保護対象生物からの逃走
夢の世界で保護対象生物と遭遇したナナたちは、何とか逃げようとジタバタします。
野宿だった。
名古屋を出て、何度もやり直したあげく、やっと琵琶湖周辺の自然環境保護区――通称ブラックボックス地域――を抜けたのだ。
途中、この地域に住んでいる人々から情報をもらったが、あまり意味がなかった。
まあ、それが分かったのは、私が仲良くなったシュウのおかげなんだが。
崖から落ちたり、走っている道が陥没したりと、波瀾万丈だ。
保護対象生物に襲われたこともある。
怖くて、泣きそうになりながら。それでも、前へ進まなければならないのだ。
保護対象生物に襲われたときは、最悪だった。
最初のセーブ地点は東京で、次が名古屋、そうしてブラックボックス地域に入ってからは、ブラックボックス地域と通信可能地域との境界線上になったが、ブラックボックス地域というのは、手探りで進むような感じで、なかなか前へ進めない。
来る日も来る日もやり直して、いい加減うんざりした頃、保護対象生物と出くわしたのだ。
「何?あれ」
マリアが叫ぶと、いつもはマリアの機嫌を取るレオが怒鳴った。
「見りゃ分かるだろう?訊くまでもねえ!」
「そんなこと言ったって、どうして、そこにいるの?」
「マリア、目を合わすんじゃない。猛獣って、目を合わせると襲ってくるらしい」
「そんなこと言ったって、もう合わせちゃったんですもの!」
ナギの注意に半べそかいたマリアは、ヒステリックに叫んだ。
ナギがマリアを抱きしめて背中をさすりながら、私に迫る。
「ナナ、どっちへ逃げる?」
って訊かれたって私だってパニックなんだ。
もう、適当に答えちゃえ。
「あっち」
と、山の方を指さす。
「レオ、山の方だ」
「了解」
ナギの指示で、山に向かって走り出したレオの胸中は複雑なのだろう。
運転にいつものキレがない。
アッと言う間に追いつかれて、力強い尻尾で叩きつけられると、車が一回転して目が覚めた。
ああ、明日もあの怪獣に襲われるんだ。
そう思うと、寝るのが怖かった。
しかも、次の日もそのまた次の日も、そしてそのまた次の日も保護対象生物の襲撃から逃げることができない。
襲われた瞬間、目が覚めるのだ。
どうしたら良いんだろう?
起きてる間に、インターネットで恐竜について調べることにした。
資料を読んで、ひらめいた。あいつ等の脳って結構小さいのだ。
だったら、難しいことはできないはずだ。複雑な逃げ方をすれば良いんだ。
かれこれ六回目になっていただろうか。
ブラックボックス地域の境界線上からスタートして、もう覚えてしまったルートをすいすい進む。
出た。
保護対象生物だ。
「ナナ、どっちへ逃げる?」
マリアの背中をさすりながらナギが訊いた。
ここまでは、昨日と同じだ。
ここから作戦開始だ。
「レオ、とりあえず山側に向かって進んで。
声かけたら、ハンドル切ってUターンしてアイツの脇をすり抜けて」
「了解」
いつもは呉越同舟だ。
でも、今は一蓮托生なのだ。
小気味良いほどの返事だった。
後ろから、怪獣が迫って来る。
保護対象生物の位置を目で確認しながら思いっきり引きつける。
ヤツが尻尾を振り上げようとした瞬間、叫んだ。
「右曲がって。Uターン。ヤツの脇をすり抜けて」
「ラジャー」
レオは、ブレーキを利かせながらハンドルを切って、怪獣のすぐ脇、でも尻尾も上腕も足も届かないすれすれのコースを走り抜けると、アクセルを踏んだ。
思ったとおり、保護対象生物は猪突猛進だった。
急には止まれないのだ。
そのまま、真っ直ぐ駆け抜けて行った。
怪獣と離合した格好になる私たちの車は、追いかけて来ないことを確認すると、車から降りて脱力した。
「天は僕たちを見捨てなかった」
リョウの声で気がついた。
ナギは、まだ、マリアを抱いたままだ。
「あんた、いつまでそうしてるつもり?」
わざとらしく嫌味を言うと、マリアは媚びた様子で甘えた。
「だってぇ、怖かったんですものぉ」
ったく、こっちだって怖かったんだ。
一日目の夜は名古屋で泊まった。
二日目の夜は、ホシヨミたちのチームと合同でキャンプをした。
少し戻って酸素のあるブラックボックス地域でキャンプをしたのだ。テントまでは設営しなかったが、たき火をして、その周りで夕食に携帯用保存食を食べた。
バサバサして不味いそれは、この意味不明の夢の味がした。
見上げると、星が降るようだ。
よく考えたら、出発地の東京でも、経由地の名古屋でも、月は見えても星は見えなかった。
街が明るすぎるのと、空気がよどんでいるせいだろう。
すぐ側で、マリアを中心とする集団が楽しそうに噂話に花を咲かせている。
聞くとはなしに耳に入って来るそれは、右も左も分からない私にとって貴重な情報だった。
彼等は、今日出会ったブラックボックス地域の人々の腹黒さをひとしきりこき下ろすと、信じられない話題に移った。
「ええっ?じゃあ、今回のミッションには、総責任者の環境保護局長が参加してるの?」
「ああ、そうらしいぜ。ネットで盛り上がってる。これまでの三回、ことごとく失敗したことに責任を感じた局長自ら、一参加者として、ミッションに臨んでるってな」
「待ってよ。確か、前回までの責任者って左遷されたって聞いたわ」
「だったら、今回の環境保護局長は、背水の陣で臨むんだろうよ。一発逆転ってな」
「ってことは、今回のミッションが成功したら、局長は環境省の事務次官にでも出世するのかしら?」
「そりゃねえだろう。なにしろ、このミッションに参加してるってことは、俺たちと同じ年頃だってことになる。一足飛びに出世って無理なんじゃねえか」
「どんな人かしら」
「きっと、エリートって感じの近寄りがたいヤツだろうよ。ったく、こんなとんでもないミッションを計画するんだ。並の神経じゃないだろう。
もしかして、ナギみたいな感じとか。
いや、そもそもナギがその局長さまかもしれないな」
「そりゃないだろう。
だって、アイツは、農林水産省からイギリスの大学へ派遣されているんだろ?あり得ないって」
「いや、案外本人の申告がガセだったりして」
「どっちにしても、参加したのは良いけど、苦労してるでしょうね」
「最初にトラップに引っかかったチームのメンバーかもな」
「いやあ、無茶苦茶シュールな推理だね」
他人の苦労は蜜の味。
まるで三流ゴシップ誌みたいな乗りだ。
いい加減なヤツ等。
でも、ミッションの立案者も参加してると知って不思議な気分になった。
出世を目論んだかどうかはさて置いて、参加したのは良いが、あまりにも普通じゃない――異常といって良い――ので、今頃、頭を抱えているんじゃないだろうか。
まあ、他人の失敗をとやかく言うのは本意じゃない。
これから頑張ってもらえば良いだけだ。
ホシヨミのいう、今回のミッションが成功するってのは、彼が頑張ってくれるのだろう。
そのうち、マリアたちの話題が、恋の駆け引きめいたものになったので、側を離れた。
こんなとんでもないミッションの渦中で愛をささやくなんて、さっきの噂話と良い、この連中にはついていけない。
空を見ていると、ホシヨミがやって来たので、一緒に星を見た。
こんなにたくさんの星を見るのは生まれて初めてだ。
星の一つ一つに地球のような惑星があって、惑星の中には生物が住んでいるものがあると思うと不思議な気がした。
向こう星に住む生命体が、太陽を見て、星があるって認識してるのだ。
互いに知らない同士のお隣さんみたいだ。
今朝、この人から聞いた話を思い出した。まあ、気分的にはズッと以前の朝なんだけど、夢の時間じゃ今朝になる。変な気分だ。
満天の星の中には、生まれたばかりの星もあれば、死にかけている星もある。
地球のような惑星で、死にかけているものもあるだろう。
永遠に続くものは何一つない。
星も、地球も、人類も。みな命が尽きる日が来るのだ。
ジタバタしても始まらない。
心静かにその日が来るのを待つだけだ、という。
黙って星を見ていたホシヨミが言った。
「あなたがどこから来たのにしろ、ここにいるのは確かです。
どこへ行くにしろ、ここから進むのは確かです。
だったら、私も連れて行ってもらえないでしょうか?」
「連れて行くって、どこへ?」
「ここではない世界へ」
ホシヨミは、不思議な人です。




