プロローグ――続き物の夢
「ヤツ等はみんな恋をする」とニアミスしていますが、別段、あっちを読んでなくても分かるお話です。
読んでいただければ幸いです。
近未来ということで、試験制度を現実のものと少し変えてみました。簡略にできれば、それにこしたことはないと思うので……。
「ナナちゃん、ナナちゃん」
肩を揺すられて目が覚めた。
講義の途中で眠り込んでいた……らしい。
呆れたように、覗き込んでいるのは、吉田伸子。私の最も親しい友人だ。
「ふあぁ、寝てしまったぁ。あの教授の声、相性良いのか悪いのか、聞いてると、眠気もよおすんだもん」
「昨日、遅かったの?」
「いつもどおりなんだけど……っていうか、例によって夢の中での活動が半端じゃないから。
寝た気になんないんだよ」
「あの続き物みたいな夢、また見たんだ?」
「うん」
「かれこれ、一ヶ月ってとこ?」
「そんなもんかな。
おかげで、慢性的な睡眠不足だっちゅうの。
夢の中で、勉強したり、運動したりすんだよ。でもって、昨日、とうとう、グループ分けがあって、そのチームで旅に出ることになったんだ。
何のRPGかっちゅうの」
「確か、最初は、英語で生物かなんかの勉強してたんだっけ?」
「そう。自慢じゃないけど、私、英語が苦手なんだよ。
でもって、単語分からなくて、苦労したの。
教室みたいなとこで、先生にあてられるんだけど、単語分かんなくて、もうワケわかんないって、真っ青になったよ」
「で、目が覚めてから、ネットの辞書で調べたんだって?
普通、そこまでやる?」
「だってね、同じ単語でつまずいて、同じことが三日も続いたんだよ。必死にもなるよ。
思い出しただけでも、汗が出るって。
先生の呆れたような視線と周りの冷たい目。
私、一生分の恥かいたっていうか、いたたまれなさだったわ」
私、七瀬悠子は、現在大学の四回生だ。
高校時代、まあまあ成績が良かったので、面倒見の良い先生方のありがたいご指導のおかげで、田舎の県立高校からそこそこの国立大学の法学部へ入ることができた。
ここまでは、めでたい話だ。
受験勉強から解放され、生まれて初めての一人暮らしにワクワクドキドキ、お上りさん状態の私は、入学後しばらくして正気に返った。
つまり、目的を達成した高揚感で、ぼよ~んと無重力状態で浮遊していた私を地面にたたき落とす現実に直面したのだ。
どういうことかと言えば、すこぶる簡単で残酷なことだった。
周りの仲間たちを観察して、学生は大きく二種類に分類できる(らしい)ということに気付いてしまったのだ。
一つは、青春のモラトリアムを謳歌して、ひたすら遊ぶ連中。
彼等は、遊ぶ資金を稼ぐため、講義よりもバイトに精を出す。
このままいけば、ヤツ等は、就職後の収入がバイト時代の収入より下がるという非常識な事態に直面しかねない。
それほど、のめり込んでいる。
頭の中は、時給とシフトそして合コンでいっぱいいっぱいなのだ。
卒業後は嫌でも働かなくてはならないのに、学生時代から仕事にいそしむ連中だ。働くことが好きなのだろう。
もう一つは、更なるスキルアップを求めて勉強を続ける連中だ。
私的には、やっと受験勉強が終わったのに、またまた勉強を続けるのはうんざりという感もあるが、このところの雇用状況や実家の状況を鑑みると、大学でスキルアップして、それなりの就職をしたいと思ってしまう。
何せ、昨今の経済事情は惨憺たるものなのだ。
こんな私を、地味な女と呼んでくれ。
ついでに言うと、学生の分類方法には、もう一種類ある。
これもまた、知りたくもなかった現実というものだ。
一つは、幼少のみぎりから、良い大学へ行くこと、ひいては大企業に就職することが人生の目的だと信じ込まされ、小さい頃からお尻を叩かれ、塾や家庭教師を最大限活用して合格を果たした坊ちゃん嬢ちゃんたち。
次に、凡人が学校の教師や予備校の講師陣に指導され、地道に頑張って入学して来たパターン。
私や友人の吉田伸子なんかがこの中に入る。
最後の一つは、ごく少ないが、天賦の才がある連中。神様から与えられた他人とは違った能力を持っている者、いわゆる『ギフティッド』と呼ばれる連中だ。
私は大学に来るまで、こういう人種が存在することさえ知らなかった。
この連中と話をすると、腹が立つ。
本人は、それなりに受験勉強をして来たと言うが、私に言わせれば、本当に『それなりに』でしかないのだ。
普通、寝る時間も惜しんで勉強するだろうが。
どうして、受験勉強の片手間に、心理学の専門書や哲学書なんか読む暇があるんだ?
どうして、英語の勉強と称して、アメリカ合衆国の歴代大統領の就任演説なんかを原文で読むんだ?
左手に持ってるタイムズ誌は一体何なんだ?
漢文は白文を素読、古文は古典名作全集と来たもんだ。
どこをどう突いたら、そういう勉強になるんだ?
凡人を自認する、私、七瀬悠子は、馬車馬のような勉強こそしなかったものの、地味にコツコツ先生に言われたとおりの勉強をして、まあまあの大学へ入った。
持っている能力を最大限に活用して最大の効果を上げたと言う意味で、自分を褒めてあげたい。
そうして、現在、目の前の吉田伸子とともに、しかるべき職に就くべく、勉強サークルに入って『それなりに』勉強している。
ギフテッドとは違い、本物の意味で『それなり』にだ。
つまり、一人で勉強するより、グループで効率的に勉強しようというわけだ。
あわよくば、文系最難関と言われる法経職試験(俗に、文系エリート試験といわれているアレだ)に合格し、ひとも羨む就職を果たしたい。そう願って、日々勉強を続けている。
法経職試験というのは――大学入試に出るって、散々詰め込まれたから空で言えるぞ――20××年、高齢化に伴う労働力人口の減少に対応するため、それまであった国家公務員Ⅰ種採用試験と司法試験を一本化してできたものだ。
一説に、将来予想される異常気象による人口の劇的減少に対する対応策だとも言われている。
だが、こっちの説は俗説というか少数説で、試験でこの説を採ると失敗する。
だって、その場しのぎの政策に終始し、ことが起きると右往左往する甲斐性なしの我が国の政府が、そんな長期的な展望に立った対応策なんか講じることなんかできるわけないから。
問題の20××年、減少傾向にある労働力人口で様々なニーズに対応するため、いくつかの資格試験を一本化して簡素化を図った。
例えば、看護士と介護士、調理師と栄養士、医師と薬剤師、幼稚園教諭と保育士などだ。
法経職試験もその中の一つで、一般常識を解さない法律馬鹿の法曹や、行政制度の不合理に鈍感な官僚を輩出した、かっての司法試験や国家公務員Ⅰ種採用試験の弊害を取り除き、普通の人々の普通の生活から求められる制度作りや制度の運用ができる官僚、目的意識を持った法律の適用ができる法曹を採用するための新しい制度として鳴り物入りで導入された。
だが、制度というのは、できあがるとそれ自体一人歩きするもので、気が付くと、かつての司法試験、さらには昔の中国の科挙のように難化してしまった。
想定範囲内で、いつか来た道だと言われているが、我々受験生にとってはとんでもないことだ。
しかも、例え不合理な制度だとしても、我々としては、これに合格しなければ明日はない。
何しろ、この試験は公務員採用試験と法曹資格試験を兼ねていて、参議院議員選挙の立候補の資格要件にまでされたのだ。
すなわち、良識の府である参院は、法律経済及び一般常識に通じた知識を立候補者に要求したのだ。
当初こそ、法の下での平等や三権分立の原則から如何なものか、という議論があったが、衆議院の議員選挙には別にこんな七面倒臭い試験に合格しなくても立候補できることから、参議院が自らの知性と教養を確立するため取った策だとして、最高裁判所からお墨付きをもらったのが、かれこれ十数年前だ。
おかげで、この試験に合格することを目的とする学生が急増し、予備校や通信教育までできた。
だが、都市部はともかく、田舎の大学では、予備校に通うこともままならず、ネットによる通信教育で勉強するにしても、私のような意志薄弱な人間は、なしくずし的にダラダラしかねない。
他の学生たちの就職活動を横目に、ひたすら勉強するには、強固な意志とそれなりの支援が必要となる。
そこで登場したのが、勉強サークルだ。
誰が始めたか知らないが、法経職試験を受験する学生の相互扶助のようなサークルで、前年の合格者が後輩の勉強の指導をする。
このサークルでセッセと勉強すれば、法経職試験がダメでも地方都市の公務員ぐらいにはなれる。
地方行政にしたって、そのトップは法経職試験合格者から採用されるが、実働部隊は、各地方公共団体が行う採用試験の合格者の中から採用するので、それなりの職に就けるのだ。
そんなこんなで、家の事情でさっさと就職したい私は勉強サークルに参加した。
私のような凡人は、地味にコツコツやるしかないわけで、言ってみれば、このやり方しか知らないのだから。
千里の道も一歩から。愚公山を移す、だ。なせばなる、はずなのだ。いや、そう信じたい。
実際、これで、大学へ入ったのだから。
それが、最近、あの夢のせいで、私の計画は危機に瀕している。
何しろ、毎晩、続きもののような夢を見るのだ。
さすがに、『to be continued』という文字は出て来ない。
だが、眠ると、昨日の続きから始まるのだ。
いや、昨日やばかった場面からやり直す感じで始まる。
おかげで、英単語が分からなかった場面は三回エラーを食らった。三回目のエラーの後、さすがに先生の目が恐ろしくて、起きてる間にネット辞書で調べた。
確か、は虫類、両生類、皮膚呼吸、葉緑体、ミドリムシといった特殊な単語だった。
英語でどう書いてあったかは、訊かないで欲しい。
次の朝起きたときには、しっかり忘れていたのだから。
これらの単語をチェックして寝た夜、これまでの三回と同じように先生にあてられた。無事に答えることができた後で、先生の目が、やっと要領が分かったようですね、と笑ったような気がした。
夢の中とはいえ、こっちの気持ちが読まれているようで、不気味だった。
だが、そんな不気味さより、夢の活動を円滑に運ぶため、起きている間に、それなりに下調べをしたり、準備をしたりしなければならないということに気付いたのは、ある意味収穫だった。
寝てる時間の活動のフォローを起きてるときにするって、どうよ?
しかも、夢で目一杯活動するせいか、寝た気がしない。
起きたとき、寝る前より疲れているくらいだ。
夢のせいという非科学的で他人に言えない事情のせいか、さっきの教授のように口の中でボソボソ話す講義は子守歌だ。
教授の資格要件に話術という項目を加えてくれれば良いのに。
あの教授には、演劇部の顧問でもしてもらって、滑舌を良くする訓練を受けてもらいたい。
ぶっちゃけ、夢のせいで現実の勉強に支障が出るというのは本末転倒じゃないかと思うけど、自分で制御できないのが夢なのだ。
あれは夢。夢なのだ。
でも、現実の私は、こんな状態が続くと、夢のせいで単位を落とすという馬鹿げた事態になりかねないし、下手をすると、法経職試験にも影響が出かねない。
この夢は、いつまで続くのだろう。
筆者は、ギフティッドという存在を知りませんでした。
大学に入って、友達に、「一度見たり聞いたりしたことは忘れない人がいる。そういう人の勉強とは、知識を組み合わせたり、応用したりすることで、覚えることは終わっている」と聞きました。
コツコツ地道に勉強してきた筆者は、不平等な神様に恨みがましい気持ちになったものです。




