防波堤
「……ということがあったんですよ」
「うんうん、それは災難やったなあ」
橋本から解放された俺は、次の日のりさんに電話をした。
彼はきちんと俺の話を聞いてくれた。俺の異常な非日常生活を聞けば、いかにのりさんといえどもきっとドン引きされるだろうなと思ったが、その心配は杞憂だった。
改めて自分で説明してみると、本当に恐ろしいことになっている気がする。
「まあ、いっちーに彼女ができたことは喜ばしいやん。おめでとう!」
え? そこ?
「いやいや、全然嬉しくないです」
「そう? 恋愛はええことやで」
全然ええことやないで。
「そもそも俺は別に彼女のことが好きではありません。もちろん職場の後輩として仲良くするのはやぶさかではないですけど、恋人になろうとは思っていませんでした」
「まあ、君の場合、押しかけ彼女が最適やからさ。どうしてもこうなってしまうんかもしれへんな」
「勘弁してください」
押しかけないで、お願いだから。
最近悩み事がありすぎて、毎週のようにのりさんに相談している気がする。
「すみません、いつも愚痴ばっかり聞いてもらって」
「いいよいいよ、いっちーのプライベートめっちゃおもろいし」
あれ、のりさん、あなた楽しんでませんか?
「俺としては本当に勘弁してほしいです。何であいつ俺のことが好きって言っているんですかね」
「それは君のことが好きやからやろ? 好きになることに理由はいらんやん」
「うーん、それはそうなんですが、人の物を盗むって尋常な精神状態ではないですよね」
そんな女性の好きって、本当に一般的にいう好きなのだろうか。
「まあ、確かにちょっと執念深いところがあるかもしれへんなあ。でも付き合いたてのカップルってそんなもんちゃうかな。相手のことばっかり考えて、慣れてないからギスギスして、結局うまくいかないってのがデフォルトやろ」
……のりさん、心が広いな。
あの執念はちょっとどころじゃねえよ。
「でも俺があいつのことで考えているのは、どうやってあいつから逃げようかっていうことばっかりですよ」
「ははは、せっかく彼女ができたのに、なんでもう逃げようとしてんねん。一歩踏み出せないのはいっちーの悪いところやな。まずは君が心を開かないと」
そりゃ一歩踏み出したら泥沼ですから。
「まあ高校の時の事件とかもあったし、しゃーないかもしれへんけどな。そろそろ誰かを好きになってみたらどうや?」
「別に構いませんが橋本だけは嫌です」
もうちょっとまともな女性がいいな。
「人を好きになるってそれだけで素敵なことやで。僕も好きな人と話していると、こう、なんやろ、胸がホンワカしてくるわ」
「へ~のりさん彼女いるんですか」
「ふふっ、秘密」
俺の質問は茶目っ気たっぷりにかわされた。
なんだかのりさんと話していると、少しだけ気が楽になってきた。
「はあ、こうして悩み事を離せるような、気さくな彼女ならよかったんですけどね。のりさんみたいな彼女が欲しいです。今の彼女はむしろ最も警戒すべき相手になっています」
俺の言葉に、ふふっとのりさんが笑う。
「君の心の防波堤になることができるのは、僕としても嬉しいことなんやけどね」
優しい言葉に思わず涙腺が緩む。
のりさん……なんていい人なんだ。




