12.
・2月14日
「はい、ダーリン♪」
そんな鳥肌が立つような、気色悪い台詞と共に葵はハート型の箱を両手で差し出してきた。
今日この日は言わずと知れたバレンタインデーである。
女性が想い人にチョコレートを渡すという風習が、基本的には一般的だ。
俺も彼女である葵から貰えるだろうとは思っていたが、しかしそんなフリは求めてはいなかった。
「……」
「何ドン引きした表情してんのよ」
「引くに決まってんだろ」
「10代男子って、こういうダダ甘なの好きでしょ?」
「お前は男子をなんだと思ってんだよ」
「大体みんな少年漫画でも少女漫画でも、チョコ渡すシーンはだだ甘じゃん」
「…どんなタイプの女が言うかにもよるだろ?
お前みたいなキツそうなギャルが言ったら、もう怖いレベルなんだよ」
「ひど〜い、彼女に向かって」
「…まぁでも、ありがとう」
チョコを受け取るついでに、俺は葵の掌を包み込むように握った。
すると彼女は、俺の胸に顔を埋めてきた。
「ビターチョコだから、安心してね」
「俺の好み、覚えててくれてたんだな…ありがとう。ホワイトデーは期待してろよ」
「うん、楽しみにしてる」
「大切な人には、キャンディ返すんだっけ」
「チョコでも『私と同じ気持ち』になるみたいよ」
「そうか…何返そうか、迷うな」
俺たち二人の胸の中にあるチョコが、2人の高まる鼓動と体温で溶けやしないか、それが少しだけ心配だった。
・2月17日
天気予報によれば、今夜は雪が降る。
ある程度の積雪が予想されるらしいが、しかし明日は土曜で学校は休みである。
強いていえば帰りの電車が不安な事くらいだが、今日の夜くらいならば大した積雪はないはずだ。
いつの日も都会で雪が降る日というのは、少しワクワクしてしまう。
それも年に一回見るか見れないかくらいの、非日常的なイベントだからだろう。
そんな出来事を今夜に控えた日に、俺は面倒な仕事をこなしていた。
「悪いわね、峰くん。手伝ってもらっちゃって」
「いや、別にいいんですけど」
俺は生徒指導室へ、担任の湯浅と教材やら資料やらを運び込んでいた。
彼女が職員室から諸々を運んでいる最中に、俊一が声をかけたのだ。
『せんせー、お仕事っすか? 大変ですねー』
『あら、朴くん。別にこの程度なら大丈夫よ、先生力持ちだから!』
『俺も手伝ってやりたいけど、彼女と予定がなー…あ、タイガー手伝ってあげなよ!』
『は?』
『頑張れよ、大河。俺はちょっと用事があるから、先抜けるぜ』
『お、おい二人とも!』
二人に見捨てられ、俺はなし崩しで彼女を手伝う事となってしまった。
「これで全部ですか?」
「ええ」
湯浅は生徒指導の谷川に代わって、生徒の相談に乗ったり勉強の世話をしているらしい。
どこにそんな暇があるのか、他の教師通りカリキュラムのことだけしていれば良いのに、ご苦労なことだと内心俺はせせら笑っていた。
「峰くんも、勉強でも進路関係でも何でもいいから、悩みがあったらなんでも相談してね」
「…特にないです」
「そう? なんだかいつも、曇った顔してるようだけど」
そんなふうに判ったような口を聞かれたのに、少々俺は腹が立った。
「じゃあ聞きたいんですけど」
俺は湯浅に向き直った。
「なんで先生って、誰に対してもそんなにヘラヘラ笑ってられるんですか?」
「え?」
「ぶっちゃけ嫌いな生徒とかいないんですか? うざい同僚とかいないんですか?」
「…いないとは、言えないけど」
「なら何で、そんなに愛想笑いしていられるんですか? 本当の先生って、何ですか? 本音で接そうとか思わないんですか?」
感情任せに捲し立てたせいで、腹の中を全て吐き出した様になってしまった。
しかしこれが俺の本音だった。
どんな相手に対しても、あの優しい笑顔を崩さない湯浅が、正直不愉快な時もあるくらいだ。
「…確かに、本音を隠しているように見えるかもしれないわ。それ否定しない」
しかし彼女は、俺から目を逸らさずに言った。
「峰くんみたいに感性が鋭い子には、私を含めた大人が仮面を被っているように見えるかもしれないわね。
でも、都合よく聞こえるかもしれないけど、それも生徒たちのためなの。
私は生徒たちが好きだから、感情的になって怒ったりとか喜んだりはしない。
出来る限り誰に対しても、同じ態度で接するわ。生徒であれ、同僚であれ、ね」
「谷川みたいな野郎が相手でもですか」
「…谷川先生の評判が生徒間で良くないのは、先生も知ってるわ。
良からぬ噂が立ってることも、もちろん知ってる。
でもね、峰くん…人は人に対して、全ての面を見せているわけじゃないの。
自分に対して見せている面は、ほんの一部だったりするのよ。
もちろんあなたにしか見えない谷川先生もいるんだろうから、無闇に否定したりはしない。
でも人は…大切な人だからこそ、自分を偽らなければならない時も、あるのよ」
そういうと、なぜか湯浅は目を伏せた。
「…大切な人って、本当の自分を見せれる人じゃないんですか?」
「それもそうよ。でも、本当の自分っていうのも、幾つもの面があるの。
誰にも触れられたくないような所も、好きだからこそ伏せていることもあるの」
「…正直、俺にはわからないです」
やはり先公に期待するのが間違いだった。
所詮は一般論の綺麗事しか言わない。
俺の中には、確固たる自信があった。
本当の自分を曝け出せる、例えば葵のような存在が、本当に大切な人間だと。
「…それでもいいわ。でも、迷ったらいつでも声をかけてね?」
「どうでもいいです。じゃあ」
俺は素っ気なく返して、生徒指導室を出た。




