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8.

 ・1月16日


 谷川に呼び止められたのは、そんな日々の中の出来事だった。


「おい、峰」


 廊下を一人で歩いている時、奴は俺を呼び止めた。

 いかにも不機嫌そうな声色であり、ストレス発散が目的で俺を呼び止めたのが見え見えだ。


「…なんすか?」

「お前なぁ、その態度もそうだが、服装はなんとかならんのか!

 ネクタイもズボンもちゃんと真上まで締めろ!

 あと指定のベルトで登校しろ! ピアスも禁止だ!」

「それ、他の生徒にも言ってんなら別にいいんですけど。

 澁谷とかノータイでアクセジャラジャラでも構わないんですか?」

「あ、あいつは…別にいいんだ。

 というか、そういう態度で教師に反抗するな!

 お前や田原や朴は素行が悪いから、特に注意しないといけないんだよ!」

「澁谷たちの方が、何倍も素行悪いと思うんですけど」

「う、うるさい! とにかく、その反抗的な態度はよせ!

 俺だけならともかく、社会に出たらやっていけないぞ‼︎

 お前のためを思って言っているんだからな!」


 お前のためを思って言っている。

 親や先公がよく口にする言葉だが、俺はその言葉自体も嫌いだし、口にする奴がことごとく大嫌いだった。

 そんな奴に限って、大抵自分の思い通りにならない事への苛立ちをぶつけているだけだし、大抵の場合言う通りにしなくてもいい事だ。

 今回の服装の件にしてもそうだ。

 俺は別にこれで給料をもらっているわけでも、冠婚葬祭に出席するわけでもない。

 なら俺たちにだってルールを自己解釈する余地はあるはずである。


「なら通信簿にでも書きますか?

 別にダブりも学校クビも、いっそどうでもいいんですけど」

「な、何⁉︎」

「そんじゃ」







「マジで最悪だぜ、谷川の野郎」


 今日あった出来事を、早速俺は葵に愚痴っていた。


「へー、あんまり印象よくないね、その先生」

「あんまりどころじゃねーよ。ガハラにはいないか? ムカつく先公」


 個人的には、葵が教師陣をどう思っているのか、少し気になるところではあった。

 しかし彼女の回答は、少し意外なものであった。


「んー、特にいないかな。真面目不真面目はあるかもしれないけど」

「そんなもんか」

「まあね、先生もいろいろ事情がある場合が多いし…」

「お人好しだな、葵は」

「そーかな?

 まあでも、ちゃんと学校はできる限り卒業したほうがいいよ」

「なんだよ、先公みたいなこと言うなよ」

「まぁまぁ、行きたくても行けない人だっているんだし。

 それに先生のこと話にしても、友達がいるでしょ?

 学生生活で手に入れる絆って、絶対後で宝物になると思うから。

 だからちゃんと友達が卒業するなら、ちゃんと付き合ってあげなよ」


 正直、あまり良い気分はしなかった。

 同類であるはずの葵に、その辺の大人のようなことを言われると、どうにも不服である。


「…なんか言ってることが年寄り臭いぞ」

「うっさいわね。それに、あんたと私だって、ある意味学生生活の縁でしょ?」

「うーん、他校だし判断に悩むな…」

「とにかく、学校クビでも上等なんていうのはやめなさい。悲しむ人もいるよ」

「両親が悲しんでも、どーでもいーぜ。葵もそうじゃないのか?」

「…それは、どうかな」

「?」


 どこか、葵は寂しげな目をした。


「…あ、そうだ。さっき話に出てきた、湯浅先生とか?」

「よりにもよってアイツかよ。

 綺麗事しか言わない奴に何思われたって、鬱陶しいだけだ」

「そうでもないよ。

 そこまで人の見えない面の事を考えて、人によって態度変えないって、凄いことだよ。

 絶対その先生はいい人だから、大切にしなきゃダメだよ」

「…善処する」

「そんなに性格良くて、可愛いんでしょ?

 そりゃモテるに決まってるよねー、あたしも一度会ってみたいかな」

「そんなにアイツいいのか?」

「あんたぐらい性格捻くれてないと、そんないい人に苦手意識なんて持たないわよ」

「人に向かって捻くれてるとか言うな」


 時折葵は、ひどく大人びたことを言う時がある。

 その瞬間が煩わしく、そしてどうしようもなく綺麗に感じる自分がいた。

 いつしか俺は、彼女がそばにいる事が必要になっていた。

 彼女のいない時間は、退屈で窮屈だ。

 一緒にいると、気分が暖かくなり、高揚する。

 そんな気持ちに、俺自身も戸惑いつつも、悪くはないと感じていた。




 ・1月22日


「畑中にやっぱり四番は二が重いんだよなぁ、やっぱり」


 あいも変わらず親父は夕食で、安酒をあおりながら贔屓の野球チームの失態を罵っていた。

 昨晩の野球中継での敗退が、いまだに尾を引いていたようだ。

 それをスルーしながら、俺は葵に送るテキストメッセージを打っていた。

 既に俺たちは毎日のようにいつもの場所で会って談笑するだけでなく互いの連絡先を交換していた。

 日常的にメッセージを送り合ったり、時間のある時は電話したりするのが、いつの間にか毎日の日課になっていた。


『親父が昨日の野球の試合のことで文句垂れまくってやがる』

『あー、そっち系のお父さんね。いつの時代もいるもんよね』

『夕飯の時間がいつも退屈で仕方ないんだよな』

『まぁあたしと暇の潰し合いでもして気を紛らわしときな笑』


 お互いにメッセージを送り合っていると、不思議と憂鬱な気分が少しだけマシになっていくのを感じた。


「食事の時くらい携帯を打つのはやめろ。行儀が悪いだろう」


 親父の不機嫌そうな声が聞こえてきた。

 俺は自分でも眉間に皺が寄るのを抑えることが出来なかった。


「…悪かったな」

「お前、父親に向かってその口の聞き方は何だ」

「あんたの話が下らなすぎて、スマホでも打ってないと飯が不味くてしょうがないんだよ」

「な、なんだと!」

「ごちそうさん」


 もはや俺は食欲をなくしていた。

 母は何も言わずに、俺と父の顔色を伺うだけだ。

 親父の怒鳴り声にも背を向けて、足早に俺は自室へと戻っていった。






「母さんも、何が嬉しくてあんな男と結婚したのか理解しかねるぜ」

『まぁ子供から見た親なんてみんなそんなもんじゃない?』

「…葵って、時々えらく悟ったような事言うよな」

『そう?』

「本当に、少し必要以上に老けて見えるくらい」

『そういうデリカシーのない発言に関しては、本当に大河はお子ちゃまね』

「お黙りなさい」


 本当に中身の無い、くだらないやり取りだ。

 こんなやりとりなら、友達ともできるはずである。

 なのにそれでも、今の俺にとっては本当に心地良かった。

 話している内容は同じなのに、どうしてこんなにも自分らしくいられる様な気がするのか、俺自身にもわからなかった。

 そんな会話の中で、俺はある一大決心とともに、どうしても言わねばならない事を葵に言った。


「…そういやさ、来週の日曜空いてるか?」

『うん、大丈夫だよ』

「よければなんだけど、あー…」


 言いたい事を言おうとして、俺はまた言葉に詰まってしまった。

 この前の夜といい、肝心な所で格好がつかないのでは、葵に笑われても仕方ない。

 どうして俺はこうなんだと、我ながら自分に呆れ果ててしまった。 

 そんな俺の姿を電話越しに察してか、葵はクスクスと笑い出した。


『ちょっとー、女子を誘うのはスマートにいかないと格好悪いよ』

「わ、悪かったな。次の日曜に一緒に出かけないかって話だ」

『はいはい、よく出来ました。もちろん良いよ』

「おし!」


 俺は思わず軽くガッツポーズをとってしまった。


『本人の前でガッツポーズすんなっての』

「うっ…」

『まぁ嬉しいよねー、お目当ての子をデートに誘えたら』

「そういうことを言うなっての」

『楽しみにしてるね』

「…ああ」


 ニヤニヤ笑いが収まらない自分自身が、少し嫌になった夜であった。




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