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まだ 届かない

 とにかく喫緊きっきんの課題としては、彼の警戒を解くことが大切なのかもしれない。

「今はどこに住んでいらっしゃるんですか」

「今は……マンスリーマンションに住んでいます。普通の賃貸より高いですが、家電も全て揃っていて快適ですので、しばらくはそこにいるつもりです」

 マンスリーマンション? というと

「一カ月単位で泊まることができるマンションですか。へーそんなのあるんですね。便利でいいと思います」

「まあ、その分高いんですけどね。諸々の費用も入れると十万円を超えますから」

「じゅ、十万円? 一人暮らしですよね?」

「ええ、ワンルームマンションですよ」

 高い、高すぎる。

 ぼったくりじゃないか。

「も、もう少し安いところはなかったんですか?」

「マンスリーマンションはどこもこんなもんですよ。それに一時的な避難所ですから」

 避難所、その言葉がやけに重く響いて聞こえた。つまり監禁された女性から逃げているためのシェルターみたいなものか。

 彼の中でその女性は完全に「敵」として認定されている。


 モンスターから逃げ惑う彼を想像して、つい、普段なら絶対に言わないであろう言葉を口に出してしまった。

「それなら、アパートが決まるまでの間、うちに泊まりませんか。ちょうど空いている客室が一つあるんです」

 もちろん、今すぐに氷を溶かすことができるとは思っていない。しかし私の家が安息の地となれば、彼も心安らかにいられるのではないか、そう思ったのだ。

「いやいや、それはご迷惑でしょうし、私も居づらいので」

 彼は丁寧に断っているつもりなのだろうが、明らかに警戒の色を隠せていない。

「あてはあるんですか」

「蓄えが結構あるので、しばらくはマンスリーマンションで暮らしていけると思っています。それから、勤務先で知り合った女性がいくつか別荘を持っているので、そこに行くことも考えてみます」

 女性? 別荘?

 心が少し苦しくなる。なんだろう、この苦しみは。


「勤務先で知り合った……というと、同僚の方ですか?」

 会社で知り合って結婚するっていうパターンも多いし、よくあることなのかな。

「いえ、会社のお客様です。今は彼女の家で家電アドバイザーという仕事をしているんですが、その人がとてもお金持ちで別荘を持っているんですよ」

 ……彼女の家で? いまこの人彼女の家でって言った? 先ほどモンスターから逃げ切った一之瀬さんが新たなクリーチャーに捕まるシーンを想像してしまう。

「か、彼女の家で働いてるんですか。そうですか。どんな勤務内容なんですか?」

 動揺を抑え、言葉を絞り出す。

「勤務内容ですか。うーん、彼女の家に行って、家電の掃除をしたり、整備をしたり、たまに配置換えもしますね。それから、後はちょっと言いにくいんですけど、彼女にマッサージを頼まれたり、仮面舞踏会に参加したり、一緒にお茶を飲んで話をしたりしていますね。それが9時から5時まであります」

 ……は?

「え、それ、ヤンデレの子と同じじゃないですか」

 彼は何を言っているんだろう。自ら監禁されに行っているようなものじゃないか、自分の状況に気付いていないとでもいうのか。


「でも強要はしないんですよ。決して恋人関係になりたいとは思っていないんだと思います」

「いやいや、そういう問題じゃないから」

 彼は感覚が麻痺しているのだ。私が守ってあげないと。

 胸に訴えかけてくるこの気持ちは母性なのだろうか。ハラハラして彼の今後が心配になる。


「本当に大丈夫なんですか。もし彼女の別荘に泊まることになれば一日中彼女と一緒ということになるかもしれませんよ」

「確かにそうかもしれませんね。できる限り警戒するようにはします」

 この人、もしかして外堀を埋められる系男子?

 悪い狩人の仕掛ける罠に喜び勇んで突進する彼が頭に浮かぶ。

「私の家も客室が空いていますし、困ったらいつでも言ってくださいね」

「いえいえ、大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます……さて」

 そう言うと彼は立ち上がり荷物を持った。

「そろそろ帰りますね。さようなら」

「あ……」

 手を伸ばす私。

 振り向くことなく去っていく彼。

 喧騒に包まれたカフェに、行き場を失った私の手だけが残されていた。



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