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そのためのポケット

 授業もだいぶ進み、刑事訴訟法の授業が始まった。俺にとっては楽勝だ……と思っていたが、ちょっとだけ法律が変わっていたり、新しい判例が出ていたりしたので、思っていたより勉強する必要があった。

 電子計算機とか、電磁的記録物とか、俺の時代には法律に書かれていなかったからな。

 あの大学生たちはいつのまにか授業に来なくなった。俺としては有り難い限りだ。


「こっちもおしえて」

 茶音がせがむので刑事訴訟法も教えることになった。

「いいよ。これは所持品検査の問題だね。警察官が職務質問から何かを探す行為に出た時は、所持品検査の適法性を検討するんだ」

「……」コクコク

「職務質問の適法性は、警職法2条1項から論じて――」

「……」コクコク

「――だから、捜索になるような所持品検査は駄目で、あとは必要最小限でのみ許されるんだよ」

「……」コクコク

「例えば、服の上から触るのはOKだね。挙動が不審な場合、警察官が「何か持ってるんですか」と言いながら、服が不自然に膨らんでいるところを触る場合などがあるよね」

「とりだすのは?」

「相手が同意していないのにポケットから取り出すのは駄目だね。ほら、このテキストの判例にも書いてあるでしょ? ポケットの中は、基本的に外から見えないから、プライバシー保護の要請が強いということだろうね」

「……」ずぼっ

 茶音が無言で俺のポケットに手を突っ込む。

「あの、茶音さん、何してるの」

「プライバシーしんがい」

 !? 侵害されちゃったよ、俺。

「……」ずぼっ

 飽きたのか、茶音が俺のポケットから手を抜く。

「じゃ、じゃあ続きね。施錠されていないバッグを想定してみよう。口が開いているカバンの中身を見せてくれませんか、と言って、嫌です、と言われたらどうすればいいと思う?」

「こうする」ずぼっ

「はい、アウト。今俺のズボンのポケットに手を突っ込んだみたいに、いきなり手を入れちゃだめ。外から見るだけだね。バッグが空いているのであれば、それを上から見ることは許されるんだ。そこは外から見えることを想定されているからだね」

「じゃあチャックは?」

 ズボンに手を突っ込んだままの茶音が聞いてくる。

 心なしその視線は俺のズボンのチャックに注がれている気がする。ここで開けていいと言えば、誤解を招きかねない。

「うーん、ここは難しいけど、施錠されていないチャックは、容易に開けることができるし、それはチャックのついたカバンの通常の開披方法でもあるから、ギリギリ許されるんじゃないかな。ただし――」

「……」ジー

 俺のポケットに手を突っ込み、チャックを見るめる茶音、それを無視して教え続ける俺。

 教室にはシュールな空気が漂っていた。





 ある日、教室でボールペン論争が繰り広げられていた。

「俺はシグノかな」

「えー! 絶対ジェットストリームだって!」

「ふふふ、真の玄人はパイロットの万年筆を選ぶのだよ」

「意識高い系乙」

「意識高い系乙」

「ひどい!?」


 がやがやとした論争を聞いていた茶音が俺のボールペンをじっと見つめていた。

「ん? ああ、俺はサラサのボールペンだよ。安いけどこれが一番慣れているから使いやすいんだ」

「どうちがう?」

「うーん、そうだね。一般的にボールペンは紙に強く押せるから書きやすいという人もいるね。万年筆は疲れにくいって有名だよ。司法試験は1科目2時間以上あって、答案用紙に8枚も書くからね。書く速さ、書きやすさというのはとても重要になってくるんだ。特に本番は少しツルツルした用紙が配布されるから、意外と書きにくい可能性があるね」

 茶音は……シャーペンか。まだ高校生だもんな。ボールペンで書く習慣はないよな。

「今のうちからボールペンで答案を書いていたほうがいいかもしれないね。もし予算が足りないなら――」

「ぜんぶかう」

「え?」

 グイッ

 茶音に袖をつかまれ、近所のモールに入っている文房具店へと連れて行かれる。

 茶音は片っ端からサラサ、シグノ、ジェットストリーム、安い万年筆、高い万年筆をまとめて買っていく。ええと……今の万年筆、20,000円以上していたけど、結構お金持ってるんですね、茶音さん。

 教室に戻ると、彼女は全てのやつを試し始めた。茶音のボールペンの音が断続的に聞こえる。


 ひと月くらい全て試していたが、どうやら高い万年筆で落ち着いたようだ。

「はやくごうかくすれば、やすいしゅっぴ」

 茶音の言葉足らずな台詞に真理が凝縮されているようで印象的だった。


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