11.
・1月30日
俺と葵が、恋人同士になった。
その実感が湧いてくると、俺は日頃から浮き足だった様な気分になり、常に表情が緩んでいた。
「よお」
いつも通りの通学路、そんな心持ちのまま俺は悠臣に声を掛けた。
「おはよ、大河。そっちから声かけてくるなんて、珍しいじゃん」
「そうか?」
「二人とも、おはよー」
「おう、俊一」
「? なんかタイガー表情が晴れやかだね」
「え?」
「なんか生き生きしてる」
「そうそう」
「…ふーん」
心当たりは一つしか無い。
葵とこれからも毎日、あの路地裏で会うのが楽しみで仕方ないのだ。
あの遊園地での一件から、メッセージも電話も、彼女に関する全ての事が嬉しくてしょうがない。
「本当に彼女でも出来た?」
「‼︎」
「うおおお! ついに‼︎」
「よ、よせやめろ!」
こういう風におちょくられるので、こいつらにバレるのは嫌なのである。
彼女と過ごす日々は、楽しかった。
人生がこんなにも色付いて見えるなんて、考えもしなかった。
いつもの路地裏での逢瀬、ファミレスやバーガー屋で駄弁る時間、たまの週末のデート、それらの時間は確実に俺を取り巻く世界の中心だった。
「はい、あーんして♪」
「…は?」
ある日の事、ファストフード店で夕飯を共にしていた時、葵は唐突にポテトを一つ俺の前に差し出して、頭がおかしくなったと思うような台詞を吐いた。
「いや、大体男子って、こういうベッタベタなので喜ぶもんでしょ?」
「…そう思ってんなら、漫画の読み過ぎだ」
俺はため息をついた。
「そうなの? 意外」
「あのな…壁ドンやら俺様系やら、現実にいたらどんなイケメンでもドン引きだろ? それと一緒だ」
「でもエロ漫画にあるような行為はしたいでしょ?」
俺は口に含んだドリンクを盛大に吹き出した。
それこそ正に漫画のような完璧に、霧状になって飛び散った。
「ちょっとー、汚ーい」
「そっちが変な事を言い出すからだ!」
「大河ってば、本当に子供なんだから」
「葵の方が老けてんだよ」
そんな生意気な口を叩き合いながら、俺たちはいつしか笑っていた。
・2月10日
「はぁ…」
本日2月10日は憂鬱な日である。
それは何故かといえば、俺の誕生日だからだ。
普通なら自身の誕生日を喜ぶところだろうが、俺の場合は違う。
自宅に帰っても質素なケーキと、両親からの無愛想な祝福の言葉、そして『俺のためを思って』という台詞と共に贈られる自己啓発本や参考書。
甘いものもそこまで好きではない俺にとっては、考えるだけで気分が沈む。
そんな気分のまま、俺はいつもの路地裏に来ていた。
「おや、珍しく沈んでるじゃない」
いつも通り、葵がやってきた。
沈んだ表情の俺を見て、またいつものように悪戯っぽく笑う。
「悩み事なら相談に乗ってあげようか?」
「聞いてもらうほどの事でも…あるか」
「何?」
「…今日俺、誕生日なんだけど」
「あら、おめでとう」
「ありがとう。でも俺…誕生日が嬉しくねーんだ」
「…!」
すると、何故か葵の表情が硬くなった。
「プレゼントは基本的に勉強関連のものばっかで、俺の欲しい物なんか聞きもしねえ。
料理も豪勢なものが出るわけでもなし、せいぜいケーキが出る程度。
親父が母の誕生日を祝ったこともない上に、逆に母は親父の誕生日を形だけ盛大に祝って、くそ高いネクタイやら鞄やらをプレゼントするんだぜ?
もののついでに祝われても、虚しいだけなんだよ」
「…そういうものなんだね」
すると、何故か葵までもが俯き、沈んだ表情を見せた。
「誕生日っていいものだと思ってたんだけど、意外とそうじゃない人もいるんだね」
「葵は…まぁでも、普通は嬉しいよな、みんな祝ってくれるし」
「…そうだね」
葵は複雑そうな笑みを浮かべた。
「とにかく、おめでとう。なんか誕生日プレゼント、考えなくちゃね」
「別にいいよ、そんな気使わなくても」
「んーと…あ、そうだ!」
葵は閃いたという感じの表情を浮かべた。
「あたしと写真撮ろ」
「写真?」
「記念に二人でツーショット。どう?」
「…まあ、いいか」
別に誕生日じゃなくても、という突っ込みは野暮なので、黙っていた。
「じゃ、撮るよ。スマホ出して」
「あ、ああ」
俺はスマートフォンを取り出し、カメラを起動させた。
セルフィーモードにすると、密着した俺たちが見える。
「はい笑って! ピース♪」
軽いシャッター音と共に、二人の顔が保存された。
心底楽しそうな葵と対照的に、俺の笑顔は何処かぎこちなかった。
「あたしが写真撮らせるなんて滅多にないんだから、一生ものにするのよ」
「そうなのか? 何で」
「…まあ、色々」
「へー。ていうか、葵の誕生日は?」
「誕生日は…内緒」
「なんだよ、一応俺は…か、彼氏、だぞ」
「自分で言って照れないでくれる? こっちまで恥ずかしくなるじゃん」
「わ、悪かったな。で、誕生日いつなんだよ」
「…ごめん、今は言えないの」
珍しく葵は、沈んだ表情を見せた。
それを見ると、真剣にこれ以上突っ込んで聞いてはいけないと感じた。
しかし誕生日を聞かれるのを嫌がるというのは、どういった理由なのだろうか?
「…じゃ、このまま帰るのもあれだから…繁華街の方まで行かないか?」
「え⁉︎」
「あれ、なんか都合悪いか?」
「い、いや、そうじゃないんだけど…なんで繁華街?」
「そりゃお前、あの辺くらいしか遊べる所が無いからだよ。
この辺に娯楽施設なんてあるか?」
「ま、まぁ…そうね…」
「どうかしたのか?」
「な、何でもないわ! 行きましょ‼︎」
葵はいつものように強気な口調で先行したが、その中には何か誤魔化すようなものが含まれていたような気がした。
彼女の口から”まだこの時間なら大丈夫だよね…”という呟きが聴こえたが、それが何を意味しているのかはわからなかったし、追求することでもないだろうと思っていた。
「ほいっと」
バスケ選手顔負けの綺麗なフォームで放った葵のシュートは、綺麗な弧を描いてリムに吸い込まれるように入っていった。
「ほい、これで三連敗ね」
「ぐっ…」
手始めにバスケゲームで対戦しよう!と俺が提案したところ、葵はとてつもない運動神経で俺を圧倒した。
最初の一本でボードの四角に当てて比較的ナイスショットを決めた上、次にはもっとそれを改良したフォームで何本もゴールを叩き込んだ。
対する運動神経皆無の俺はと言えば、全本スカのお笑いにもならない凄惨たる有様である。
「これ以上やっても百円玉の無駄だと思うわよ?」
「嫌味か、てめー。まぁ実際その通りだけどよ」
三本も勝負したし、確かにいい切上げ時かもしれない。
となると次は何のゲームで遊ぶかだが、せめて何かで善戦したかったため、できれば運動神経を要求されないものが良かった。
「何かやりたいゲームあるか?」
「うーん…あ、クレーンゲームやりたい!」
彼女が指さしたのは、微妙なデザインのマスコットが多数入ったクレーンゲームだった。
お世辞にも可愛いとは言えないデザインだが、大流行りなのは俺も知っている。
しかし何故この顔で若い女子にだ人気なのか、その理由は俺にはわかりかねた。
「良いけど…あれ?」
「何よ」
「もうちょっと可愛いのが…」
「かわいいでしょ! そんなんだからモテないのよ‼︎」
「モテないのは関係ないだろうが!」
誕生日でも、俺は相変わらず火花を散らし合っている。
「まぁいい。取ってやるぜ」
「わぁ頼もしい。でもいけるの?」
「…多分」
「微妙な返事ありがと」
そうして俺は百円玉を何個か入れると、俺はガラスの中のヘンテコがお人形を凝視した。
「うぬぬ…こうして、こう…ここか?」
最新の注意を払いながらボタンを押し、フックを人形の真上に持ってきた。
「おお、いけるの? いけるのかな?」
いつの間にか、葵も両手を握りしめて見物していた。
フックが開き、人形に接近した。
やがてフックが閉まると、うまいことタグがついている部分に引っかかり、人形を持ち上げた。
「うおおお、やった!」
「きゃー、すごい! 一発じゃん!」
そして人形が取り出し口のほうに落ちてきた。
俺が取り上げると、なんだか誇らしげというか、達成感のようなものが湧き出てくるのを感じた。
デザインが微妙でも、やはり勝ち取ったものは良い物だ。
「ほい、やるよ」
「え、いいの?」
「欲しかったんだろ」
「ありがとー! 大事にするね」
葵は眩しい笑顔を見せてくれた。
それを見て、俺の胸は温かくなった。
「あれ、でも今日、大河誕生日だったね…」
「そういえば」
「どーしよ…これ、あげようか?」
「いらんわ。ていうか、俺がお前のためにとったんだから、お前のだ」
「…ありがとう。じゃあ、私もなんか取る! 欲しいもの、ある?」
「うーん…強いていうなら、あれとか?」
俺はお菓子の詰め合わせが入った筐体を指さした。
「現金ねー」
「マスコット愛は特にないし…」
「まあでも、お礼はするわ! よーし‼︎」
葵は腕まくりをして、財布から数百円を取り出した。
「何でよぉぉ…」
今度は葵が敗北する番だった。
彼女が操るアームは全て空を切り、初期位置へと帰っていく。
「こういうののセンスはないのか…」
「うっさい! もう一回よ‼︎」
葵は財布から小銭を取り出そうとしたが、その中にはすでに現金が入っていないようだった。
「ぐぬぬ…仕方ない、ATMは…」
「やめとけって、これ以上は金の無駄だ」
こういう自制心のない人間には、絶対にギャンブルをさせてはいけない。
そのことを強く感じた。
「う…でも、これじゃ何にも返せないし…」
「んー、なら…」
俺は辺りを見回した。
そして、一つ目に入ったものがあった。
しかしそれを指差すのは、かなり躊躇われた。
だが葵は、目敏くそれを察知していた。
「あ、あれかー。まぁ男女二人できたなら、確かに鉄板だよね」
「う…」
「大河ってば、かわいー」
「うるせえ! さっさと行くぞ」
幸い、プリ機の前はそこまで並んでおらず、すぐに俺たち二人の番になった。
これならば後ろの人間に気を使う必要もないので、気楽である。
「さて、どのフレームに…あ、これ!」
葵が選んだのは、白いカーテンに花束のブーケが隅にある、どこか結婚式を彷彿をさせるフレームだった。
「おいおいおいおい、重すぎだろ」
「いいじゃん、ロマンあるでしょ?」
「まぁ…嫌じゃないけどよ」
「さ、撮るわよ!」
撮影画面になり、二人の姿が映し出される。
葵は俺の方に寄りかかり、頭を俺の肩に載せてきた。
俺の鼓動が早くなるのを感じたが、それを悟られてはまた煽られるのがオチだ。
何故か負け時根性が働き、俺も葵の肩を抱いた。
それを察すると、さらに棗が体重を預けてくる。
いつしか俺の顔は、酸っぱいものでも噛んでいるかのような渋い顔になっていた。
「ぷくくく…何よ、この顔…」
葵は腹を抱えて、出来上がったプリを眺めていた。
「何? トイレでも我慢してた? ぶふふふ…」
「……」
俺は何も言い返せず、頬を紅潮させてプルプルと震えるだけであった。
「でも、取れてよかった。大切にするね」
「あ、ああ…」
「うーむ、もうこんな時間か」
すでに午後十時を過ぎてしまっていたようだ。
街にはネオンのギラついた光が満ち、人通りの中には濃い化粧や怪しい見た目の男たちが混ざってきた。
中には暴力団員のような見た目の輩もおり、確か地元の柳瀬組とかいうヤクザだったはずだ。
「さて、この時間から行けるとこは…あれ、どうした?」
「ねぇ、大河…もう帰ろうよ」
何故か葵は俯いて、俺の服の袖を掴んでいた。
その姿はまるで臆病な小動物のようで、今まで見たことのない姿だった。
「ど、どうしたんだよ」
「だって、この辺…この時間帯だと怖いし」
確かに時間帯的に、治安は昼間よりかは悪くなる。
路上では呼び込みが多くなり、その中には違法売春の呼び子すらいる。
しかし葵がそういうのを気にするタイプとは、想像できなかった。
「まぁ爽やかな所ではないけど…仕方ない、また今度遊ぼうぜ」
「うん!」
そうして駅前に行こうとすると、俺はとてつもないものを見た。
「あ、あれ谷川じゃねぇか!」
「え?」
俺はすぐに身を隠し、その姿を見た。
間違いなく生活指導の谷川だが、その側にはどう見ても若い女が側に付いている。
背が低く、眼鏡で童顔の女子である上に、なんと玉野原高校の制服を着ていた。
歩いている方向は、間違いなくホテルがある方向だ。
「ぁ…」
「うわー、信じらんねぇ…自分とこの生徒に手を出しやがったぜ。まともな大人のやる事か? なあ」
「そ、そうね…」
何故か葵は、顔を背けてしまった。
「しかし谷川も最低だけど、相手の女も何考えてるんだろーな。
どんな理由があれ、あんなクズ相手に喜んで股開くなんて、正直引くわ」
「‼︎…よ、喜んでは、ない…と、思うよ」
「そうなのか? まあ相手の事情なんか、よくわからねーしな。
よし、これ動画撮ってやれば…」
「やめて!」
スマホを取り出そうとする手を、葵が必死に抑えた。
「お願い、やめて…」
「な、なんだ、どうした?」
「…ど、どうでもいいじゃない、クソ教師なんて。早く帰ろ?」
葵は駅の方に向かって走っていってしまった。
「あ、おい!」
手を繋ぎながら、葵は俺の隣の席で体を密着させていた。
「今日は、一緒にいれてよかった」
「ああ、俺も」
「また、色んなところ行こうね」
「そうだな…」
彼女の家の最寄駅に着くまで、俺は手を離す事ができなかった。




