卒業
ナナは、現実で、大が鵜を卒業します。
ベッドから落ちて目が覚めた。
右手にホシヨミの手の温もりを生々しく感じて、あの人は、こっちへ来たのだろうか、と思ったら涙が出た。
あり得ないって。
夢の中の人がこっちに来るなんて。
来週見る夢では、あの人は死んでいるんだろう。
会いたい。
もう一度、会いたかった。
こっちで会えたら良いのに。
でも、もし、こっちに来てたとしても、夢の中の記憶が残っているとは思えない。
そもそも、あんな男前が私みたいな凡人を相手にすることはないのだ。
もう、あの人に会えない。
そう思うと、無性に悲しかった。
明日は卒業式だというのに。
もう独り立ちするというのに。
自分の無力さに落ち込んだ。
翌日、卒業式だというので、晴れ着を着た。
まあ、一生に一度のことだし。
そもそも、結婚するかどうかも分からない、いい加減な娘だ。
最初で最後のチャンスだと、母が強引に用意してくれた振袖だ。
もう二度と着ることもないだろう。
式が終わると、謝恩会、つまり、お祝いのパーティーがあった。
六回生の先輩たちともこれで最後だ。
そう思うと、ちょっと寂しかった。
昨日の晩はホシヨミと別れて、今日は六回生や友人たちと別れる。
出会いがあれば、別れがある。
諸行無常を感じた。
ホシヨミが言ってたじゃないか。
人生は時間なんだって。
永遠に存続するものはないのだ。
星だって、地球だって、人類だって。
私の寿命だって後六十年もすれば終わる。
先輩たちとの付き合いも友人たちとの交流も終わりが来ただけだ。
学生時代は終わった。
これからは、自力で生活して行くのだ。
そして、終わりが来るその瞬間まで、自分の納得できるように生きる。それが、人生だ。
この日別れる六回生たちや友人たちより、ホシヨミのことが気になって、伸ちゃんや上野麗子が、私のことを変なヤツだと笑った。
分かってる。
夢のことでクヨクヨするのは、間違ってる。
でも、好きだった。
あの夢で唯一味方だった人だ。
こっちで会えなくても良い。こっちへ連れて来たかった。
あんな馬鹿げた別れ方は嫌だった。
もっといろいろ話を聞きたかった。
もっといろいろお付き合いしたかった。
許されるなら、デートとかしたかった。
でも、あんな素敵で賢い人が、私なんかと付き合ってくれるなんて、現実じゃあるはずもない。
夢だからこそ起きたことだ。
乾いた笑いが浮かんで、こんな変な笑い方をしたのは初めてだ、と思った。
翌日から、下宿を引き払うべく、片づけに精を出した。
六畳程のワンルーム。ここ二年の私の城だ。
ホシヨミによれば、人生って時間だ。
だったら、やりたいようにやるしかない。
これからの人生に思いを馳せながら最後の荷物を業者に預け、昼ご飯を食べに行った。
学生御用達の定食屋は、この日もそこそこ賑わっていた。
ここ数年の食料不足のせいで、最初にここへ来たときより三割方値上がりしている。
嫌な時代だ。
でも、あの夢の時代よりマシかもしれない。
夢では、ミッションのコンプリートを強いられて、洗脳されているような、嫌な感じがした。
多少食べ物の価格が値上がりしても現実では、権力に洗脳されて何かを強いられるようなことはない。
最後だから、豪勢にてんぷら定食を頼んだ。
カウンター席でエビの天ぷらをつまんでいると、部屋の隅のテレビがニュースを伝えていた。
「それでは、次のニュースです。
今日の午前8時頃、行楽途上のマイクロバスが国道から崖下の海に転落しました。現場には、ブレーキ痕もなく、居眠り運転か脇見運転によるものだと思われます。
乗車していたのは、次の皆さんです。遠山ハル、神崎 秀……」
車は事故るものだ。
どこにでも、事故る車はある。
でも、夢の中の車は、目的を達成しようと必死で頑張って、どうしようもない悪路や悪天候で事故ったのだ。
居眠り運転や脇見運転なんかじゃない。
運転していた連中が必死で頑張って、同乗していた仲間が絶望の叫びを上げて、谷底へ墜落したり、水に流されたりしたのだ。
環境保護局は、何をしているんだろう?
助けに走れば良いのに。
でも、あの悪路を救急車やレスキュー隊が走れるはずがない。
少なくとも名古屋から先は、環境保護局の手を離れている。
自分たちでやってくれ、と放り出したのだ。
だったら、どうしてあんな無謀ともいえるミッションを計画したのだろう?
ミッションに参加しているという環境保護局長の正気を疑った。
大切な人を失って、心がきしんだ。
あれは夢、夢なのだ。
夢で人が死んだとしても、現実では何も起きないのだ。
だから……。
もう、忘れたい。忘れよう。
ナナが、抹香臭くなってきます。