今年も
「今年、時間過ぎるの早いね」
そう言ったのは、たしか昨日の昼休みだった。
同僚がコーヒーを片手に笑いながらそう言って、私も「ほんとにね」と笑い返した。
でも、笑いながら心のどこかで思っていた。
──それ、毎年言ってるな。
子どもの頃、時間はもっと濃かった気がする。
1年が永遠に感じた。
新学期が始まるとクラス替えに緊張して、夏休みは果てしなく長くて、冬が来るころには別人みたいに背も伸びていた。
でも、いつからだろう。
春が来ても、夏が来ても、秋も冬も、全部同じリズムで通り過ぎていくようになったのは。
まるで、景色の流れる早回しの映像をぼんやり眺めているみたいだ。
社会人になってからの1年なんて、カレンダーをめくるより早く過ぎる。
1月の寒さを感じたと思えば、気づけば桜が散り、夏の終わりには「もう今年も残り4ヶ月か」とか言っている。
毎年、同じことを言う。
毎年、同じ驚きを繰り返す。
まるで、時間に置いていかれることに慣れないまま、大人になってしまったようだ。
「慣れ」って、あると思ってた。
人は何にでも慣れる生き物だと。
失恋も、仕事の忙しさも、孤独も。
でも、時間の速さだけは、どうしても慣れない。
「もうそんな時期か」と驚くたびに、自分の人生がどんどん軽く薄くなっていくような気がする。
この一瞬一瞬が、自分の手の中をすり抜けていく音まで聞こえる気がする。
街のイルミネーションが点き始めた。
去年の冬も同じ場所で同じ光を見ていたのに、その「去年の冬」がまるで昨日のことみたいに近い。
あれから何か変わっただろうか。
誰かと出会って、少し笑って、少し傷ついて、でもそれも全部もう遠く感じる。
記憶の速度も、時間の速度に負けている。
今年が早いと感じるのは、
「去年からあまり変わっていない自分」を感じてしまうからかもしれない。
何かを成し遂げたわけでもなく、誰かを深く愛したわけでもなく、
ただ「いつも通り」に過ごしているうちに、気づけば季節がひと回りしている。
変化のない時間ほど、早く過ぎる。
それが怖い。
怖いのに、どうすることもできない。
たまに思う。
時計の針って、人間のために動いてるんじゃなくて、
「進み続けるしかない世界」の象徴なんじゃないかと。
こっちがどんな気持ちでいようと、秒針は止まらない。
誰かが亡くなった日も、誰かが生まれた日も、
そのどちらにも同じ速度で「1秒」が流れていく。
昔は未来を数えていたのに、今は残りを数えてしまう。
「あと何年、こうして笑えるだろう」とか、
「あと何回、春を迎えるんだろう」とか。
そんな風に考えるたび、胸の奥が少し冷たくなる。
それでも、人は毎年同じ言葉を繰り返す。
「今年も早かったね」って。
その言葉の裏には、きっと「まだ生きているね」っていう意味が隠れている。
早く感じるほど、何かを積み重ねてきた証拠なのかもしれない。
だからこそ、慣れなくていいのかもしれない。
時間の流れに鈍感になったら、それはもう人生を感じなくなったってことだ。
この速さに毎年驚きながら、それでも「早いね」と笑える自分でいたい。
夜、眠る前にスマホのカレンダーを開く。
11月。
ページをめくると、すぐに12月が見える。
もうすぐ終わる。
でも、終わるということは、また始まるということでもある。
きっと来年も、私は同じように言うだろう。
「今年、時間過ぎるの早いね」って。
そしてそのたびに思う。
ああ、永遠に慣れないこの感覚こそが、生きてるってことなんだ。




