第8話 儀式の場所と、悪役令息の不安
俺とリ・ユエは、古文書を閉じ、書庫を出た。リ・ユエの瞳にはまだ不安定な力が宿っているが、先ほどまでの荒々しい狂気は影を潜めている。彼は今、希望という名の重荷を背負っている。
「盟約の儀式を行う場所についてだ」
俺は、廊下を歩きながら、考えを整理するように話し始めた。
「古文書によると、儀式は『世界の理が最も濃く、かつ最も薄い場所』で行う必要がある。つまり、この世界の創造と崩壊の境界だ」
リ・ユエは静かに答える。
「この都には、そのような場所が一つだけある。それは、古代神殿の遺跡だ。現在の皇帝すら立ち入ることが許されない、閉ざされた場所」
「閉ざされている、か。さすがにチートでこじ開けるわけにはいかないな」
俺はため息をついた。俺のチートは知略だけ。非力な悪役令息の身分では、皇帝の禁を破るなんて、破滅ルート一直線だ。
「シン・ジエン侯爵家には、神殿に入るための『鍵』が存在するはずだ。歴史的に、この家は神殿の守護に関わっていた」
リ・ユエの言葉に、俺は立ち止まった。
「鍵? どこにある?」
「おそらく、君の父上が管理しているはずだ。しかし、彼は、君がゲームの悪役令息になる原因を作った、冷酷な人物だろう」
リ・ユエは、俺の過去(ゲームの設定)を思い出し、わずかに眉をひそめる。彼の気遣いが、人間味に溢れていて、俺の胸を温かくした。
「ああ、その通りだ。ゲームの設定では、彼は俺を単なる道具としか見ていない。正直、俺が転生したシン・ジエンも、彼から愛情を受けて育ったわけじゃない」
俺は自嘲気味に笑った。
「だが、知略で何とかする。俺の目的は、鍵を手に入れること。感情的な対立は避ける」
リ・ユエは、俺の冷静な判断に感心したように、少しだけ口角を上げた。
「君の論理的な思考は、狂気の支配下にいる私には眩しい」
「狂気で全てを解決してきたあんたに、俺の非力さがわかるまい」
俺は少しふざけてそう言い返した。しかし、すぐに真剣な表情に戻る。
「リ・ユエ。儀式について、一つ不安がある」
「なんだ」
「古文書には、『盟約を結んだ者と同等の、世界の理の外側にある魂』が必要だとあった。俺が魂を繋ぐことで、あんたは孤独から解放され、世界も安定する…はずだ」
俺は、一歩リ・ユエに近づいた。
「でも、もし俺の魂が、あんたの『等しき価値』になれなかったら? あるいは、俺の魂があんたの狂気に飲み込まれたら?」
それは、俺が抱える最大の恐怖だった。俺は非力だ。リ・ユエの力と狂気は、あまりにも強大すぎる。
リ・ユエは、俺の不安を察したように、ゆっくりと手を伸ばし、俺の頬をそっと包んだ。彼の掌の冷たさが、心地よいほどだった。
「その時は、私が君を壊す」
彼の言葉は、あまりにも静かで、あまりにも真剣だった。しかし、その瞳の奥には、俺を巻き込んでしまったことへの深い痛みと、決意が宿っていた。
「私の力が君を飲み込む前に、私が、君をこの世界から解放する。…それが、私が君という『異物』にできる、最初で最後の『愛』だ」
俺は、リ・ユエのその言葉に、胸を強く締め付けられた。彼は、世界の柱としての使命感からではなく、俺という人間のために、恐ろしい決意を固めていた。
「…わかった。その時は、遠慮なくやってくれ」
俺は、あえて笑顔を作った。悪役令息の、度胸の見せ所だ。
「だが、安心しろ。俺は絶対に、あんたの狂気に飲まれない。俺の頭脳は、あんたの狂気よりも、ずっとしぶといぞ」
俺たちは、お互いの覚悟を共有し、次のステップへと進む。鍵を握る、冷酷な父親の元へ。




