管理局
ステンドグラスから透ける光で美しく彩られた教会を文字通り通り抜け、奥に続いていた建物の中へ足を踏み入れた。
正面から見た時は分からなかったが天井はヴォールト型になっており、三階分相等の高さがあった。窓が上中下に分かれて等間隔で配置されていて、先程三階だと見間違えた所はどうやら一番上の窓であるようだ。
そこに人影を見た事は一旦忘れておこう。目の前のヒトセとやらが天使なのだから、その仲間が飛んでいたのでは?とも思うが、自分達以外の人の気配が一切ない。
……………さっきだけ、皆ここを通る用事があったんだろう、きっとそうだ。うんうんと無理矢理納得した。
しかし、それにしても、と思う。
外観も白かったが内観も、床も壁も天上もまっ白で、光があちこちに反射して眩しい。もう少しこう、壁と床だけでも灰色や生成り色にするとか出来なかったんだろうか。
パチパチと瞬きを繰り返しつつ、「こっちやでー」と通路を歩き出したヒトセの後ろにそろりとついていった。
「取り敢えず、順追って説明するで。先ず、この世界は天上界っちゅうとこでてんしが住んでる所や。これと対をなす形で地下界っちゅうんもあるけど今は置いとくな。ほんで、今おれらが居るこの建物な、ここは通世管理局っちゅーて多数の世界に干渉して平定させるんを目的としてる所や。主な仕事は転生業、舗装業、剪定業、あと最近は創世に関わる業務も多なってきたなあ」
「管理局…転生……」
「おう。ほんで、そこで社畜の如く働くんが、おれ達てんしや。てんしには正てんしと準てんしがあってなあ、生まれながらにてんしなんが正てんしで、人間とかエルフやとか前世を持っとるやつが準てんし。正てんしは真っ白の羽で準てんしは黄色っぽい羽やから見分けはすぐつくで」
「あ、ほんとだ。ヒトセさん、翼はまっ白ですね」
「ヒトセでええでー。ちゅーか"翼は"ってなんやねん。"は"って。言うとくけど見た目派手なだけで心まっ白やからな、おれ」
「え………?」
「いや、そこで不思議そうにせんとって?!」
心外!とばかりに悲しそうな声をあげられたが……第一印象が強烈だったものだから、こればかりは仕方がない。
心がまっ白と本人は言うが、この数分のやり取りで悪人ではなさそうだとは思えたものの、どうも見た目の印象に邪魔されて素直に頷けない。
顔付きは整ってはいるものの緩くへらっとしていて、声も警戒心を抱きにくい親しげな音程。親切に説明してくれているが、それが逆にペテン師感を醸し出しているような気がする。
だがまあ悪意などは微塵も感じない上に、やいのやいのと言い返す割には冗談らしい色も含まれていて、こちらの緊張を解すような仄かな気遣いが見てとれた。
悪い人ではないだろう、多分。寧ろ親切な部類の筈だと、ヒトセには「冗談です」と軽口で応えておく。
「なんや自分、結構ノリええやん……ま、ええわ。ほんで話の続きなんやけどな、この職場ぶっちゃけ今めっちゃ人手不足でなあ。上の人にどうにかてんしに出来そうな転生待ちの魂見繕ってくれへんかー、て再三訴えてたんや。そうホイホイてんしに出来るもんとちゃうし、いやー長かった。申請通るまで長かった。ほんでや!漸く申請が通って、予定通りここに今日来てくれたんが、そう君や!」
ズビシ!と指差して機嫌よさそうに笑った後、「いやー、ほんま助かったわー」と眉をへにょっと下げて、如何に人手が不足していて大変だったかを連々と語りだす。
天使は睡眠を必要としないとか戦闘機よりも速く飛べるだとかを会話の接ぎ穂で軽く流すものだから「(え、まってそれ重要じゃない?)」と思う事も何度かあったが、内容の概ねは上司への愚痴だった。
天使も大変なんだなぁと他人事で聞き流しながら、ヒトセの一方的マシンガントークが一段落ついた所で、先の言葉で気になっていた聞き覚えのない言葉について聞いてみる。
「あの、ヒトセ。さっき仰ってた転生待ちって具体的には何なんですか?」
「ええ…?転生待ちは転生待ちやろ。ほら、魂の質が高くなったが故に姿も意思も持ってしもて、死んでから次に転生するまでの待機期間が必要な魂で───ちょい待ち、君転生待ちしとる所を偉いさんに呼び出されててんしに~とかとちゃうんかいな?」
コテンと傾げられた首に、つい釣られて同じ方向へと自分の首も傾く。
「呼び出されたも何も、さっきからヒトセが口にしてる、上の人?って方とお会いした記憶もないですし。て言うか、転生を待ってたらしい事も含めて、自分に関しての一切の記憶がないんですが……あ、これは天使になる時に消去されるとかそう言う決まりですか?名前も思い出せないので不便なんですが」
「いや、えー、いやいやいや?てんしになるにはその魂が了承せな無理やし、魂内の記録も前世と前前世くらいまでは記憶として全部残る筈やで?えっ、嘘やろなんか覚えてる事とかないん?」
正直に、記憶がない事も含めて自分の状況を伝えると、ヒトセは眉を寄せながら下げると言う器用な事をして、通路の真ん中で立ち止まってしまった。
不安そうに此方の返事を待っているので、余計な心配を与えてしまっただろうかと、何か思い出せるものはないかと頭を捻ってみる。
だがまあ、結果はご覧の通り。
「……………何も、覚えてないです」
「嘘やん?!マジで?!ほんまに?ほんまに言うてる?」
ガシッ!と勢いよく肩を掴まれ、更にカクカク揺さぶられて頭がくらくらした。随分と大袈裟に騒いでいるが、そんなに大変な事なんだろうか?
終いには「こっち来る時に不具合あったんか?舗装課なにテキトーな仕事しとんねん!」とか「担当に記憶を封じられてる可能性も──ない、やんな。なんのメリットも見当たらんし。いやでも──」とか、一人でブツブツと自分の世界にトリップしてしまった。
尚、肩に手を置かれたままなので、若干距離が近い。いや若干どころか結構近い。これは長年親しくしてきた友人とかの距離で、会って十数分の初対面の人間の距離ではない。
考え込むのは良いけど手は離して欲しいなあと、視線を内観やヒトセに遣りながらされるがままになっていたら、ふと既視感を感じた気がした。
何にデジャ・ビュを見たのかとヒトセを注視してみたら、瞳の色が熟れた苺のような赤色である事に気が付いた。ふと、脳裏に赤い光と不可解な単語が過る。
「─────サイカ?」
「は?なに、スイカ?あっ、生きとった時の好物か?!ええでええで、その調子で思い出して!なんとか担当割り出せたら、文句言いに行くさかい!」
西瓜…好きだったかなあ…?甘くて美味しいと言う記憶、と言うか情報は思い出せるので、食べた事はあるんだろう。
期待した目で自分の言葉を待ってるヒトセに聞き間違いだと伝えるのは申し訳ないような気もしたが、曖昧ではあるがこれも思い出した事と言えばそうだし、と苦笑して諦めて二の句を次いだ。
「西瓜じゃなくて、サイカです。ぼんやりとしか覚えてないんですけど、赤い光にサイカって言われた…いや、呼ばれたような…」
「さいか?呼ばれたっちゅーことは、それ自分の名前なんか?」
呼ばれると言うことは、そうなんだろうか。何にせよ、それ以外の事は何も浮かんでこなかったので、多分名前ですとも言えない。
と言うか、微妙に思い出した所為で二つの赤い光だけがぼんやりと記憶に残って怖いんだが。何なんだろう、あの光。
「分からないです、確証もないですし。ただ、自分の事で覚えてるのはこの位で…家族が居たとか何処に住んでたとか、さっきヒトセが言ってた前世を覚えてないんですよね。どうでも良い知識はヒョイヒョイ出てくるんですけど」
「例えば?」
「えっと、例えば、自分の着てるスーツがホストみたいな色合いだな、とか」
あとは転生ものテンプレだとか30過ぎたら魔法使いになるだとか、そんなのも記憶にあるにはあったがこの辺りの情報は別にいいだろう。口にするのは恥ずかしい……気がする。
ヒトセは一瞬きょとんとして、だが一拍置いて単語の意味を理解したのか、フハッ!と吹き出したのち爆笑しだした。
よほどツボだったのだろう、暫くは腹を口を押さえてプルプルしてただけだったが、終いには蹲り引き笑いになったり噎せたりしながら輝くような白色の床をバシバシと叩いてる。
人生でも稀に見る他人の大笑いだが、自分の発言でこうなったのを見るとなんだか居心地が悪くて、「ちょっと、ヒトセ」と責めるような口調で呼び掛けた。
思ったよりも拗ねたような声が出たが、仕方ないだろう。笑い声が沈静化した時を見計らって手を伸ばすと、彼は尚も楽しそうな表情でその手を掴み漸く立ち上がった。
「はーっ、あ~スマンスマン、真面目な話続いとったのに突拍子もない単語出てきたさかい。いやでもホンマ笑ったわ、確かにその色合いはリーマンには程遠いわな。でもホストて、てんしがホストて!うははははっ」
「………天使はスーツだったら何でも良いんですよね、確か。普通のスーツは何処で買えるんですか」
「まあそう拗ねんとってぇな、似合てるで」
「嬉しくないです。あと拗ねてないです」
自分の返答にまた「うははっ」と笑って進行方向へと足を向ける。これ以上この件でとり合う気はないようだ。
憤懣遣る方無いと言うか、なんというか。否定しきれなかったので不完全燃焼なのだが、食い下がったところで彼には暖簾に腕押しになりそうで、言葉は無理矢理飲み込んだ。
そのタイミングを見計らってか、一呼吸いれて真面目な顔になったヒトセが「話の続きやけどな」と繰り出した。
「名前も分からんらしいし、今は暫定としてサイカって呼ぶで」
「ああ、はい。別に暫定でなくても名前はそれで良いですよ。今は他に、思い出せそうなこともありませんし」
「ほーか、わかった。班のモンにもそれで紹介するわ。正直言うたらな、今んところサイカに記憶がない理由がよう分からん。てんし側の不備なんか、上のモンの判断で記憶が封じられてるんか、またはそれ以外の何らかの要因があったんか。可能性としてはこんくらいしか浮かばへんけど、どれもあんま考えられへん事やねん」
「はぁ、成程…」
「で、や。記憶の喪失が起こり得るような問題はどう考えても放っとかれへん。せやからサイカを班のモンらに紹介して、落ち着いたらすぐに報告に行くつもりやけど、直ぐに原因が分かるとは言い切れんし……ちょっとの間、不便な思いさせると思うねん」
堪忍な、と言いながら、へにょっと眉をハの字にして、申し訳なさそうな顔をする。
自分はと言えば、記憶がない事については「(名前が分からないのは困るなあ)」程度にしか捉えてなかったので、ヒトセに謝られる事じゃないですよ、と苦笑して返した。
自らの記憶が気になるかと言えば、まあ確かにそうなのだが、唸っても悩んでも思い出せないなら仕方がないような気がした。
と言うか、未だに先程思い出した赤い光が頭にこびりついていて、他の事を思い出すのがちょっと怖い。多分、生前はホラー全般ダメ系男子だったのだろう。
ヒトセの再度謝ってきそうな気配に、それより班の方とはどんな人達なのかと話を逸らして、苦笑でそれに応えてくれた彼の言葉に耳を傾ける。
「先ず、班長と副班長の二人が常勤でな、休みが滅多に取れへんらしくていつ行っても居てるわ。なんや困る事あったらこの二人のどっちかに相談しい。班長がユカリちゃん、副班長がシバくん。あ、副班長はワンコの耳と尻尾生えてんで!1回は触っとき、あれは触っといて損はない!」
「へぇ、獣人とかそう言う種族ですか?」
「いや、本性は狼や言うてたなぁ。そっちは見たことないさけ、詳しくは知らんけども。ほんでユカリちゃんはな、なんちゅーかもう妖精さんみたいな、びっくりするほどの美少女や。そんで中身がびっくりするくらい見た目とちゃうんや。二度びっくりさせられるで」
「は、はあ…具体的には、どんな性格で?」
「それは会うてからのお楽しみやな!そんで他のメンバーが───」
先程の固い空気を流すように、所々で茶化し茶化されながら話は続いていき、班のメンバーの名前、性別、容姿を全て聞き終えたとほぼ同時に通路が突き当り、そこに鎮座している年季がかった飴色の扉へとヒトセが手をかける。
教会前にあったような巨大な扉ではなく、至って普通の常識的な大きさの両扉である。
チョイチョイと手招きされヒトセの横に並ぶように立ち、そして軽いノックと共にヒトセが勢いよく扉を開けて……吹っ飛ばされた。