばしたのです。丸い銀の影が地に落ちる瞬間、広場は一瞬静まり返りました。
カチャリ! とそれは落ちました。カナリノ卿の頭は、彼の胴についていました。飛んだのは兜だけでした。卿自身も、自分の頭が刎ねられて飛んだのだと勘違いしてはなはだびっくりして、気を失ってしまいました。勝負は着きました。
「勝者! カブリン伯爵!」
沈黙は破れました。
「なんだあ……」
「おい城随一の騎士が負けたぞ」
「おもしろくない」
「皆やつに賭けてたんだ」
「ああ、素敵な方だと思っていたのに、残念ですわ……」
「パパぁ、あのおじさん、負けちゃったよう……」
広場は一気にしらけました。人々は今やドヨドヨと情けない声を発して囁き合っています。そんな中、あの声が再び、一層甲高く広場に響きました。
「貴公子オイトマの、世にも見妙なショーが始まるよ! この機会に、是非!」
「奇行士オイトマの、世にも奇妙なショーが始まるよ! これ奇怪、是非!」
人々は再びざわめき立って、わいわい言いながら全員があっという間に北の広場から去っていきました。正門前の大広場へ向かったようでした。もうサイハテとハナグマを除いては誰も残っていませんでした。広場の石のテラスには、破れたチラシや紙切れやら、飴やアイスクリームの棒切れやらが汚く散らばっているだけでした。イカ焼きやみたらし団子の屋台も煙を上げたまま、誰もいませんでした。露店の主人もいませんでした。午後のお日様を浮かべた噴水が、ざざあざざあとけだるく音を立て、風になびく旗の群れが、コッケイダ、コッケイダと言い合って、サイハテたちを眺めているばかりでした。
サイハテとハナグマはしばらく顔を見合わせましたが、仕方なく、皆が去った大広場の方へゆっくりと歩いていきました。
小さな木立に囲まれた北の広場を出て通りに入ると、人がまばらに見え始めました。リンゴ飴やとうもろこしや風船を持ってはしゃぎながら、こちらへ歩いてくる人たちもいました。サイハテらがそのまま進んで行くとすぐに彼らは元通りの人ごみに紛れ、呼び合う声売り買いする声が飛びかい、あたりは再び騒然としたお祭りに戻りました。サイハテは、また頭が痛くなってきました。
「サイハテ、何処へ行っていた? 巡回番が迷子になってどうする?」
巡回グループのリーダーが、肩越しに声をかけてきました。他の巡回番の少年たちもそろっていました。
「あの……大広場へ行ったのでは?」
「今から北の第二広場へ巡回だ。さあ、行くぞ。大広場はそれが済んでから見学に行きな。北の広場で巡回は最後だよ。もっとも、その頃にはもうセレモニー最大の見世物、あの風変わりなオイトマ卿のショーは終わっちまってるだろうが」
「オイトマ卿の……」
「ああ。今から、大広場でやるんだと言って、宣伝してたよ」
「わ、わかりました」とサイハテは言い、「ハナグマ君、ごめん……あとで君の家にでも寄るよ」と、小声でハナグマに言う言葉を付け加えました。
「わかったよ。おいらぁ、その変人オイトマのショーとやらを、見に行って、あとで君に教えてあげるよ」とハナグマも小声で返しました。
その時、「わん!」足元に、ハカナイがじゃれついているのにサイハテは気づきました。「わっ」と小声で言って、サイハテはそのムク犬を抱き上げました。いつの間に来たのだろう? こんなところにいては、この小さな年老いた犬はいつ踏み潰されるかわかったものではありません。
「サイハテ、君さっきからなにやっとるのだね? その野良犬を拾って、一体どうするつもりだい。巡回番をサボって、君も露店商をやるつもりじゃあるまいね? たとえば、犬を売るとか……」
「すみません……」とサイハテは言い、「ハナグマ君、ごめん……この私のおじいちゃんを、預かってくれないかな? あとで君の家に迎えに行くよ。その時にはリンゴ飴のひとつでも買っていくから」と、ハナグマに向かって小声で付け足し、返事も待たずに自分の老犬を素早く手渡しました。
「いいよ。ひとつでもふたつでも。ただし、おいら今度はイチゴ飴の方がいいよ。さっきリンゴ飴を買って半分かじってから、やっぱりイチゴ飴を買った方がよかったような気がしてたんだ。じゃあね」と、ハナグマは犬のハカナイを抱かえて、すぐに広場の方へ消えていきました。
「君はまじめなやつと思っていたが……」と、歩き出した騎士の先輩がぶつぶつとつぶやいていました。