脱出
「さて、そろそろ、一緒にお風呂に入りましょうか」
夜になった。
橋本がさも当然のように爆弾発言をさらりと放つ。まあ監禁されてる時点で常識なんかないけどね。
俺はこの数時間で練っていた計画を実行する。
「このままだと服を脱ぎにくいし、足のミサンガだけでも外してくれよ」
「むむっ……逃げませんよね?」
「ああ、もちろんだとも。俺は薫と一緒にいたいんだよ? 逃げるわけないじゃないか」
必死に笑顔を作って、心にもないことを言う。
「ああ、確かに。言われてみればそうですね。分かりました」
そう言うと懐から包丁を取り出して、俺の足のミサンガを一気に断ち切る。
(うおおおおおおいいいい!!!)
包丁の風圧を感じ、悲鳴をあげそうになる。
危ねえな。今俺の足まで切るところだったぞ。何でこんなにコントロールいいんだよ。
「さて、先輩お風呂に行きましょうか」
脱衣所へとたどり着いた俺たちはある問題に気付く。
「……そう言えば、夜まで我慢だったな」
「むむっ」
全裸は夜と先ほど決めたはずだ。
ではお風呂はどう入るのか?
「べつべ――」
「却下です」
何でだよ。風呂は一人で入るものだろうが。
「下着を着たままにしようか。ほら、いきなり全裸だと、ムードがね」
「むうう」
「淫乱な子は嫌いだよ」
「!? わ、分かりました」
(※大人の事情により割愛)
そして風呂を出たとき、とうとう絶好の機会が訪れた。
俺は濡れた下着を脱いでズボンを履こうとする。
その間、ずっと橋本はもぞもぞしているのだ。最近よくあるイモムシのような動作ではない。何かを恥ずかしがっている動作だった。
「どうしたんだ?」
「ううう」
……なんだ、何をやっている。俺は彼女を必死に観察した。
これは……何かを我慢しているのか? だとしたら……そうか、こいつ、トイレに行きたいのかもしれない。
チャンスだ、おそらく最後のチャンスになるのだろう。
俺は気合を入れて、自分の最大限できる蔑む視線で薫を見下す。
「どうした? トイレに行きたいのか? 大きいほうか?」
「!? う」
チャンスだ。できる、俺ならできるはずだ。
前世でイケメンだからという理由だけで寄ってきた彼女に何度も振られたじゃないか。俺は彼女が嫌がっていたことを、何度も振られた経験を懸命に思い出す。
「お前は彼氏に自分の臭い匂いを嗅がれてもいいのか。言っておくけどあまりに臭いと俺は幻滅するかもしれないぞ。俺は臭いのが嫌いだ。ものすごく嫌いだ。どれくらい嫌いかというと、道に落ちているうんちを踏んだやつとは一生会話をしないくらい嫌いだ。俺は臭いやつと一緒にいたくないから、臭い匂いを嗅がされたらお前のことを嫌いになるかもしれないな。あ、気のせいかな、既にここらへんまで匂いが」
「!? そんなぁ……ううう……」
頼む、頼む、うまくいってくれ。
人生をかけた大一番、永遠にも思える一瞬が過ぎる。
そして、ついに
「ううう……絶対に逃げちゃダメですからね!」
鎖は放たれたのだ!
橋本は俺の首輪を包丁で一刀両断し、トイレに駆け込んでいった。
俺は手錠だけしかつけてない状態だった。
人生最速で玄関の扉にたどり着き、鍵を開けて、現実世界へと飛び出した。
全裸で。
道路を走っていると、すぐに通行人の男性に出会う。やった、これで助かった。
俺は
「通報してください! 全裸ですから、俺を通報してください! 警察を呼んでください! お願いします! 助けてください!」
と叫びまくる。
手錠をつけた全裸で。
これなら安全な拘置所に連れて行ってもらえるはずだと勝利を確信した。しかし
「な、なに、変質者?」
通行人は俺の姿を見てまるで変人を見るかのように一瞥した後、後ずさりして逃げようとする。
「ち、違います! 確かに変質者ですけど、通報して欲しいんです!」
「……きもっ」
通行人は一言吐き捨てると走って逃げて行った。
全裸の俺を残して。
「待ってください! 待って! 俺を――」
俺が叫ぶと彼も全力で逃げていき、その背中は見えなくなった。
なぜだ、何がいけなかったんだ。ちくしょう、全裸で俺は次の策を考える。とにかく新しい通行人を見つけるしかない。
俺は新たな救済者を探して走り回った。できる限り、橋本の家とは反対の方向へと走っていく。
そして俺はついに大通りに出る。しめた、これなら絶対に通報されるはずだ。俺は絶叫する。
「全裸ですから! 通報してください! 全裸ですから!」
キャー! あたりに悲鳴が響き渡る。
大勢の人が携帯を取り出して――おい、やめろ、写真は撮るんじゃねえよ。
俺は近くにいた人に通報され、駆け付けた警察官に公然わいせつ罪の現行犯で逮捕された。
「――ということなんです」
「そんなわけないだろ!」
数日間、拘置所に入っている間に取り調べを受けた。
取調べで真実を離そうとするが、しかし警察は俺の言うことを全く信じてくれない。
「女の子に監禁されて、手錠をつけられて、全裸になったタイミングで逃げて助けを呼んだ? はあ。あんたさ、嘘つくならもっとましな嘘をつきなさいよ」
嘘ばかりつく犯罪者の相手をするのが彼らの仕事だ。警察の日常に身を置けば、こんな全裸になるような超不細工の男の話を信じるほうがおかしい。
「こういっちゃなんだけどさ、そんな顔で女の子にもてないと嫌になるよね。分かるよ。でもね、だからと言って他人に迷惑かけちゃいけないよ。裸になって憂さ晴らしなんて、ダメだよ。あなたもいい歳なんだし、それくらい分かるでしょ」
「……はい、すみませんでした」
「うん。ま、あんたも反省してるみたいだし、このへんにしとこうか。次やったら刑務所に行くかもしれないよ。気をつけてね」
「はい、ご迷惑おかけしました」
今回の俺の事件は、何か具体的な被害があったわけでもなく、誰かに告訴されているわけでもないので、重大な事件ではないと判断された。
俺の身柄は検察に送致されることなく、釈放されることになった。
トボトボと家に帰り、心の傷の癒えないうちに、身辺の後処理をする。
「もう辞めさせていただきたいんです。ええ、はい。いえ、体調ではなく、人間関係と言いましょうか、ええ、急な話ですみません。ええ、はい、本当にお世話になりました。失礼します」
橋本に会うとまずいので、警備の仕事を辞めた。
「今までお世話になりました。ええ、今月中までです」
家がばれているので、別のマンションに引っ越すことにした。しばらくはマンスリーマンションで暮らすことにする。
このとき初めて身軽な賃貸を選んでよかったと心の底から思えた。
夏が終わり木枯らしが吹き始める季節、心の傷を癒やす新生活が始まろうとしていた。
5章が終わりました。ここまででちょうどこの小説の半分になります。




