第3話 野武士クチハテ
サイハテは、あの事件以来数週間ぶりに、林にやって来ました。もう夏になっていましたが、この街外れ一帯は涼しく、林からは心地良い風が吹いてきました。林の入口に立っていると、林の奥に二、三人ほどの人影が浮かび、間もなくこちら側にやって来ました。
「レンジャーだ」
「よう。騎士見習いさんでないか。俺だ、クマソよ」
大きな曲刀を背中に下げたひげの大男です。曲刀の柄に巻きつけた赤い布が風に靡いています。
「クマソさん、こんにちは」
大抵のレンジャー達は多少ぶっきらぼうでしたが、戦士としての礼はわきまえており、クマソは熊殺しだとか異名を持っていますが、ひげを取ってしまえば随分頼りない顔になってしまうのではないか思えるくらいの、優しい目をした男でした。サイハテにとって、林で会うレンジャーや野武士の中でも親しみやすいこの男は、とくに仲のいい人でした。
「おめえ、どうしてたんだ? ここしばらく姿を見かけなかったな。剣の稽古で怪我でもしおったのではないかと、話しておったとこよ」
「サイハテ君は詩作の才能はあるが、剣はまだまだだから」
クマソの横から、続けてこう言ったのは、カワセミという、まだ二十台の、貴族に飽きてレンジャーになったのだという人です。しかし身に付けているものは綺麗な鎖かたびらや、玉の付いた宝剣ですから、相当に気ままな人のようです。
もうひとり後にくっついているぼうっと背の高い人は、一緒にいたりいなかったりで、名前も分からなくて、まだ一度も話したことはありません。何処か近寄りがたいと思わせる人です。クマソらは、四、五人でいる時もありますが、大体この三人というパターンが多いようです。背の高い人は(この人はいつも着流しに刀一つという出で立ちで浪人みたいなのですが)、ひとりでいる姿もよく見かけます。
「クマソさん、この林か、あるいは西の森で、不思議な感じの老人を見かけることはないですか?」
「ある。と言うかほんの二、三日前のことで、俺は初めて会ったのだが。そうだ、俺たちもちょうど見に旅から戻って来たとこなんだが、明日から、夏の一大セレモニーが始まるだろ? あのじいさんもそれを見に行くって言ってたなあ。もう着いてるだろうから、街の宿屋に泊まっているか、暇だから祭りの準備でも見物してるんでないかい?」
「あのおじいさんが何者なのか、ご存知ないでしょうか?」
「さあな。森で隠居生活でも送ってるんじゃないのかな? カワセミよ、何か知っておるか」
「そうだな。まあ見たところ魔法使いでないことは確かだな。オオカミの餌食にされなきゃいいが」とカワセミは答えましたが、それを受けて初めて聞く深いトーンの声が言いました。
「かのご老人は只者ではない。拙者は少し知っているのだが……」
例の浪人風の男でした。
「ほうクチハテ。おぬしが知りあいであったか。それで、何者なんだい?」
しかしクマソの質問にも答えず、クチハテと呼ばれたその男はそれで黙ってしまいました。元々はサイハテの聞いたことなのに、こちらにはまだ目も向けていません。サイハテは今自分が名乗っておくべきなのか迷いましたが、やっぱりためらわれました。
クマソはいつものことなのか気にとめる様子もなく、会話を続けました。
「それでおめえはそのじいさんに何か用でもあるのか?」
「そうでした! まずクマソさんたちに聞けばよかった。実は、私がここに来なくなる数週間前の夜に、ここで奇怪な動物を駆った甲冑の男に襲われたんです。そういうのは、見たことありませんか?獣は背丈も低く、シュルシュルとうなっていて、そう言えば乗り手の方もズングリと小さかったなあ」
そう言うと、クチハテがギョッとした目で初めてこちらを向きましたが、すぐに落としたくわえ葉っぱを(驚いた時いつも口にしているくわえ葉を落としたのです)拾うと、砂を払ってもう一度口に含み、またいつもの無表情に戻りました。
「さあなあ。しかし、とんだ災難に遭ったな。森には色んな奴がいる。危険なレンジャーもいるさ。夜は危険だ、街の外には出ない方がいい。今度、俺が剣を教えてやろう」
クマソが真剣な顔で言ってくれたので、かえっておかしくなりました。
「なんだ?そんな吹き出しそうな顔をするものではないぞ。せっかく人が心配してやっておるものを……」
クマソは決まりが悪くなったようにぶつぶつ言い始めました。
「ハハ、クマソ、似合わぬことを言うからじゃ。ではそろそろ行くとしよう。今回は北のナジ砂漠まで行っておったのだ。さすがに疲れたわ。まあ明日の祭りに備えて宿で一服でもするさ」
カワセミはそう言って、サイハテの肩をポンと叩くと、街の方へ歩き出しました。クマソもそれに続きます。
二人が二、三歩進んで、「クチハテよ。いつまでつっ立っとる?」と声を掛けるまで、クチハテは考え込むように、確かに棒立ちでした。幾秒かの後、ゆっくり歩き始めましたが、ふっとサイハテの方に顔を向け、言いました。
「申し遅れた。拙者の名はクチハテと申す。以後お見知りおきを。さて、最近は平和だが物騒な世になった。心の深淵より這い出してくる者に注意なされよ。その者と戦うことは、貴殿にとってこの上なくよい修行となろうが、危険でもある。真剣勝負だからな。心の刃を研ぎ澄まされよ」
普段無口なこの男からは想像もできなかった、柔らかで、しかし鋭く研ぎ澄まされた口調でした。不精ひげを生やした無愛想で、何処か厳しくもある顔に、よく見ると、目だけはとてつもなく澄んで、底のないような、奥深さを持って輝いて見えました。サイハテはしどろもどろに言い忘れたことを言いました。
「あっ。私の名は、サイハテと申します。ええ、以後お見知りおきを……!」
するとその顔は、その時一瞬ほころびて、とても優しい表情になり、サイハテに軽く一礼をしましたが、すぐ元の厳しさを含んだ表情に戻ると、そのまま二人に追いつき遠ざかっていきました。