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怪盗は地震がお好き?

作者: 滝元和彦

 1


「では、続きましてはロットナンバー6の商品です」

 小湊哲こみなとてつは、オークショニアの職に就いて、もう10年近くになる。そこそこのことでは、緊張することはないが、それでも貴重な商品だったり、高額な競りが予想される商品では、体が熱くなり、のどのかわきをおぼえるのは、新人の時と変わらない。

 会場のドアが開いて、コロコロと台車のようなものが近づいてくる音がした。オークション参加者が音の方を振り向くと、台車の上には、長方形のガラスケースが載っており、その中に、赤色に輝く宝石が見える。台車が、小湊の隣りに来ると、

「皆さん、お待たせいたしました。アレキサンドライトの登場です」小湊の声にも力が入る。

 小湊がスクリーンに商品の詳細な説明を映しだすと、会場は、ざわざわし始めた。会場の左隅で、満足そうな表情を浮かべている女性がいた。その女性は、派手な洋服に身を包み、体中、宝石だらけで、いかにも成金なりきんという感じだ。彼女以外は、皆、ケースの中の宝石に興味深々の様子だ。ケースの近くに詰め寄ろうとする者もいたが、すぐに警備員に止められた。小湊が簡単に商品の説明を済ませて、深呼吸する。

「では、始めましょう。100万から」

 すぐに、複数のパドルが挙げられた。小湊は会場をざっと見渡してから、

「110万!110万!」と会場中に響く声で言った。

 パドルの数は変わらない。その後も、10万単位で、競り上げていく。200万で、ようやくパドルは10を切った。300万で3人が残った。400万になると、2人になった。1人はスーツ姿の30代くらいの男性。もう1人はモデルのように、スラリとして、整った顔立ちをしている20代の女性。この2人の一騎打ちになった。2人は、椅子を2つへだてて座っている。お互いにちらちらと様子をうかがっている。

「460万!460万!」

 この辺りの金額になると、2人とも、ためらいがちにしながらパドルを挙げるようになった。

「470万!」

 先に挙げたのは、男性の方だった。女性は唇をかんで考えていたが、結局、挙げた。

「480万!」

 今度は女性の方が先に挙げた。ためらうことなく、男性が挙げる。

「490万!」

 女性は、横目で男性の顔を見る。男性は余裕の表情だ。2人は、ほぼ同時に挙げた。小湊は一呼吸置いてから、

「500万!」と声を張りあげた。

 女性はパドルを挙げる代わりに、両腕を組んだ。あきらめたのは、会場の誰もが分かった。男性は余裕の様子で挙げる。勝負はついたが、それでも小湊は、

「500万、他にいませんか?」と女性に訴えるように言った。女性は、『もういいわ』という意味の微笑みを返した。

「それでは、ロットナンバー6、アレキサンドライトは500万で落札です」

 小湊は、ハンマーをテーブルに叩きつけた。その瞬間、会場内の誰も予想できないことが起きた。会場が揺れだしたのだ。参加者の1人が椅子から立ち上がって、

「地震だ」と叫んだ。会場が高層ビルの上層階にあることもあって、参加者は皆、不安な気持ちで、椅子に座っている。揺れは収まる気配がない。部屋の奥に座っていた参加者が廊下に出ると、廊下には、他の部屋から出てきた人であふれていた。 

「皆さん、落ち着いて下さい。間もなく、ビルの管理センターから放送があるはずです」小湊がそう言うと、その直後に放送が始まった。

「地震が発生したもようです。ビルにいらっしゃる方は、速やかに『セントラルTタワー』正面の広場に避難して下さい」

 その放送を聞くと、参加者は一斉に椅子から立ち上がり、我先われさきにと廊下に殺到した。廊下も、すでに人で一杯だった。エレベーターは4基とも動いていたが、28階という高層階にあるため、なかなか戻ってこない。ほとんどの人は、エレベーターをあきらめて非常階段で降りて行った。非常階段も各階から降りてくる人で行列を作っている。小湊は、全員が部屋から出たのを確認すると、ドアに鍵をかけて部屋を出た。すでに廊下は、しーんと静まりかえっている。ふと横を向くと、警備員が立っていた。

「藤井君、君も早く非難するんだ」

「私は最後に出ます。小湊さん、さきに行って下さい」

 小湊はうなずくと、非常階段の方に走っていった。

 揺れが起きてから約20分後、ビルの正面にある広場には、オークション参加者を含めて、ビルにいた人は避難を終えた。多くの人が、携帯で地震情報を見ている。その人たちの多くが、首をかしげていた。

「おかしいな、地震なんてないじゃないか」スーツ姿の男性が隣の同僚らしき男性に言った。

「この辺りで、震度1の地震もないぞ」

「また、あれじゃないか。原因不明の揺れってやつ」男性は携帯をスーツのポケットにしまった。

「これで4回目か。大丈夫か、このビル」男性は心配そうにビルを見つめる。

 ヘルメットをかぶった作業着姿の男性が、広場に近づいてきた。右手には拡声器を持っている。その男性が話し出した。

「先ほど放送で、地震が発生したとお伝えしましたが、この近辺で地震はなかったもようです。現在、揺れの原因を調査中です。専門家の意見では、安全性に問題はないということですので、避難は解除いたします」

 男性はそう言うと、同じ作業着姿の集団のもとへ歩いていった。

「問題はないって言われても、原因が不明なんじゃ、なんか怖いよな」

「俺は、もう少し様子を見てから、戻るわ」

 スーツの男性はポケットから煙草を取り出して、広場の端にある喫煙場所に向かった。

 避難していた人たちも、ぞろぞろと列を作ってビルに戻っていく。オークションの一同も、小湊を先頭にして歩き出した。小湊がビルの正面エントランス手前に来ると、警備員の藤井がビルの中から現れた。小湊は彼に声をかけた。

「藤井君、避難しなかったのか?」

 警備員は、その質問には答えず、

「小湊さん、大変です。ア、アレキサンドライトが、ぬ、盗まれました」

 と苦しそうな声で言った。

 小湊は、警備員の言葉を飲みこむまで、少し時間がかかった。

「な、なんだって!誰に盗まれたんだ?」

「か、怪盗ロパンです…」

 警備員は、その場に倒れ込んだ。


 2


「先ほど放送で、地震が発生したとお伝えしましたが、この近辺で地震はなかったもようです。現在、揺れの原因を調査中です。専門家の意見では、安全性に問題はないということですので、避難は解除いたします」

「地震じゃないのかよ。じゃあ、あの揺れは何だったんだ?」素人探偵、氷室展ひむろひろむと彼の友人である滝元和彦は、高層ビルを眺めながら言った。

「地震じゃないとすると、原因は、おまえらユイカのファンがビルにどっと押し寄せたからだな。は、は、は」氷室はからかい気味に言った。

「そんな、わけねーだろ」

「それにしても、握手会付き写真集の発売ってだけで、あんなに盛り上がるものか」

「セミヌード写真集だからなあ。帰って、さっそく見よう」

「セミヌード?ちょっと、わたくしに貸しなさい」氷室は、大事そうに抱えている写真集を強引につかもうとした。

「だめだよ。おまえは手垢てあかだらけにするだろ。おれが開いてやるから、そこから見ろよ」

 滝元は写真集を開いて見せた。

「おおっと。貝殻水着か。あらら、これなんか、葉っぱで隠れてるだけじゃないか。泡で隠すのも定番だな」

「おしまい!」

「もうちょっとだけ見せてくれ」

「買ってこいよ」

 素人探偵、氷室展と彼の友人、滝元和彦は、『セントラルTタワー』という高層ビルの正面にある広場にいた。揺れが起きたため、ビルにいた人たちと同様に避難していたのだ。

 氷室は財布の中身を確認して、

「分かったよ、買ってくる」と言って、ビルに向かって歩いていこうとした。その時、ビルと反対側の幹線道路の方向から、サイレンの音が聞こえてきた。間もなく、2台のパトカーが勢いよく広場に入ってきた。ビルのエントランスで停まると、中から背の高い警察官が出てきた。

「親父だ」滝元が叫んだ。滝元は持っていた写真集を氷室の前に出した。

「親父に、見つかったらヤバい。少し持っててくれ」

「手垢がつくんじゃなかったのか」と言いながら、氷室はすぐに受け取った。

 滝元警部はエントランスで、ビルの関係者と思われる人間と話をしている。素人探偵たちはビルの正面に近づいていった。警部は2人に気づいた。

「氷室君に和彦じゃないか。和彦、学校はどうした?」

「き、今日は休講なんだ」

「警部、和彦君は、この写真集を買おうと…」

 氷室は、写真集を警部の前に出そうとした。それを滝元が体でふさいで、見えないようにする。

「まじめか!い、いやなんでもないんだ。それより事件でもあったの?」

 滝元警部は、ビルの関係者と思われる人物の方に向き直った。

「こちら、ここのビルの28階で、オークションを開催している小湊さんだ」

 50代のひげを生やしている、やせ気味の男は、2人に軽くうなずいた。

「和彦たちも、ここにいたから、知ってると思うが、ちょっと前に、このビルで地震のような揺れがあったらしい。結局、地震じゃなかったようだが、オークション会場の人間が、広場に避難しているすきに、オークションの出品物が盗難にあったと通報が入って、飛んできたんだ」

「盗難?」2人は声をそろえた。

「そうだ。小湊さん、なんて言いましたっけ。あれきさんだー…」

 オークショニアは元気のない顔をしていたが、滝元警部の発言で笑顔になった。

「アレキサンドライトです」

「アレキサンドライト!」滝元が大きな声を出した。「それって何ですか?」

「知らないのかよ。アレキサンドライトは確か、青緑や赤に色が変わる宝石ですよね?」

「そうです。いいものになると、ダイヤモンドと同じくらいの値が付くものもあります。それが、今日のオークションで出品されたんですが、さっきの揺れがあった後、怪盗ロパンに盗まれてしまいました」

「怪盗ロパン!」滝元がまた大きな声を出した。「それって誰ですか?」

「知らないのかよ。警部、説明してやって下さい」

「お前も知らないんじゃないか」

「ここで話しててもなんですから、とりあえず、現場に行きますか。オークション会場は、このビルの28階だそうです」

『親父はまた、氷室に事件を解決してもらおうとしてるな』と滝元は思ったが、口には出さなかった。

 小湊を先頭にして、4人はビルに入っていく。ビルの中は、すでに平常に戻っているようだ。1階にはコンビニやカフェがあり、サラリーマンやOLが多い。海外の観光客の姿もあった。小湊はエレベーターに近づいていく。

「そういえば、さっきの揺れで、エレベーターは止まらなかったんですか?僕たちは非常階段を使ったんですが」氷室が訊いた。

「一基も止まらなかったみたいです。確か、前回も止まらず動いていたみたいですね」小湊はエレベーターに乗り、28階のボタンを押した。

「前回って、前にもあったんですか?」

 エレベーターは軽快に動き出した。エレベーターの正面はガラス張りになっていて、外の景色が一望できる。

「今日で4回目です」

「4回?揺れの原因は何だったんですか?」

 小湊は首を傾げた。

「それが4回とも、原因が分からないんです」

「原因不明って、俺たちがいる時に、ビルが崩れるなんてことはないよな」滝元は不安に襲われながらつぶやいた。

「専門家が調べたんですか?」

「大学の先生が調べたらしいんですが、結論が出ていないそうです」

 エレベーターは28階で止まった。エレベーターを降りると、左右に通路がある。小湊は右に向かって歩いていく。突き当たりにも、左右に通路があり、左に進む。奥から2番目のドアの前で、小湊は止まった。

「ここです」

 部屋の中には、パイプ椅子が40脚ほど並んでいる。中央には、オークショニアが立って、オークションを進行する台がある。向かって左横には、スクリーンが垂れ下がっている。右横には、カートに載せられたガラスケースが見える。部屋の中には、男女3人がいた。小湊たちが入ってくると、一斉に振り向いた。3人のなかの1人が小湊の方に近づいてきた。50代くらいの小太りの女性で、体のいたるところに宝石を身に付けている。女性が近づいてくると、甘ったるい香水の香りがした。

「ちょっと小湊さん、今あの方たちと話してたんだけど、出品物の盗難は、今回だけじゃないんですって?それが分かってたら、こんなとこにアレキサンドライトを出品したりしなかったわよ」女は、かなり荒々しい口調だ。それに対して、小湊はただ、

「申し訳ございません、城之内じょうのうちさん」と繰り返すだけだった。

「警察には通報したんでしょうね、その怪盗ロパンとかいう盗人ぬすっとはまだそんなに遠くには逃げてないはずよ。あそこの橋を封鎖しちゃえば逃げ道はないわ。早く捕まえてちょうだい」

 小湊は、城之内という女に、滝元警部と素人探偵を紹介した。滝元警部は、なだめるような声で、

「橋には、部下を配置して、検問してますし、ビル内も捜索してますので、ロパンの逮捕は時間の問題です」と話した。

「あれには、500万の値がついたんですからね。あそこにいる男性が落札して下さって…。ああ、ちょっと具合が悪くなってきちゃった。私は隣りのレストルームで休んでるわ」

 そう言い残して、宝石で身を固めた女は部屋を出て行った。小湊はため息をつくと、部屋の正面に歩いていく。警部たちも後につづく。

「いかにも成金って感じの人だな」滝元がドアを見ながら言った。

「しーっ。まだ廊下にいるかもしれない」

 部屋にいた30代半ばくらいの男性と20代後半くらいの女性が近づいてきた。男性はスーツ姿で、どこにでもいるようなサラリーマン。女性はカジュアルな服装で、スラリとした体形をしていて、身長は180センチ以上はあると思われる。小湊が警部たちに2人を紹介した。男性の名前は『渡部秀平』。成金女が言っていたように、500万でアレキサンドライトを落札した男で、女性の方は『堀越めぐ』。最後まで渡部と、落札を争っていたらしい。

「いやー、残念ですね、せっかく落札して彼女にプレゼントしようと思ったのに。小湊さん、他に良いのないっすか?」さっきの城之内とは違い、軽い感じで話す。小湊は重苦しい口調で、

「しばらく、休もうかと思いまして。今回で3回も盗難されてしまって、皆さんに申し訳ないですし…」

「それはしょうがないっすよ。怪盗ロパンは神出鬼没で、いつ現れるか誰も分かんないっすもん」

 堀越めぐが、渡部の方を向いて、

「でも渡部さんって、フツーのサラリーマンなんでしょ。500万なんて大金どうやって稼いだの?」

「稼いだっていうよりも、運よく手にしたって感じかな。これ以上は内緒で」

「そこは教えてくれないよね」

 オークション参加者が話している間に、氷室はアレキサンドライトが収められていたガラスケースを眺めていた。ガラスケースは縦、横、高さ、それぞれ50センチほどで、何か鈍器状のもので叩き壊されたらしい。ガラスが台の上に散らばっている。氷室は壊れたケースに顔を近づけた。 

「これは何だろう?」

 氷室が見ているのは、ガラスケースの横に張り付けられている、ちょうどトランプの大きさくらいのカードだった。カードは白地に黒色で、アルファベットの大文字のアールと書かれている。そのアールの右上の辺りに、シルクハットのような絵が描かれている。それは赤い色をしていて、アールの文字がそのシルクハットをかぶっているように見える。小湊が近づいてきた。

「これは、怪盗ロパンが残していったものです。ロパンは、自分の犯行であることを示すために、現場にこのカードを残していくんです」

 滝元警部もケースの傍にやってきた。

「これは、ロパンのカードだ。つい1か月前の、資産家宅の盗難事件でも、このカードが残されていた」

「それ知ってる。有名な画家の絵が盗まれたんでしょ。テレビでやってた」堀越も近づいてきた。堀越は、そのカードをケースから外そうとすると、警部がその腕をつかんだ。

「まだ指紋の検査が終わっていないので、触らないように」

「でも、テレビでコメンテーターが言ってたけど、怪盗ロパンは絵画とか、古い陶器とか、芸術作品ばかり狙ってるんですって。宝石なんて盗むのは、初めてなんじゃない?」堀越は警部に尋ねた。

「そうだなあ。私の知っている限りでは初めてだな」

 その間、氷室はケースの周囲を行ったり来たりしていた。

「何か捜してんの?」滝元が訊くと、

「このケースを壊した道具がないかと思って」

 滝元は中央にあるオークショニアが立つ台の傍に歩いて行った。それから、台の上にあるものを指さした。

「もしかして、ケースはこれで壊したんじゃないか」

 滝元が指さしていたのは、オークションで落札された時に使うハンマーだった。

「そうか、そのハンマーがあったか。でもそれを使ったとすると、怪盗ロパンは自分で道具を持ってこなかったのか。計画的な犯行なら、当然用意してくると思うけど」

 警部は手袋をして、ハンマーをつかんだ。

「これも、いちおう指紋検査しておきましょう」

 氷室は、室内をぐるっと回って、手がかりになるものはないか捜した。ケースの他には、目につくものはなかった。氷室は小湊の隣りに来た。

「小湊さん、アレキサンドライト以外で、盗まれたものはなかったですか?」

「他のものは、無事でした」

「ちなみに、他の出品物はどういうものでした?」

「ええと」と言って、上着の内ポケットから、メモ帳を取り出す。

「ベストセラー作家の手書きの原稿、江戸時代に作られた掛け軸、東京駅開業100周年記念メダル…」

「それから、ここで過去に2回、ロパンに出品物を盗まれたそうですけど、具体的にいつ、どんなものが盗まれたんですか?」氷室は滝元にメモしておくように、目で合図を送る。小湊はメモ帳をパラパラめくった。

「ええとですね、初めて盗まれたのは、4月17日で、時間は午後の1時10分ごろ、ものはピカソのデッサンで、全体的に色鮮やかな赤い色調の絵で、私も見た時はほれぼれしました。900万で落札されましたが、ロパンに盗まれてしまいました。2回目は、6月7日で、時間が午前11時45分、人気ロックグループの『キング』のボーカルが愛用していたギターで、これは1400万で落札されたものです」

 氷室と滝元が、『キング』と聞いた時、首を傾げたのを見た小湊は、

「きみたちは知らないかな。『キング』は80年代に一世風靡いっせいふうびしたアメリカのロックバンドでして。音楽だけでなく、エキセントリックな衣装や髪形なんかは、当時の若者たちを熱狂させたんです。そのギターは『キング』のスタッフだった、ある日本人が本人からもらったものらしいですね」

「うーん、時間も日付も共通性はなさそうだな。やっぱり手当たり次第に高価そうなものを盗んでるのか?」氷室が腕を組んで考えていると、小湊がすぐに、

「唯一、共通性があるとすれば、あの原因不明の揺れですかね」と言った。

 氷室は考え込んでいて、小湊の言葉を聞き逃すところだった。

「えっ?小湊さん、なんて言いました?」

「さっきの揺れですよ。4月17日の時も、6月7日の時も、今日と同じような揺れがあったんです。それからロパンが現れて、出品物を盗んでいったんです」

 小湊の言葉を聞くと、氷室の目の色が変わった。

「そういえば、そうですね。3回ともビルの揺れがありましたね」滝元警部は早くも体からニコチンが切れたのか、煙草の箱を開いて、中の本数をチェックしている。

「ビルが揺れた後に、ロパンが現れたっていうのは、本当なんですね」

 小湊はゆっくりとうなずいた。

 話を聞いていた渡部は、辺りをきょろきょろ見回した。

「このビルの地盤とか、やばいんじゃないっすか」

「専門家の調査では、地盤に問題はなかったそうです」小湊はメモ帳をしまいながら言った。

「でも、なんか気味が悪いから、僕はさきに帰ります。小湊さん、また良いの入ったら、よろしくっす」アレキサンドライトの落札者は、足早に部屋を出て行った。氷室は壊れたガラスケースを見つめながら、小湊に訊いた。

「専門家の人って、どういう人なんですか。話を聞ければ聞きたいんですが」

「日本科学技術大学の名誉教授らしいです。たぶん、今日もビルに来てると思いますが、ちょっと確認してみましょうか」と言って、小湊は携帯を取り出した。1分ほど話すと、小湊は氷室たちに向き直った。

「今、3階にある日本そば屋で、食事中らしいです」

「じゃあ、ちょっと話を聞きに行ってきます。警部はどうしますか?」

「私は1回聞いてるので、隣りのレストルームで煙草でも吸ってます」

 素人探偵たちが部屋を出ようとすると、ドアが開いて、白衣姿の女性が現れた。看護婦は小湊のそばに来た。

「藤井さんの容体が安定してきましたので、私たちはこれで失礼します。午後いっぱいは安静にした方がいいと思います」

「腕の傷の方はどうでしたか?」

「そんなに深くはなかったのが幸いでした。ただ応急処置をしただけですので、後日、病院で診てもらった方がいいでしょう」

 小湊は看護婦に続いて部屋を出ていく。小湊は隣りのレストルームと書かれている部屋に入っていった。

「警備員の話が聞けるかもしれない。僕らも行ってみよう」

「白衣の天使の近くに行きたいだけじゃないのか」と言った滝元も、いそいでレストルームに向かう。

 レストルームは、オークション会場と同じくらいの広さがあった。部屋の奥は一段高くなっていて、そこに救急隊員と若い男が横になっている。その男が藤井という警備員のようだ。小湊は警備員に一言、二言話すと、

「じゃあ、私は雑用があるので、ちょっと出かけてきます」と言い残して、部屋を出て行った。

 氷室は警備員に自己紹介してから質問を始めた。

「怪盗ロパンに襲われた時の状況を話してもらえますか?」

 藤井はゆっくりと起き上がった。左手首の近くに巻かれている包帯を気にしている。藤井は警備員という職に就いているわりには、体が華奢きゃしゃで、風が吹いただけでも倒れてしまいそうな感じだ。顔も、ほおがくぼんでいる。

「あの揺れが起きた時、僕はオークション会場の一番後ろにいたんです。お客様と小湊さんたちスタッフが全員、部屋を出て行ったのを確認すると、僕は最後に部屋を出ました。ドアに鍵をかけると、非常階段の方に歩いていきました」

「鍵はいつもするんですか?」

 藤井は包帯をさすりながら、

「部屋の中には、高価なものがありますから、鍵はいつもかけます」

「過去2回の盗難の時も鍵はしたんですね」

「初めて、ロパンに盗まれた時は、警備員は配置してなかったんです。2回目から僕が警備を担当してます。2回目の時は、今日と同じように鍵はしました」

「鍵は普段、どこに置いてあるんですか?」

「会場の台の上に無造作に置いてあることがほとんどです」

「じゃあ、鍵を取ろうと思えば、誰でも取れたんですね」

「そうだと思います」

「なるほど。続けて下さい」

 警備員はペットボトルに入っている水を飲んでから、話を続ける。

「僕が廊下に出た時には、すでに他の部屋の人たちも、避難していて、辺りには人の気配はありませんでした。非常階段の近くまで来た時、階段の方から、誰かがやってくる気配がしたんです。直接見たわけじゃないんで、断言はできないんですが、上の方から来るような感じでした」

 氷室が口をはさんだ。

「階段を降りてくるような足音だったんですね?」

「そんな感じでした。僕は、上の階の人が降りてくるんだと思ったんです。その人の後に降りようと思って、階段の手前で待っていると、怪盗ロパンが現れたんです。タキシード姿で顔にはマスクという格好だったので、一目見て、ロパンだと分かりました。僕は、とっさに壁に身を寄せました。僕の姿は見られていなかったと思います。隠れていると、ロパンは辺りをキョロキョロ確認してから、フロアの方にゆっくりと入ってきました。その時は、僕は少し離れたトイレのところで、ロパンの様子を見ていました。ロパンはそのまま廊下を歩いていって、オークション会場のドアの前まで来ました。ドアの鍵を開けると、中に入っていったんです」

「ロパンは鍵を持ってたんですか?」

 警備員は、手に巻かれている包帯が気になるらしく、しきりに包帯に視線を向けている。

「そうだと思います。ドアは半開きだったので、見つからないように、そこから中を覗くと、ロパンは迷うことなく、アレキサンドライトが入っているガラスケースの近くに向かいました。ケースの中を確認すると、会場中央にある台に行き、そこにあったハンマーでケースを叩き割りだしたんです。3回くらい叩いて、ケースが壊れると、手を伸ばしてアレキサンドライトを取り出し、ドアの方に向かってきました」

「やっぱり、あのハンマーを使ったんだ」滝元が嬉しそうな声を出した。

「ロパンは、他の出品物を盗もうとはしなかったんですか?」一方、氷室は冷静にたずねる。

「目もくれませんでした。ロパンがドアの前にやって来ると、僕は前に立ち塞がりました。ロパンは僕を見て、一瞬ドキッとしたようですが、そのまま僕に体当たりをしてきました。僕はその時、腕にチクッとする痛みを感じたんですが、それがこの傷だったんです。あの時はまさか刃物で傷つけられたとは思いませんでした。体当たりされて、廊下に尻もちをついてしまったんですが、すぐに起き上がって、ロパンを追いかけました。ロパンは非常階段に向かって走っていきました。僕が階段に着いた時には、もうロパンの姿はありませんでした。ただ…」藤井は首をかしげている。

「ただ、どうしました?」

「はっきり見たわけじゃないんで、なんとも言えないんですが、ロパンは上の階に逃げたような気がするんです。それと言うのも、非常階段の踊り場から見た限りでは、階下にはロパンの姿はなかったし、足音も、階段を登っていくような音だったんです。それで、僕は階段を何階か上っていったんですが、ロパンはどこにもいなかったんです。なので、ロパンの後を追うのは、あきらめて、オークション会場がある階に戻ってきました。小湊さんに知らせなきゃと思って、エレベーターで一階に行こうとしたら、エレベーター前の廊下に、こんなものが落ちてたんです」と言って、警備員はズボンのポケットから、小さな紙切れのようなものを出した。

「これは、このビルの3階にある回転ずし『すし太郎』の割引き券です」

 氷室は警備員から券を受け取った。券には店のハンコが押してある。ハンコは前日の10月13日の日付になっている。割引きの内容は、平日に来店して券を提示すれば、サーモンが二皿無料になるというものだった。確認すると、氷室は券を警備員に返した。

「僕が、ロパンと遭遇そうぐうする前には、この券は廊下に落ちてませんでした。それは確かです。だから、これはロパンが落としていったんだと思うんです」

「つまり、ロパンはその『すし太郎』で食事をしたって言うんですか?」

「ひょっとしたらそうかもしれません」自信のない口調で、警備員は答えた。

「タキシード姿で、すしを食ってたら、目立つだろうな」滝元は笑いながら言った。

「日付は昨日になってたな。後で店に行って話を訊いてみよう」氷室が立ち上がろうとすると、警備員が思い出したように、

「それと…」と言った。

「何ですか?」

「ロパンのことなんですが。ロパンって確か、性別も分かっていなかったと思うんですが、僕が見た感じだと、なんか女性のような気がするんです」

「どうしてそう思うんですか?」

「歩き方というか、動き方というか、なんか女性っぽいなと思ったんです」

 氷室はそう聞いて、微笑んだ。

「今どき、女性っぽい感じの男性とか、男性っぽい感じの女性はたくさんいますよ。僕の隣りにいる、この男も女性っぽいところがあるんです。小便は便器に座ってするし、ウインドーショッピングが好きだし、パスタはフォークに巻いて食べるし…」

「こんなところで暴露するなよ。そろそろ大学の先生のところに行った方がいいんじゃないか」

「そうだった。藤井さん、いろいろ参考になりました。腕の怪我、お大事に」


 3


 素人探偵コンビは、レストルームを出て廊下に出ると、エレベーターに向かった。エレベーターに乗り、3階のボタンを押す。

「あの藤井って人の話は信用できるかな?」滝元が訊いた。

「うそをついてるようには見えなかった。それよりも、腕の傷をしきりに気にしてたな」

「なんか、血がついてないかどうか、気になってるようだった」

 エレベーターが3階に着いた。3階はフードコートになっていた。複数の軽食屋やレストランがあり、コーヒーショップやドラッグストアなども並んでいる。2人は日本そば屋に入っていった。店内は、昼のピークは過ぎたものの、まだ客でこみ合っていた。

「いらっしゃいませ、おふたり様でしょうか?」若い女性店員が奥からやってきた。

「はい、イケメン2人です」滝元が言うと、店員はクスッと笑って、

「こちらへどうぞ」と2人を案内する。店内に入ると、奥から2つ目のテーブルに小湊の姿があった。テーブルには小湊の他に、80才は過ぎていると思われる老人と、さきほど広場で拡声器を使って話していた男の姿があった。小湊は2人に気づくと、立ち上がった。

「ああ、来た来た。こちらが『日本科学技術大学』の森本名誉教授です。教授、この2人が先生の話を聞きたいそうなんです」

「ああ、そうか」とそっけなく言うと、老教授は海老の天ぷらを頬張ほおばった。教授の前のテーブルには、10本以上の海老の天ぷらが置いてある。すでに食べ終わった海老の尻尾が10本以上はあった。

「どんだけ、海老好きなんだよ」滝元が小声で言うと、教授は滝元の方を向いて、

「なにか言ったか?」と手を耳に当てて聞いた。

「な、なんでもないよ。じいさん、ビルの揺れのことで、ちょっと話が聞きたいんだけど」

 老教授は滝元の発言で、いったんはしの動きを止めた。

「だれが、じいさんじゃ」老教授は耳が遠いわけではなかった。

「ちょっと、森本教授のご機嫌を損ねないように。先生、この2人が海老の天ぷらをごちそうして下さるそうですよ」

「そうか。早く言わんかい。空いてるところに座りなさい」

 しようがなく氷室は海老の天ぷらを10本注文した。テーブルに注文したものが並んで、老教授の機嫌が良くなったところで、氷室は質問を始めた。

「教授は、ここで起きた原因不明の揺れを調査したと、お聞きしたんですが、揺れの原因は何だったんですか?」

「揺れの原因か。原因ねえ。分からん!」また海老をパクリと口に持っていった。氷室はいきなり拍子抜けした。

「分からなかったんですか?」

「私の専門は地震学でな。地震には自信があるぞ。わあっ、はっ、はっ」

 氷室は小湊の方に、このじいさんは大丈夫なのかという視線を送った。小湊は苦笑いしただけだった。

「あのー、原因が分からなかったっていうと、地震ではなかったってことですか?」

 大学教授は、いきなり真顔に戻った。

「そうじゃ、地震ではない」海老をパクリ。

「ここであった過去4回の揺れも地震じゃなかったんですか?」

「地震じゃないぞ」

「じいさん、じゃなかった教授、ちょっと前にテレビで観たんだけど、ある場所で起きた地震が、そこから遠く離れたところの高層ビルを揺らすことがあるって。本当か?」滝元が尋ねた。

「おぬしの言ってるのは、長周期地震動ちょうしゅうきじしんどうじゃな」

「何ですか、それ?」氷室と小湊が声を揃えた。

「ただで聞こうとしとるのか?」

 氷室は海老を10本追加注文した。大学教授は満足した様子で話し出した。

「長周期地震動とはな、周期が長い、ゆっくりとした揺れのことじゃ。規模の大きな地震で発生するんじゃが、都市部にある高層ビルは、この長周期地震動の周期の波と共振しやすいんじゃ。それで高層ビルが長い時間、揺れるんじゃ」

 小湊が手を挙げて質問した。

「教授、その周期っていうのと、共振っていうのを、もう少し説明してもらえませんか?」

「周期っていうのは、簡単に言うと、一揺れするのにかかる時間のことじゃ。それから、共振なんじゃが、物体には、それぞれ固有の周期ってもんがある。まあ固有の振動数って言い換えてもいいんじゃが。その固有周期と同じ周期の揺れを外部から加えると、その物体が振動を始める現象のことじゃ」

 小湊は眉をしかめながら、

「なんとなく分かりました」と言った。

「ところが、今日に限らず、このビルで揺れが起きた時間には、長周期地震動を発生させるような地震は一切なかったんじゃ、おっほん」教授はウーロン茶を一気飲みした。氷室はメモしていた手を止めた。

「原因が地震じゃないとすると、例えば、このビルの地盤に問題があるとか?」

「ほぉー、食った、食った。地盤はしっかりしとるぞ」

「じゃあ、突風が吹いて、ビルを揺らしたとか?」

「過去4回とも、ほぼ無風じゃった」

「それじゃあ、本当は揺れてなくて、なにかの集団錯覚に陥っていたとか?」氷室は思いついたことを口にする。

「それは、わしの専門外じゃ」

「やっぱり、原因不明か」氷室はメモ帳を閉じた。

「おぬしら2人で、揺れの原因を調べるんだって?まあせいぜい頑張りたまえ、ほぉっ、ほぉっ、ほぉっ」

「じゃあ、小湊さん、海老の追加分は、領収書をもらっておいて下さい。それじゃあ、捜査に行くか、ワトソン君。教授、食べ過ぎは体に良くないですよ」

「え、何だって?」教授は食べることに集中している。


 4


 日本そば屋を出ると、氷室はエントランスにあるインフォメーションカウンターに歩いて行った。そこに置いてあるビルの案内図を手にすると、フードコートに戻ってきた。2人が今いる3階は、フードコート、コンビニ、ドラッグストアがある。4階から7階までは、改装中と書いてある。8階はフィットネスクラブで、9階はビルを管理する会社が入っていて、10階は、アイドルの握手会が行われた本屋、11階から19階は、大手電機会社の本社になっている。20階はペットショップで、21階はボクシングのジム、22階は宗教法人『言霊』の関東支部、23階から27階までは空いていて、28階がオークション会場となっている。

 滝元が案内図を覗きこみながら訊いた。

「あのじいさん、ちょっと個性強すぎだったなあ」

「専門家なのは確かだろうから、ビルの揺れは地震とか地盤ではなさそうだな」

「ビルが揺れたのは何だと思う?」

「今のところは全然、見当もつかない。教授が言ってたように、外部による原因ではないとすると、ビルの中に何かあるのかもしれない。ちょっと目ぼしいところに行って調べてみるか。その前に、腹ごしらえしよう。昼飯は回転ずしでいいだろ?」氷室は、滝元が答える前にすでに、店の方に向かって歩いている。店に入ると、客はまばらにしかいなかった。女性店員がレジに立っていた。

「いらっしゃいませー。おふたり様ですね?」

「イケメン2人です」滝元が懲りもせず言うと、店員は一瞬「えっ?」という表情をしたが、すぐに、

「こちらにどうぞ」と席に案内する。カウンターの中にいる、すし職人が2人に声をかけた。

「回ってないものでも、どんどん注文して下さい」

 それから30分、2人は黙々とすしを食べ続けた。2人の前のテーブルには、山のように皿が重ねられている。一服すると氷室は、さっき警備員が持っていた割引券を出した。立ち上がると、カウンターにいるすし職人に、その券を見せた。

「ちょっといいですか?」

「はい、なににしましょう」すし職人は手を水に濡らして、すしを握る準備をしている。氷室は割引券を見せた。

「サーモンですが、よろしいですか?」

「いえ、ちょっとこの券について訊きたいんですが」

 すし職人は手を止めた。

「何でしょう?」

「この券は、この店で配ってるものだと思うんですが、これを配ったのは昨日ですね?」

 すし職人は券を受け取って、目を近づけて確認した。

「ハンコの日付が昨日になってますから、そうですね」

「この券は、お客さん全員に配ったんですか?」

「いえ、会計で1500円以上のお客様に配りました」

「券を配った客の中に、タキシード姿の人はいませんでしたか?」氷室は微笑みながら訊いた。

「そんな人はいませんでしたぜ」

「そうでしょうね。それから、今日の午前中にビルが揺れた時、ここで何か変わったことがなかったですか?」

 すし職人は、他の客のすしを握りながら、

「変わったことはなかったですがね、ただ今日は開店そうそう、大忙しだったんですよ。台湾だか、どこかの観光客が、店が開くと同時にわっとなだれ込んできましてね。20人近くいたかな。あの時は、猫の手も借りたいくらいでしたよ」

「ビルが揺れた時は、避難したんですか?」

「ここは3階だから、上の階ほど揺れなかったんです。でも避難指示が出たもんだから、いちおう外に出ましたよ」

「揺れの原因がまだ分かってないんですが、何か心当たりはないですか?」

「おれはすし職人だから、すしのことはいろいろ教えられるけど、そういうことは分からないですよ」

「参考になりました。じゃあお会計お願いします」

「二名様、お帰りでーす」

 『すし太郎』を出ると、滝元が口を開いた。

「ああ、無料のサーモン食っておくべきだった」

「お前、サーモン食い過ぎだぞ」

「そういうお前こそ、二皿に一皿の割合で、えんがわを食ってたろ」

「正確に言うと、えんがわと納豆巻きしか食ってなかった」

「さっきの話は、なにか参考になったのか?」

「まあ、少しはね。そうだ、ちょっとお前のスマートフォンで『怪盗ロパン』を調べてくれないか」

「ロパンの何を調べるんだ?」

「とりあえず、ウィキペディアでいいよ」

 滝元は携帯を取り出して、検索を始めた。

「いいか、ええと怪盗ロパン。日本の怪盗。活動期間、2000年初頭から現在。推定身長170から180センチの間。性別不明。タキシードを着用。出没地域は日本全域。活動時間、主に深夜11時から明け方4時くらいの間(2,3の例外あり)。怪盗ロパンは、窃盗時に必ずタキシード姿で犯行に及んでいる。数年前に、タキシード姿をした人物による窃盗事件があったが、これは模倣犯による犯行だった。確認されている限り、窃盗物は美術品や芸術品が主で、それ以外の窃盗はしていない。人物については謎に包まれているが、紳士的な人物であるというエピソードが報告されている。2008年に『西急』百貨店で起きた『彫刻盗難事件』では、怪盗ロパンが芸術家の彫刻を盗み出す際、客の1人が持病が悪化して、売り場に倒れ込んでしまった。ロパンは彫刻をあきらめて、その老婆の救護にあたり、その後、救急車を呼んだ。ロパンはなにも盗まずに、その場を立ち去った。また、ロパンの存在が知られてから今日まで、人を傷つけたという報告はない…。こんなところかな」

 氷室はロパンの情報をメモしていた。そのメモを見ながら、1人でうなずいている。

「ロパンの捜索は、親父に任せたんだろ?」

「そう、僕らはビルの揺れの原因を調べるんだ」

「あの海老えびじいさんが分からなかったんだぞ。オレたちが調べても骨折り損にならないか?」滝元は携帯をしまった。

「何事も、やってみなくちゃね。まずはどこに行こうかな」氷室はビルの案内図を眺めている。滝元は隣りから覗き込む。

「ここに行こうぜ」滝元が指さしたのは『アニマルメート』という名のペットショップだった。

「やっぱり、そこに行きたがると思った。お前の目的は『にゃんこ』だろ」

「もちろんだ。ここ最近、猫カフェに行けてないからな」

 『アニマルメート』は20階と書かれている。氷室は、滝元に半ば強引にエレベーターに引っぱっていかれた。

 20階に着くと、そのフロアはペットショップが1つだけしかなかった。ドアが開くと同時に滝元は走ってショップの中に入っていった。

(どんだけネコが好きなんだあいつは)

 氷室が店内に入ると、滝元はすでに店の奥で、氷室を手招きしている。奥には、壁一面がネコのケージになっている。滝元が立っているケージには、マンチカンというプレートが付いている。

「このコかわいいだろ。脚が短いのが特徴なんだけど、生後3か月じゃあ、はっきりしないかな」

 2人がネコを眺めていると、若い女性店員が近づいてきた。体格がふくよかな店員は愛想よく、話しかけてきた。

「よかったら、抱っこしてみます?」声はアニメの声優みたいにかん高い。

「い、いいんですか?お願いします」

 滝元はビニールの手袋をして、子ネコを受け取った。

「うわあ、毛がふわふわだ」

「マンチカンは今、一番人気なんですよー」

 氷室は、滝元がネコに夢中になっている間、店内をぐるっと、見て回った。ペットショップは、ネコの他に犬や、鳥、熱帯魚、小型の猿までいて、ちょっとした動物園のようだ。戻ってくる途中に、氷室は『うわあっ』と大きな声を出した。氷室の正面のケージには、毛が全くない動物が入っている。

「なんだこれは?」

「あはは。それは、スフィンクスっていうんだ。そいつもネコだよ」滝元が店員と一緒にやってきた。

「ネコ?これが?」

 そのネコは一見すると、全く毛がないように見える。そのため、たるんだ皮膚ひふや、しわがはっきりと見て取れる。耳が大きいのも特徴だ。

「なんか、地球外生命体って感じだな」

「抱っこしてみます?」

「や、やめておきます」氷室は丁重に断った。滝元が一通りネコとたわむれた後、氷室は店員に話を聞くことにした。店員のネームプレートを見ると、『工藤リオン』と書かれていた。

「工藤さん、さっきこのビルで起きた揺れについて、訊きたいんですが」

「何ですかー?」

「揺れがあった前後で、ここで何か変わったこととか、なかったですか?」

 店員は首を傾けて思い出しているようだ。

「いつもと変わらなかったですよー」

「例えば、ここの動物たちが何か落ち着きがなかったり、そわそわしていたってことなんか、ありませんでしたか?ほら、言うじゃないですか。地震の前に、動物が変わった行動をするってやつ」

 店員は、さらに首を傾けた。

「たぶん、なかったと思いますよー。それに、さっきの揺れは地震じゃなかったんですよね?」

「地震じゃないみたいですね。海老じいさん、じゃなくて専門家も言ってました。何か気づいたことはないですか、どんなに小さなことでもいいんですけど」

「うーん、そうだなあ。そういえば、すごく強い香水をつけたお客様がいらっしゃいました。そのお客様が来ると、ワンちゃんたちは一斉に振り向いて、吠え出しましたよ」

 素人探偵たちには、ピンとくるものがあった。

「もしかして、その人って」氷室は、オークション会場にいた成金女の特徴を話した。

「たぶん、その人だと思いますー」

「その女の人は何か買っていったんですか?」

「アメリカンショートヘアーを3匹購入していかれました。お話を聞いたら、姪っ子さんにプレゼントするんだそうです」

「一度に3匹もか、うらやましい」滝元はガラス越しに、スフィンクスと遊んでいる。

「ちなみに、その女の人が来たのは、何時ごろでした?」

 店員は腕時計に視線を向けてから、

「9時前ごろだったと思いますー」と答えた。

 氷室は、その後、2,3質問したが、役に立ちそうな情報は得られなかった。氷室はそろそろ次のテナントに行こうと、腕時計を見た。午後4時近くになっていた。

「工藤さん、いろいろ参考になりました。今度来たら、このネコ中毒の滝元君がネコを買いますんで」

「かってなこと言うなよ。飼いたいけど、親父がネコアレルギーだから、家では飼えないんだ」

 2人がペットショップを出ようと、入口に向かっていると、滝元が急に『わあっ』とビックリしたような声を出した。

「どうした?」

「背中に何かいないか?」

 氷室が滝元の背後に回って見てみると、滝元の背中に小型の猿が貼りついていた。

「あはは、お前、すごいものをおんぶしてるぞ」

「何がいるんだ?」

「そこの鏡で見てみろよ」

「うわあ、何だこいつは」

 店員の工藤がやってきて、滝元の背中から猿を引き離した。猿は滝元の背中が気に入ったのか、なかなか離れようとしなかった。

「だめでしょ、降りなさい」

 猿はようやく店員の言うことに従った。

「ごめんなさい。このコ、やんちゃなんです」

「それは何ていう種なんですか?」氷室は笑いながら訊いた。

「リスザルですー」

「リスザル?確か、この前の事件でも、お前はリスザルに気に入られてたよな。なんか、同じにおいがするんじゃないか」

「するわけないだろ、早く出ようぜ」滝元は急いで店を出た。

 店を出ると、滝元は上着が破れてないかチェックしながら、

「次はどこに行く?」と訊いた。

「22階に行ってみよう」

 エレベーターが22階に着いた。22階にはテナントが1つしかなく、2人はそのテナントの正面に立った。入口の上に大きく『言霊』という看板が掲げられている。

「何だここは?」

「宗教団体の支部らしい」

 氷室は恐る恐る扉を開けた。扉の先には、1人の女性が立っていた。

「ようこそ『言霊』へ。講和の聴講希望の方でしょうか?」女性はやけにゆっくりとした口調で話した。

 氷室は自分たちの事情を説明した。

「教祖様が一般の方と直接お話しになることはできません。私でよろしければ、お話を伺いますが」

「それじゃ、お訊きしますが、ビルが揺れた時、こちらでは何をされてたんですか?」

 女性は講和についての質問をされると思っていたから、とまどっている様子で話した。

「あの時間は講和の最中でした。橋村という者が、午前の講和の担当でした」女性は一言、一言はっきりと発音しながら話す。

「教祖様が講和で話したんじゃないんですね」

「もちろん、教祖様が講和で、お言葉を述べられることはありますが、今日は徳を高めるための修行で、『霊室』に入っておられました。

「修行って、何をするんですか?滝行ではなさそうですけど」滝元が、うさんくさそうな目つきで訊いた。

「一般の方に理解してもらえるか、分かりませんけど、特殊な瞑想めいそうをして、霊魂のステータスを上げるんです。教祖様クラスになりますと、エネルギーが体にも宿って、空中浮遊をすることもあるんです。証拠の写真をお見せしましょうか?」女性は受付カウンターの上に置いてあるアルバムのようなものを手にした。開くと、その中には写真が収められている。

「これをご覧下さい」

 2人が写真を見ると、あごひげが胸元まである60代くらいの小太りの男が、あぐらをかいている姿が写っていた。よく見ると、床から少し浮いているようにも見える。

「あはは、これはただ床から飛び跳ねただけじゃないか。男の人がなんかピンボケしてるもん」滝元が思わず言ってしまった。

 女性の表情が険しくなった。アルバムをパタンと閉じてしまった。

「何をおっしゃいます、これは教祖様の心的エネルギーが体に波及した結果ですわ。これだけじゃなく、教祖様は、他にも数々の奇跡を起こしていらっしゃるのです」

「はあ、なるほど」滝元は氷室に耳打ちした。

(早いとこ、ここを出ようぜ)

(あと2、3個質問してから)

「ええと、さっきのビルの揺れの件なんですが、ビルが揺れた時、何か変わったこととか、気づいたこととかありませんでしたか?」

「特になかったと思います」

「揺れが起きた時は、講和に参加してた人は、全員1階に避難したんですか?」

「避難したと思います」

「教祖様も避難しました?」

「教祖様は、空中浮遊をしていて、揺れに気づかなかったと、おっしゃってました」

 滝元が笑い出しそうになるのを、氷室がケツを引っぱたいて止めた。

「それはそうでしょうね、宙に浮いてれば気づかないですよね。いろいろ参考になりました。パンフレットだけ頂いていきます」

 女性に一礼して部屋を出ようとした時、右側にあるドアから、あごひげが胸元まである老人が入ってきた。

「写真のじいさんだ」滝元が思わず声に出した。老人は一瞬、声のする方を向いたが、そのまま部屋を横切って左側にあるドアに入っていった。男が部屋にいる間、女性はずっと手を合掌していた。

廊下に出ると、滝元は深呼吸した。

「あの写真はどうみても、インチキだろ。じいさん、そんなに浮いてなかったし」

「でも1回、講和を聴いてみたい気もする」

「おれは行かないぞ。ここも揺れの原因じゃないみたいだな。次はどうする?」

 氷室はエレベーターに乗りこみながら、ビルの案内図を見ている。

「8階に行ってみよう」

「何があるの?」

「着いてからのお楽しみ」

 エレベーターが8階に到着して、ドアが開くと、すぐにどんなテナントが入っているかが見て取れる。ガラス張りになっているから、中の様子が廊下から一望できる。中では、十数人の若い女性がダンスをしていた。

「ここはフィットネスクラブじゃないか」

 氷室はガラスに額をくっつけるようにして、中の様子を観察している。

「まっさきに来るべきだった」

「なんか、ここも揺れとは関係なさそうだな」

 2人がガラス越しに眺めていると、十数人の女性の前で、ダンスの指導をしているインストラクターと思われる人物が、2人に気づいた。その人物は廊下に向かって歩いてくる。2人の前にやって来ると、

「もしよかったら、中で見学できるわよ」

 そのインストラクターは、あずき色のジャージ姿に、頭にはハチマキ、首にはタオルを巻いている。一見すると、女性のようなメークをしているが、声の感じや、体つきからすると、男性のようだ。

 氷室は自分たちの立場を説明した。

「あら、そうなの。じゃあ中で話を聞くわ。さあ、いらっしゃい」インストラクターは必要以上に、2人にボディタッチしながら、中に案内した。

 フロア内の色彩は淡い赤色で統一されていた。中では、ヒップホップ系の音楽が流れていた。女性たちは、その音楽に合わせて、ダンスをしているようだ。インストラクターは生徒たちに声をかけると、氷室たちを休憩室と書いてある小部屋に招きいれた。

「なにか飲み物はいかが?」インストラクターはドリンクのメニュー表をテーブルに置いた。

「じゃあ、アイスティーで」

「おれはジンジャーエールで」

「じゃあ、あたしはレモンスカッシュにしよ」

 ドリンクが運ばれてきて、一服すると、インストラクターが自己紹介した。

「あたし、高岡っていいます。ヨロシクね」インストラクターは2人に握手を求めてきた。いやいやながら2人は握手に応じた。氷室は簡単に、自分たちの立場を説明した。

「まあ、大変ね。怪盗ロパンって言ったっけ。早く捕まるといいわね」高岡は飲み物で濡れた唇を舌で舐めまわした。

「それで、ロパンが現れた時に、ビルが揺れましたよね?その時、ここでは何をしてたんですか?」

「あの時はたぶん、海外から来た観光客が、『激やせプログラム』に参加してたはずよ」

「激やせプログラム?」

「そうよ。あたしが考えたエクササイズなのよ。ちゃんと人間工学っていう学問を参考にしてるから、効果てきめんよ。キミたちも試してみない?」高岡は必要以上に唇を舐めながら言った。

「そ、それは今度来た時にお願いします。ところで、その海外から来た観光客って、どこの人なんですか?」

「台湾人よ。あたし、こう見えても社長なの。海外に、ここと同じフィットネスクラブを作ったのよ。今日来た台湾の人たちは、現地のフィットネスクラブの会員で、日本旅行のついでに、あたしんとこに寄ったのよ。そしたら、あの揺れでしょ。いやになっちゃう」高岡は椅子を氷室の近くに引き寄せた。

「たぶんって言いましたよね?高岡さんは、あの時、ここにいなかったんですか?」氷室はゆっくりと、椅子を高岡から遠ざけた。

「今日の午前中は、あたし具合が悪かったもんだから、ここはスタッフに任せて、屋上とかフードコートに行って休憩してたのよ」

「そうですか。そのスタッフの方は、揺れが起きた時、なにか変ったことがあったとか言ってませんでしたか?」

「特に言ってなかったわね。ただ、台湾の観光客の人たちを一階まで避難させるのが大変だったって言ってたけど。ほら、言葉が通じないじゃない。向こうも日本語があまり分からなかったみたい」

 休憩室のガラス張りの窓から、ダンスの様子が見えている。滝元は2人の話よりも、ダンスしている女性の方に目をくぎ付けにしている。

「その台湾人の観光客がやったのも、あれと同じダンスですか?」氷室は、フロアを指さして言った。

「いいえ、激やせプログラムはもっと激しいものなの。30人くらいでやってたみたいなんだけど、あまりにもハードで、2人は途中で脱落しちゃったみたいよ」

「お前から何か訊きたいことはないか?」

 鼻の下を伸ばしながらダンスを見ていた滝元が振り返った。

「あ、ああ、ええとあの右から4人目の女の人は何て名前なんですか?じゃなくて、ここで、何か怪盗ロパンに盗まれたりしました?」

「何も盗まれてないわよ。あたしのハートだったら、いつ盗まれてもいいのにね」

「そ、そうですか。オレの質問はそれだけです」

「じゃあ、そろそろ失礼するか」氷室が立ち上がると、高岡もいっしょに立ち上がった。

「いつでも入会しにいらっしゃい。待ってるわ」

「あ、ありがとうございます」

 2人は廊下に出ると、大きく深呼吸した。

「なんだ、あのインストラクターは」

「オカマっていうのは分かった」滝元が何の感情も入れずに言った。

「それは、誰だって分かる」

 氷室がビルの案内図を出した。

「あとは、ここだな」氷室は21階を指で示した。そこにはボクシングジムと書かれていた。

 2人がジムに入ると、リングの下にいた男が近づいてきた。40代くらいで、全身が筋肉でできているような男だった。胸元にあるネームプレートには冨樫力斗とがしりきとと書いてある。

「入会希望者?」

 氷室は事情を説明した。その間も、リング上では、2人の男が激しく戦っている。

「うちは、なんの被害もなかったよ。まあ、もしその怪盗なんとかっていうやつが来ても、オレの拳で追い出してやるけどな」男は2人の前でシャドーボクシングをした。

「揺れがあった時、ここでは何をしてたんですか?」

「揺れがあった時?ああ、あの地震の時か?あの時は、公開練習をしてたぜ。最近テレビの取材を受けて、見てみたいってやつが増えてな」

「午前中にあった揺れは地震じゃなかったみたいです」

「地震じゃねえ?じゃあ何だったんだ?」冨樫はリングの2人に何やらジェスチャーを送りながら訊いた。

「それが分からないんです。何か思い当たることがないですかね?」

「うーん、そういえば今日の午前中に、やたらに飛行機だか、ヘリコプターみたいなのが、この辺を飛んでたけど、それは関係あんのかな?」

「どうですかね。それらが、ものすごい風を発生させたりすれば、揺れが起きそうな気もしますが」

「まあ、なんにしたところで、ここは揺れとは関係ねえな。ただのボクシングジムさ」

 その後は、冨樫の過去の栄光話が延々と続いた。氷室は、冨樫の気分を害さないように、話を切り上げた。

「入会したくなったら、いつでも来いよ」

 2人は急ぎ足でジムを出た。

「やっぱりこのビルにいるやつら、キャラ濃いな」

「これで一通り、目ぼしいところは見たな。11階から19階は建設会社の本部だから、調べる必要はないだろうな。ただのオフィスだろうし」

 氷室がビルの案内図を見ていると、携帯の着信が鳴った。

「そのアニメのテーマソングの着信、いいかげん変えろよ」

 滝元警部からだった。氷室のリアクションからすると、何か見つかったようだ。氷室は携帯をしまった。

「ロパンが見つかったとか?」

「ロパンじゃなかった。見つかったのは、アレキサンドライトだって」


 それから30分ほどで、氷室たちは28階のオークション会場で、滝元警部と合流した。会場には、小湊とアレキサンドライトの持ち主、城之内の姿もあった。城之内の手には、キラリと光るものが握られている。

「警部、どこで見つけたんですか?」

「私が見つけたんじゃないんです。ビルに遊びに来ていた子供が、中央広場の横にある駐車場で見つけたんだそうです。親御さんが警察に届け出てくれました」

 大事そうに手に持っている城之内に、氷室が訊いた。

「城之内さん、それは間違いなく城之内さんのアレキサンドライトでしょうか?」

「間違いないわ。私のよ」

「そうなると、ロパンは盗んだアレキサンドライトを落としていったんですかね、警部?」

「まあ、そういうことになるんでしょうね。ロパンも間抜けですね」

 氷室の表情を見て、滝元が言った。

「なんか、納得してない顔をしてるな」

「怪盗ロパンともあろう人物が、盗んだものを落としていったりするかなと思って」

「こんなに価値のあるものを捨てたりはしないだろうから、やっぱり落としていったんだよ」

「うーん、そうかなあ」

「怪盗ロパンだって、へまはしますよ。ところで、城之内さん、そのあれきさんだーはどうするんです?もう一度、出品するんですか?」警部が訊いた。

「アレキサンドライトですよ。これはもう手放さないことにしました。私が大事に持ってますわ」城之内はアレキサンドライトをバッグにしまった。

「よし、これで1つ片付いた。氷室君、ロパンの捜索は我々に任せて下さい。今回は氷室君の手を借りなくて済みそうです」

 その後、小湊と城之内は、オークション会場に残って、2人きりで話し合っていた。滝元警部を含めて、警察関係者は遅めの夕食をとるため、3階のフードコートに降りて行った。氷室と滝元は1階に降りて、そのままビルから出て行った。2人はビル正面の中央広場を歩いていく。氷室はなにか考え事をしているらしく、その間はずっと無言だった。広場の先には、国道が通っているのと、いくつかの店が立ち並んでいて、その先にある駅に向かうには、60メートルくらいある歩道橋を歩いて渡る必要があった。時刻は午後の10時過ぎで、2人の周りには、『セントラルTタワー』や他の商業施設からの帰り客で、ごった返していた。歩道橋は階段から橋の部分まで、人がすし詰め状態で、なかなか前に進まず、あちこちで怒号どごうが飛び交っている。

 駅に行くには、その歩道橋しかないため、氷室たちもその混雑する人ごみに入っていった。2人がちょうど、歩道橋の中央付近まで歩いてきた時に、予期しないことが起きた。歩道橋が左右に揺れだしたのだ。

「地震だ!」

「きゃあー」

「押すなよ」

 歩道橋にいた人たちは、急な揺れに驚いている。

「こんなところで地震かよ」滝元がぎゅうぎゅう詰めの中で、どうにか携帯を取り出して、地震情報を調べた。その間も、ゆっくりとした揺れは続いている。

「おかしいな、全然地震なんてないぞ」

「本当に?まだ速報が出てないんじゃないか」

「そんなことはない。地震は発生してないってことだな。そういえば、10年以上前に、家族でイギリスに旅行に行った時、なんとかブリッジっていう橋を渡った時も、こんな揺れがあったような気がする」

 揺れはまだ続いているが、少しずつ、すし詰め状態は緩和していっている。滝元は歩こうとしたが、前にいる氷室はその場から動こうとしなかった。

「どうしたんだ?」

「滝元君」氷室は他人行儀な感じで言った。

「なんだよ」

「ロパンの正体が分かったよ。それからあの謎の揺れも。『セントラルTタワー』に戻るぞ」


 5


 時刻はすでに午後の11時を過ぎていた。ビルの各テナントはほとんど閉店していて、建設会社のオフィスも仕事を終えていた。ビルの中は、ビル管理の警備員とオークション会場にいる滝元警部、小湊、警備員の藤井、滝元の姿しかなかった。警部たちは、用事があると言って出て行った氷室を待っている状態だった。11時10分を過ぎた頃、また会場内が揺れだした。

「地震か?」警部が冷静に揺れの成り行きを見守る。

 揺れが起きてから、30秒ほど経った時、会場のドアが開く音がした。ドアの向こうにいたのは、なんとタキシード姿の人物だった。

「怪盗ロパン!」警部たちは一斉に叫んだ。

「は、は、は、は、は」その笑い声は、聞き覚えのある声だった。入ってきた人物は氷室だった。

「何をしてるんですか?氷室さん」警部は警戒心を解きながら言った。

 タキシード姿の氷室は、一同の前に歩いてきた。

「ちょっとした実験をしてました。これで、僕の考えが実証されました。少し長くなるので、皆さん、座って聞いて下さい」

 警部たちは会場のパイプ椅子に座った。氷室はそのままの姿で壇上に立った。

「今回の事件は、ある科学の知識が必要だったので、少し手間取りましたが、なんとか解決することができました。まず初めに、このビルに現れた怪盗ロパンは、本物のロパンではないということから話しましょう」

 小湊は目を大きくした。

「ロパンは偽物だったんですか?」

「そうです」

「4月と6月に現れたロパンも偽物ですか?」

「そういうことになります。根拠はいくつかあります。まず、今日の午前中に現れたロパンが、藤井さんを刃物で襲った際に、あるものを落としてるんですが、それが、このビルにある『すし太郎』という回転ずしの割引券だったことです。このことから、その人物は『すし太郎』を利用したことがあり、ビルの関係者らしいということが推定されます。もちろん、部外者でも自由に出入りできますから、必ずそうだとは言い切れませんが、本物のロパンだったら、そんなものは落とさないように注意するでしょう。それから、ウィキペディアによると、今までに知られているロパンは一切、人を傷つけたことがないということでしたが、今日現れたロパンは、凶器を準備していて、実際、藤井さんを刺しました。これは今までのロパンとは傾向が違います。また、今までのロパンは芸術作品しか盗んでいないのに、このビルに現れたロパンはアレキサンドライトやギターという芸術作品でないものを盗んでいます。さらに、活動時間が深夜の時間なのに、このビルに現れたロパンは深夜ではありませんでした。これらを総合すると、どうやら、ここに出没するロパンは本物ではないという結論になるんです」

「誰なんですか、そいつは?」腕に包帯をしている被害者の藤井が訊いた。

 氷室はタキシードの内ポケットからメモ帳を取り出した。

「犯人の名前を言う前に、謎の揺れについて説明しておきます。海老じいさん、じゃなくて大学の先生によると、このビルの揺れは、地震や風、地盤が原因ではないということでした。地震ではないんですから、高層ビルなんかが、遠くの地震によって揺れる、いわゆる長周期地震動ではないわけです。つまり、ビルの揺れは外部に原因があるのではなく、ビル内に何か原因があるはずなんです。それで、僕たちは、ビルの中で目ぼしいところを調べました。結果は何も分かりませんでした。それで、あきらめて帰ろうと、駅に向かって歩いていると、あそこの歩道橋で、また揺れが起きたんです」

 警部は首を傾げた。

「地震なんてなかったですよ」

「地震じゃありませんでした。その時、滝元君が昔、イギリスの橋を渡っていた時も、同じような揺れが起きたという話をしてくれたことがヒントになりました」

「そういえば、あの時、かなり橋が揺れたな。よく覚えてたな、お前」

「親父は怖がって、ずっと手すりにしがみついてたからな」

 滝元警部は、恥ずかしい過去を暴露されて、少しムッとした表情をした。

「あれは何だったんですか?」

「共振現象という物理現象です」

 一同はピンときていない様子だ。

「キョウシンゲンショウ?」小湊がひげを触りながら訊いた。

「共振を説明する前に、まず物体にはそれぞれ固有振動数があるということを知っておく必要があります。簡単に言えば、振動しやすい、その物体に固有の振動数のことで、振動数というのは単位時間当たりに揺れる回数です。なにか外部から力を加えると、物体はその固有振動数で振動しようとします。共振というのは、ある物体の固有振動数と同じような振動数の揺れを外部から加えると、その物体が振動を始める現象です。イギリスのミレニアムブリッジにしても、僕たちがさっき渡った橋にしても、橋を渡っている人たちの歩調の振動と橋の固有振動数が近かったために、揺れが増幅されたわけです。滝元君の話を聞いて、共振現象を思い出した時に、もしかすると、ビルの揺れも共振現象によるものなのではないか、そう思ったんです。もし、共振現象だとすると、どのテナントが原因になっているのか。橋の例のように、集団で何か動きがあるような場所。3階のフードコートは関係なさそうです。11階から19階は建築会社のオフィスで、これも関係ないでしょう。10階の書店は、イベントがありましたが、それは揺れが起きる前でした。20階のペットショップは動物はいますが、人はそれほどいませんでした。21階のボクシングジムはリングの上で練習をしているだけでした。22階の宗教法人は講和の最中で、聴講者は皆椅子に座っていたでしょうから、関係ないでしょう。この会場も皆、椅子に座っていたようですから、揺れとは関係ないです」

 氷室は台の上に置いてあったオークション用のハンマーを手にした。それで台を叩いた。

「そうすると、僕たちが調べた中で残っているのは、8階のフィットネスクラブです。そこが揺れの原因だったんです」

「8階?」警部が叫んだ。

「フィットネスクラブ?」藤井が意外だという感じで叫んだ。

「揺れが起きた時間帯に、フィットネスクラブは台湾からの観光客が、あるダンスプログラムをしていました。30人くらいいたそうです。もし、揺れが共振現象であれば、あり得る原因は8階しかないんです。そこで、ついさっき、フィットネスクラブに行って、そのダンスプログラムを踊ってもらったんです。そしたら、午前中と同じ揺れが起きたってわけです。揺れは共振現象によるものだったんです」

「そうなると、犯人は誰なんですか?」藤井が訊きたいのは、その一点のみだった。

「藤井君、もうちょっと待ってね。ロパンになりすました犯人は、この揺れがどういうタイミングで起きるかを知っていたでしょうか。僕は知っていたと思うんです。根拠は、このビルで4回揺れが起きた際に、その内、3回でロパンが現れているからです。ロパンになりすますには、事前の準備が必要です。もし、犯人が揺れの起きるタイミングを知らなかったら、短時間のうちに、ロパンに変装するなんてできないでしょう。でも、タイミングは知っていても、物理的な原因までは知らなかったと思います。ここで、今までの推理を整理してみましょう。ロパンになりすました犯人は、『すし太郎』の割引券を落としているので、このビルに何らかの関係のある人物であること。揺れは共振現象によるものだが、それは8階のフィットネスクラブが原因であること。だから、犯人はフィットネスクラブの関係者の可能性が高いこと。そのフィットネスクラブの関係者の中で、揺れが起きた時、室内にいなくて、姿が見えなかった者」

 氷室がここまで話した時に、ドアが勢いよく開く音がした。息を切らして入ってきたのは、フィットネスクラブのインストラクター、高岡だった。高岡は入って来るなり、

「なによー、あんたたち。誰もいないんじゃないの」と驚いているようだ。高岡が入ってくると、ドアの近くで待機していた警部の部下たちが、高岡を取り押さえた。氷室は高岡に、オークション会場に来るように言っていたのだ。

「ちょっと、なにすんのよー。放しなさいよ」

 高岡が手錠をかけられるのを見届けると、氷室はよく通る声で言った。

「ロパンになりすまして、アレキサンドライトを盗み、藤井君を切りつけた犯人の登場です」


 深夜3時過ぎ。素人探偵コンビは、滝元警部の運転するパトカーの中にいた。パトカーは氷室のアパートに向かっている。

「いやー、それにしても、ロパンが偽物だったなんて、これぽっちも思いませんでしたよ。見事な推理でしたね。アレキサンドライトが見つかった時は、氷室君の手は借りなくて済むと思ったんですが。そういえば、高岡はやっぱり、あれを落としていったんですかね?」

「高岡はアレキサンドライトを捨てたんですよ」

「えっ?」

「フィットネスクラブ全体の赤い色調、ピカソの赤い色彩の絵、ロパンになりすまして残したカード、それには赤色の帽子の絵が描いてあった。そして鮮やかな赤色のアレキサンドライト。高岡は赤い色を好んでいたんです」

「でも、だったら、どうして捨てたりするんです?」

「アレキサンドライトの色が変わったからですよ。アレキサンドライトはカラーチェンジストーンとも呼ばれ、当たる光で、色が変わるんです。室内の白熱灯の下では赤い色になり、太陽光の下では青緑色になるんです。高岡は盗んだアレキサンドライトを屋外で見たんでしょう。すると、色が変わっていた。大好きな色じゃない。それで捨てたんでしょうね」

 パトカーは氷室のアパート前に着いた。警部が急ブレーキを踏んで停まったので、爆睡していた滝元が目を覚ました。氷室は車を降りた。滝元は大事なことを思い出した。

「そうだ。お前、あれをリュックに入れたままだろ。返してくれ」

「えっ?なにか入れてたっけ」

「とぼけるなよ。しゃ、写真集を入れただろ」

「知らないなー。じゃあまた」氷室は立ち去ろうとする。

 パトカーが走り出した。パトカーの中から、

「待てー、怪盗ー」という声がむなしく響いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 華やかなオークション会場、そこで起きた盗難事件――という設定が派手で良かったです。序盤からワクワクわくわくしました。それに対比するような、アイドルの握手会(笑)いかにも男子らしい氷室くんと…
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