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「そいつは誰だ」
「大嶺君、こいつは………」
私の部屋から大嶺君の知らない男の声が聞こえて、大嶺君はそれまでの甘い雰囲気が嘘のように消え、殺気を放つように恐ろしい形相をした。私は、ヤンキー君を何といえばいいか分からなかった。大嶺君に嫌われたくない。知らない人間が自分の部屋にのさばるのを、面倒くさいという理由で放置したなんて知れたら呆れられるかも。私の動揺が少しの沈黙を生んだとき、ヤンキー君が先手を奪うかのように話し始めた。
「あんたが噂の大嶺君か。確かに、かっこいいね。今、すげえ怖い顔してッけど」
「お前はなんだ」
「俺?なんでもいいっしょ?てかさ、俺、あんたに迷惑かけられてるんすよ。あんたのせいで俺の千尋がおかしい。あんたは大人しく桔梗とかいう女と付き合ってればいいじゃん」
「……藍原、こいつは」
「あの、ヤンキー君は」
「千尋って脚の付け根のんとこ、ほくろが二つあるんですよ」
「……なんで、お前が知ってる?」
「だって、俺と千尋は付き合ってるんですもん。エッチの時に見えるに決まってんじゃん。あんた、馬鹿なの?だいたいさ、あんたの存在邪魔なんだよ。消えろ。俺と千紘は、お前がしゃしゃり出るまで上手くいってたんだ。消えろ。俺のほうが千紘のこと知ってんだよ」
「違う。藍原は」
「千紘は、出来損ないの俺を唯一受け入れた奴なんだよ。今まで、散々見放されてきた俺を、なんも聞かずに受け入れた。……そうだ。千紘は、俺のこと何でも赦してくれるんだ。千紘は、俺を拒まない。千紘は、優しく俺の頭を撫でてくれる。千紘は、居場所のない俺に居場所をくれた」
「……」
「俺はな、ずっと千紘とここに住んでたんだ。千紘は俺を赦した。ここにいることを。あんたが入れなかった場所に俺を受け入れた。千紘は俺を選んでたんだ。あんたじゃない。俺だ、俺なんだよ。聞いてたよ、千紘から。あんたの話。幼なじみの桔梗さん?大好きなんだろ。狂ってるほどに。戻れよ。そいつに。千紘を解放して、その大好きな桔梗君とこいけばいいじゃん。俺には千紘だけなんだから。あんたには、その桔梗って野郎がいるだろ」
「……千紘は俺を選んでいる。お前のくだらない話なんて知らないし、胸くそ悪いからさっさと失せろ」
最初、へらへらとした態度のヤンキー君は、途中から目を血走らせて壊れたように淡々と話している。私は、止めて入りたいのに、ヤンキー君が近付けば爆発する爆弾のように危なげだから躊躇してしまう。ヤンキー君なりに、多分精一杯のそれを、大嶺君はため息一つついて消えろと吐き捨てる。凄みのある声だった。感情が読み取れない。でも、ドスのきいた低い声。
私から見えるのは、大嶺君の後ろ姿だけでそれが年の功による余裕なのか、荒れ狂う波を無理矢理押さえ付けようとしているものなのか分からない。
「は、はははは!!!!」
ヤンキー君は、壊れた玩具のように笑った。血走った目を見開いて、全然楽しくなさそうに大笑いする。これは、立派な狂気だった。私が拾って、いつの間にか育てていたもの。私のために作られた狂気。それでも、やはり私の心は少しも揺れることはない。
「あんたが消えんだよ!バーカ!今、なんで俺がここにいるか分かる?これから千紘とセックスすんだよ!そう、千紘が言ってきたから。ほら、千紘のエログッズの置場所ここなんだけどさ。ほら、俺のためのゴムも用意してあるだろ!!だから、出てけ!!俺と千紘の中から出てけよ!!出てけ!!さっさと消えろ!!!」
「な、違う!違うから、大嶺君」
待って。
そういう前に大嶺君は、土足のまま部屋を駆け上がりヤンキー君を殴りつけた。ヤンキー君の嘘八百のおかしな言動ぶりに動けずにいて、否定が遅れた私は彼の暴挙を呆然と見るしかない。
「ってぇなっ!!!」
ヤンキー君もヤンキーらしく暴力で返そうとしたが、体格が大きく鋼の肉体を持つ大嶺君に勝てるはずがない。ヒトを殴る鈍い音を聞きながら、私は恐怖に怯えていた。
わけがなく、歓喜に震えていた。
大嶺君が、嫉妬している。私が好きなヤンキー君に嫉妬して人を殴っている。あんな安い挑発に頭の良い彼が理性を失くし、怒っている。
「俺の藍原に手を出すな」
「藍原は俺を愛している」
「藍原は俺を大切にしている」
「藍原は俺の全てを許す」
「俺の方が藍原を愛している」
「藍原は俺のものだ」
私に対する愛を怒鳴りながら、ヤンキー君をひたすら殴る。その必死な姿は、まるで怯えているかのようだった。捨てられるのが怖い、と言っている様に私には見えた。
もしかして、もしかして、彼は私のことを愛しているんじゃないか、初めてそう思う。
もう、ヤンキー君のことなんてどうでもよかった。彼の気持ちを知りたかった。自信がない時、聞くことを恐れていたのに、大嶺君が私みたいに怯えていることに気付いた今、訊きたくて訊きたくて。
「大嶺君、やめて」
ヤンキー君は既に意識がなくてぐったりしている。これ以上、殴ったら死んでしまうと思った。ヤンキー君が死んでしまったら大嶺君が殺人犯になる。それだけは、避けたかった。私は、必死に大嶺君からヤンキー君をひっぺがし、彼に静止を求めた。
「藍原、こいつを庇うのか。お前はこいつに、なんか無理矢理されたんだよな。こいつはお前にとってなんてことない奴だよな?ほくろだって着替えている最中にたまたま見られただけで、何もしてないんだよな?」
自分の脚の付け根にほくろがあるなんて知らなかった。大嶺君の眼は、血走っていて、狩られるのを怯える野生の獣の様だ。
「庇う訳じゃないよ。ほくろについては、前に軽い気持ちで触りあいっこした時に見たんだと思う」
私のこの告白は間違ってしまったのだろう。大嶺君から震えが止まり怯えが急に消えてしまったから。
「あいつの事を愛しいるのか」
「ちが」
大嶺君の大きな手が私の首を掴んだ。強い握力で気道がしまり私の否定の言葉を奪う。彼は、本気だった。勘違いして、絶望して、私を本気で殺そうとしている。彼は、私をそのまま引きずって台所に向かい、棚から包丁を取り出した。それで、私を刺す気だろうか。その包丁は安物だから切れ味が悪い。出来れば、隣の。大嶺君もそれに気づいたようで、高い方の包丁を握り私の首元にあてた。
悲鳴なんて挙げられる気持ちじゃなかった。
「おぉ…ねく、う、れし。わ…も、ぁいし…る。あㇼがと」
大嶺君が私を殺そうとしていることが嬉しかった。嬉しくて嬉しくて堪らなくて、きっとこの気持ちを普通の人は理解出来ない。私だからこそ。君にふさわしい私だからこそ得られる歓喜だ。
彼の中を暴れまわる、他の人に取られるくらいなら殺してしまおうという、究極のエゴイズム。狂気を凶器という形で差し出されたことが誇らしい。
桔梗君が浮気しても赦せていた大嶺君が、私が浮気をしたと思うと赦せなくて私を殺そうとする。
愛が深いからこそ裏切りは赦せない。絶対に赦せないからと殺すのは、言葉にするのも躊躇うほどの愛の重量があるから。そう、この場合であれば、私を殺すことこそ最上の愛を示す。
勝った!私は、桔梗君に勝ったのだ!!
私は桔梗君より愛されている!!彼の人生のなかで私が最も愛されている!!!
もし、私がただの借宿であるのなら殺そうなんて思わないし、第一実行しようとしない。私を殺すのは、彼が私を本気で愛しているから。人を殺すことが道徳的にどうかなんて関係ない。ただ、人殺しというレッテルをつけられでも、自分の一生を棒に振ってでも私を誰にも渡したくないのだ。
でも、きっと彼は私を殺した後、自殺する。私を失ったことに耐えられなくて。私ならそうするから。
それに、ただの執着する為だけの存在なら、殺すなんて愚かな選択はしない。彼が、私を愛していなかったら、私の関心が一部移ったことに怒りつつも許すだろう。私に執着することで彼の精神を保っている。私の関心より自分の存在価値を優先させ、借宿として生かしておくだろう。
「藍原……」
人生最後のはずだった告白で、私の涙で濡れた大嶺君の手圧が緩んだ。
「なんで、笑う?礼を言う?俺は、藍原を殺そうとしている」
「嬉しい。大嶺君が私を本気で殺したくなるほど愛してくれている。愛してくれて、ありがと。私も、大嶺君に殺されて喜ぶほどに愛してる」
「愛して…藍原は俺を愛しているのか。だから、狂っている俺を赦すのか」
大嶺君は、包丁を静かに置いて、握っていた小鳥が逃げていくんじゃないかと疑ってるかのように、もう片方の手を放す。それでも、逃げずに大嶺君を真っすぐ見上げる私を見て困惑した。
「大嶺君。ずっとずっと愛している。大嶺君が他の人に取られるくらいなら死ぬくらいに、…誰にも大嶺君を取られないように大嶺君を殺してから。愛しているんだ。狂う程愛してる。君の執着と狂気は、私にとってご褒美だよ。私は、大嶺君の他の人から見て狂っているような所も愛してる。実は、それがきっかけで、好きになったんだ。ねえ、私に我慢しないで、それで、私を愛して。一生放さないで」
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