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入塾

 前世の知識があるから、刑事系はきっとなんとかなるだろう。

 そう考えながら、司法試験のための対策をすべく、予備校を訪れる。申し込む予備校は、司法試験で随一の合格実績を誇る「佐藤塾」に決めていた。

 南さんの家から都市の中心部にある大きい駅へ向かう。こういう予備校は大きな駅の近くにしかないからだ。


「うおっ、すげえ綺麗なビル」

 大都市の総合ビルの一画にその「佐藤塾」はあった。綺麗なビルに思わず感嘆の声が漏れてしまう。

(俺の前世ではもっとちっこいボロボロのビルで……いや、当時にすればあれで十分立派だったのかもしれない。時代は進んだなあ)

 そんなことを考えながら目的のフロアまでエレベーターで登る。ちなみにエレベーターが2個あったので、どちらか選べるのかワクワクしていたが、それは自動で決まるらしい。


 目的のフロアに着く。

(うわあ。中も綺麗だな)

 空調のきいたフロアにきれいな受付があり、応接室にはおしゃれなソファと丸机が、廊下にはロッカー(おそらく有料)が設置されてある。ふとのぞき込んだ教室にはホワイトボード、録画するための機械、たくさんの長机に、座りやすそうな椅子が置いてあった。


 視線を所在なくキョロキョロさせていると

「何かお困りですか? お申し込みの方ですか?」

 と声を掛けられる。

「どうも、受講相談に来た者です」

「それではこちらの椅子におかけになってお待ちください」

 先に申し込んでいる人がいて、受付が混雑していたみたいだ。

 俺はふかふかのソファに体を沈み込ませて待つことにした。


 受付には俺と同じくらいの年代だろうか、大人の男性が一人、その横に高校の制服を着たおかっぱ頭の女の子が一人いた。

 俺の時代には高校生の受験生はいなかった。高校生ということは大学入試がちょうど終わった時期なのだろう。

 その体の小ささにおかっぱ頭も相まって幼く見える。

 行政書士か司法書士だろうか? まさか司法試験ってことはないだろうが……


 しばらくして高校の制服を着た彼女が席を立つ。

「それでは次の方、どうぞこちらにお座りください」

「はい」

 俺は促され、席に着く。

「あ、ちょっと待ってくださいね」

 スタッフの方が慌てた様子で奥へと引っ込んでいく。

 一瞬、偶然だが申込用紙の名前が見えてしまった。司法試験の講座の受講申し込み用紙に

白鳥茶音しらとりさお 18歳」

 と書いてあった。

 18歳か、まあ高校生だから当然か。大学では遊びまくってろくに勉強もしない学生が多い中、大学入学前に勉強しようとするなんて見上げた向上心だ。いや、それよりも若いのに司法試験を目指すなんてすごいなあ。


 そんなことを考えながら、ふと視線を感じるので振り向く。

 俺の斜め後ろで、あの高校生の女の子がじっとこちらを見ていた。

 目が合う。……何だろう?

 俺は目をそらす。彼女はなおじっとこっちを見ているように感じる。


「すみません。お待たせしました」

 しばらくしてスタッフの人が戻ってきた。振り向けばあの子はいなくなっていた。


 俺はスタッフから制度の説明を受ける。今は予備試験と司法試験という区分になっているらしい。

「ということは、法科大学院を卒業するか、予備試験に合格するか、どちらかを満たさないと司法試験を受験できないんですか?」

「はい、そうなります」

 制度が変わっていることに驚く。俺の時は誰でも司法試験を受けることができたので、少し受けにくくなっているな。

「その二つのどちらかを抜けないと、受験できないんですね。予備試験と司法試験の合格率ってどれくらいなんですか?」

「予備試験が3%くらいで、司法試験が22%くらいですかね。ただどちらも合格率は上昇気味ですよ」

 ……は?

「えっと、すみません。もう一度合格率を教えていただけますか?」

「? 予備試験が3%くらいで、司法試験が約22%ですよ」

 ……!?

 予備よりも本試験のほうが簡単じゃないか。

 その後俺は、今の予備試験が昔の旧試験と同じもので、司法試験が新しく長文・実務志向のものになったことを知る。


(全然昔と違うじゃないか! 制度変わってるし! なんで予備試験がそんなに難しいのに、合格した時点で法曹になれないんだ!?)

 心の中で絶叫するが、こればかりはどうしようもない。

 法科大学院に通う金はない。貯金を切り崩しても不可能だろう。


「私は法科大学院に通うお金はないので、予備試験のルートから司法試験を目指そうと思っています。それに最適な講座はどんなものでしょうか」

 その後は基本的な講座の説明を受けた。スタッフが入門講座の説明をしてくれる。

「それで一之瀬さんがもし入門講座から受講されるのであれば、こちらの講座が最適かと思います」

 スタッフが「司法試験予備試験入門講座」と書かれたセットを指差す。横には「150万円」の文字が躍っていた。

「ひゃ、ひゃ、ひゃひゃひゃ!?」

 あまりの値段に驚いて意味不明な言葉を発してしまう。

 これでは貯金を半分近く使い切ることになってしまうではないか。

入ってきたときから佐藤塾全体がやけにいい設備だなとは思っていたが、その費用はここから吸い上げているのか? ぐぬぬぬぬ。

 スタッフの方も慣れているのか、すかさずフォローが入る。

「もし今すぐにお支払いいただけないということであれば分割払いも可能となっております。ただし2%ほどの手数料が発生してしまいますが……」

 そう言って12回の分割払いの金額を示される。

 分割で払えるのであれば貯金がすぐに減ることはないので、普通の社会人にとっては確かにありがたいのだろう。


「いかがでしょう?」

 こちらをうかがうように問いかけてくる。しかしすぐに答えを出せそうになかった。

「すみません、いったん持ち帰って考えてみます」

「かしこまりました。何か分からないことがあれば、この校舎に電話してきてください。いつでもお答えしますので」

「分かりました。ありがとうございました」

 丁寧な接客態度に感謝しながら校舎を出る。


 俺は南家に帰り、南さんに相談をしてみた。

「すみません、少しいいですか」

 休日なのでごろごろしながら何やら雑誌を読んでいる彼女に声をかける。

「ん? 何?」

「あの、私事で恐縮ですが、司法試験を受験しようと思うんですよ」

「司法試験!? 弁護士になるための試験だよね、って難しくないの?」

「あ、結構前に勉強したので、たぶん合格はできると思います」

 そう、この世に生まれてくる前にね。

「すごい自信だね」

「まあ勉強は頑張った経験があるんで。それよりもですね、今の派遣を辞めて勉強することにしようかと思っているので、こう、収入がなくなってですね、ただのお邪魔虫になる可能性があるんです。南さんにご迷惑おかけすることになるかと思って……」

「んー、よく分かんないけど、司法試験の勉強するってだけでも私からすればすごいことだなあ」

「はあ、そうですかね」

 当事者からすればただの甘えている人間にしか思えないのだが、周りからすればそんなもんなのか。

 職のない後ろめたさから卑屈になりすぎかもしれない。

「あなたを客室に泊めているのはお礼も兼ねているんだから、気にしないでいいわよ。家事も手伝ってくれるし。一之瀬さんがやりたいってことなら応援するわ、頑張って」

「……分かりました、お世話になります」

 彼女に背中を押され、俺は受講を決断した。


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