肩と肩
休日、所用を終えて南家に帰ってきた。
「ただいま帰りました。ちょっとケーキを二つ買って来たんです。よかったら一緒に食べませんか」
「わあ、珍しいね、ありがとう……ってこれちょうど食べたかったケーキ! やったー! ありがとう!」
南さんがクリームのたっぷり乗ったケーキを見て、飛び跳ねながら喜ぶ。
よかった、喜んでもらえたようだ。
「フォーク出しますね」
フォークの入った引き出しを開けながらケーキを机に出す彼女を横目に盗み見る。
「ふふふん♪」
彼女はソファに座って鼻歌交じりに目をらんらんと輝かせている。
「はい、どうぞ」
彼女にフォークを渡し、彼女の横に腰を落とす。
いつもよりかなり彼女に近い位置で。
「んん?」
俺の肩が彼女に触れそうな位置に座り、ソファの上で彼女が少し身じろぎする。
だが、離れようとはしない。
どっ、と安心と緊張が同時に押し寄せる。
「さあ、食べましょうか」
フォークを片手ににこりと俺は笑うが、全身は汗びっしょりだ。
こんなことなら断ればよかったな……と後悔するが、男に二言はない。ミッション達成のために頑張らなければ。
どうしてこうなったのかを説明するには、のりさんとの飲み会までさかのぼる必要がある。
「間違いない、それは絶対に惚れてるわ」
仕事終わりに個室の居酒屋で一杯ひっかけた時、なぜか南さんのことを執拗に問いただされ、今の彼女との関係を話すと、のりさんはこう断言したのだ。
「あのな、一緒に住みたいって言っているのは、君と離れたくないから。お金を入れなくていいっていうのは、結婚しようっていうアプローチやで」
諭すように人差し指を立てる彼が言うには、既に彼女は俺に惚れているらしい。
「いやいや、家は彼女を助けたそのお礼ですよ。それに結婚しようはいくらなんでも飛躍しすぎじゃないですか」
「でも好きでもない男を何年も自宅に住まわせへんで、彼女二十代後半やし絶対結婚まで考えてるって。でもそれだけ一緒におってもいっちーを襲わんって意外と奥手みたいやな」
のりさんがどんどん分析を進め、彼女が丸裸にされていく。決して卑猥な意味はない。
「そんなことないですって」
「じゃあ、証明してあげるわ。彼女がいっちーのことを好きやって」
のりさんが強気の発言をする。
「は、はあ」
そんなことどうやって証明するんだろうか。
「その代わり、もし成功したら、君も誰かを好きになるって決心して」
「え? どういう意味です?」
「いっちーさ、前電話した時に誰かを好きになる資格はないって言ってたことあったやん。でも、君のことを好きになる人がおるって証明できたら、君も誰かを好きになっていいんやなって思ってほしいねん。別にその南さんじゃなくてもいいからさ」
「……」
「高校のときのトラウマがあるんは分かるで。でも、いっちーには一歩踏み出して欲しいって思ってるねん」
のりさんは真剣な目で俺を見つめてくる。
「それがいっちー自身の幸せにつながるって信じてるから」
以前、セバスさんに言われたことを思い出し、少し心が揺れた。
「……分かりました」
迫真的な彼の表情に押され、俺はのりさんの提案に従うことになったのだ。
のりさんの提案とは、肩と肩を密着させた状態でケーキを食べきり、彼女のほうから離れることなくイベントをこなす、というものだった。
「どうです、美味しいですか?」
「う、うん、美味しいよ」
彼女は嬉しそうに笑うが、その動きはぎこちない。
「それは良かったです」
ええい、いけ、いくんだ隼人、お前はやればできる子だ。
自分を奮い立たせ、俺は計画を実行に移す。
「俺も一口もらっていいですか」
そう言って彼女のケーキに手を伸ばす際、さりげなく体を寄せて肩と肩を密着させる。
「う、うん」
広いソファでこれだけ密着するなんて明らかに不自然だ。
冷や汗でシャツがびしょぬれになるが、彼女は逃げようとしない。
ケーキを一口もらった後も、俺は離れない。
触れたままの肩が熱を帯び始める。
「うん、美味しいです」
俺はわざと唇にクリームをつけて、彼女を見つめる。
肩を密着させたまま、南さんもじっと俺の唇を見つめている。
部屋に異様な沈黙が下りる。
ちょっとだけつけるつもりだったのに、口のまわり全体に大量にクリームをつけてしまって、自分でも気づいていないのが不自然な状態になった。白ひげ状態だ。
(むりむりむりむり、むりだよ! 明らかに不自然だよ、のりさん、助けて!)
混乱しすぎた俺は叫びそうになる。
最初からこんな計画、いまくいかないと思っていたのだ。失敗に終わっても何ら不思議ではない。
「あ、あの、クリームついてるから、とったげる」
成功したよおおお! なんで成功するんだよおおお!
手を伸ばす彼女を前にして、俺の混乱は臨界点を突破する。
「え? ああ、口についてましたか。ありがとうございます」
白ひげ状態でお礼を言う。気づいていなかった演技も白々しい。
俺の唇についたクリームを親指でぬぐい、ペロリと舐める彼女の姿があまりに妖艶で
「あ」
「ん?」
つい言葉がでしまった。
見つめあった状態で無言の沈黙が続く。触れあった肩がますます熱を帯びてくる。
「……いいよ、一之瀬さんなら」
突如彼女がつぶやき、綺麗な目でまっすぐ見つめてくる。
何が、いいよ、なんだろう。
たぶん南さんは盛大に勘違いしている。
「こ、このケーキ美味しいですね」
耐えきれなくなった俺は目をそらし話の矛先をそらす。
「う、うん、そうだね」
肩からの熱が移ったのか、全身が熱くなってきた。
不自然な空気の中で、俺たちは黙々と味のしなくなったケーキを食べるしかなかった。
結局、俺から離れるまで彼女が体を離すことはなかった。




