第19話 システムへの最終報告と、愛の承認
崩壊しかけた広間の中心で、俺たちは互いの体温を感じながら抱き合っていた。リ・ユエの身体は、異能の酷使と感情の爆発で、鉛のように重く、熱を持っていた。
「シン・ジエン……君を、傷つけた……」
リ・ユエは俺の肩口に顔を埋め、声にならない声で呟いた。彼の懺悔は、もはや世界の柱のものではない。愛する者を失う恐怖に駆られ、過ちを犯した一人の人間のものだった。
俺は彼の背中を優しく叩いた。
「いや、違う。俺を傷つけたのは、俺自身の知略だ。でも、おかげで分かった。あんたの愛は、論理でも機能でもない。それは、あんたの魂から生まれた、誰にも邪魔されない純粋な感情だ」
俺の言葉が、リ・ユエの魂に直接響く。俺たちの魂は、今、かつてないほど強く結びついている。
「私は…アリアを消そうとした。彼女が、君を奪うと…理屈ではない恐怖に駆られた」
「それが嫉妬だ、リ・ユエ。そして、その嫉妬こそが、あんたを世界の鎖から完全に解き放った証拠だ」
俺は立ち上がり、リ・ユエの顔を両手で包み込んだ。崩壊しかけたシャンデリアの光が、彼の涙に濡れた頬を照らす。
「あんたは、自分の感情のために、世界を崩壊させかけた。それは、あんたがもう、世界の維持を最優先する機能ではないことの、何よりの証明だ」
リ・ユエは、その瞳を静かに閉じ、深く息を吐いた。彼の全身から、張り詰めていた異能の力が抜けていくのが感じられた。周囲の歪んだ空間も、元の穏やかな空気へと戻っていく。
「シン・ジエン……私は、君のプロットに従う」
彼はそう言って、俺の手を握りしめた。その握りには、もう迷いも、システム的な論理もなかった。あるのは、俺への絶対的な信頼だけだ。
「さて、最後の仕上げだ」
俺たちは、伯爵邸の裏庭に移動していた。周囲は静まり返り、荒れ果てた広間とは対照的に、庭の木々は風にそよいでいる。
リ・ユエは、静かに目を閉じた。彼の魂の深部で、前作で繋いだ世界システムへのインターフェースが開く。
「リ・ユエ。システムに伝えろ。『真の主人公はシン・ジエンであり、彼の魂の安定こそが世界を維持する』と」
「わかった」
リ・ユエの口から、古代の呪文とは異なる、静かで力強い言葉が紡ぎ出された。それは、感情を持った世界の柱の元・当事者による、システムへの最終報告だ。
「我、世界の元柱たるリ・ユエ、報告ス。旧プロットのバグ、全て排除。世界維持の新たな理、ここに確立ス。」
「真ノ主人公ハ、シン・ジエン。彼ノ魂ノ安定ヲ、最優先シロ。愛ハ、世界ヲ維持スル最良ノ機能デアル――」
リ・ユエの言葉が終わると、世界全体が微かに振動した。
そして、俺の魂に、世界の創造主の残滓から、最後のメッセージが流れ込んできた。それは、アリアが消滅する直前に聞こえたものと同じ、承認のサインだった。
『プロット承認。愛ノ論理、最優先。』
世界は、俺たちの「悪役令息と世界の柱の愛」という、前代未聞のプロットを、正式に受け入れたのだ。アリアが再生成される心配はない。俺たちの物語は、もう誰にも邪魔されない。
リ・ユエは目を開けた。彼の瞳は青く澄み、もう二度と狂気の炎を宿すことはないだろう。
「終わった。システムは、君のプロットを受け入れた」
「ああ。これからは、愛の暴走を、優しさという名の論理で制御するんだな」
俺はリ・ユエの頬にキスをした。
リ・ユエの顔に、初めて見る、人間らしい戸惑いと至福の笑みが浮かんだ。
「シン・ジエン…君の愛は、本当に最強の異能だ」
彼は俺を抱きしめた。その力は、以前のように俺の行動を制限する支配の力ではなく、ただただ俺を包み込む、保護の愛の力へと変わっていた。
俺は、彼の抱擁の中で、安堵のため息をついた。
社会的孤立という新たな破滅ルートは回避された。そして、俺たちの物語は、今度こそ、永遠のハッピーエンドへと漕ぎ出したのだ。
(完)




