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26.

「う…」


 体の節々に痛みが走る中、俺の意識は徐々に覚醒していった。

 先ほど悠臣にスタンガンを押し付けられ、気を失ったのは覚えている。

 重い目蓋をゆっくりとこじ開けると、奴の姿が見えた。


「お目覚めかい、大河?」


 目を開けるとそこは、見覚えのある景色だった。

 壁のレバー、埃をかぶった機械類、月明かりが見える天窓、そして古びたソファ。

 ここは間違い無く、葵と来た町外れの廃工場だ。

 二人で最後の瞬間を過ごし、最後に一つになった場所を、忘れられはしない。

 そして俺の目の前には、悠臣が怪しげな笑みで微笑んでいた。


「ゆ、悠臣…これは一体…」


 立ち上がり前に進もうとして、右手が強く引っ張られた。


「うわっ!」


 その反動で、俺は思い切り尻餅をついた。

 見てみると、いつの間にか右手を手錠で柱に繋がれ、ほぼ動けない状態である。

 そんな俺を見下ろしながら、悠臣はニヤニヤとした笑いを崩さなかった。


「いてて…」

「心配しなくても、鍵はこれだよ。ただし…」


 悠臣はそれを、遠くの方に投げ捨てた。


「この廃工場は、今日の朝になれば管理人が見回りに来る。その時にでも外して貰うんだな」

「な、何がどうなってんだ! どうしてこんな事…」

「そりゃお前、友人をしてのお情けさ。愛しの彼女に、一眼でも会いたいんだろう?」

「え…」

「ここも今となっては懐かしいだろう? 散々あの女とお前が湿気込んだ場所だからな。

 知り合い同士の超過激ラブシーンを見せつけられて、こっちはたまったもんじゃなかったよ」

「…⁉︎」


 あの光景を、悠臣が見ていたというのか?


「なんで、それを…」

「あの女の息の根を止めるつもりが、お前の所に逃げやがったからな。

 真夜中に人目のないうちに殺すつもりが、夜明けまで粘ってくれたお陰で殺し損ねた」

「あの女って…悠臣、お前は一体…?」

「悠臣、ね。まだその名前で俺を呼ぶのか?」

「…どういう意味だ」

「田原悠臣なんて人間は、この世に存在しないってことさ」

「?」

「鈍いやつだな。

 察しの悪いヤツはモテないって、俊一も言ってただろう? 俺に本当の名前なんてない、って事だ」

「まさか…」





「そう、俺も春川葵と同じ『名前のない子供たち』の一人なんだよ」





「嘘だ! そんな、悠臣…なんで…」

「もう聞いてはいるんだろう?

 俺たちはこの辺の再開発利権に一枚噛むために、柳瀬組やその他のガキ共を使っていた。

 そんな中に、仲間の一人が抜けたいとか言ってきた。

 加えてあろう事か、他の女と結託して俺たちを脅してきやがった。

 頭に来たから、まずあのメスガキを通り魔に襲われたって事にして、滅多刺しにしてやったよ」

「それは…本当の春川葵か!」

「ああ、死んだ方だな。

 最後までお父さんお母さんって、ビービー泣き喚きやがるから、鬱陶しくてしょうがなかった。

 痛めつけるとうるさいから、途中で飽きて心臓を一突きしてやったら、すぐに黙ったぜ。

 まぁ、イラついた分その後も楽しませてもらったけどな…くっくっく…」


 目の前にいる悠臣が発する言葉が、信じられなかった。

 俺の友達が、殺人を? 嬉々として? 

 あまりの内容に、俺は現実感を喪失しかけていた。


「あの女もすぐに始末してやるつもりだったからな。

 お前が湯浅の手伝いをすることになって、俺はその時俊一に心の底から感謝したよ。

 これで心置きなく、あの女を殺せるってな」

「あの女…それは、俺の知ってる、葵…」

「ああ、そうだ。あの女がお前の元に行く前に、始末をつける気だった。

 だからお前が湯浅の元に行って、俊一も帰って、一人になれたのは絶好のチャンスだった」


 俺は覚えている。

 確かあの時、悠臣は珍しく用事があると言って、俺を置いて帰ってしまっていた。

 その時は疑いもしなかったが、まさか葵を始末するために動いていたとは。


「それだっていうのに、案外奴はしぶとかった。

 逃げ足はつくづく早い女なのさ。

 仲間が死んだのを悟った瞬間、すぐにお前の所に逃げ込みやがった。

 夜明けまで粘ってくれたおかげで結局殺し損ねたが、しかしそれでも娘が死ねば二人は大ダメージだろう。

 それでビビるかと思いきや、あの親気取りの二人はまだ真実を言う気だった。

 お前から二人が話す予定だって聞いて、心底焦ったんだぜ。

 大急ぎで二人とも始末しなきゃなってな」

「…‼︎」


 あの日、俺が早退した日、悠臣に引き止められたのを振り払った日だ。

 俺が情報を与えたせいで、二人は殺されてしまったというのか。


「即座に仲間に電話して、親父の方は始末してもらったよ。

 俺もばれないように早退けして、車を出した。

 できれば俺に上等こいた奴らは、俺の手で殺したかったからな…。

 あの時は苦労したんだぜ? お前も道路に出てきたから、あの女だけを上手く轢き殺すのは」

「ま、まさか…あの車に乗ってたのは」

「そう、俺さ」


 信じられなかった。

 俺が初めて人が殺されかけるのを見た場面。

 それを自分の友達が、人殺しをしようとしていたとは。


「澁谷たちにしても、側から見たらバカ丸出しだったな。

 自分たちの雇主がすぐ側で話を聞いてるっていうのに、ベラベラと話しやがる。

 番長ヅラしていても、結局は十代のお子ちゃまだ。

 腹に鉛玉を喰らわせてやったら、殺虫剤をぶっかけたゴキブリみたいにのたうってたぜ」


 くくく、と悠臣は酷薄な笑みを浮かべた。

 残虐さを隠そうともしない悠臣に、俺は心の底から恐怖した。

 こいつに対して底知れないものを感じてはいたが、まさかここまで恐ろしい面を隠し持っていたとは思わなかった。

 文字通り俺は震え上がり、鳥肌が立つのを感じていた。


「三人とも泣きながら命乞いしてくる様は爽快だったよ、お前にも見せてやりたかった。

 そんな奴らが黙るまで鉄パイプでタコ殴りにするのは、一回は経験した方がいいと思うほどの娯楽だ」

「そんな…澁谷たちまで、お前が…」

「ああ、そうだ。

 そして最後は、あの女だ。

 あの女が余計なことをしやがったお陰で、俺の立場も危うくなった。

 お前が刑事と会ってるのを見たぜ。

 あいつらの身分証が表に出た今、俺にもいずれ捜査の手が及ぶ。

 散々コケにしやがった償いは、命でしてもらう」


 悠臣はポケットから、大振りのサバイバルナイフを取り出した。

 その刀身が鈍い輝きを放ち、あたかも悠臣の殺意をそのまま投影しているかのようだ。


「もう場所は、俺の仲間が特定してある。後は始末すりゃいいだけだ」

「やめろ! 頼むから、やめてくれ‼︎」

「断る」


 悠臣は無情にも、俺に背を向けた。

 俺の一番の親友が、俺の世界一大切な彼女を殺すなんて、そんな事は耐えられない。

 そんなことをされたら、頭がおかしくなってしまう。


「それなら、せめて俺を殺せ!

 身分証を警察に渡したのは俺なんだ、俺を殺して彼女は放っておけばいいだろ!

 大体なんで俺には手を出さなかったんだ‼︎

 俺が事件の事を嗅ぎ回ってるのは、お前だって知ってたはずだ!」

「…わかってるだろうに」

「⁇」

「やろうと思えば、俺はいつでもお前を殺せた。

 俊一だって、あんな怪我程度じゃ済まない、見せしめに死体にしてやってもよかった…でも出来なかった。

 俺が玉野原に潜入した日…本当はあの一帯の土地を占めてる家の、俊一とだけお近付きになれればよかったんだ。

 でも俺は、お前に最初に声をかけた…何でかわかるか?

 まるで俺と似たような顔だったからさ。

 ロボットのように虚ろなのに、自分の居場所はどこかと人間みたいな真似をする奴。

 そんなのまるで…俺みたいじゃないか。

 そうして三人で過ごしている内に、田原悠臣なんて奴が本当に実在するかのように錯覚していった…

 結局のところ、俺もあの女やエセ家族と同じ穴のムジナってことだ。

 自分を定義する関係性や名前が欲しかった…お笑いだぜ。

 あの女もそれがわかっていたから、お前の元に逃げ込んだのさ」

「悠臣…」


 悠臣は自嘲的に笑った。


「友達ごっこも中々楽しかったぜ、大河。

 あの女の死体は仲間が運んでくるだろうから、これでお別れだ」


「待て! 待ってくれ‼︎」

「じゃあな」


 そう言い残すと、悠臣は駆け出していった。


「やめろおおおおおおおおおっ‼︎」






 ・3月14日


 翌朝のニュースにて、県境でナイフを持った身元不明の男性の遺体が、川に浮かんでいるとニュースになった。

 それが悠臣であることは、容易に予想がついた。

 自室にて、ニュースサイトでそれを知った俺は、枕に顔を押し付けて、涙と喉が枯れるまで絶叫した。

 それは、あまりにも残酷すぎる現実だった。

 俺の恋人が、友達を殺して殺人犯になった。

 葵は完全に境界線を超え、俺が住んでいる世界の外に行った。

 そこには、どうしようもない断絶があった。



 そして数日間、俺は学校に行くことができなかった。



 報道では、一連の事件の実行犯として、柳瀬組構成員が数名逮捕された。

 地上げ行為や違法売春、また身分偽装などの犯罪が明るみに出たが、しかし名前のない子供たちのことは表に出ることはなかった。




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