死神キッズ
その日、ぼくは、入院中の祖母を見舞うため、母と病院に行った。
ここには、何度か来たことはあったけど、今日はいつもと雰囲気が違っているように感じたのは、ぼくの気のせいだろうか。
ぼくたちは、エレベーターに乗り、十二階の祖母の病室に向かった。
部屋に入って、ベッドで横になっている祖母の顔を見た瞬間、ぼくはいやな予感がした。
顔は土気色で、頬はやせこけ、元気な頃とは全く別人のようだ。これが死相というものだろうか。
ふと部屋の奥の窓際に目をやると5、6歳くらいの男の子が立っていた。親戚にこんな子はいなかったはずだ。誰だろう?蝶ネクタイにスーツ、おさない顔に不釣り合いな服装。まるで、七五三の写真撮影のようだ。
母は、その子のことなど気にすることなくベッドの側に行き、祖母に話しかけた。
「お母さん、気分はどう?今日は仁志も来てるわよ。」
祖母は、うつろな目をぼくとは反対側の窓の方に向けて、
「よく来てくれたねえ。仁志」と言った。
さっきからそこに立っている男の子をぼくと勘違いしているようだ。
「お母さん、仁志はこっちですよ。ほら、仁志もおばあさんによーく顔を見せてあげなさい」
そう言って母がぼくの腕をとり、ぐいっとベッドの脇に近づけた。一瞬、ぼくと男の子の目があった。
「君には見えているんだね」
妙に大人びた口調で男の子が言った。
「えっ」
男の子の言葉の意味がよく分からなかった。
「まあ、いいか。たまにそんな人間もいるからな」
男の子は、にっこり微笑むと霧が晴れるようにすうーっと消えてしまった。
「うわっ」
ぼくは、驚きのあまり思わず声を上げて、のけぞるように転んでしまった。
「仁志、びっくりするじゃない、いきなり大きな声を出して」
母が、あきれたように言った。
「あそこにいた男の子が、急に消えたんだ」
ぼくは、窓際を指して言い訳した。
「男の子?おかしな事を言うわねえ。ここには、おばあさんとわたし、それにあなたの他には誰もいないわよ」
母には見えていなかったんだ。ということは・・・。さっきの男の子は幽霊?ぼくは背筋が冷たくなるのを感じた。
これが、ぼく立浪仁志と彼との初めての出会いだった。
数日後、祖母の容態が急変したと連絡があった。明け方近くだったので支度に手間取ってしまった。両親と病院に駆けつけたとき、病室から出て行くお医者さんに
「この度は、ご愁傷様です」と頭を下げられた。一足遅かった。
まるで眠っているかのようにベッドに横たわる祖母。沈痛な面持ちで、かたわらにたたずむ叔父たち。ハンカチを目にあて、涙をぬぐう叔母たち。
「お母さん・・・」
母はベッドに駆け寄り、祖母の手をしっかりと握りしめた。そして、そのまま祖母の亡骸にすがって泣き崩れた。
その時ぼくは見た。この前の男の子が、ベッドの端っこにちょこんと腰掛けて、微笑んでいる。ぼく以外誰も男の子に気付いていない。何なんだ、こいつは。どうしてぼくにしか見えないんだ。
不意に静寂に包まれた。母の泣き声も他の物音も全く聞こえない。周りのものすべてが動きを止めていた。室内の空気が冷たく感じられた。
「怖がらなくていいよ。今は、君には何もしないから」
ぼくの心の内を見透かしたように男の子が言った。頭に直接響いてくるような声。誰かに助けを求めようと周りを見回した。しかし、周りの人たちは皆、金縛りにあったように固まっていた。
「気にすることはない。君と話をしたくて少し時間を止めただけだから。そういえば、自己紹介がまだだったね」
言い終わった瞬間、男の子は、ぼくの目の前に立っていた。
「わたしは、君たちの概念でいうと死神と呼ばれる存在かな。よろしく」
男の子が右手を差し出した。ぼくは気味が悪くて、その手をとるのをためらった。
「死神?」
「そう、正真正銘の死神」
死神と言われて、ぼくはドクロの顔に大カマを持っている不気味な姿を想像した。でも、ぼくの前にいるのは、どう見ても幼児にしか見えない、あどけない表情の男の子だ。
「そうか、君はそんな姿を想像していたんだね。ドクロの顔に、大きなカマなんてのは、もう流行らないよ」
まるで、ぼくの思っていることが分かっているみたいな言い方だ。
「そうだよ。我々死神は、人の心を読むことができるんだ。いわゆるテレパシーのようなものだね。我々が、こん
な姿をしているのには訳があってね。この姿の方がいろいろと都合がいいんだよ。ごく稀に君のように我々を見ることができる人間がいるものでね。幼児に警戒心を抱く者はあまりいないだろう。それに年寄りは総じて子ども好きだし、子どもにとっても自分と同年齢か、幼い子どもに対しては心を許しやすい。だから我々のことを怖がらなくてすむ。安らかに冥界にお連れすることができるんだよ」
死神は上着の内ポケットから取り出した懐中時計に目をやり、言った。
「おや、もうこんな時間か。つい長話をしてしまった。行かなければならない」
「どこへ?」
「もちろん、冥界だよ。君のおばあさんを無事お連れしなければ」
死神が祖母にすっと手を差し出すと、祖母が起きあがった。いや、実際には、祖母の体はベッドに横たわったままだ。
死神の横に立った祖母が、ぼくの方を見てにっこり微笑んだ。そして、身体がしだいに透けて、消えてしまった。死神もいっしょに消えた。同時に母のむせび泣く声が聞こえてきた。止まっていた時間が動き出したらしい。
祖母の死後、ときどき街中で死神を見かけるようになった。いっしょにいる人は、ほとんどが老人だったが、若い人や幼い子どももいた。
そんなある日、コンビニに買い物に行ったときのこと。
そこで、母親と子ども三人連れの親子を見かけた。小学校二年生くらいのお兄ちゃんと幼稚園くらいの弟が二人。弟の一人は店内を走り回って騒いでいた。ぼくは、こんな所で迷惑だなと思ったが、母親は、おかまいなしに買い物をしていた。
もう一人の弟は、兄弟の様子をさめた目でじっと見ていた。七五三のようなスーツを着た男の子。まさか。気になって見ていると、その子の体を母親が、すうっと通り抜けた。間違いない、死神だ。ぼくは死神と目が合わないように視線をそらした。
死神は、誰に憑いているのだろう。母親かな?兄弟のどちらかかな?
母親が支払いをすませると、お兄ちゃんがレジ袋から目当てのお菓子を取り出し、店内から外へと駆けていった。追いかけるように弟も飛び出した。
「キーッ」
ブレーキ音に続いて、
「ドン」
と何かがぶつかったようなにぶい音。
あわてて外に出てみると、道路に人だかりができていた。ぼくは恐る恐る人だかりに近づいていった。
そこには、ぐったりと横たわるお兄ちゃんの姿があった。誰かが一生懸命心臓マッサージをしている。
倒れたお兄ちゃんの側には死神が立っていた。死神がすっと手を差し出すと、お兄ちゃんが起きあがった。魂が身体から抜け出したんだ。お兄ちゃんの魂は、死神と一緒に消えていった。その一瞬、ぼくに向けられた死神の冷たい視線を感じた。
事故を目の当たりにしてショックを受けたけど、しょせん人ごと。自分には関係ないことと、あまり気にしていなかった。
だけど、自分の身近な人が亡くなるとしたら・・・。その事実を自分があらかじめ知っているとしたら、事情は違ってくる。
それは夏休み前日の終業式の日。学校でのことだった。
「おはよう」
「おはよう」
友達とあいさつを交わして教室に入っていく。いつもと変わらない朝の光景、のはずだった。だけどその日は違っていた。同級生の鈴木達也君、たっちゃんの後ろに見覚えのある幼児がいた。しかも、ぼく以外誰もその子の存在に気付いていない。死神だ。死神と目が合ったとたん冷気がぼくを包み、時間が止まった。
「君、また会ったね」
「何で、死神がここにいるんだ」
「仕事に決まっているじゃないか」
「まさか、たっちゃんが?もうすぐ死ぬってこと?」
「さあどうかな」
死神が皮肉な笑いを浮かべた。
「なんで?たっちゃんは、まだ子どもだろう。なんで死ななきゃいけないんだよ」
「子どもだって死を免れないこともある。老人が先に死ぬとは限らないだろう」
「そんな、むちゃな」
「むちゃなもんか。それが運命というものだ」
「たっちゃんは、いつ、どうして死ぬんだ」
「そんなことは、教えられないね。企業秘密ってやつさ。おっと、話が長くなるといけない。この辺で失敬しよう」
死神が消えると止まっていた時間が動き出した。
このことは誰にも話さなかった。いや、話せなかったという方が正しい。死神が見えるなんて言っても信じてもらえないだろう。まして、もうすぐ死ぬかもしれないなんて言われたら誰でもいい気はしない。きもいやつと思われて嫌われるのもいやだった。
その数日後、夏休みに入ってまもなく、たっちゃんは、海で溺れて亡くなった。
仲のよかった友達の突然の死。もし、ぼくが勇気を出して一言忠告していたら、たっちゃんは亡くならなかったかもしれない。
死神に憑かれた人たちは、みんな必ず、冥界に旅立つ運命なのだろうか。死期が迫っていることが、事前に分かっているのだから、ぼくにどうにかできたのではないだろうか。何もできなかった自分をふがいなく思った。後悔の念でぼくの心は、うずいた。
そんなとき、たまたま通ったパチンコ店の駐車場でのこと。
真夏の昼下がり。気温は三十度を軽く超えていた。広い駐車場に転々と止まっている車。白い軽自動車の横にぽつんと立っている子ども。死神だ。胸騒ぎをおぼえたぼくは、側に行って車内をのぞき込んだ。
赤ちゃんが助手席でぐったりしている。ドアには鍵が掛かっていて、窓も閉まっている。エンジンが止まっていたので、室内は蒸し風呂状態だ。このまま放っておいたら赤ちゃんの命が危ない。すぐ誰かに知らせに行かなきゃと思ったときだった。
「余計なまねはするな!」と、頭の中で声が響いた。はっとして後ろを見ると、死神がぼくをにらんでいた。何かされるんじゃないかと身構えたが、死神はそのまま消えてしまった。
どうしよう。一瞬迷ったが、ぼくは意を決してパチンコ店に駆け込んだ。店内にい女性店員さんに事情を説明して、軽自動車まで案内した。店員さんは車のナンバーを確認すると、店内に駆けもどり、放送で車の持ち主に呼びかけた。一分一秒を争う状況だ。早く持ち主が来ないかと、ぼくは、いらいらしながら車の側で待っていた。
すぐに、お母さんらしき女性が血相を変えて走ってきた。助け出された赤ちゃんは、すでに意識がもうろうとしていた。誰かが氷を持ってきて、赤ちゃんの身体を冷やした。みんなで救急車が到着するまで必死に介抱した。
そのとき、ぞくっとするような寒気を感じ、時間が止まった。
「わたしの仕事の邪魔をしてくれたね。まあ、わたしもそんなに勤勉ではないのだが」
「ぼくに何か罰を与えるの?」
「いや、そんなことはしないさ。むしろ、煩わしい手間が省けたと君に感謝すべきかも・・・」
死神は皮肉な笑いを浮かべると、すうっと消えてしまった。
その後、病院に運ばれた赤ちゃんは、かろうじて一命を取り留めたということだった。ぼくは、それを聞いてほっと胸をなでおろした。ぼくが行動を起こしたことで一つの命が救われたのだ。
今回は、たまたま命を救うことができたけど、いつもそううまくいくとは限らない。死神が憑いた人を見かけても、いつ、どこで、どんな死に方をするか分からない。もし、分かったとしても、見ず知らずの人に声を掛けるなんてできっこない。それに、ぼくがいきなり「あなたに死神が憑いていますよ」って言っても、「変なやつだな。こいつ頭がおかしいんじゃないか」なんて思われて相手にされないだろう。死期が迫っていることを知りながら何もできない自分がもどかしかった。
そんなやるかたない日々を過ごしていたある日。
ぼくは遮断棒が下りた踏切の前で列車が通過するのを待っていた。ぼくの前にいたおじさんに、黒い影がすうっと近づき、そのまま身体の中に入っていった。
すると、おじさんは、ふらふらとおぼつかない足取りで踏切に向かって歩き出した。遮断棒をくぐって線路に入っていこうとしている。周りにいる人は皆、スマホに夢中で気付いていない。
「あぶない!」
叫んだが反応はない。
警報機が早鐘を打って鳴り響いている。すぐにでも列車がやってくるだろう。その間に、おじさんは線路に入っていった。どうしよう。警報機の下の非常ボタンが目にとまった。ぼくは急いで非常ボタンを押した。
幸い踏切が駅から近くて、列車のスピードがあまり出ていなかったので、おじさんの手前でなんとか無事に列車は停車した。
おじさんに憑いていた黒い影は、いつの間にか消えていた。
ほっと安心したその時、時間が止まった。
「何だよ。また仕事の邪魔をしたって、文句を言いたいの?」
「いや、その逆だ。君のおかげで助かったよ」
「えっ」
ぼくは、死神の予期せぬ言葉に面食らった。
「あの男は、まだ死ぬ運命ではなかった。君にも見えただろう、やつに憑いた悪霊が。やつには、ここで自殺した亡者が取り憑いていたんだ。孤独な亡者が仲間を求め人間を殺害しようとしたんだ。我々の役目は、現世への未練を断ち切って、無事に魂を冥界に送り届けることだ。しかし、自分が死んでいることを自覚していない魂や、現世に未練を残した魂は、やっかいなものでね。我々の導きを拒否して、現世にとどまってしまうんだ。特に強い怨念を抱いている輩は始末が悪い。そいつらが悪霊となって、現世の人間に悪さをする。
悪霊は、人の心の弱みや心のすきまにつけ込み、不安や恨み、妬み、怒りなどの負の感情を増大し、巧みに人を操るのだ。憑依した人間を死にいたらしめる場合もあれば、他の人間を死に追いやる場合もある。
今の時代、大人は、いや!大人だけでなく子どもも皆、何かしらストレスを抱えている。
ほとんどの者は、スポーツや音楽鑑賞、食事や旅行など、自分が楽しいと思える趣味や娯楽を見つけて解消している。だが、中には他人を攻撃する、つまり、いじめることでストレスを発散する者もいる。いわゆる、パワハラ、セクハラ、モラハラなどいろいろなハラスメントがこれに該当する。ハラスメントを行う者が、悪霊に取り憑かれている場合もある。そんな輩は、相手を執拗に責め立て、あげくの果てに死に追い込むのだ。
悪霊によってもたらされる死は想定外のため、魂を冥界に導くことができない。現世に残った魂は、成仏することがかなわず、永遠に現世をさまようことになるのだ。中には悪霊になるものもいる。残念ながら、我々は現世の事象に直接関与する事は許されていない。だから、それを阻止することが出来ない。まったく頭の痛い問題だよ。そこで、君に頼みがあるのだが」
「なっ、なんだよ」
「そんなに警戒する必要はない。何も取って食おうというわけではない。君には特異な能力がある。我々死神とこうして会話ができるし、悪霊を見ることもできる。君のその力を貸して欲しいのだ。我々に変わって、悪霊と化した迷える魂を冥界に送る、すなわち成仏させる仕事を頼みたい」
「ぼくが・・・」
突然のことでぼくは、呆気にとられて言葉につまった。
「そんなこと、できるわけないよ」
「そんなに難しいことではない。君には強力な助っ人をつけてやろう」
ぼくは死神に手のひらサイズのマスコット人形を渡された。
「何これ。ライオン?」
「邪気を祓う守護霊獣狛犬だ。君を守ってくれる強い味方だ。 それから、ことわっておくが、これは決定事項だ。君に拒否権はない!」
死神にきっぱりと言われ、強制的に依頼を引き受けさせられた。
特に変わったこともなく平穏な日々が過ぎた数日後の夕方。
塾からの帰り道、橋の上を歩いていると、歩道にたたずみ思い詰めたような顔つきで川面を見つめている女性がいた。真っ黒な霊気が彼女の全身を包んでいた。ぼくは少し離れた所から女性の様子をうかがっていた。すると女性は、欄干から上半身を乗り出した。ぼくは、とっさに駆けより、女性の腰をつかんで歩道に引き戻した。
「邪魔をするな!」
女性は荒々しい男性の声で叫び、足を突っ張って、ぼくを後ろに押しのけた。転んでしりもちをつくぼく。
再び女性が欄干を越えようとしている。急いでズボンのポケットからマスコットを取り出し、女性に向けた。
マスコットの目が赤く輝き、ライオンくらいの大きさの狛犬が現れた。
狛犬は「ガオーッ」と、ひと鳴き。女性の体から吹き出る黒煙のような霊気を、大きく開いた口で、ぐんぐん吸い込んでいく。そして、あっという間にすべての霊気を吸い尽くし、姿を消した。
正気に戻った女性は、地べたにへたり込むぼくには目もくれず、何事もなかったかのように平然と歩き去っていった。
ふと気が付くと、起き上がったぼくの隣に死神が立っていた。
「あの人、大丈夫かな」
「心配には及ばない。悪霊が祓われたから、二度と自殺などという愚かな行為はしないだろう。それに、そもそも憑依されていたときの記憶がないのだから、自分が自殺しようとしたなどとは、夢にも思わないだろう」
「狛犬が吸い込んだ魂は、どうなったの?」
「冥界に送られ、成仏したよ」
それを聞いて、ぼくは安心した。
それから数日後、再びぼくは、悪霊に遭遇することになった。
黒い影をまとった男が、コンビニに入っていくのを見かけた。ぼくも後を追ってコンビニに入った。平日の午後、他に客はいない。
棚の陰に隠れて、様子をうかがっていると、男はレジの前に立ち、紙袋から取り出した包丁を男性店員に突きつけた。紙袋を店員に渡し、中に金を詰めるよう要求しているようだ。 目がつり上がり、異常に興奮している。明らかに悪霊に操られている。まごついている店員に、いらついた男は、包丁を振り上げて、「さっさと、金をよこせ」と、今にも店員に斬りかかりそうな剣幕で怒鳴った。
ぼくは棚の陰から飛び出し、マスコットを握った両手を男に向けて突き出した。
たちまち大きな狛犬が男の前に現れ、「ガオー」と、ひと鳴き。黒くよどんだ霊気が、狛犬の口に吸い込まれていく。
男は苦しそうにもがいていたが、やがて、意識を失ってばたりと倒れた。
その後、男は店員に取り押さえられ、警察に引き渡された。
「あの人、警察に捕まってかわいそうだな。何も覚えてないんでしょ。記憶がなくても罪になるのかな」
「だろうな。悪霊に操られていたなどと言っても、裁判では認められんからな」
この事件の後、近所でおかしな事件というか、事故が多発した。
集団登校していた児童の列に、自動車が突っ込んだり、暴走車が赤信号を無視して交差点に進入したりして、多くの死傷者が出た。
運転手は皆、事故当時の意識がなく、事故の原因は、居眠り運転や脇見運転、操縦ミスとされた。同じような事故が何件も立て続けに発生したことも、たまたま偶然が重なっただけにすぎないと見なされ、世間の人々は、誰ひとり(ぼくを除いて)事態の深刻さを理解していなかった。
「最近続いている事故は、悪霊の仕業に違いない。だけど、いくらぼくに特異な能力や悪霊を祓う狛犬のマスコットがあったって、ぼくのいない場所で起こる事件や事故を未然に防ぐことなんてできないよ。事故が起こる時刻と場所を特定できないの?」
最近、ちょくちょくぼくの前に姿を現すようになった死神に愚痴をこぼした。死神は素っ気なく言った。
「無理だな。悪霊の行動を把握するのは不可能だ」
いつも突然現れては、突然消えていた死神が、なぜ、度々現れるようになったのか、その理由をたずねると、
「なに、ほんの気まぐれだよ。君に興味がわいてきたものでね。少し観察させてもらおうと思って」と、曖昧な答えが返ってきた。ぼくは死神が何かを隠していると直感した。
この後、思いがけなく、この未解決事件を解決することができた。
家で宿題をしているとき、激しい衝突音が聞こえた。二階の窓からのぞくと、ちょうど自動車が、隣の家のプロック塀にぶつかったところだった。
ぼくは急いで現場に駆けつけた。ボンネットが、ぐしゃぐしゃにつぶれた車から、運転手の男がドアを開けて出てきた。怪我は、たいしたことなさそうだが、少し足取りがおぼつかない。男の身体から黒い影が、ゆっくりと離れていく。
「まずい!」
ぼくは、急いでマスコットを取り出した。 現れた狛犬ににらまれて、男は金縛りにあったように体を硬直した。男の体から離れようとしていた悪霊も動きを止めた。
狛犬が大きく口を開けた。
「ガオー」
「おれには、まだやりたいことがある。この世でもっと、もっと暴れてやるんだ。ぐぐぐぐ~」
必死に抵抗する悪霊。
「ガオー」
狛犬が、もうひと鳴き。男にまとわりついた霊気を引き離し、全てを飲み込んだ。無事冥界送りが完了。
これ以後、不可解な事故や事件はなくなった。この界隈の悪霊は、すべて成仏させることができたのではないかな。ぼくのお手柄だと、自画自賛した。
平和な日常が戻ってきたと、思っていた。だが、そう上手くいかないのがこの世の常。
ぼくは、うすうす気付いていた。自分の死が近いことを。死神は、本当のことを話してはくれないが、ぼくには分かる。
「この前聞いたよね。なんで死神が、度々ぼくの前に現れるのかって。本当はぼく、分かってるんだ。ぼくの死期が近いってこと?・・・ごまかしたって無駄だよ。正直に答えてよ」
黙って聞いていた死神が、重い口を開いた。
「君が、とっくに気付いてたことは、承知していたよ。ときどき、ふさぎ込んでいることがあった。ずっと悩んでいたんだろ。そうやって悩んでいたってしようがない。考えようによっては、死期が近いことが分かってるってことは、思い残すことがないように準備できるチャンスを与えられたということだ。長い旅行に行くみたいに気楽にやれるものじゃないとは思うがな」
「こうやってはっきり言われるとやっぱりショックだね。人には知らなくていいこともあるんだって、初めて分かった気がする。ところで、ぼくは、いつ、どこで、どんな死に方をするの?」
「それは、企業秘密で教えられないと言ったはずだ」
「そんなの、ずるいよ。まるで大人の言い草だね」
こらえきれず涙があふれ出た。
「こう見えて、わたしは数百年存在しているものでね」
そう言うと、死神は消えてしまった。
一週間が過ぎた。
ぼくは、自分の死をなるべく意識しないように、残された一日一日を精一杯生きようと努力した。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい。気を付けて」
いつもと変わらぬ日常。これこそが一番かけがえのない大切な時なんだと、今になってしみじみ思う。
交差点で信号待ちをしているとき、ぼくは体操服がないことに気付いた。家を出るときは確かに持っていたはずなのに。
急いで家まで取りに戻ろうと駆けだした。
交差点から十数メートル離れたとき、すぐ後ろで「キーッ、ガシャーン」という大きな音がした。
振り返ると、トラックが信号機にぶつかり横転していた。さっきまで、ぼくが立っていた場所だ。唖然と立ちつくすぼくの前に死神が現れた。
「ぼくを助けてくれたんだね。どうして?」
「前にも言っただろ。ほんの気まぐれってやつさ。未来は不確定要素が多くて、一つに限定されたものではない。いくつもの選択肢から選ばれた一つの現実でしかない。ちょっとした偶然で変わってしまうこともある。
医学の進歩ってのも困りもんでね。我々の予定をくつがえすことだってある。以前なら亡くなってた人間が、けろっと元気になってしまうんだから。そんなふうに人ひとりの運命なんて、ほんの些細なことで変わるんだ。それが、気まぐれだったとしてもね。
君とは、しばらくお別れだ。今度会うのは、五十年後か六十年後か。もっと先になるか。まあ、その時がくれば分かるさ。その時を楽しみにしてるよ」
この日から、今まで死神には会っていない。大人になってからは、死神や悪霊を見ることもなくなった。狛犬のマスコットは、知らないうちになくなっていた。
ぼくは12歳で死ぬ運命だった。スピードを出し過ぎたトラックが、カーブを曲がりきれず横転し、信号待ちをしていたぼくにぶつかって死ぬはずだった。
でも、ぼくは生きている。死神が体操服を隠し、ぼくを助けたのは、本当にただの気まぐれだったのだろうか。なぜ死神が、柄にもなく仏心を起こしたのか、今となっては知るよしもない。




