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死に際に間に合った。ただそれだけの話

作者: ジョー

死に際に間に合った。ただ、それだけの話。


あれは8月18日だった。

我が家には、「8月の満月の日には不思議なことが起こる」って言い伝えがある。いままでの人生でそんなこと気にしたことは無かったけど、その日は本当に不思議なことが起こったんだ。


 彼の名は曽我部幸一。26歳、会社員。人よりは男前、趣味はカラオケと筋トレ。遠くまで響く声とチョコレートブロックのような腹筋が自慢だそうだ。

 そんな彼がこの物語の主人公。


 幸一は朝6時半きっかりに鳴る目覚ましを止めにいく。布団の中から手を伸ばし、思い切り叩く。

「う…く……、ふぁああ」

 寝ている間に固まった体を伸ばし、幸一はゆっくりとした動きで体を起こした。

何とも悪い寝覚めだ。目覚ましに夢の邪魔をされた。

幼い頃の夢、保育園の頃の夢だ。仲の良かった友達が久しぶりに登場し、一緒にジャングルジムで遊ぶ夢だった。

せっかく楽しく遊んでるところだったのに。

「速水くん、いまごろ何してるんだろ」

 速水雄二、彼こそが保育園のころの幸一と大の仲良しだった男の子だ。

「まぁ、起きるか」

夢の余韻に浸るのは少しにして、幸一は立ち上がって布団を押入れにしまう。

手短に朝ごはんの支度をして、口にかき入れる。

コンロに火を掛けて湯を沸かす。

「今日は定時で帰るぞ、と」

 湯を沸かしている間に、コーヒーの準備をする。朝のコーヒーの時間が幸一にとって至福の時間だ。

 ポットから蒸気が上がり、湯が沸いたところで火を止める。

 湯の温度が下がるまで鼻歌を歌う。幸一は80℃くらいのお湯で淹れるコーヒーが一番好きだ。鼻歌は保育園で速水くんと一緒に良く唄っていた歌だ。当時流行っていたアニメのエンディング曲、いまなお名曲だと幸一は思っている。今朝の夢で久しぶりに思い出した。

「今日のコーヒーも美味いな」

 今日のコーヒーの出来に幸一は満足した。机の上に置いてある朝刊を広げる。何気なくめくっていると、小さな記事が目に留まった。幸一の自宅から程近いところで、若者が行方不明という記事だ。「今回で三人目」とも書いている。隣の町と、隣の隣の町でも起きているようだ。

「ふーん、早く見つかるといいな」

 近所なのは少し引っかかるが、幸一はあまり気にしないことにした。

「さて、と」

 コーヒーの機材を片付けてカジュアルな服に着替えて会社に向かった。

 

「結局は遅くなっちゃったな」

 やれやれ。

左手の腕時計を見ると夜の八時半を指していた。

 日も落ちて涼しくなってきたが、まだ昼の熱気が少し残っている。

 幸一は会社からの帰途に着いていた。

「明日は休暇を取ったし、今日はどこかに遊びに行こうかな」

 小洒落たバーでも探しに行こうかと思案する。

 実は幸一、この町には8月1日に転勤してきたばかりなのである。田んぼがちらほらと見える地方都市だ。小高い丘もちらほらと点在している。

 夜になって涼しくなってきたところでこの町を散策してみるのも悪くない。

 幸一は南の方へと歩いていく。

地図などないが、困ったらタクシーを捕まえればいいだろう。適当に歩いて面白そうな店があれば、そこで一杯ひっかけよう。


 行った事の無いところへ行くワクワク感と明日は休みという開放感からか、幸一は上機嫌となり鼻歌を歌い始めた。

しばらく街の方にあるいていくと幸一は二人の男に絡まれた。小さな交差点で信号待ちをしている時だ。

「鼻歌の兄ちゃん、俺たちと一緒に面白いところ行かねぇか?」

 凄い勢いで肩を掴みに来たので、とっさに払いのける。

「いえ、結構です」

 最初は酔っ払いかといぶかしんだが、酒臭さはない。しかし、二人の男から妙な焦りを感じた。表情に余裕がないのだ。幸一は毅然とした態度をみせる。

「つれないこと言うなよぉ」

 男たちは再び幸一を捕まえようとする、しかし幸一は再び払いのけ、信号が青に変わった瞬間に思いっきり駆け出した。

 幸一は脚力にも自信がある。二人を一気に引き離す。しばらく走ったところで、後ろを振り返る。追ってきている気配はない。

「ったく、何だったんだ? せっかくの上気分が台無しだな」

 そのとき、朝刊の記事をふと思い出した。3人の若者が行方不明という記事だ。

「まさかねぇ、あんな間抜けそうな奴らが…」

 誘拐をしてるとは思えない。

そもそも、行方不明であって誘拐事件って決まってるわけではないのだ。

「今日はもう帰るか。興が冷めちまった」

 帰って散らかった部屋の掃除でもしようと思った。

「でも、ここどこだろ? 30分くらい彷徨い歩いてたからな」

 帰宅するには、まず自分の居場所と、自宅の方向を確認しなければならなかった。

 幸一は周りを見渡した。しかし、見える範囲には地図はなかった。

 少し歩きながら周りを見ていると、公園を見つけた。そこに犬の散歩をしているおばさんがいたので、道を尋ねてみる。

「すみません、御天町ってどっちの方向になりますかね?」

 自分の住んでる町がどこにあるか訊いてみる。

「あっち!」

 おばさんは小高い丘を指差した。

「あの丘を越えていけばすぐだよ」

 自宅の裏には丘があったが、裏側からみていたので全然気づかなかった。表と裏で様子がまるで異なる。

「ありがとうございます」

 幸一は親切なおばさんに礼を言う。ちょっとした運動にちょうどいい丘だと思った。いいトレーニングになる。

「トンネル暗いから気をつけて行きなさいね」

「分かりました。ありがとうございます」

 おばさんに別れを告げると、帰途に着く。小高い丘に向かう。

「トンネルがあるような口ぶりだったな。これか?」

 幸一はトンネルの前にたどり着いた。丘を貫いているわけではなく、丘の頂に向かっている様だ。

「とっとと抜けて帰るか」

 幸一はトンネルを進んでいく。オレンジ色のナトリウムランプを見ていると故郷のトンネルを思い出す。

「こんなトンネル、オレんちの近くにもあったなぁ」

 幸一はトンネルに足を踏み入れた。薄明かりの中をゆっくり歩いていく。壁の落書きなどを楽しみながら。

 トンネルの出口が見えてきたところで、背後から声が聞こえてきた。

 よ~く耳を澄まして聞くと、さっき絡んできた男たちの声だった。

「今日はいいのいなかったな」

「どの面下げて帰るよ?」

 その会話を聞いて、幸一は足を速めた。どうやらこちらの存在には気づいてないらしい。その間に引き離したい。

こいつら、人を誘拐してたのか? 真実がどちらにしろ、君子危うきに近づかずだな。

 もうすぐ、トンネルの出口だ。もうすぐ坂を登り終える。

 しかし、登り終えてトンネルを出たあと、幸一はさらなる光景を目にする。

 そこには十数人の男たちがたむろしていた。30から40歳くらいの男たちだ。夜の九時を回った時間に、こんな丘の上にこれだけの人がいるというのは異様な光景だった。しかも、どこかしらピリピリした空気がある。

(こんな奴らとも関わりたくはないな)

 幸一は男たちの溜まり場の脇をすり抜けようとする。しかし、そうは問屋が卸さない。

「おい、兄ちゃん。こんな夜更けにこんなところで何してるんだ?」

 幸一に気づいた男たちが、話しかける。3人の男が通せんぼした。

「帰宅しているところです。そこ、どけてもらえませんか」

 幸一は男たちを睨む。

「せっかくだから遊んでけば? さっきは断られたけど」

 幸一はうかつにも背後を取られてしまった。先ほど声をかけてきた男たちだ。トンネルを抜けて追いつかれてしまったようだ。

 振り向こうとするよりも先に、後頭部に鋭い痛みが走った。地面があっという間に近づいて、激突した。どうやら何かで殴られて倒れこんだらしい。

(う、動けねえ…)

 幸一は全身のしびれる様な感覚のまま、意識を失った。


「うぅ…」

 顔に当たるひんやりとした地面の感触の中、幸一は目を覚ます。幸一は地面にうつぶせに寝かされていた。腕の自由が利かない。後ろ手に縄で縛られているようだ。

「うぇ! ぷっ! ぷっ!」

 動いたときに土を食べてしまった。幸一がもがいたとき、頭から白いガーゼが落ちた。傷口に当てられていたらしく、血がにじんでいた。

「あ、気づいたんですね。大丈夫ですか?」

 若い女の子の声がした。幸一は周りの様子をうかがう。

どうやら、近くにいるのはその子だけらしい。幸一はその声に尋ねる。

「あんた誰? あ、俺は幸一ね」

「私、愛奈です」

「手当て…してくれたの?」

「ええ、そんなにひどい怪我ではないと思いますよ」

 愛奈は綺麗な別のガーゼを幸一の頭に当てる。

「痛つ! で、俺の状況は? 結構ピンチ?」

 愛奈は少し間を空けてから話し始めた。

「結構ピンチです。幸一さんは生贄に捧げられようとしています。鷹を神と崇めるカルト集団によって」

「端的ですげーわかりやすい説明。それと、起こしてくれる? すごい喋りにくいから」

 愛奈は幸一を起こしてうつ伏せの状態から胡坐をかかせた。

(お、なかなか可愛い娘じゃん。)

 幸一は愛奈の顔をマジマジと見る。大きい眼とすっと通った高い鼻の持ち主だ。

ここは小さな小屋のなかのようだ。

「ありがとう。で、愛奈ちゃんは敵? 味方?」

「私は味方ですよ」

「やったね。じゃあ、俺を助けてよ」

「いえ、助けてもらうのは私たちのほうです」

 愛奈はにこりと笑う。口元のえくぼが可愛いらしい。幸一はなぜ笑うのか「?」状態だった。

「え? どゆこと?」

「あなたは私たちを助けるためにここにきたのよ」

「は?」

「うちのおばあちゃんが言ってた。満月の夜に会う男は不思議なことを起こすって。それ、幸一のことだと思うの」

(なんか、どっかの家の言い伝えと似たようなことを。てか、早くも呼び捨て?)

 幸一は思わず苦笑してしまった。


「おい! 連れて来い。準備が整った」

 男の声がして、二人の男がやってきた。幸一を脇に抱えて持ち上げた。

そのまま小屋から引きずり出される。

 目が合ったときに愛奈が目配せする。どうやら助ける気は毛頭ないらしい。

 幸一は膝をつかされ、目の前に金の杯が置かれた。

「この杯をこいつの生き血で満たすのだ!!」

 ナイフを持った男が叫ぶ、周りの男たちは呼応するように雄たけびをあげた。

 男たちは円陣を組む。大きさ10メートルほどの円陣だ。その円陣の一部が割れ、一人の男が中央へと進み出た。

(なんだぁ!?)

 幸一は驚いた。進んできた男の腕には大きな鷹が乗っていた。動物園で見た鷹よりも2、3倍は大きい。

(鷹を神と崇めるって、象徴としてじゃなくて、実際の鷹かよ)

 こいつの生贄にされるのか? 俺は…。

 何かできることはないかと、考えをめぐらす。

 目の前の男はナイフを振り上げた。

(ここだ!)

 幸一は振り下ろされるナイフをかわし、男の懐に入り込む。

 腕の自由は利かないが、鳩尾に肩を強く打ちつける。

 男の息が一瞬とまり、後ろに2歩下がる。ナイフを落とした。

 幸一はナイフを踏んで固定し、後ろ手の縄を切った。

「この野郎ぉ~」

 男は鳩尾を押さえながら膝を落としてうずくまる。

その隙に、幸一はナイフを拾い上げる。

そのまま、鷹に投げつけた。

殺したり、傷つけたりするつもりは無い。動揺を誘い、逃げ出す隙を作りたかった。

ナイフは鷹に届くことはなく、空中で塵となった。音も無く。

「何ッ!」

 幸一は驚きの声を出していた。

 我ながら何て間抜けな声を出すんだ。

「申し訳ありません!」

 幸一を殺そうとしていた男が鷹に向き直って、許しを請う。その顔には驚くほど余裕が無く、怯えていた。

 次の瞬間、鷹の目が青い閃光を放ったかと思うと、男が地面に倒れこんだ。

 さっきのはやばい倒れ方だろ。

 幸一が男の様子を伺う。

「マジか………!!」

 幸一は絶句した。男は白目を剥いて絶命していた。周りの男たちがざわめき出す。

(あの鷹、無能な部下に制裁を与えたんだ!)

 鷹をチラリと見ると、目があった。

 一瞬で、幸一の足はすくんで動けなくなった。冷やかな汗が頬を伝う。

(次は俺だ……!)

 幸一の頭の中がもの凄い速度で回り始めた。どうやってこの状況を切り抜けるか。

どうする? とにかく、気をそらすんだ! どうする!?

 幸一は歌を唄った。

 昔、速見君と唄っていた歌を。

 なぜそんなことをしたのか幸一自身にも分からなかった。

 ドサァッ!

 次の瞬間の光景に幸一は目を疑った。

 鷹が大きく翼を広げたかと思うと、前のめりに倒れこんでそのまま地面に落ちた。

 周りの男たちのざわめきは混乱へと変わる。倒れこんだ鷹の周りに集まっていく。

「何が起きたんだ!」

「大丈夫ですか!?」

 と男たちが口々に叫ぶ。

(いまがチャンスじゃねぇか?)

 幸一はこの混乱に乗じて逃げ出そうとあとずさる。

 そのとき、背中に何かが当たって邪魔された。

 振り向くと愛奈だった。

 愛奈はさっと手を伸ばして幸一の手首を掴む。そして嘆願する。

「お願い、助けて欲しいの」

 えぇ!? こんなところすぐにでも立ち去りたいんだけど。

 そんな幸一の表情をを察したのか、愛奈は幸一の手をぎゅっと掴む。

「雄二を助けて!」

雄二だって?

 幸一はその名前に驚いた。

「わかった。行こう」

 そう返事をしていた。口をついて出た言葉だ。

「ありがとう…!」

 愛奈はその必死の形相から、表情を緩ませた。

 幸一も自分自身の決断に納得していた。直感が彼にそう決断させたのだ。

「こっちよ」

 愛奈が幸一の手を引っ張る。

「邪魔な男たちをどけちゃうわね」

 どうやって? 

幸一は愛奈を不思議そうに見た。

愛奈は大きく息を吸い込み…

「みんな! 警察よ! すぐに来るわ! すぐに隠れて!」

 男の一人が振り返る。

「しかし、教祖様が」

「雄二は私に任せて、それよりもあなた達は逃げて次の機会に備えなさい。倒れている男を頼みます」

 それからはあっという間だった。蜘蛛の子を散らすように男たちはいなくなってしまった。

「みんな、必死の表情だったぞ。なんか悪いことしたな」

「え? 全然だよ?」

 愛奈はふふっと鼻で笑う。

 怖い娘だなぁ。

 幸一はやれやれといった感じだ。

 幸一は愛奈に引っ張られて鷹の近くにしゃがんだ。

「気絶しちゃってるみたいだけど、息はあるようね。でも良くはないかも」

 もしかしたら、このまま目を覚まさないかも……

 嫌な思いを愛奈は振り払う。

「幸一、雄二を運んで」

 愛奈は、さっきまで幸一が捕まっていた小屋を指差す。

「わかった」

 幸一は鷹を抱えて小屋まで運んだ。

 愛奈が用意した毛布の上に鷹を降ろす。

「こっちに来て」

 愛奈は幸一の腕を引っ張る。

 幸一は小屋の壁の前に立たされた。

「なに?」

 幸一は愛奈の目を見る。

「この壁の向こうに何かあるわ」

「何か…ある?」

「そう、必要な何かがあるわ。何度か試してみたけど私では開けられなかった。何か特別な仕掛けがあるんだと思う。幸一なら開けられるかもしれないって思って…」

「分かった。やってみよう」

 幸一は壁をよく観察した。すると、壁に切れ目があることに気づく。とても薄くて見逃してしまいそうな切れ目だ。

「こいつは扉になってるみたいだな」

 問題はどうやって開けるか、だ。

「どこかにスイッチがありそうなもんだけどな」

 幸一は小屋のなかをくまなく探す。

「あ…」

 幸一は小屋の壁に不自然なスイッチを見つけた。

「これじゃねぇの?」

 幸一はスイッチを押してみる。

しかし、壁に反応はない。

「この部屋にそれらしいスイッチはそこだけ。でも反応しないの、全然ね」

「ふ~ん、じゃ、とりあえずバラすか」

 幸一はあたりを見回す。

「愛奈、俺のカバン知らない?」

 カバンの中には工具セットが入っているはずだ。出張で展示会に行ったときにもらったのがカバンに入れっぱなしだ。

「これよ」

 愛奈は、部屋のすみからカバンを取り出して、幸一に放り投げた。

「サンキュー」

 幸一は工具を取り出してスイッチを分解する。

「だいぶ古いな」

 配線が切れてた。昔は動いてたかも知れないが、いまの状態では無理だ。確かに、知識のない人間には修理は無理だろう。愛奈がどうしようもなかったのも分かる

 幸一は手直しをして元に戻す。

「これで動くだろ」

 幸一はスイッチを押す。扉が後退し、横にスライドした。

 その瞬間、よどんだ空気が噴き出してくる。

 愛奈は思いっきりむせてしまう。

「行きましょ」

 愛奈が幸一を促す。私について来い的な空気をかもし出す。

 扉の奥は地下に続く階段だった。

 懐中電灯を持ちながらゆっくり降りていく。

 階段が終わると、小さな部屋が現れた。

 暗くてよく見えないが、研究室のようだ。少し嫌な匂いがする。

「電気のスイッチないか?」

 幸一に言われ、愛奈は探す。

「あ、これっぽい」

 愛奈は見つけたスイッチを押す。部屋の蛍光灯に光が宿る。

「きゃぁぁあ!」

 幸一の耳元で愛奈は思いっきり悲鳴をあげた。

 あまりの音量に幸一は少しだけ意識が薄れた。

「なんだよ。心臓がちょっと止まったじゃんか」

「あれ……!」

 愛奈が指を差す。幸一はその先に視線を走らす。

「!!」

 白衣を着た男がミイラになっていた。当然、息はない。

 幸一は部屋を見渡す。カプセルやら何か怪しい実験機材が並んでいる。しかし、ひどい散らかりようだ。ガラス製のものはほとんどが割れて破片が床に飛び散ってるし、紙だって散乱してる。争いでもあったかのようだ。

白衣の男も突然倒れたって感じではない。争いでも起きて、そのときに殺されたのかもしれない。

「この男、ここで何かの研究やら実験をしていたのか」

 ここに鷹と関係するものがあるのだろうか。

「よく平気ね」

 愛奈は幸一に尋ねる。何事もなかったように部屋を動き回る幸一を見て思った。

こっちはまだ心臓がバクバクいってるのに。

「平気も何も、鷹を救ってくれって頼んだのは愛奈だろ」

 そうだった。あまりの出来事に頭から飛んでしまっていた。

「ごめん、ごめん。手伝うわ。何したらいい?」

「書類を集めてくれ。メモとか日誌なんかあればそれを優先的に。目を通したい」

「了解!」

 愛奈は散らかっている書類やファイルを集め始める。

 幸一は部屋の中をあちこち物色し始める。

 二人は無言で自分のことをしていたが、しばらくして幸一が口を開く。

「教えてくれ、愛奈」

「何?」

 愛奈が幸一を振り返る。

「手は止めなくていい。君のことを知りたい」

 愛奈は完全に動きを止めた。少しの間、考えて口を開いた。

「好みの男のタイプとか?」

「違うよ。面白いやつだな。鷹とかさっきの男たちとの関係だよ」

 なーんだ、といって愛奈は手を動かし始める。

「雄二には昔、助けてもらったことがあるの」

「助けてもらったって?」

「私、暴漢に襲われたことがあったの」

 あたし、美人だしって付け加える。

「怖くって抵抗できなかったわ。叫んでも誰も来なかった。あんな時間に一人で歩く私も悪かったんだけど」

「結局は何事もなかったんだろ? 助けてもらった」

「そう、これから人生最悪の時間が始まるんだって思ったとき、雄二が現れたの。羽音が聞こえたと思ったら、次の瞬間には暴漢の悲鳴が聞こえたわ」

「何が起こったんだ?」

「分からない。でも男は泡を吹いて気絶した」

「さっき俺を殺そうとした男と同じか」

「振り返ると大きな鷹がいたわ。『ありがとう』っていうと、鷹が地面に降りてきて『俺は雄二だ』って砂にくちばしで書いて飛んでいった」

 それから、鷹を探し出して、雄二の世話をするようになった事を話した。

「それじゃ、さっきの男たちは? 君とは無関係なのか?」

「ほぼ関係ない。お互いに干渉はしないわ」

「鷹との関係って知ってる?」

「彼らは流れ者よ。抗争に敗れたヤクザたちの生き残りたち。組長が殺されて、追っ手達から逃げるときに雄二に助けられたんだって。それから雄二のそばを離れようとしないの。力への憧れは信仰に変わり、それから狂気になっていったわ」

 なんて単純で分かりやすい流れだ。幸一は思わず苦笑いした。

「しばらくは平穏な日々が続いたわ。でも、それも終わりを告げるの。雄二の体調がおかしくなってきたの。いきなり鳴き出したり、苦しそうにしたり。病院に連れていっても駄目だったわ。原因不明」

 愛奈は肩を落として、首を横に振る。

「雄二の体調はどんどん悪くなっていったわ。そのとき、元ヤクザの連中の誰かが『生贄だ』って言い始めたの。そこから誘拐が始まったわ。私は止めたんだけど、彼らは思い込んだら言うことを聞かない」

 頭悪すぎなのよ、と愛奈はぼやく。

「私がこっそりと逃がしてるから誰も死んでないんだけどね。あいつらは『愛奈手作り 特製トマトジュース』で儀式してるわ。私は生贄担当だからどうとでも誤魔化せるの。おめでたい人たちよね」

 なかなか食えない奴!

 幸一は感心した。

「でも俺の時はそうしなかったんだな。殺されかけた」

「幸一は特別よ。私の直感がそういっていた。だから流れに逆らわなかった。結果的にまだ生きてるでしょ?」

 愛奈は腰に手を当てて胸を張る。そして『どうだ』って顔をする。

 直感。納得できるようなできないような変な気持ちだった。しかし、幸一も直感を大事にする人間だ。深く考えても無駄な気がした。

「ま、生きてるからいっか」

「そうそう」

 愛奈は『うんうん』とうなずく。自分で納得したようだ。

「で、こんなの見つけたけど」

 愛奈が幸一にファイルを手渡す。

「唐突に流れが変わるな」

「しょうがないでしょ。見つけたんだから」

 手渡されたファイルには『研究日誌 Vol.2』と書かれていた。

「お! これだ! やるじゃないか、愛奈!」

「当然でしょ」

 愛奈はそういいながらも、褒められて少しだけ照れた様子だった。

「Vol.1も探してくれ」

「わかったわ。幸一って意外と人使い荒いわね」

「よく言われる」

 よろしくぅって手を振って、幸一は研究日誌に目を通し始める。


○○年△△月××日

移植成功! 経過も良好だ。これからの研究が楽しみだ。

面白いものを手に入れた。

やはり、鷹の頭には鷹の体だろう。


10年前の日付だ。

(移植? この書き方だと、あの鷹のことだな)

 ここで行われたのだろうか。幸一はさらに読み進める。しばらくは小難しそうな考察が続く。幸一にも意味はあまり分からなかった。

 

 

○□年△○月□×日

超音波の能力を付加。ようやく、殺人兵器として物になった。テロ組織に高く売れるだろう。かなり無理な手術だ、あいつは長くはもたないだろうな。


9年前の日付だった。そして最後の日誌だった。

(殺人能力を付加だって? あの鷹はあの男が作り出した怪物ってわけか)

 幸一は部屋の隅で死んでいる白衣の男をチラリとみる。

(自分で作り出したものに殺されたのか。哀れなのか、めでたい奴なのか)

 幸一はそう推測した。実際、それは事実だった。白衣の男は鷹に殺されていた。

再び、幸一は研究日誌を見やる。

(『あいつは長くもたないだろう』…か。この事実は愛奈には残酷な事実かもしれないな)

 幸一はため息をつく。気持ちが重く沈んでいくのが分かる。

「幸一ぃ! Vol.1があったわよ!」

「いいタイミングだ。こっちによこしてくれ。研究日誌はこれで終わりだろ。他にメモなんかがないか探してくれ」

 愛奈がファイルを手渡す。


幸一はVol.1を開く。

×□年△□月□○日

何とかしてこの少年を救ってやりたい。しかし、頭が鷹に変わっていく奇病なんて聞いたことがない。どうやれば救える? どうやれば…

15年前の日付だ。

「??」

(鷹はもともと人間だったのか? それにこの男、助けようとしている?)

 幸一は日誌を読み進めていく。心に突き刺さる内容だった。

 人が狂っていく物語だった。

 死んだ白衣の男は頭が鷹のそれに変わっていく少年を引き取り、治療を始めた。

親から捨てられてしまった可哀相な少年だ。

しかし、白衣の男に成すすべは無かった。進行していく奇病、無力さを感じるしかなかった。

口が利けていた少年も、声帯を失い、鷹のように鳴くしか出来なくなっていった。

そんな状況を彼はどうしようもできない。苦悩が毎日つづられていた。孤独な戦いを強いられていた。

 失望が絶望に変わり、現実に耐えられなくなった彼は壊れてしまった。

 調査や治療はいつしか実験に変わり、治療の対象は研究の対象となっていた。

鷹の少年は途中から『T-1』と名づけられていた。そこからの実験は悲惨なものばかりだった。

 そして、生体兵器として利用することを思いついたところでVol.1は終わっていた。

(哀しい物語だな。人体実験なんてムナクソ悪くて人間のクズだが、同情の余地がないわけじゃない)

 幸一は研究日誌を閉じた。結局、鷹の少年の本名はどこにも書かれていなかった。

「幸一…」

 愛奈が幸一の背中で名前を呼んだ。とてもか細い声で。

 驚いて幸一は飛び上がった。頭の中でここでの出来事をつなげていたので、めちゃくちゃビックリした。

「助ける方法、分かった?」

 愛奈は哀しそうな目で幸一を見つめる。

 幸一は言葉に詰まった。『長くはもたないだろう』日誌にはそう書かれていた。この事実は愛奈には重いのではないか。鷹は一緒に時間を過ごした存在だ。

「……残念だけど見つからなかった。そんなに長く生きられないみたい」

 幸一は事実を伝えた。

「そう…」

 愛奈は小さくつぶやいた。そして、肩を落とし、頭を垂れて動かなくなった。

 幸一は少し困ってしまった。そして、ここでの出来事を愛奈に伝える決心をした。

「あの鷹は元々は人間……」

「そんなことはどうだっていいわ!」

 愛奈は幸一の言葉をさえぎって幸一を抱きしめた。か細い腕で力いっぱい。

 愛奈はすっかり落ち着きをなくしていた。何かあったのだろうか。

「おい! しっかりしてくれ。小屋に戻ろう、それから考えよう」

 幸一は愛奈の背中を優しくさする。

 愛奈の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。愛奈は幸一から離れ、涙をぬぐった。

「こんなの見つけたの。読んじゃった」

 愛奈は一つのファイルを幸一に差し出す。

 研究日誌Vol.0と書かれていた。

 幸一はファイルを受け取る。そして開いた。

「……これは……! 速水君じゃないか…!」

 幸一の手からファイルが滑り落ちる。それを待たずして幸一の絶叫のような泣き声が部屋中に響いた。そしてファイルからは幸一の幼馴染みである速見雄二の子供の頃の写真が滑り落ちていた。

「なんでこんな事になってんだよぉおおお!」

 幸一は膝から崩れ落ちていた。愛奈はとっさに支える。その愛奈の顔に幸一の熱い涙が落ちていく。愛奈は幸一をぎゅっと抱きしめる。

 すべての事実がつながった。

「病気になってから、ずっと幸一に会いたがっていたわ。曽我部幸一ってあなたでしょ」

 幸一は大声で泣いた。

 鷹の少年の正体は会いたがっていた親友の速水君だった。そして、彼を救うことは出来ない。

「きゃ!」

 幸一は突然立ち上がった。その拍子に愛奈は尻餅をついた。

「すまない」

 幸一は愛奈の手を引っ張って起こした。そして愛奈を抱えて全速力で階段を登っていく。

 ただ泣いている場合ではなかった。少しでも長い時間を速見君と過ごさなければ。

「速水君!」

 小屋に戻った幸一は意識を失ったままの速水雄二を抱きしめた。

「つらかったろう。苦しかったろう。でもよく生きててくれた。だから、頼むからもう一度! 目を開けてくれよ!」

 幸一は涙でくしゃくしゃの顔を雄二に擦り付ける。

 幸一の願いが通じたのか、雄二が幸一の腕の中で動いた。

「速水君! 幸一だ! 曽我部幸一だよ! 分かるかい!!」

 雄二は頭を起こし、幸一をまっすぐ見つめる。

 あぎゃ…

 小さく、弱々しく雄二は鳴いた。

「あぎゃって何だよ」

 幸一は笑った。それしか鳴けないのは分かっていたが、それでも可笑しかった。

雄二の目は険しさがとれ、幸一と同じ優しい目になっていた。

幸一は喋りだした。昔の思い出を。

幸一は唄った。懐かしいあの歌を。

幸一には分かっていた。雄二の命がいまにも燃え尽きそうなのを。この時間は天からもらった奇跡の時間だということを。

 幸一はまばたきさえもしたくなかった。ほんの一瞬でも長く、生きている彼をみていたかった。

 愛奈も二人を抱きしめた。優しく、この二人の友情を見守りたい。

 しかし、奇跡の時間にも終わりが訪れる。

 雄二の体が、痙攣しはじめた。幸一と愛奈は覚悟を決めるしかなかった。

 雄二は痙攣する体で、頭を動かした。幸一の腕の中で力を振り絞る。

 そして、力尽きた。

 残された二人は無言だった。それぞれに思いをかみ締める。二人は抱き合ったまましばらく動かなかった。

 長い時間が経ち、涙が名残惜しそうにとまる。

「埋めてやらなきゃな、速水君」

 幸一が立ち上がった。

 その顔はとてもすっきりしていた。

 涙が枯れるまで泣き、すっきりしたようだ。

「そうね、行きましょ」

 愛奈も立ち上がる。

 雄二を抱えて小屋をでる。

「最期にこんな言葉を遺していったよ」

 幸一は右腕を愛奈にみせる。

 雄二のクチバシに擦られた部分が赤くなっていた。

『会えてよかった ありがとう』

 幸一もそう思う。この人生で雄二に会えたことは幸一にとって素晴らしいことだ。

 雄二との思い出が蘇る。昨日の事のように感じられる。

「あたしも会えてよかったよ」

 愛奈は雄二を優しくなでる。

 

 雄二を埋めて弔ったころ、山の切れ端から朝日が差し込んできた。

「大変な一日だったな」

 幸一はぼそりとつぶやく。

「同感」

 愛奈もうなずく。

「あたし、おなかすいちゃった。ご飯たべにいこう」

 愛奈が幸一の手を引っ張る。

「ぇえ~。俺、帰って寝たいんだけど」

「いいじゃん! どうせ今日は休みなんでしょ!」

「なんで知ってるんだ!?」

「気絶してるときに寝言で言ってたわ」

「うーむ…」

 幸一は頭を抱えた。

「行こうよ。雄二の人生に乾杯しなきゃ駄目でしょ! 彼の生きてきた道みちのりに! 会えたことを神様に感謝しなくちゃ!」

「朝から飲む気かよ!」

 幸一は大きくため息をついた。

「分かった。行くよ」

「そうこなくっちゃ! お化粧直してくるね!」

 愛奈は駆け足で小屋に入っていく。

 そして、ひょっこりと顔を出す。

「逃げるなよぉ~。色んな意味で。ふふ…」

 そして、顔を引っ込めた。

「やれやれだね。厄介なのに目をつけられた。『8月の満月の日には不思議なことが起こる』ってホントだったな。もう日は変わってるけど」

 幸一は大きく伸びをした。太陽の光を体一杯に浴びる。今日も暑くなりそうだ。

「お待たせ!」

 愛奈が幸一のわき腹に軽くパンチする。

「そんじゃあ行くかぁ」

「ぉおう! ってメイクばっちりな私にコメントはない訳!?」

「大変に神々しゅうございます」

「よく分かってるじゃん!」

「それより、この時間ってさすがに居酒屋はやってねぇぞ」

「は? 幸一の部屋で飲むに決まってんじゃん!」

 あ…悪夢だ。

「丘を下ってタクシー拾うよ!」

 幸一は愛奈に手を引かれて丘を下っていった。足取りはやや重い。


死に際に間に合った。ただそれだけの話。


終わり!

 






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