ミッション最初の目的地
夢の中のグループメンバーの会話で、ナナはミッションがどういうものか少しずつ分かってきます。、
ナビ――単なる写真で、ルートをナビゲーションしてくれるわけでもないが、一応、現在地を教えてくれるからナビと呼ぶことにした――の次は、外の景色を観察した。
城塞都市の外、つまり今車で走っている地域は、酸素濃度が薄く人が住むことができないようだ。
車に装備された外気状況計測装置では、レッドゾーン、つまり人類適応能力の範囲外となっている。
辺りは一面の荒野だ。
私たちが走っている東名高速道路の両側は、かつては街だったのだ。
壊れたビルが酸性雨で朽ち果てて、セメントや鉄筋、鉄骨が腐蝕してボロボロになっている。
セメントに含まれる砂利や砂が風に舞って、まるで砂漠のようだ。
ビルでさえそんなあり様だ。アスファルトでできた道路は最悪だった。賞味期限の切れた落雁――今時の人は、あんなお菓子を知らないって?でも、一種の干菓子で和三盆を使った高級品だってあるんだ――みたいにボソボソくずくずで、走ると黒い粉が舞い上がった。
これって、真夏には、溶けてドロドロになったりするんだろうか。
セメントとアスファルトが混じった灰色の粉が生き物のいない街で風に乗って漂う。
この風は、酸素を含まない。空気は流れているかもしれないが、二酸化炭素や窒素で構成される空気が意味なく流れているだけだ。
現実世界の酸素を含んだ恵みをもたらす風とは違うのだ。
緑が全く見当たらない世界で、灰色の砂が舞う。恐ろしく不気味だった。
出発地である東京の様子から推測すると、今は春だ。
東京では、爽やかな風が吹き渡り、出発する私たちを祝福してくれていた。
それが、扉を一歩出ると、灰色の砂漠と化したのだ。
木々や草々といった植物は見られない。
もっとも、東名高速の高架上を走っているから、地面に生える植物が見えにくいのだろう。
でも、高速道路から見る限り、辺り一帯は廃墟の林立した砂漠だった。
植物も生育できないし、酸素も少ない。動物も生存できないのだ。
先行チームから東名高速の大きな陥没を警告されて、旧国道に降りて迂回することになった。
ラッキー。やっと地表を観察することができる。
目をこらすが、やっぱり、木も草もない。
草や木どころか、何も(!)ないのだ。
酸素が薄くても生存できる植物って、あっただろうか。
高山植物とか……。
必死で考えるが、思いつかない。
苔か何かであっただろうか。
でも、走る車の中から目をこらすが、それらしいものは見当たらない。
まあ、小さな苔なんか走る車で探すのは無理っちゃ無理なんだけど。
知り合って間もないメンバーが狭い空間に閉じこめられているのだ。
車のエンジン音だけが響く。
気まずい。
できれば、なるべく早くここを逃げ出したい。
でも、夢から逃げ出すことはできないんだろうな。
重苦しい雰囲気にいたたまれなくなったのだろう。
マリアが口を開いた。
「ナギ、さっきテロリストがどうのこうのって言ったけど、研修ではそんな話なかったんじゃない?」
この人、こういうときにも、ナギに頼るっていうか、すり寄るんだ。
大したもんだ。私にはできない芸当だ。
景色の観察の次は、メンバーの観察をすることにした。長丁場だ。逃げ出すことができないなら、飽きずに過ごせるよう、目的意識を持って時間をつぶした方が良い。
マリアの猫なで声に対し、ナギは平然と答えた。
「このミッションに反対する勢力があるってくだりがあっただろ?あれがそうだ」
「反対する勢力って、テロまでするの?」
唖然としたのはマリアだけじゃない。全員目を剥いた。
「一種の宗教団体なんだ。
このミッションは地球環境の悪化の中で生命体、特に人類の存続を目的とするが、その宗教団体では、地球が滅びるのも神の決めたことだから、それに抵抗するのは、神に逆らうことになるから許されるべきじゃない、と考えるんだ」
「じゃあ、俺たちのミッションは……」
ナギとマリアの会話にレオの声が割り込んだが、
「神への冒涜だとして天罰に値すると考えられている」
決して大きくないナギの声が、大きな存在感を持って一同を支配した。
気のせいか、エンジン音がことさら大きく聞こえる。
「でも、だからって、だからって、テロにまで走らなくても」
「狂信者たちだ」
マリアのあえぐような声に答えるナギは冷静だ。
「そんな。じゃあ、このミッションで事故が予想されるとか、生命の危険があるってのは」
「そのテロリストの標的になる場合があるってことか?」
マリアが尋ねる前に、レオが問い質した。
「命の危険があるってのは、何もテロリストによる攻撃のせいばかりじゃない。
何しろ空路がとれないから、ここ数十年誰も住んでいない土地、いわゆる荒地を旅しなければならないんだ。
酸素も高山病が心配されるほど薄いし、道の様子も衛星写真じゃ道路状況なんか分からないから、行ってみないと分からない。
その上、保護対象生物にしたって、攻撃性が強いってこと以外、分からないことの方が多い。
様々な危険が予想されるんだ。
知ってのとおり、今回のミッションは第四回だ。
つまり、これまで三回実施され、三回とも失敗している」
ナギはあくまでも冷静で、明日の天気の話をしているみたいだ。
リョウが、静かに息を吐いて言った。
「このミッションが成功した場合の報奨金や地位や名誉を考えてみろ。そんじょそこらにころがってる甘い話じゃないんだろう。
まあ、乗りかかった舟だ。やるだけやるしかないんじゃないか」
驚いた。この人、案外現実的だったんだ。
でもって、思ったより欲もある。
まあ、その方が何かと役に立つだろう。
有り体に言えば、単なるオタクじゃなく、思ったより戦力になるってことだ。
そんなことより、一同、命の保障がないことに気がついて、どうすれば生きてミッションをコンプリートできるだろうか、と悩み始めた。
だが、私には他人事だった。
だって、これは夢なんだから。
逃げられない以上、やるだけやるしかない。
でも、いざとなれば目が覚めて終わるはずだ。
夢で死んだからといって、現実で死ぬ人はいないし、そもそも、夢で死ぬことはないから。
しばらくして、一同は計画を再検討し始めた。
そりゃ、事前に打ち合わせはした。
でも、命の危険と隣り合わせだと分かったのだ。
計画を練り直して、より危険の少ない方法を選ぼうとしたのだ。
「とりあえず、夕方までに名古屋に着かないといけないんだ。
そこに古い型の充電器があることになっている。
それが使えれば、それを使って車の充電をする。
で、もし、使えなければ、予備のバッテリーを使うことになるが、それは最後の手段にしたいから、充電器の修理から始めなければならない」
「せっかく出遅れたんだし、別のグループが充電器を直してくれてるってことはないのかしら」
「あり得るが、期待しない方が良い。
第一、その場合、充電器を直したグループの充電が終わるのを待たなければならないから、かなりの時間のロスになるし、そもそもそこにある充電器に続けて二台充電する能力があるかどうかも分からないんだ」
「で、名古屋を出発するのは明日になるのか?」
「充電器のマニュアルは向こうにあるはずなんだが、出発前に調べた情報によれば、充電には一晩かかるらしい。だから、上手く行けば明日出発できることになるだろう」
「充電器のマニュアルって何語なの?英語、ドイツ語、それとも中国語?」
「行ってみないと分からないが、多分、どの国の製品であれ、日本語じゃないかと思う」
「で、名古屋から先が、紀伊半島の海沿いに大阪へ行くか、琵琶湖の北を通って敦賀へ抜けるか、若しくは琵琶湖の西岸を行くか、三通りの案があるって話だったな」
「ああ、山岳地帯は二十年前の大地震の後、立入進入禁止地域に指定されているから、通ることができない。
実際、大地震の後、人が踏み込める状態じゃないし、攻撃性の強い飛行タイプの保護対象生物の生息地だから、奴らを増やすためには、必要な措置なんだ。
山岳地帯は迂回するしかない。
琵琶湖とその周辺は歩行タイプの保護対象生物の生息地だから、そこを避けて、名古屋から紀伊半島の海岸線に沿って進むのが、時間はかかるが一番安全なルートだ。
だが、その場合、ルート上で充電器があるのが、大阪だけだ。だから、大阪で一泊して北へ向い、日本海に出る。途中から予備のバッテリーを使って、海岸線沿いに金沢を目指すことになる。途中で電池切れになる可能性が強いから、結構シビアなルートだと言える。
で、琵琶湖の北を行く案は、最短だが保護対象生物の様子がよくわからない現状では、下手をすると、あいつ等に襲われてゲームセットってことになりかねない。
琵琶湖の西岸も同じで、今の所、北岸と西岸のどっちが安全か全く分からない。
いずれにしろ、保護対象生物の攻撃を避けながらの旅になる。
しかも、知ってのとおり、どのルートをとるにしろ、琵琶湖周辺はブラックボックス地域だ。
ナビも通信も使えない。
道路状況を調べながら、しかも、保護対象生物の攻撃を避けながら、進まなければならないんだ。
まるで、手探りでシルクロードを旅するようなものだ。
本格的な活動になるのは金沢からスタートする調査が始まってからだが、どうやって金沢にたどり着くか、それが最初の関門なんだ。
今はとにかく、第一目的地の名古屋にたどり着くことだけ考えよう」
ナギは、琵琶湖周辺のブラックボックス地域を「知ってのとおり」と、簡単に説明した。
でも、私は知らないのだ。
ナビも通信も使えないって、どういうことだろう。
言葉どおりだとすれば、琵琶湖周辺では、ミッション参加車は互いに協力し合うことができず、それぞれ独力で走行することになる。
それは、ナビ上に走行不能地点の表示が出ないだけじゃなく、連絡を取り合って、安全なルートを探すといった今やってる方法が使えないってことになる。
愕然とした。
でも、もっと驚いたのは、こんなヤバイミッションだというのに、チームの誰一人として、降りたいと言わないことだ。
みんな、負け惜しみが強いというより、ヒーローになりたいと言うか、一攫千金を狙う山師みたいなところがあるのだ。
「面倒ね。空を飛べれば、一気に金沢へ行けるのに」
「仕方がねえだろうよ。保護対象生物の中でも飛行タイプの攻撃性は半端じゃねえ。しかも、相手は保護対象生物だから、殺しちゃいけねえ。こっちから攻撃できねえ以上、空を飛んで行こうとすれば、やられるに決まってる」
ミッションの概要を知って半ば呆然とする私の横で、マリアがぶすくれて、レオがそれをなだめた。
琵琶湖周辺のブラックボックス地域ってどういうものだろう?
保護対象生物って何のことだろう?
どうして金沢が調査のスタート地点になるのだろう?
その辺が分かれば良いのに。
でも、今ここで訊くと死ぬまで馬鹿にされそうで。
そんなのは真っ平だった。
私にだって、プライドというものがある。
焦って教えてもらわなくても、そのうち分かるはずだ。
当初の計画どおり、適当に付き合うことにしよう。
そう決めた。
それに、最終目的地かどうかは別として、金沢の街ならよく知ってる。
少しは参加する意味もあるだろう。
何てったって、大学があるのは、あの街なのだから。
そんなことより、だんだん疲れてきた。だって、そもそもサービスエリアも何もないのだ。こっちの都合の良い所にトイレがあるわけもなく、トイレ休憩もままならないのだ。
って、夢の中で用を足すと、おねしょになるから、仕方がないのかも。
一同の話し声を子守歌に意識が遠くなる。
夢だと分かっていると、どんな困難も気楽なものだ。
こんな私をいい加減なヤツと呼んでくれ。
「あなた、こんな大事な話をしてるのに、よく眠れるわね。どういう神経してるの?」
「ゴメン。眠くって」
だって、この夢のせいでまともに眠った気にならないんだもん。
重ねて、マリアが非難しようとすると、ナギが口を挟んだ。
「いや、相談は終わったんだ。寝れる間に寝といてくれ。そのうち、嫌でも寝ていられなくなる」
「こんないい加減なドジッ子、甘やかす必要なんかないのに」
マリアが気を吐いた。
「このミッションには時間がかかるんだ。なるべく体力を温存しといた方が良い。
君も眠っておいた方が良い。お肌が荒れたら、せっかくの美貌が台無しだろう?」
いっぺんで目が覚めた。
ナギでもこんな軟派な台詞を口にするのだ。
さっきまでの重苦しい雰囲気が吹っ飛んで、リョウも豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしている。
レオもびっくりしたようだが、運転中だ。面白くなさそうに、横目で睨んだ。
保護対象生物って、ほんわかしたものじゃなく、凶暴なものだったようです。