隣の部屋の貧乏神さん
私が住んでいるアパートの隣の部屋には、不思議な3人の男の人が住んでいる。
何故不思議なのかといえば、その3人は兄弟でも親子でもないから。近所のお姉さんが、ホモなんじゃないかなと噂していたので、直接聞いた事があるが、1人は怒りだし、1人からはそんな言葉を使ってはいけませんと注意され、1人には深いため息と共に違うと否定された。
だから3人はホモではないのだと思う。
それにそれ以外で、私はこのお兄さん達は不思議な人なんだと知っている。
実は昔、お母さんが死んでしまって泣いていたら、お母さんが作ってくれた人形が喋りだした事があった。誰も信じてくれないから内緒なのだけど、その人形は神様の使いだといって、1年ぐらい私の話し相手となり、ある時は兄弟のように、ある時は友達のように接してくれた。ただある日突然、私の隣の部屋に住む人と友達になれと言って、別れを切り出し、それっきり動かなくなってしまったのだけど。
そんな神様の使いが言った隣の部屋にやってきたのがこの3人のお兄さんだ。だからきっと、私はお母さんが、私が寂しくないようにと神様にお願いをして、神様の使いの3人を隣に住まわせてくれているのだと思う。特に明るいけど、少し怒りんぼうなフクさんは、コンビニでアルバイトをしているのだけど、フクさんがアルバイトをはじめてからしばらくして、そのコンビニで買い物をすると良い事があると言われる【パワースポット】と呼ばれるようになった。皆不思議に思っているけれど、私は絶対フクさんのおかげだと思う。
「てめぇも少しは働きやがれっ!!」
日記をつけていると、隣の部屋から大きな怒鳴り声が聞こえた。このアパートの壁は薄いから、隣の部屋の物音が聞こえてしまうのだけど、フクさんの声は一際大きいので、たぶん分厚い壁でも聞こえるのではないかと思う。
怒鳴り声の後に、何かが割れる音がしたので、私は慌てて立ち上がり、部屋の外に出た。隣に住んでいるフクさんとビンさんは一緒に住んでいるのに良く喧嘩をする。喧嘩をするほど仲がいいともいうのだけど、喧嘩した時に部屋の中をめちゃうちゃにしてしまった事があって、もう1人の同居人であるシーさんからもしもの時は止めて下さいとお願いされていた。シーさんが言うには、大家さんから部屋を壊したら出て行ってもらうと言われているらしい。
私はフクさんもビンさんもシーさんも好きなので出ていってほしくない。だからこういう時は、私がひと肌脱がなくちゃ駄目なのだ。
私が外に出ると、ちょうど同時に隣の部屋から、フクさんが出てきた。
「あっ……。フクさん」
「仕事に行って頭を冷やしてくる。あの馬鹿を頼む」
そう言って、不機嫌そうな顔をして出かけていった。フクさんは笑顔でいる事の方が多いので、それはよっぽど怒っているのだと思う。
「ビンさん、おじゃまします」
いつもなら、シーさんがフクさんを止めているので、それをしないという事は、今はきっとこの部屋にはビンさんしかいないのだと思う。
靴を脱いで私は部屋の奥へ進んでいく。
「小雪止まれ」
低い声が聞こえて、私は足を止めた。フクさんのように不機嫌そうな声にも聞こえるけれど、ビンさんの声色はいつもこんな感じだ。フクさんは良く怒るけれど、ビンさんはあまり怒ったりしない。
「先ほどフクがコップを投げつけて割ってしまってガラスの破片が飛び散っている。邪魔だからソファーにでも座ってじっとしていろ」
ビンさんは少し偉そうだし、嫌味っぽい。でも本当はとても優しい人で、邪魔だというのも私が怪我をするから危ないのだと言っているのだ。
近所の人はビンさんの事を怖いというけれど、私は全然怖くない。むしろ、3人の中で一番好きなのはビンさんだ。ビンさんが暇で、一番遊んでくれるからというのもあるけれど。
とりあえず、私はスリッパを履いていなかったので、大人しくソファーに座る。すると、よれよれのTシャツを着たビンさんが、箒で部屋を掃いた。ビンさんはフクさんやシーさんと違って、あまりおしゃれをしない。いつもよれよれのTシャツとジーンズだ。髪の毛もぼさぼさの無造作ヘアー。フクさんほどとは言わないけれど、もうすこしおしゃれをすれば、かっこよくなると思う。
「今日はどうしてけんかしたの?」
「俺の職業が自宅警備だというのが、フクは気に入らないらしい」
自宅警備というのは、日中ずっと自宅にいる人の事で、世の中ではニートと呼ばれている事を私は知っていた。フクさんはコンビニ店員、シーさんは本屋さんの店員なので、間違いなく働いていないのはビンさんだけだ。
「ならビンさんもはたらいたらダメなの?」
ビンさんはとてつもない怠け者というわけではないと思う。こうやってコップが割れたりすれば、ちゃんと掃除だってするのだ。
「俺が働くと、世の中の人が不幸になるからな。だから、俺はこの部屋の中にいるのが一番いいんだ」
そう言ってビンさんは湿っぽい陰気なため息をついた。
実は昔こっそりとビンさんの正体を教えてもらった事がある。なんと、ビンさんは貧乏神というのだ。でも小学校2年の時にビンさんと初めて会った私も、今では小学校3年生。
だからビンさんみたいな人をどう呼ぶのか知っている。中二病だ。
だって、私はビンさんとこうやってよくお話をするけれど、不幸になった事なんて一度もない。不幸にするのは厄神だと説明された事もあったけれど、私の家が貧乏なのはビンさんが隣に引っ越してくる前からなのだ。
でもビンさんは自分が貧乏神だと信じているので、それを否定するのは良くないと思う。学校の友達がそうやって言っていた。中二病の人に『貴方は中二病だ』というのはご法度で、あの病気で自分の精神のバランスをとっているのだと。
「誰だって、貧乏になるのは嫌だろ?」
「うーん。でも、私はお金持ちになるより、ビンさんと遊んでもらった方がうれしいよ」
あっ。だとすると、ビンさんが働きに出てしまったら、私と遊んでくれる時間も減ってしまうのか。それは少し寂しい。お金持ちにならなくてもいいけれど、ビンさんとお話があまりできなくなってしまうのは悲しい。
「小雪は子供だからな」
ビンさんは何も分かっていないというかのうように嫌味っぽく言ったが、でもその顔が少しだけ嬉しそうだ。だから、その言葉はきっと本心ではないのだと思う。
こういうヒトを、えっと……えーっと。ツン。そう、ツンデレというのだと近所のお姉さんが言っていた。
たぶんフクさんもよくビンさんの事を怒っているけれど分かっているのだと思う。ビンさんはツンデレだし中二病だけど、とても優しい人だ。
「私は子供だけど、学校に行っているから、ビンさんが知らないことも知っているもん」
「小さな小雪。一体俺より何を知ってるというんだ?」
「えっとね。お家でもできる仕事」
「内職の事か? だったら、それも駄目だな。俺が作ったものには俺の力が宿ってしまう。誰かを呪うための道具ならいいが、そんな内職はそうそうない」
確かにビンさんの嫌味っぽいため息を聞いていると、不幸度がアップしそうだ。
ビンさんは自分が周りを不幸にすると信じている。でも私はビンさんおかげで、寂しくないし、寂しくないというのは幸せな事だと思う。
でもそれって、フクさんやシーさんも同じじゃないかなと思う。
ビンさんがいるこの部屋から出ていく事だってできるけれど、必ずフクさんとシーさんはここへ帰って来る。ぷりぷりと今日みたいに怒っていてもだ。だから、ビンさんはもしかしたら本当に貧乏神なのかもしれないけれど、寂しくはしないし、いい神様だと思う。
「ちがうよ。ないしょくじゃなくて、【しゅふ】になればいいと思うの」
「しゅふ?」
「お母さんがね、なる人が多いんだけど、家の中のことを全てこなすスペシャリストだよ? みんなが、かいてきにくらせるように、そうじとか、せんたくとか、りょうりをするの」
そして、皆の帰る場所になるのだ。
帰る場所という部分は、もうクリアしているけれど。他のだって、ビンさんならできると思う。
「……それなら、できなくはないな」
腕組をしながらビンはそう言った。
ほら。やっぱり良い人。ビンさんは嫌味っぽいし陰険だけど、私の話をちゃんと聞いてくれる。まるでお母さんみたいな人だ。
だから私はビンさんが大好きなのだ。
その後、隣の部屋から、『お前の作った料理は、どうして、どれもこれも、貧乏くさいんだー!!』という怒鳴り声と『まあ、まあ。おいしいのですし、いいじゃないですか』と諌める声が聞こえてくるようになるのだけど、それはまた別の話。
隣の部屋の不思議なお兄さん達は今日も賑やかで、私は幸せだ。