3.
一日の授業が全て終わり、ホームルームの時間になった。
俺を除いたクラス全員(特に男子)にとっては、お楽しみの時間である。
「はーい、みんなお疲れ様。じゃあ連絡ね」
朗らかな声が教室に響いた。
担任の女性教諭、湯浅雅である。
常に明るい表情で、尚且つ常に親身になって生徒に寄り添い、関わる全員に笑顔を振りまく存在だ。
まだ年齢的には教育実習を終えて数年の二十代後半くらいであり、ゆるくウェーブのかかったショートヘアとオフィスカジュアルな服装で、どこか民放の若い女性アナウンサーの様だ。
顔は清楚な美形であり、かつ少しあどけなくも見える表情のせいで、男女問わず人気がある。
「3月には二者面談があるのは覚えてますよね?
何か相談したい事などを、まとめておいてくださいね。
どんなことでも構いません、下らない事と思わずに、なんでも言ってください。
先生は私生活の悩みから進路の相談まで、なんでも相談に乗りますよ!」
「はーい、せんせー! 進路の相談でーす」
「はい、朴くん。どうぞ」
「先生を彼女にするにはどうしたらいいですかー⁉︎」
我が級友、朴俊一が手を上げて叫んだ。
この流れもいつもの事であり、実に見飽きた光景だ。
こいつでなくとも、誰かしらがこういう馬鹿げた質問をする。
これも女性教諭として、人気であるが故のことなのだろう。
それに合わせてクラス全体が笑い出し、俺も乾いた笑いで合わせる。
「ごめーん、先生は結婚してるので、彼氏は募集してないでーす」
「まじかよー」
「ショックー」
「ヒューヒュー、お幸せにー」
そう言うと湯浅は、幸せそうな表情で左手の薬指を見せた。
それに合わせて、生徒たちは落胆や冷やかしなど、思い思いのリアクションを取る。
彼女も彼女で怒ればいいのに、こうした返しをする事で、このやり取りが定番になってしまっている。
そう、彼女は既婚者であり、それを知っているから生徒たちもギリギリ冗談で通ることを解っているのだ。
内心俺はよく飽きないなと思いつつ、常に全員に合わせてヘラヘラと笑っている。
「では、HR終わります! 気をつけて帰ってねー」
「起立、気をつけ、礼」
「「「さよーならー」」」
そうして1日の全てが終わり、解散となる。
クラスの奴らはだいたい彼女のことを好いており、陰気なタイプの中には本気で恋してしまっている物も多いらしい。
そんな全員から生徒教師問わず、人気の教師である…一部の例外を除いては。
「二者面談ねー、もう決まってるんだけど、まぁ雅ちゃんと話せるならいいかー」
「お気楽なやつだね、俊一」
「お前場合はもう、実家のあとを継ぐことが決まってるからな」
「まーねー。それもそれで大変だよー?」
「俺からしたら、どこが大変なのかわからん」
「大河、二代目には二代目の苦労があるんだよ、プレッシャーとか」
「そういうもんなのかねぇ」
一般庶民の出身である俺には、成金家族の気持ちはよくわからない。
所詮俺には跡を継ぐような仕事はないし、あったとして引き継ぎたいとも思わないからだ。
「にしても、お前本当に湯浅のこと好きだよな」
「大好き! 可愛いじゃん」
「それは認めるけどね」
「マジで顔の良い女なら何でも良さそうだな」
「ひどーい、俺のことなんだと思ってるわけ?」
「スキン会社のお得意様」
「言い得て妙だね」
「もういっそ年いったら、投資して株主優待でゴム一箱ケースで送ってもらったらどーだ?」
「なんたる言い草かね、大河くんに悠臣くんよ」
そんな適当な雑談が終われば、思い思いに帰路に着く。
それが俺の日常だった。
ジッという何かを擦るような金属的な音が響き渡る。
そこから、真っ赤な火柱にも近いような火が小さく燃え上がる。
安物のライターだった。
それに俺がくわえた煙草の先端を近づけ、ゆっくりと火をつける。
ほんの少しだけ軽く息を吹き込むと、すぐに煙草に火がつき、紫煙が上がる。
俺はゆっくりと息を吸い、両肺の中に煙草の煙を満たし、そのままゆっくりと吐き出した。
大通りをまっすぐ進み、すぐ左に進んだところ。
そこの小道のさらに間、路地裏にある建物と建物の間の非常に小さなスペース、そこが俺の秘密の場所だった。
普段は誰かが近道をするときなどに使われる所だが、もっぱら俺の一人でいるためのスペースと化している。
ここでこの時間帯なら、表で煙草を吹かしていても警官は滅多に通らない。
こっそりと一人で煙草を吹かし、思案に吹けるには十分なスペースと言われた。
吐き出した煙が天に昇っていくのを見ながら、俺はゆっくりと嘯いた。
(俺は空っぽで虚ろだ)
友人2人と中身のない、将来性も生産性もまるでない会話をする。
そうして適当に話を合わせて笑っていると、本当に俺は自主性も何もあったもんじゃない、空っぽの人間だと感じる。
湯浅のことについてもそうである。
俺は内心、あの女が苦手だ。
常に愛想を振りまきつつも、それが仮面である事がなんとなく俺は本能的にわかる。
常に本心を見せず、常に眩しい笑顔を振りまいている彼女は、普通の生徒たちからしたら人気者なのだろう。
しかし俺にとっては、常に表情を貼り付けたロボットのようで、少し不気味にも感じる。
ある種の同族嫌悪に近いものがあるのだろうか。
しかしそれを表に出して、変な奴呼ばわりされるのも嫌だった。
俺は自分自身で何が得意なのか、何が本当にやりたいのか、何が出来るのか、まるでわからなかった。
2人や周りの人間に相談しても、寒い奴としか思われないだろう。
教師陣や両親も信用できない。上辺だけの言葉しか話さない連中に、俺の本音を晒したくはなかった。
(本当の俺はどこにいるんだ? そもそもそんなものがあるのか?)
小説や漫画、映画やドラマ、ありとあらゆるエンターテイメントでも品質するこのワード、この疑問。
実際にいろんな奴がこの疑問にぶち当たるんだろう。
その答えを誰も明確には教えてくれない。
答えなんか最初からないのかもしれない。
でも、例外なくその疑問は俺の上には降りかかった。
そんな思案を続けているうちに、 タバコはすでに半分以上燃えかかっていた。
慌てて息を吸い込み、 煙を吐き出すと、 もう二、三口吸ったら、 一本終わりだというところまで来ていた。
地面にタバコの吸い殻を叩きつけようとしたその瞬間、
「ねえ」
すぐ真横から声をかけられた。その声は、女のものだった。
顔を向けると、そこに制服に身を包んだ女子高生が立っていた。
ブレザーにリボンを結び、バッグには缶バッジなどの装飾が目立つ。
長いロングの黒髪に似合わず、睫毛はボリュームがあり、瞳はカラコンなのか淡い緑色だ。
170cmに近いであろう身長に対してスカートもだいぶ短く、品行方正な見た目にはあまり見えない。
彼女の左耳のダイヤのピアスは、光を反射して輝いていた。
「通るんだけど」
「え、あ、ああ、すいません」
あまりにいきなりの事に、思わず反射的に謝り、道を開けた。
不機嫌そうな顔を隠そうともせずに、彼女はズケズケと通って行った。
「ていうか煙いんだけど」
「はぁ?」
「あたしのいつもの通り道で煙草吸うのやめてよね」
鋭い目つきで、彼女は俺の右手にある煙草を睨みつけた。
突然のことに、俺はたじろいだ。
「ど、どこで吸おうが俺の勝手だろ」
「喫煙所で吸いなさいよ」
「この辺ないんだよ」
「じゃあ今度からここに来ないでね」
そういうと、彼女はスタスタと通り過ぎて行った。
あまりに遠慮のない口ぶりに、俺は呆気に取られていた。
「…なんなんだ、あいつは」
いつもの通り道などと言っているが、この場所で彼女を見かけた事など一度もない。
何より煙草に関して指摘されるのが、酷く癪に触った。
俺のテリトリーを勝手に侵してきたのは、向こうのはずである。
話している間にダメになった右手の吸殻を地面に叩き付け、俺は新しい煙草に火をつけた。




