26 二人の語らい
アランは何も考えずに階段を下り、一階の広間で談笑している人々を横目に、玄関から宿の外へと出た。
空はすでに真っ暗で、篝火台の灯が、石畳の道や家の壁を照らしている。夕食前に見たときよりも明るく見えた。
ベリンガールはアル・ファームやエルエッサムと違い、石造りの家がほとんどのため、発光石よりも燃料を使った火の明かりが多く、そのため風景も暖色系で、明暗がハッキリした、影の揺らめく世界となっている。
――ベネノアらしい景色だ。
この町に来たのは、妹の婚約発表のとき以来で、ついこのあいだのはずなのに、かなり前に感じている。
「殿下」
不意のことで驚く。
玄関の前に、両手を後ろに回しているアーシェが立っていた。どこか安堵している。
「勝手に外へ出ては危険ですよ?」
「あ、ああ。確かに、すまない……」
「何かあったのですか?」
「いや…… なんとなく眠れなくて」
「では、宿の主人に頼んで、暖かい飲み物でも入れて頂きましょうか?」
「そうだな、あとで貰うよ。――それより、ひょっとして起こしたか?」
「いえ、私も起きていました。殿下が部屋の外へ出たと思い、あとを付けました」
「なるほど、それなら起こしたも同然だな…… 悪かった」
アランが苦笑って言った。
アーシェは首を横に振って、
「大丈夫です、お気になさらず」と答え、後ろにあった両手を腰の前に出す。右手に携行拳銃を持っていて、それを腰のホルダーへ納めた。
「どうやら、心配を掛けたらしい…… すまない」
「いえ、そう言う約束で連れてきて頂きましたので」
アランが、ゆっくりと空を見あげた。
「どうだ? アーシェ。ベネノアは」
「そうですね…… 夜でも随分と明るい町だと思います」
「ロンデロントにいたら、そうかもな。バルバラントもそうだが、元は発光石の産地だから、木造の家が多いし、火を使った明かりはあまり見かけないよな」
そう言って、視線をアーシェへ向けた。
「しかし、この光景が君の母君が見ていた、懐かしい光景だと思う」
「…………」
「アル・ファームの首都であるリボンが、俺の故郷なわけだけど、そこは発光石と篝火が半々、と言ったところだ。――君はリボンに来たことがあるか?」
「いえ、遠出は今回が初めてです。ロンデロントも、町中をほとんど出歩いたことがありません」
「そうなのか…… ずっと母君と、あの小屋にいたのか?」
「はい。そもそも、遠出する余裕が無かったので」
「まぁ、確かにそうか…… しかも、母君が病気だったな? 確か」
アーシェが頷く。
「それなら、遠出が無理なのも仕方ない。――俺の母上も、病気だったんだ」
アーシェの眉がピクリと動く。
「五年ほど前に亡くなったが、随分と昔のように感じられる」
「そうでしたか……」
「君も、自分の親が大貴族の出身だったと言われて、本心では戸惑っただろう? 俺はあまりにも君と境遇が違うから、君は認められないかもしれないが…… 俺も、母上が亡くなったとき、始めて母上が王家の人間だったのかと感じて戸惑った覚えがある。
悲しいはずなのに、俺の抱く悲しみと周囲の人間や国民が抱く悲しみに、違いがあった…… それが身分差と言うものだ、と言われると、今では納得は出来るんだが…… まだ未熟だった俺には、どうも不思議に思えたんだ…… 同じ感情じゃないんだなって」
「正直、殿下の仰る通り、立場が違いすぎて分からない感覚です。ただ……」
と言葉を切ってから、続けた。
「お母様が亡くなったときの気持ちそのものは、なんとなく分かります……」
「そうだな…… そこは立場なんて関係が無い共通点と言えるかもしれない」
「そんなことがあったから、あの料理店から帰る馬車の中で、私を心配して下さったのですか?」
「えっ?」
「人の寿命は不平等で、いつ死ぬか、誰が死ぬのか、それらも含めて『未来のことは誰にも分からない』と……」
沈黙が流れる。
「私は、あのときの殿下の、言葉の意味がよく分かっていませんでした。むしろ、当たり前のことを言っているようにしか思えなかった……」
「――今はどうだ?」
「本当に、不平等で不公平だと思います」
「――なぁ、アーシェ」
彼女がジッと見てくるから、アランは続きを話した。
「ベリンガールへ入国する前のこと、覚えているか?」
「入国前?」
「トリナーム夫人の話だ」
アーシェがハッとした。
返事が無いから、アランから切りだす。
「地下水路で何がおこなわれていたのか、凡そのことは把握している。だが、俺が知りたいのは中身なんだ。君はブロムナーの制止を振りきって夫人を追った…… そのときの君の姿は、なんとなく俺でも予想が付く。しかし、君がブロムナーに担がれて地下水路から出てきたときは、監獄所で初めて君と会ったときと同じ…… まるで人形みたいだった」
「…………」
「教えてほしい。何が、君をそこまで変えたんだ? 地下水路で何があった……?」
「――仮に」と、俯くアーシェ。「殿下がそれを知って、どうするのです? 私の心情など、捜査に無関係のはず」
「君の母君の足跡や思い出の地を巡る旅も、捜査に無関係だ。つまり、俺は最初からずっと君の心…… いや、君の想いが知りたいと思っていた。
――俺は、ブロムナーとはやり方が違う。人は、損得と思惑だけで生きている存在じゃない。動機の原因は常に、心や想いがあるはずなんだ。それを辿っていかない限り、真実には決して辿りつかない…… 俺はそう考えている」
「そうですか…… 今になって思いますが、あなたはやはり変わった方なのですね……」
「変わっていない人間を探す方が難しいと言うものだ。そうだろ?」
「ええ、確かに……」
そう言ってから、彼女はフゥっと息を吐いた。それからアランの方を見やり、
「あの人は望まれていなかった…… だから、殺された……」と言った。
「望まれていなかった? どういう意味だ?」
「分かりません。ただ、私も同じ気がした…… 誰からも望まれていない…… きっと、私も知らないうちに、ダーレンと同じ組織に所属していて、その組織から望まれなくなった…… だから、私たちは排除された……」
――組織と言うのは黒幕連中がいる集団のことだろう。
そう思ったアランは、少し間をあけてから、
「しかし」と反論した。「君を冤罪にして殺そうとしたのは、まぎれもなくダーレン本人だった。ドロッカーが保管していた手紙から、そう判断できるぞ?」
「ええ、その通りです。だからこそ、手掛かりが得られると思って、それで、助けようとしました。そう…… 心変わりしたのは、ただ、それだけです」
――明らかに嘘だ。
「もし、それだけなら、地上に出てきたとき、あんなに落ちこんだりしないはずだ。情報を得るためと言うより、本当に助けようと思ったんじゃないのか? 復讐の相手であったとしても」
アーシェがまた俯いた。
「それは恥ずべきことではない」
「あの人は間違いなく」と、アーシェが前を向く。「私とお母様を忌みきらっていた…… でも、なんだかずっと怯えていたようにも思えたんです」
「怯えていた……?」
「はい…… ずっと怯えて、それを払拭するように私へ暴力を振るっていた…… そんな気がしました。それに死に際の、あの表情……」
「かなり怯えていたのか?」
「逆です……」
首を傾げるアラン。
「なんだか穏やかで、全てを悟っていたような感じがして…… それがなんだか、お母様と同じで…… 最後の最後に、情が湧いてしまったのかもしれません……」
「なるほど。その可能性は、無いとは言えない。ひょっとすると彼女も、心の奥底では君と母君に同情していたのかもしれないな」
「――私、今でもダーレン・トリナームが憎いですし、あの人が育ての親だなんて絶対に思えません。だけど、銃や盗み、侵入、外での過ごし方…… そういった能力を育ててもらったのは事実で、それがあったから、殿下たちに必要としてもらえた…… これだけは紛れもなく事実です」
「悪いが、今の話は半分、賛同できない」
アーシェがアランを見やった。
「君の能力をあてにしていたわけではない。無論、今は当てにしているが…… しかし、それだけで君に協力していたわけではないよ」
「そうですか……?」
「ああ。そもそも、俺は君と出会ってからずっと…… 今でも、心配でならない。
君は怒るかもしれないが、本音を言わせてもらうと、今の君はまだ、主体性が無く他人への依存性が高い。例の偽手紙の件も、君のそう言ったところを狙って作られた物だった。君は確かに成人した大人だが、それは法的なものであって、精神的に成熟しているとは言い難い」
「それを成熟させたい、と言うことですか?」
「当然、尊大なことを言っている自覚はあるよ。しかし、ブロムナーが言うに、俺は目の前の困っている人を、一人ずつ助けるような男らしい。効率が悪いし、人の上に立つ人間が考えるべき倫理観ではないと言われた。一生のうちに一人しか助けられないような王は、民からすれば暴君や無能と言われるそうだ」
「…………」
「しかし、一生のうちに一人だけでも、本当に助けてあげられたのなら…… それは自分の人生にとって、もっとも誇れることの一つだと思える。俺はどうも、母親似らしい。だから、人の上に立つ家柄に生まれたからには、その気概と覚悟と、揺るがない自己満足の配慮が必要だと…… そう思っている」
「最後の言葉は、王妃様から言われたのですか?」
「言われてはいないが、両親を見てそう思ったんだ。――君だって、母君やホザーさんから学んだことは多いだろう?」
「はい、たくさん」
「だったら、今度はそれを自分のモノにしないとな。俺もまだまだ出来てないことだけど……」
不意に、アーシェの口角があがる。
アランは妙に思えて、眉をひそめながら、
「なんだ? どうした?」と言った。
「いえ…… お母様に『損ばかり引きうける子だ』と言われたのですが、殿下の方がよっぽど損をする性格に思えまして。でも、それが信念に結びつき、自分の誇りに変えていらっしゃるのが、私のような人間からすれば、とても羨ましくて……」
「君も変えられるさ、必ず」
「どうでしょうね……」
アーシェがまた前を向いて、寂し気に微笑む。それで、アランが目を細めた。
「私は」と、アーシェが続ける。「今でもまだ、お母様が死んだと認めたくない気持ちに駆られますし、黒幕の連中へ絶対に復讐したい気持ちがいっぱいで…… それが自分の本心だと分かっているのに、ダーレンのときのように躊躇してしまいそうで……
そんな優柔不断で陰湿で気弱で…… どこまでいっても嫌な女に思えます。とにかく、そんな自分が凄く嫌いです……」
「今の君に、復讐をするなとか、そんな綺麗事を言うつもりは無い。だが、君のお母さんが生きていたらきっと、色々と経験して、自分の嫌なところを受け入れながら、その感覚を薄くしていけば良いと…… そう言いそうな気はする」
「そうですかね……?」
「嫌な自分を自覚しているなら、向きあう機会に恵まれていると言える。君なら、きっとそれが出来るはずだ。あと、性根は消さなくていいさ。完全に消えるとも思えないし。
――ただ、自分のために、他人を傷つけることを良しとしないでほしい。それだけは、絶対に守るべきことだ」
「守れますかね、私なんかに…… 今の自分から変われるとも思えないのに……」
「先程も言ったが、全て変わることは不可能だろう…… しかし、俺は心配していないよ。正直、君は素直で真っすぐな性格だと思う」
「…………」
「何より、過酷な環境でも生き抜いて、強くて逞しく見える。俺も見習って、そんな風になれるよう変わっていきたい」
アーシェが不意に、吹きだすように笑った。無論、大声でも無いし分かりやすい笑いでもないが、いつか見たときのように、右人差し指の側面を唇に当てて堪えている。
「な、なんだ? どうした?」
「申し訳ありません」
と、こちらを向く。初めて目尻が緩んでいるのを見た。
「殿下は強さを見せて人の上に立つよりも、同じところに立って、物怖じせず権力者に進言をする人…… そのような立場におられる方が、似合っている気がします」
アランがハッとした。そして、彼も思わず口角をあげる。
「実は…… 妹のアルメリアにも同じようなことを言われたことがあってな……」
「では、間違いありませんね」
「自覚は無いが、そう言うものなのか……?」
「殿下のお兄様は、周囲の話を聞いている分ですと、典型的な国王気質の方に思えます。それなら、殿下は剣ではなく『杖』になるべきかと」
「杖か…… なるほど、言い得て妙だ」
「権力をどこへ振るうべきか判断する、大切な基準を与える人。そして、ブロムナーと言う暴走しがちな人間を御するのも、殿下がもっとも適任かと存じます」
「まぁ…… あいつもどうやら俺と同じで、兄様にまだまだ認められていないようだからな。ただ、前よりは少し変わった気がするよ」
「そうなのですか?」
「地下水路が増水したとき、君を放置せず、ちゃんと地上まで救助してくれたからな」
「すると、以前はそれさえしなかったのですね?」
「身内でも同僚でも無いし、それを理由に放置していたと思う。だから、変わったと思いたいところだが…… とにかく、こちらの手助けがあいつの任務になったようだし、もう少しだけ彼と仕事を続けようと思う」
「それが、ようございます」と微笑んだ。
「――良かったよ」
「えっ?」
「君はどうも、そちらの方が本来の姿らしい」
「本来……? 何がです?」
「ズゲズゲ言ったり憎まれ口を言うとき、意識してそうしていたと言うことが分かって…… なんだか安心した」
ハッキリと、アーシェの頬が紅潮していた。
「――それでは今後、バレないよう精進致します」
そう言って、彼女がぷいっと背を向ける。
アランは微苦笑を浮かべて、背中を見つめていた。




