17 いざベリンガールへ
偽造した手紙の謝罪は、思った以上に穏便に済んだ。そしてアーシェから、学園に行く予定は変えたりしないと言う頼もしい言葉も貰った。
――あとは、彼女を母親の故郷へ連れていくと言う約束を果たすだけだ。
夕食を食べ終えたアランは、安堵の気持ちを持ちながらそんなことを考えつつ、執務室に入って、机前の椅子に腰かけた。
そうして、すぐさま一つ目の用事――ブロムナーを元いた部隊に戻してほしいと言う進言を手紙にしたため、封筒に収めた。
手紙の宛先は、兄のドラグナムが一度は立ち寄ることになっている、アル・ファームの首都リボン内にある、アル・ファーム城である。
――これを明日、ブロムナーに渡せば良い。そして彼との、長いようで短い付きあいが終わる。ひょっとすると、すぐに問題を起こして戻ってくるかもしれないが。
とにかく、彼に対する自分の役目は終わったと考えたアランが、次に、旅行鞄が置いてあるところへ移動した。
諜報用の道具などを鞄から抜いて、代わりに着替えや入り用の物を収めていく。
旅の準備を整えているのは当然、アーシェをベリンガールへ連れていくからで、早い方が良いだろうとなって、明日の午前中に出発することが決まった。
「こんなものか」
そう言って、あとに追加する物を入れる隙間をあけておいてから、一旦、鞄を閉じた。
すると扉を打つ音がして、
『殿下、少々お時間を頂いても?』
と、ブロムナーの声がしてきた。
「分かった、入っていいぞ」
アランがこう言うと、すぐさま扉が開き、ブロムナーが入室してきた。
「近衛騎士ですが、相談の結果、やはり同行させることにしました」
「いいのか? 人手が足りないのに」
「また殿下が勝手なことをせぬよう、監視してもらう必要がありますので」
「あれはもうやらないと言っただろ? 全く、しつこい奴だな……」
そう言ってから、アランが思い出したような顔で、「ああ、そうだ」と続けた。
「せっかくだし、この手紙を渡しておく」
アランが執務机に行って、先程、書いた手紙を取りあげてブロムナーのところへ近付いた。
「なんですか? これは」
「兄様へ宛てた、お前に関する進言書だ。明日に出せば、ほぼ間違いなく兄様に受け取ってもらえる。遅滞なく配置換えがされるはずだ」
「そうですか」と言って、ブロムナーが手紙を受け取った。「ありがたく受け取ります」
「まぁ、うまくやってくれ。くれぐれも他の者に粗相が無いようにな」
「お気遣い感謝します。殿下も死なないようご注意ください。いつか運が尽きて、そうなりそうですから」
「肝に銘じておく。――特に、戦闘と諜報には参加しない」
「賢明な判断です」
「じゃあ、短いあいだだったが色々と勉強になった。兄様の部隊にいるのだし、機会があれば会うこともあるだろう。そのときは宜しくな」
「ええ、こちらこそ。――ところで殿下」
「なんだ?」
「ベリンガールへ行かれるとのことですが…… どの程度の日数、滞在なさるおつもりで?」
「それほど長くはいない。だが、急いで行くこともしない。――大体、一週間ほどになると思う」
「一週間ですか?」
「ベネノアへ行くからな。町の停留所で馬を交替させ、途中の町や村で休みを入れて…… そうして行けば、まぁ、一週間くらいだろう?」
「なるほど…… くれぐれも向こうの貴族や大統領などと鉢合わせしないよう、ご注意ください。面倒なことになると思うので」
「たとえ鉢合わせても、こちらの意志と予定は変わらない。それに今の彼女は、まだアル・ファーム人だ。ベリンガール貴族ではない」
「そうですが、向こうも向こうで何かしら理由を付けて利用しようとするでしょうから。面倒と言うのは、向こうが提示してくる善意や好意も含みます。ご友人…… いえ、義兄弟も含めて」
「――とにかく気を付けておくよ」
そう言ってから、アランがアーシェの準備の進み具合を見に行くと言うので、ブロムナーも一緒に彼と廊下へ出た。
「宿はどうするのです?」
隣を歩くブロムナーが言った。
「秘密裏に動きたいし、その都度、探すよ。南部地方はいいとして、中部地方から北はあいていないかもしれない。場合によっては車内で寝るか、野宿だろうな」
「一国の王子が野宿ですか…… 誰にも見られないよう祈りたいところです」
「仕方ないだろう…… こっちも好きで野宿するわけじゃない」
「そもそも、彼女に母親の故郷を見せたいと言う感情が、私には理解できませんね……」
「今は無理に理解しようとしなくていい。そこよりも、まずは人の気持ちを理解する訓練をしてほしい」
「善処します」
「する気があるように聞こえないんだが……」
アーシェが使っている客室の前まで来た。
「じゃあ、これで」とアラン。
「ええ、お元気で。くれぐれも旅先で、彼女に手を出したりしないように」
「するわけ――!」と言いきる前に、ブロムナーが立ち去っていく。
だから、アランは憤りながら溜息まじりに彼の背中を見送って、それから客間の扉をノックした。
いつも通りメイドが出迎え、準備は進んでいるか尋ねると、
「丁度良いところに」
と、メイドが言った。
「準備は進んでいるか?」
「実は、アーシェさんの服を見てほしいのです。お時間、宜しいでしょうか?」
「服? 俺が?」
「一般的ですけど、貴族らしさも残せるような服が良いと思いまして。平民の私ですと、どうしても地味になってしまいますので……」
「いや、なんでもいいと思うが……」
メイドが鋭くアランを見つめる。
彼は頭を掻き、
「いや…… 分かった、確認させてもらう」
と言うと、メイドに笑顔で迎えいれられる。
ベッドには鞄が置いてあり、たくさんの服が並べてある。その前にはアーシェがいて、いつも着ていた貴族らしいドレスではなく、町中でもよく見掛ける一般的な服装――地味な色合いの、裾の長いスカートに白い服を着ていた。
「いかかでしょう?」とメイド。
「まぁ…… そうだな……」
「――殿下」
不意に、アーシェが言った。
「助けてください、これで十着目です……」
「えっ?」
アランが驚きつつ、背後にいるメイドの方を見やる。
「だって、こんなに可愛いらしい子が元気になってくださったのですよ? しかも、ご両親の故郷へ行かれるとか…… 私としましては、恥ずかしくないお姿で出立して頂きたく存じまして」
彼女はここ一ヵ月ほど、ずっと世話をしていたのもあって、どうもアーシェに親心――と言うべきかどうか不明だが、とにかく情が移ってしまったらしい。
「あのな、君…… 出掛けると言っても、ベリンガールの首都へ向かうんだぞ?」
「ええ、存じております。同僚の子にベリンガール出身の子がいて、その子から色々と現地の情報も仕入れました。南部だとあんなに近いのに、北の方となると随分、遠くなるのですねぇ」
「いや、そう言う意味じゃなくてだな……」
困惑した顔でアーシェを見やり、彼女に向かって、
「君はどんな服がいい?」と尋ねた。
「――動きやすいのがいいです。ズボンとか」
「じゃあ、あれでいこう」
そう言ったあと、アランが何着もベッドに置いてある女性用の服ではなく、クローゼットから紳士用のズボンを引っ張りだしてきた。
「裾を合わせたら履けるだろう」
「殿下……!」
メイドが声をあげて近付き、ズボンを取りあげる。
「いくらなんでも、これはあんまりですわ! ズボンだなんて……!」
「い、いや…… 今だったら来ている女性も見掛けるし、動きやすいぞ?」
「それは社交界の話でしょう? これではアーシェ様がより一層、子供っぽく見えてしまいます!」
「しかし、本人が着たいと言うのだし、そこは尊重してやらないと……」
「駄目です……!!」
と言って、彼女がアランの背中を押しやった。
「お、おい……! なんだ? どうした?」
「やはり殿下はお外へ! ここはメイドの私が、威信に掛けてでも選びます!」
「何を言っているんだお前は……! ちょ、ちょっと待て……!」
そうこうしているうちに、アランは部屋から追い出される。
アーシェは手を伸ばして呼び止めようとするも、時すでに遅しであった。
それから夜が更け、空が白んで、徐々に青くなっていく。
領事館の正面玄関には、いつもより大きめの馬車が止まっていて、大き目の車の後ろには、鞄などの荷物が置かれてあった。そして、馭者台には近衛騎士が二人座り、四頭の馬を操ることになる。
旅衣装に身を包んだアランとアーシェは、すでに車内にいて、向かい合うよう座席に座って、出発を待っていた。
「なんだか仰々しい馬車ですね……」
窓から外を見ていたアーシェがそう言うと、アランは苦笑い、
「荷物もあるし、一応は国の代表者としてベリンガールに入国するからな」
二人が話をしているうちに、馬車が走りだした。
事前にアランが、見送りしなくても良いと言ったこともあって、静かな出発となる。
「――どうかしましたか?」
アーシェが、アランからの視線を感じて尋ねた。
「あ、いや…… 昨日の一件を思い出してな。結局、どんな服装になったのか気になって」
「あのあと、ずっと着せ替えさせられておりました。本物の人形は、あのような大変な仕事を毎日しているんだと思えた次第です」
「でもまぁ、その甲斐あって動きやすそうじゃないか」
今日の彼女は、希望していたズボン姿ではなく、膝くらいの長さのスカートに、多少の装飾が入った、レース入りの服を着ていた。
不意に、アーシェが両手を広げる。
「いかがですか? 殿下」
少し間があいた。勿論、彼女がどんな気持ちで問うているのかなど、訊きかえしたりはしない。
さすがのアランでも、それくらいの意図は汲み取れる。
「いいと思うよ。とても動きやすそうだ」
反応を貰った彼女の表情は、特段、なんの変化も無かった。しかし、それが逆にアランを安堵させた。




