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第9話 冷酷な父親と、侯爵家の「鍵」

 侯爵家の執務室の扉は、重々しい木製で、シン・ジエンの父、侯爵閣下の威厳を象徴しているようだった。


 俺はリ・ユエを、屋敷の人目に付かない隠し部屋に待機させた。彼の存在は、この世界、特に権力者にとっては大いなる不安定要素だ。リ・ユエは不満げだったが、「俺の作戦を邪魔するな」と強く言い聞かせ、渋々従わせた。


 俺は一人で扉を叩いた。


「入れ」


 中から聞こえる声は、ゲームの設定通り、冷たく、感情がない。俺は深呼吸をし、悪役令息シン・ジエンとしての完璧な仮面を被った。


 執務室は広く、厳かな空気に満ちていた。奥の豪奢なデスクに座る侯爵閣下は、俺と似た端正な顔立ちだが、その瞳は常に算盤を弾いているように冷徹だ。


「何の用だ、ジエン」


 侯爵閣下は、書類から目を離さず、冷淡に尋ねた。


「父上。急なことで恐縮ですが、古代神殿の鍵についてお尋ねしたく」


 俺は単刀直入に本題に入った。余計な駆け引きは、この男には通じない。


 侯爵閣下は、初めて書類から顔を上げ、細い目で俺を射抜いた。


「馬鹿げたことを。なぜ今、その鍵が必要なのだ。あの神殿は、長きにわたりこの家の秘密を守ってきた場所だ」


「秘密、ですか」俺は、笑みを浮かべた。もちろん、ゲームの知識で、この侯爵家が神殿の地下に「何か」を隠していることは知っている。それが、悪役令息の破滅ルートの一部でもあった。


「私は知っています。我が侯爵家が守ってきた『秘密』は、神殿ではなく、神殿の地下にある古い盟約の証でしょう。そして今、その盟約が、この都に危機をもたらしています」


 俺は、一気に核心を突いた。侯爵閣下の表情が、微かに歪む。


「何を根拠にそのようなことを…」


「根拠は、最強の異能者です」


 俺は、窓の外の瓦礫を指し示した。


「先日の都の混乱は、ご存知でしょう。あれは、我が家が長年守ってきた盟約の番人、リ・ユエの力の暴走です。彼は今、制御不能に陥っています」


 侯爵閣下は、椅子から立ち上がった。彼の表情は、もはや冷静ではなかった。


「リ・ユエだと…? あの男が、この都に来ていたのか」


「ええ。そして、私は彼と接触しました」


 俺は、一歩も引かず、侯爵閣下の瞳を見つめ返した。


「父上が長年隠してきた秘密が、今、表面化し、都を壊そうとしています。彼の狂気を止められるのは、神殿の盟約の場所だけです。私は、侯爵家の義務として、事態の収拾を図ろうとしているのです」


 俺は、侯爵家の権威と「義務」という言葉で、彼の理性と自尊心に訴えかけた。この男が最も重んじるのは、家の存続と名誉だ。


 侯爵閣下は、しばらく俺を睨みつけたが、やがて諦めたように、深くため息をついた。


「…よかろう。鍵は、この執務室の地下にある金庫に保管してある。お前がそこまで言うなら、試してみるがいい」


 彼はデスクの引き出しから、古めかしい小さな木箱を取り出した。その木箱を開けると、中には、装飾のない真鍮の鍵が一つ、厳かに収まっていた。


「ただし、もしお前が、この鍵を使って私腹を肥やすようなことがあれば…」


「ご心配なく、父上。私には、この都が瓦礫になる方が、よほど大きな損害です」


 俺は、木箱を静かに受け取った。鍵は、見た目以上に重く、冷たかった。この鍵が、リ・ユエと俺の運命を握っている。


「では、私は急ぎます」


 俺は侯爵閣下に一礼し、執務室を後にした。扉が閉まった瞬間、俺の全身から力が抜け、仮面が剥がれ落ちた。額には、冷や汗が滲んでいた。


「…知略だけで、よくやった、シン・ジエン」


 俺は、小さく呟き、鍵を握りしめた。次の段階、盟約の儀式へ向けて、俺とリ・ユエの命を賭けた戦いが始まる。

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