嫉妬の渦
「憎い」
薫が一言つぶやいた瞬間、空気が変わった。心なし息苦しくなる。
まるで嫉妬の感情が実体化してこの部屋に渦巻いているようだった。
「仮面舞踏会? ふざけんなよ。先輩のカッコいい顔を隠そうとするおめえと隼人さんは不釣り合いなんだよ。一緒にいれるだけありがたいと思え。私の大好きな顔にメスを入れようとしやがって。こんな芸術的な顔の良さが分からないなんてかわいそうに。傷物にしたら殺すところでしたよ、ふふふ。それに、また別の女性ともデートなんか行くんですね、隼人さん。あの女、何幸せそうな顔してるんですか。私とも水族館デートに行ったことないのに、他の女に初めてを奪われた? 憎い憎い、あの女が憎い。いけないいけない、このままではいけない。だって私が一番隼人さんのことが好き好き好きなんだよ? だったら私が一番隼人さんとイチャイチャラブラブできるんじゃないの。そうだよ、うんそうだ」
ぶつぶつとつぶやく彼女は明らかに通常の精神状態ではなかった。何かにとり憑かれているかのように、口から次々と言葉が紡ぎ出されていく。
やばい、やばい。これはやばい。冷や汗がツーッと背中を伝う。ようやく異変に気付いた俺は、話の矛先を変えようとする。
「あの、何で俺が他の女性とデートしたって知ってるの?」
「え? 恋人だし当然じゃないですか。もしかして彼女に隠し事ですか。何かやましいことでもあるんですか」
「いやいや、そういうわけではないんだけど」
俺は危険を察知して何とかこの場をやり過ごすことに専念した。スキルは自分には使えない。自分がどう対応すれば彼女の気持ちを静めることができるのか分からず、もどかしい時間が続く。
「そうですよね。隼人さんは彼女に隠し事なんかしないですよね。あのビッチどもじゃなくて、私が彼女なんだよ? 他の誰でもない私が。私がだけ隼人さんとイチャイチャできるんだ。隼人さんは私だけのものなんだから。二人は好き好きどうし、両想いなんだし、そう、好きなんだからこれくらいしてもいいよね」
そう言って引き出しから彼女が取り出したのは円形の、鎖のついた――首輪だった。
「ということで」
俺を見つめた目は焦点が定まっていなかった。
「何が「ということで」だよ! ダメダメダメ! ダメだ! やめて、お願いだからやめて! 逃げないから!」
じりじりと後退しながら、近づく橋本から逃げる。
そう言った俺の弁解もむなしく、橋本は俺に首輪をつけようと迫ってくる。
「大丈夫ですよ、痛くないですから。むしろ気持ちいいですよぉ」
駄目だ。こいつ、目がイってる。
これが前世には縁がなかったヤンデレというやつか。噂には聞いていたが凄まじいな。
三十六計逃げるに如かず! 俺は彼女に背を向けて、玄関へと逃げようとした。
しかし
「うわ!」
何かに引っかかって転んでしまう。
「な、何に……?」
しかし転ぶようなものはない、そして、この足の感覚。俺は慌ててミサンガを触る。
「あの野郎……!」
いつの間にか、足にピアノ線がつながっている。ピアノ線は、俺のミサンガと橋本のミサンガとの間につながっていた。さっきミサンガをつけたのはこのためだったのか。
「やぁん、見えない赤い糸でつながってますぅ」
(お前がつけたんだろ!)
ボウフラのように体をくねくねさせる橋本に、思わず叫びそうになる。しかしその後の展開が予想できず、ギリギリのところで声を止めた。
俺は必死にミサンガを外そうとするが、なんと中にもピアノ線が張り巡らされてあった。
ちぎれない! このミサンガちぎれないよ!
「ふふふ……先輩、つーかまえた」
ガシッと異常な力で腕をつかまれる。
ニヤァと笑う彼女の口は耳元まで裂けているようで――
「あ、ご、ごめん」
「えへへ、悪い子はおしおきですね」
それから、彼女の監禁が始まった。




