予想外
クラークが新井の方に顔を向けた。全員の視線が新井に向いた。しばらくの沈黙がおりる。
「意外な台詞だな…日本人の君から、そんな言葉がでるとは。」
カーネルが沈黙を破った。
「報告によれば「こんごう」は砲弾をかわしたそうだが、それからくる自信かね?」
「いいえ、関係ありません。艦長の仇です。」
「艦長?ライアン中佐のことか?」
「それもありますが、本艦の艦長も負傷しております。本艦も軽微ながら、被害を被っているのです。」
本音は違った。自分でもよくわからないが、ここで突っぱねて帰ろうとは思わなくなっていた。
「わかった。我々はそれをバックアップするとしよう。」
おそらく、カーネルは内心思っているのだろう。こんな戦闘の経験も、戦いにもつような精神力もない日本人が「アラスカ」の拿捕はおろか、撃沈などできまいと。だがそれ以上に軍事機密を知る人間を増やしたくないと考えているところへ、説得する手間が省けたと。
「では「アラスカ」に関するできる限りのデータが欲しいです。兵装やその装弾数、最大速力などの。」
カーネルは少し考え、
「…わかった。手配しておこう。君たちはすぐに「アラスカ」を追ってくれ。位置などの情報は随時送る。」
そう言って立ち上がった。
「おっと副長、どうなったんです?」
ブリーフィングルームから出た直後、島田と鉢合わせた。
「「アラスカ」を追う。」
それだけ言ってクラークとCICに向かった。
「え?どういうことです!?副長!」
島田が訊いてくるのを無視して…だ。
「米海軍と情報網をリンクさせる。FIS(=Fleet Information Sharing System:艦隊情報共有システム)の7につないでくれ。」
「Link17あたりの方がよくないですか?あっちの方が情報量も…」
「機密情報を扱う。別のコネクションでないと漏れるからな。」
流暢な日本語で、クラークはCICのオペレーターに指示を出す。
「クラークさんよ、そんなに日本語うまいならわざわざ英語を使う必要もなかったな。」
「太平洋艦隊で横須賀にいれば、嫌でもうまくなるさ。」
ニヤッと笑った。新井も小さく笑って返す。
「沼上、1時間後に抜錨だ。機関両舷前進原速、進路2-5-0。」
艦橋にいる沼上を呼び出し、出港準備を伝える。
「2-5-0?帰るんじゃないんですか?」
「まだやることがある、…「アラスカ」を沈めるんだ。」
返事が返ってこなかった。新井は受話器を置いて振り返ると、CICの全員の視線が新井に向いていた。
「「アラスカ」を…沈める?」
「副長、それはどういうことです?「アラスカ」ってのは、まさか先日の艦ですか?」
新井はCICにいる全員をチャートテーブルに集めた。
「この人は、クラーク中佐だ。先の戦闘で沈んだ「ラッセン」の艦長だった。「ラッセン」は本艦より先行して、本艦が沈むのを防いでくれた。その仇を討つんだ。」
ごくりと唾をのむ音が聞こえた。先の戦闘を思い出したのだろう。
「なあ…、海上自衛隊はただのハリボテ艦隊なのか?」
新井は静かに、しかしはっきりと言った。
「我々自衛隊は日本を守る為にある。じゃあ日本だけ守ってればいいのか?」
「…。」
「もっと言えば、戦闘ひとつもやらずに日本を守れると思うのか?」
「…。」
皆、黙って聞いていた。賛同の声も反論の声もなかった。
「本艦は自衛艦だ。だが世界的にはイージスシステムを搭載した、日本のイージス搭載艦の扱いだ。世界は本艦が軍艦ではないとは認めてくれない。」
「しかし、あの艦はアメリカ海軍駆逐艦すら簡単に沈めました。我々で対抗できるのですか?」
オペレーターの一人が、ついに口を開く。
「わからんよ。じゃあ今から尻尾巻いて逃げるか?仮に現場に本艦がいたことがバレれば、日本は戦闘一つもできない弱小国家の烙印を押されるだろうな。」
今の台詞だと軍事機密と明らかに矛盾しているが、誰も何も言わなかった。
「これを艦内の全員に伝えるんだ。窮鼠猫を噛む、すべての戦闘が有利不利で結果が決まるわけではない。」
ニヤリと笑みを浮かべる。新井自身にも、この自信が自分のどこからきているのかわからなかった。
一人一人、持ち場に戻り始めた。これが戦後90年近く経つこの国の、戦後初めての戦闘を迎える前の空気なのだろうか。いつもなら何気ない出港前のひととき、今日に限って緊張感が漂っている。
ドアが開く。島田だった。CICの雰囲気がいつもと違うことに、戸惑いを隠せない様子だ。
「副長…」
声が詰まって出ないらしい。
「…艦橋へお願いします。」
ようやく絞りだしたような言葉だった。
「わかった。ここを頼む。」
入れ替わり、ラッタルを駆け上がった。
艦橋へ上がった新井は、質問攻めに対してCICと同じようなスピーチをした。恐怖の顔になる者、泣きそうになる者、うずくまる者もいた。皆、それぞれの方法で自分の精神を必死に正常に保とうとしている。
今はCICの時と同じく自分の作業を黙々とこなしている。命令の為の声すら出すのが躊躇われる静けさだ。
新井自身も、恐怖と戦っていた。脳裏に焼きついている、先の戦闘。2隻があっという間に火に囲まれ、乗員が海へと投げ出された。甲板に並べられた、左手のない遺体や真っ赤に染まった遺体。焦げて炭化したものもあった。思い出すだけで吐きそうになる。
数日後にはわが身か、そんな感じがした。逃げ出したい、が、ここは海の上。逃げる場所などない。それに自分が決めたこと、今さら後には退けない。
「副長、出港準備が整いました。」
沼上が報告してきた。いつになく重い声だ。
「出港する。機関両舷前進原速。進路2-5-0。」
「機関両舷前進原速。進路2-5-0。」
タービン音が甲高く響く。初めて聞くタービンの音、そんな感じがした。
CICに降りた。艦橋の気まずい空気から逃れたかったのだが、CICも同じ空気だ。クルーが新井の言ったことを伝言していっているのならば、今は艦内どこへ行っても同じ空気だろう。
「Link24は切らせてもらった。心配ない、ちゃんと話は通った。」
クラークの何気ない台詞が、心に痛みを走らせた。もう終わるまで日本とは無縁だ。終わるというのは、沈めるか沈むかのどちらかである。
コクリと軽く頷き、メインディスプレイの方を見た。すぐ左には、通信士である梨田が座っている。
そうか…今日は梨田の誕生日だったな。着任してきたとき、真っ先に迎えてくれたのが梨田だった。たまにしてた会話の中で知った誕生日。いつも男ばかりの艦内で、明るく振舞う梨田。今は、無表情で目の前のコンソールと向き合っている。
300人それぞれの想い、不安を乗せて、「こんごう」は一路パラオへと進んでいく――
「艦橋、CIC。アメリカ第7艦隊より緊急電。貴艦にターゲットが急速に接近中とのこと。」
艦長椅子でウトウトしていた新井は飛び起きた。ウェーク島出港から4日、パラオに一旦経由し、マラッカ海峡を渡るであろう「アラスカ」を迎撃する手筈であったが…。
「予想が完全に外れた。」CICに降りると、クラークが悔しそうに言ってきた。
「予想はあくまでも予想だから仕方ない。」
そう言って、チャートを見た。
ここはグァムの南160海里。「こんごう」にとっては、まさに横っ腹から突撃を食らうかっこうとなってしまった。
「「アラスカ」のポイントをチャートにだせ。もう情報はきているだろう?」
チャートにマーカーが現れた。
「方位1-8-0、距離約100海里か。もうミサイルの射程圏内…」
「部署発動!対水上及び対空戦闘用ー意!」
「対水上及び対空戦闘用ー意!」
緊張感が更に高まる。
「梨田、「アラスカ」にコールしてくれ。」
「わかりました。」
乗っているのはどんな人物なのか、知りたかった。甘いと言われてもいいと思った。
「俺が出るか?」
クラークが提案する。
「いや、俺が出る。この艦の指揮者は俺だ。」
そう言って、受話器をとった。
「副長、つながりました。どうぞ。」
目で梨田に礼をすると、震え気味の英語で喋った。
「「アラスカ」に告ぐ。本艦は貴艦の拿捕、撃沈命令を帯びている。ただちに機関停止し、投降せよ。貴艦は軍事的犯罪を犯している。」
後半、何を言っているのか自分でもわからなかった。緊張で早口になってしまった。
しばらくの沈黙の後、
「わざわざ英語で言わなくても、俺にはわかる。」
え!?
「に…」
「日本語!?」
CICにどよめきが走った。聞こえてきたのは紛れもない日本語だった。
新井は思わず怒鳴った。
「誰だ貴様!」




