一之瀬の過去
理由もなく腹を殴られる。
「死ね! この化け物!」
いや、小学生、中学生にとって、顔が醜いということはいじめるのに十分な理由だった。
「その顔でよく生きていられるよな」
「俺なら自殺するぜ、そんな顔じゃ生きられないもん」
そういって同級生に何度も笑われた。
前世も含めて、初めての挫折だった。
精神年齢が大人だから何か言い返すのは大人げないと思っていたので黙って耐えていたが、それがよくなかったのかもしれない。
いじめはエスカレートして、教科書や机に「不細工」「化け物」などの落書きをすることが日常となっていた。
人に認められないことがこんなにも寂しいことだなんて知らなかった。
そんなことが毎日続いた。
「あの、これ落としたよ」
「うわっ、触んないでよ。隼人菌が移っちゃうじゃない」
人助けをしても、感謝は全く自分に帰ってこない。
こんな人生欲しくなかった。
神様を呪わない日はなかった。
あれは高校一年生のときだった。
同じクラスメイトに桃田という女の子がいた。
「ねえねえ、隼人君、お昼ご飯一緒に食べない?」
「ん? ああ、いいよ」
最初は良く話しかけてくるなと思っていただけだった。
「ねえねえ、一緒に帰ろうよ」
「ん? うん、まあ、いいよ」
彼女はなぜか俺と一緒に行動しようとしていた。
「こんなこと言えるの隼人君だけだなあ。隼人君って一緒にいると安心できるんだよね」
「……え? そ、そう? そう思ってくれているのは嬉しいな」
「ふふふ、ねえ、この後二人で映画でも見に行かない?」
「う、うん。いいよ」
「やったー!」
俺はそんな彼女の行動を好意としてとらえていた。前世の経験から間違いなく彼女は俺に気があると思っていたのだ。
ただし、この時「同じ反応も相手によっては違う意味がある」という可能性を見落としていた。そう、 前世の俺と今の俺とでは、決定的な違いがあったのだ。
「桃田さん、あなたのことが好きです。俺と付き合ってください」
いい感じになっていたと思った俺は、彼女を人気のない廊下へ呼び出して、直接告白することにした。
その瞬間、後ろから声が聞こえる。
「よっしゃー! 勝ったぜ!」
「いやっほーい」
同級生が次々と出てくる。
廊下の端で、告白を隠れて見ていたらしい。
「あーあ、最悪」
桃田さんが恨めし気につぶやく。頭を抱えて落ち込んでいるようだ。
「え? な、なに? どういうこと?」
混乱した俺は彼女に問いかけるが答えは返ってこない。答えは駆け寄ってきた同級生から告げられた。
「本当に一之瀬が桃田さんに告白するとは思わなかったなあ」
「1か月以内に告白してくるかどうかクラスで賭けていたんだよ」
クラスメイトの話によると、桃田さんが俺にアタックする振りを見て、面白がっていたらしい。
「いやあ、一之瀬、お前の反応も爆笑ものだったよ」
「ほんとほんと、女の子に話しかけられてきょどっちゃってさ」
ギャハハハ、と下品な笑い声が廊下に響き渡る。
つまり、彼女の行動は全て演技で、俺をもてあそぶだけのものだったのだ。
俺は不細工だから女性経験なんかあるわけないし、告白なんかできるはずがない、そう思っていた人も多かったようだ。
「お前のことなんか好きになるわけないだろバーカ。鏡見てから出直せ」
「不細工は一生彼女なんかできねえよ。」
皆口々に罵声を吐いて教室に戻って行った。まるで人間扱いされていなかった。
それ以来卒業するまで、学年全員がその話題で面白がっていた。
毎日馬鹿にされた。
「おい、一之瀬、お前桃田に告白したんだって」
「お前もアホだよなあ。あんな見え見えな誘いに引っかかるなんて」
「あはは、もう忘れてくれよ」
彼らはいつまでも俺をからかっていた。
本物の高校生なら明るくあしらうことができたのかもしれない。
しかし、前世を経験した俺だからこそ分かる。こいつらには悪意がない。被疑者を何人も取り調べれば分かることだが、犯罪をするときにはそれなりの激情、悪意が必要である。だからこそ相手を傷つけている人の心理を理解することができた。もし悪意のある罵声なら俺は受け流すことができただろう。
ところが、こいつらは俺を傷つけようと思っていない。もちろん彼らは犯罪をしているわけではない、自分たちが面白がっているだけなのだ。悪意のないからかいがこんなにも傷つくことだと思っていなかった。
そうして俺の三年間は心理的にストレスを与えられるだけの日々となっていった。
卒業するときには、完全に女性不信になっていた。
そんな卑屈な性格になったからだろうか、職場でも常に煙たがられ、嫌われ、部署異動も数えきれないほど行われた。
そのときにやっと気づいたのだ。
前世で周りの誰もが優しく見えたのは、俺がイケメンで、しかも検事というそれなりの仕事についていたからだと。だからこそ人助けも楽しいと思っていたのだが、もはや現世では意地になってやっているだけだった。
この世界は誰にでも優しい世界ではなかったのだ。
「ははは、俺はほら、こんな顔ですから」
いつからだろう、自分でも自分のことを否定するようになっていたのは。




