二日目
プシュー、と電車のドアが閉まる音がする。どうにか、僕は満員電車内に滑り込んだ。
「おはよう」
電車内にクラスメートが座っているのを見て、声をかける。ひんやりとしたクーラーの風でそいつは、うとうととしていた。
彼は、華奢な体に白い肌、長めのまつげに整った顔。女性車両に乗っていても文句を言われなさそうな見た目をしている。藍色の長袖カーディガンを夏服の半そでカッターシャツの上からいつも、着ている彼は、僕の声に反応して背筋を伸ばした。
「っ、おはよ」
「あはは、やっぱり、実家からの通学は慣れねえよなあ……」
「ん、寮から移動してまだ、……ええと、四ヶ月ぐらいだもんねえ」
「今、どれぐらい修復してんの?」
「……委員長だからって何でも知ってるわけではないんだけど……。とりあえず、おとといぐらいに見た感じではあと、一、二ヶ月ぐらいかなー……。なんだか、色々と便利になるみたい。大部屋に区切りの襖をつける、って先生が言ってたから」
「おっ、もう三年だから、個室だけど、楽しみだな」
「そうだね」
僕は、委員長の前に立って、つり革を持つ。委員長は、ふにゃり、と微笑む。
「っていうか、夏休みだっつうのに社会人は大変だな」
「まあ、学生の僕らも午前中だけだけど、勉強があるじゃん」
「あー、海とか生きてえ。何で俺、中高一貫の男子校に入っちゃったかなー」
「今更だね、もう五年半は過ごしている、っていうのに」
「それもそうだな」
クスクスと二人で笑いあう。
『――――駅、――駅』
運転手さんの声がしてから、電車が停まる。つり革を掴んでいても、ふらり、と体が揺れてしまう。委員長は、ふあ、と欠伸をしてから、立ち上がった。
二人で満員電車の流れに任せて、電車から出る。
「わわわっ、」
「おっと、」
少し転びかけながらも二人で駅を出る。駅前は、グレーや黒のスーツの色で溢れかえっていた。僕は、田舎から来たものだから、田舎ではなかなか、(というか、絶対)見られない光景にいつも、驚いている。
「うげ、時間、ヤバい!! 行くぞ、委員長!」
「うわっ、本当だ! っていうか、委員長って呼ばないでってば!!」
僕が時計を確認して走り出すと、委員長も慌てて走り出す。
……しかし、委員長の足は遅い。完全に僕が置いていく形になってしまうが、致し方あるまい!! 遅刻はヤバいから!!
***
「またかよ、お前……」
「すいません。寝坊しました」
委員長が来る前に慌てて、教室に一人、飛び込むと担任の先生が顔をしかめていた。ちなみに、担任の先生は三十代半ば、って所の男性。結婚……は、してるとか、してないとか。まあ、どうでもいい。ごつい体に首もとの完全に刃物による傷。普通に中学生が見ると怖がる。中高一貫校だから、中学生にはよく会うのだ。それに、その度に授業中に凹むのやめてほしい。
「昨晩は何時に寝たんだ?」
「丑三つ時っす」
「おいおい。“早寝、遅起き、昼ご飯”で有名なお前にしては遅すぎんだろ。何だ? 勉強か? 勉強か? ああ、勉強だな?」
「少なくとも勉強じゃないっす」
「……もう、遅刻すんなよ」
まあ、そもそも、ドッペルが原因なわけだ。これは先生にはいえまい。僕は、ぴしっ、と敬礼をした後、自分の席に歩いていった。
「うしっ、以後、気をつけまっす!」
「す、すすすすすいませんっ、遅れましたああああっ」
僕が席に着くのと同時に委員長が飛び込んできた。先生がわざとらしく、眉間に皺を寄せる。
「お前は、どうして遅刻した?」
「……登校中に転びました」
パッと委員長の足元を見るとブルーのズボンの膝辺りが黒っぽくなっていた。
「…………保健室に行け」
「はいぃ……」
頼りない委員長の声にかぶせるようにして、一時限目が始まるチャイムがなった。
***
キーンコーンカーンコーン、とチャイムがなった瞬間に教室に居た生徒、全員が机の脇にかけてある鞄を片手に教室を飛び出した。
「ちょっ、お前ら! まだ、終わりの挨拶、してねえだろーがあああっっっ」
先生が叫んでいるが、誰も止まらない。委員長までもだ。え? もちろん、僕もだ。ただでさえ、一時限ずつが長いのだ。まったく、四時限だけで、腹の虫は宴会を始めてしまっている。もう、どれだけ、腹筋使ってると思うんだ! 大合唱が起きないだけ、褒めて欲しい。
「せんせーっ、さよーならっ、」
『せんせーっ、さよーならっ、』
誰かが叫んだ懐かしいフレーズを皆で叫ぶ。すると、先生は、大きな声で叫び返した。
「みなさんっ、まった、あっした!」
小学生のときに言っていただろうか、フレーズを言ってから皆で笑いながら、廊下の窓から外に出る。あ、安心して欲しいのが、ここは、一階である。
「こらーっ、普通に帰れんのか、お前ら!!」
先生がギョッとした顔で叫ぶ。しかし、その叫び声は、隣のクラスの「ありがとうございましたーっ」という終わりの挨拶にかき消された。
***
「なあなあっ、久しぶりに ゲーセン行こうぜ!」
委員長ほどではないが、ある程度、仲がいいやつら(三人)が駆け寄ってくる。大半の奴らも、そんな事を考えているのか、コンビニに入っていく。
「あー……今週いっぱいは、うちに従兄弟が来ててさ。こっちの観光する、って言われてっから。すまん。じゃあな」
「ええー、そっか。あ、でも、今日は観光しないほうがいいぜ。午後から雨降るらしいから。ゲーセンは、室内だから全然、大丈夫だけどな!!!」
なんだか、どや顔でそういわれ、僕は、適当に笑っておいた。彼らが他のところに走っていくと僕は、電車に乗って帰るべく、駅に足を向けた。
***
「あっちゃー、雨、降ってきちまったなあ」
僕が、寮が半壊(何があったって? ちょっとね)状態になってしまっているので、一旦、住居としているのが、あのアパートだ。駅から少し、いや、結構歩かなければならない。
ぽつぽつ、と降ってきた雨は、少しずつ雨足を強めてきた。僕は、鞄を頭の上に乗せ、走っていた。アパートまであと少し。どうやら、雨足がこれから、もっと強まるようだから、雨宿りは出来ない。僕は、とりあえず、無我夢中で走った。
はぁはぁ、と息をつきながら僕は、アパートの階段を上る。ぎしぎし、と古い階段が悲鳴を上げているが、とりあえず、駆け足で部屋の前までやってきた。寒いのか、震える手でポケットから鍵を取り出す。カチャカチャと鍵と鍵穴が触れ合う。
「……チッ」
鍵が入らず、イライラしているとドアが一人出に開いた。
「おかえりなさい?」
ひょこり、と部屋からドッペルが顔を出す。きょとん、とした僕は、ホッと息をつく。そうだ、すっかり、ドッペルのことを忘れていた。
……ああ、家に人が居るっていいなあ。
「わあっ、びしょびしょじゃないですかっ! 早く、入ってください! もう、大丈夫で――――」
ドッペルに腕を引っ張られて家の中に入ったところで、僕の記憶は、途切れた。