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無言の茶音

 あれから佐藤塾の授業が始まった。


 教室に入ると

「それでさサークルの飲み会でさ」

「ウィイイ」

「最近バイトばっかりで大学の授業行ってないわ」

「俺も俺も」

 大学生だろうか、明るい髪の色をした20歳くらいの男の子達が教室の後ろでたむろしていた。

 大声で話し、周りの人がやや迷惑そうな顔をしている。


 俺は前方の席に座る。指定席はなく自由に座ることができるので俺は自由に席を変えているが、人によっては毎回一緒のところに座っている人もいる。

「……」ガタン

 高校生の制服を着た背の小さいおかっぱ頭の女の子が隣に座ってくる。俺がこの塾の申し込みをした日に会った女の子だった。いや、正確には見かけた、というべきか。

 まだ空いている席もたくさんあるのだが、なぜ俺の隣に座るのだろう。とりあえず挨拶しておこう。

「初めまして、同じ期ですね。俺は一之瀬隼人っていいます。よろしくお願いします」

「……」ペコリッ

 無言で頭を下げられた。

 ? もしかしてしゃべれないのか?

「あの、お名前は?」

「しらとりさお」

 おお、しゃべれるじゃないか。

「白鳥茶音さんですか、良い名前ですね。それにしても高校生かな? 若いのに司法試験を目指すなんてすごいね」

「……」

 無視された。

 ちょっと悲しい。


「えーそれでは始めます。みなさん、初めまして、講師の佐藤――」

 そうして彼女との奇妙な塾生生活が始まった。



「……」ガタッ

「やあ、こんにちは」

「……」ペコリ

 なぜか彼女は毎回授業の度に俺の隣に座ってきた。

「……」クイッ

「うん? どうしたの?」

 授業終わり、袖を引っ張られる。

「……」グイッ

 テキストを差し出して、指をさしている。

「ここが分からないの?」

「……」コクコク

 茶音が頷く。

「えーとね、ここは表現の自由の重要性を――ということだと思うよ」

「あり……」ペコリッ

 茶音は謝意を示すため頭を下げてくる。

 さすがに週に何度も接していると、だんだん彼女のことが分かってきた。

 この子、長文がしゃべれないのだ。

「どういたしまして」

 きっとありがとうと言おうとしたのだろう。その様子はちょっと可愛い。少し言葉を省略されていても感謝の言葉は伝わるものだなと思った。


 それから一カ月ほど経っても、ほぼ会うたびに聞いてくるので彼女のためにスキルを発動して勉強進行表を作ってあげた。

「この通りに勉強すればいいと思うよ」

「……」コクコク

 もっとも、進行表でカバーできない部分はやはり俺に聞いてくる。

「いつもごめん」ペコリ

「ん? ああ、気にしなくていいよ」

 言葉足らずなところを除けば、基本的に良い子だった。



「グー」Zzzz

 それにしても授業を受けて驚いたことがある。大学生らしき茶髪の男たちが、授業中ずっと眠っているのだ。

 ここは大学ではない。強制的に授業を受けさせられているわけでもなく、自主的にお金を出して学びに来るところだ。100万円以上の受講料を払ってまでして受ける授業で、どうして眠ることなどできるのだろうか。俺ならお金が勿体なさ過ぎてそんなことはできない。

「それでさ、昨日のテレビでさ――」

「おお、あれめっちゃ面白かったよな」

 空き時間もずっと話をして盛り上がっている。いったいいつ勉強しているのだろうか。こっちが不安になってくるくらいだ。

「……」カリカリ

 そんな大学生を気にも留めず、テキストに向かい続ける茶音。

「俺も茶音に負けないようにしないとな」

 自分を奮い立たせ、改めて憲法のテキストに筆を向けた。


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