5 本当の名前
執務室は二階にある。
階段をあがって、突きあたりの部屋の扉を開き、大きめの執務机の前にある、大きめの椅子へ腰を下ろした。
机の上はインクやペン、封蝋や小型のアルコールランプの他に、様々な資料が積まれてごった返している。それらは王冠盗難に関する資料や新聞の他、アル・ファームの首都リボンでの出来事や、隣国ベリンガールやエルエッサム、バルバラント地方の出来事が書かれた報告書も含まれていた。
それらを一度、脇によけて、引き出しから手紙の封筒と厚紙を出す。
蓋をあけたインクにペン先を浸し、そのペン先を今度は紙面へ下ろして、滑らせた。
手紙の内容はざっくり、『死刑囚の身柄をこちらに移送して監視する旨。それから、王冠の行方調査と犯罪組織の残党との関連性を調べるために協力させる』と言うものと『殺人事件の件は、状況証拠から冤罪の可能性が高いため、王立特務機関で再度、捜査することを決定する』と言うものであった。書き終えるともう一枚、同じ内容の手紙をしたためる。
それから三枚目の手紙で、『今までに判明した事柄』と『頼まれた少女を確保した。昼過ぎに迎賓館へ来てほしい』と言う内容のものを書いた。
書き終わったら、それぞれの手紙を三つの封筒へ納め、小型ランプに火をつけて、封蝋の欠片をスプーンに乗せて炙り、溶けた蝋を封筒へ垂らしてから伸ばす。最後に棒状の蝋印を押し付け、
「よし」
と、アランが呟いた。
不意に扉を打つ音がしたから、入るように促すと、ブロムナーが現れた。
「また勝手なことをされましたね? 殿下」
開口一番、文句を言われるのに慣れていたアランは、溜息まじりに、
「汚れたまま館内を歩かせるのか? 外部の誰かに見られたらどうする?」
「食事の用意までさせたとか……」
「どう考えても、あの体重はおかしい。今、死なれたら困るだろ? それに、お前流に言うなら『恩を売っておけば正直になるかもしれない』」
「売る相手は選ぶべきですがね」
「じゃあ、カメリアさんの言いつけを破って、窃盗や殺人の詳細な状況をこちらから話すのか?」
「まさか。そもそも、質問に答えさせる方が、こちらの裏取りも確実なものとなります。カメリアさんの言付けなど全くの無関係ですよ」
「とにかく、あのままだと埒があかないだろう? 何も喋らないのだから」
「どうですかね」ブロムナーが眼鏡を触る。「彼女は間違いなく、誰かに依頼されて盗みを働いたはず。気掛かりなのは、殺人も依頼されていたかどうかです。その点に関しては、殿下も同意して頂けますよね?」
「いや、殺人に関しては依頼されていたとは考えにくい」
「なぜ?」
「お前も分かっているだろ? カメリアさんの言う通り、状況証拠からしておかしいし、彼女は一貫して殺しについて否定していないが、肯定もしていない。盗みに関してはハッキリと否定したり、その依頼主について黙秘しているのに」
「それだけで、殺人を依頼されていないと考えるのは、少々どうかと思われますが……」
「なら、誰が依頼したと思っている?」
「考えられるのは、彼女に近しい関係者かと。あの様子では、外に出て不特定多数の人々と交流しているとは考えにくいので」
「では…… 彼女が務めている屋敷の人間が、強盗殺人を依頼したと?」
「無論、それで間違いが無いと言うつもりはありません。ただ少なくとも、彼女から話を引き出すなら、その人たちの名前を出して揺さぶるべきかと」
「馬車の中でやっていたことを、またやる気か?」
「――彼女には母親がいます」
アランの言葉を無視するように、ブロムナーが話を進めた。
「情報によれば小間使いをしているそうですから、おそらく二日前に、トリナーム家の庭にいた、あの女性でしょう。名前は確か、ラニーだったかと。――本名かどうかは、今のところ不明ですが」
あの子の母親…… 確か、四十代くらいで、長い片側のおさげをしていた女性だったはず。
「着飾っていた方が」と、ブロムナー。「トリナーム家の現当主…… 名をダーレンと言います。こちらは本名で間違いないです」
「あの人か…… 庭にいた二人、それほど年齢は離れていなさそうだな? それからコッペリア…… だったか? 裁判記録では素性や犯行内容が明確に書かれていなかったが、どちらの娘なんだ?」
「部下の調査によると、ほぼ間違いなくラニーと言う女性の方でしょう。市民登録の情報によると、トリナーム夫人には子供がいらっしゃらないようなので。
あとそれから、夫人の亡き夫は、ホザー・トリナームと言う方で、ラニーさんは彼が雇った小間使いだそうです。近辺の聞きこみをした部下の話では、ある噂があって、ホザー様がラニーさんを大層、気に入っておられたとか。傍目からは相思相愛だったそうです」
「それで、ホザー・トリナームの亡き今も屋敷に残っているわけか」
「あくまで噂の域を出ませんが…… 別の部下の調査によると、ホザー・トリナームが何かしらの理由から、コッペリアの母親を正式に『妾』にしたとか」
「妾……? 今時、そのようなことをする貴族がいるのか?」
「少し前までは当たり前にありましたので」
「一世期も前は大昔だろう?」
「先々代の国王陛下は、百年前に近いところでお生まれになっております。今の時代、親子三代で百年経過が普通ですから、そう昔とは言えません」
「屁理屈はもういい」
手を払って軽くあしらいつつ、アランが言った。
「それより、今から自治区長と警護総司令官へ手紙を送る。彼女の身柄と捜査について、知らせておかないとな。あと、カメリア夫人にも」
「お好きにどうぞ。
――もう少しすれば、あの少女を連れて近衛騎士がやって来ますよ。先ほど、メイドに連れられて客室の方へ入っていきましたから。服を見繕っているはずです」
「そうか…… じゃあ、俺たちもそろそろ応接室へ向かおうか」
「――殿下」
ブロムナーが眼鏡越しに鋭い視線を送った。
「くれぐれも、同情などなさらぬように」
「なんだ? どういう意味だ?」
「あの少女には、まだ殺人の嫌疑が掛かっています。確かにカメリアさんの推理通り、殺人は冤罪の可能性が高いかもしれません。しかし、ネイドさんの屋敷を捜索しても、事件と関連がある情報は何も無かったですし、殺害現場にも痕跡らしい痕跡は何も残っていない。
そうすると、彼女が殺人も犯した可能性は、現段階でゼロと言えない……」
「記録にあった内容は全て分かっている。――さすがに諄いぞ?」
「いえ、分かっているとは思えません」
「何……?」
「あなたは間違いなく、少女に同情している。――私自身、ドラグナム殿下へ進言したことがあります。レイアラン殿下を特務機関に置くべきでは無い、と」
「…………」
「私は今でも、殿下は相応しく無いと思っております。もし、私の評価を覆すおつもりなら、もう少し冷酷になって頂きたい。アル・ファームを魔の手から守るためにも」
「一つだけ言っておく」
ブロムナーが無言だったから、アランが続けた。
「お前が兄の部隊から外され、私とともに行動するよう言われた理由は、その冷酷さにあるんじゃないか?」
「優しさは国民が持っていれば良い。それは祈りのようなものだ。我々、官僚側には不要な感情です。そんなもので、どうやって国民を守っていくのです?」
「その思いあがりが民の抑圧に繋がり、戦争と国の滅亡に繋がっていったのは、歴史を知れば明らかだ」
どこか重い沈黙が流れた。
二人のあいだには、ベリンガールとアル・ファームの海峡よりも深い溝、高い崖があるようだった。
そこへ、扉を打つ音が割りこんでくる。
『殿下』と、メイドの声がした。『アーシェルテン様を、騎士の方とともに応接室へご案内致しました。軽食もそちらへ運んでおります』
ブロムナーもアランも、扉を見やって眉をひそめている。それから、互いに目を合わせた。
『――殿下?』
「あ、ああ! すまない!」と、アランが立ちあがりつつ言った。「悪いが、ちょっと部屋に入ってきてくれないか?」
『えっ?』
「その…… ちょっと君に聞きたいことがあるんだ」
少ししてから扉がゆっくり開き、恐る恐るメイドが入ってきた。彼女は、アランが湯浴みなどを依頼したメイドである。
「あの…… どうかなさいましたか?」
「いや、別に問題があったとかの話ではない。大丈夫だ。――それより君、さっきアーシェルテンと言ったな?」
「はい……」
「その名前、ひょっとしてあの少女の名前か?」
混乱しているようだから、ブロムナーが助け舟を出すように、
「失礼。実はね、我々はあの子の名前を知らないんだ。尋ねても教えてくれなくて…… 今後はどう呼ぶべきか迷わずに済むから、大金星だよ。本当に助かった、ありがとう」
「いえ、そんな…… なんだか恐縮です」
「しかし、我々には頑なに喋ってくれなかったのに…… やはり女性同士、気が合うと言うことかな……?」
「どうでしょうね…… でも、確かに全然、喋ってくれなかったです」
「でも、君には名前を話してくれた。そうだろう?」
「話してくれたんですかね、あれ…… なんだか、譫言みたいな感じでしたけど……」
「ほう。どこでそんな譫言を? ちょっと興味がある。我々には本当に何も話してくれなかったからね」
「えっと…… 湯浴みの最中です」
「――黙って洗っているのが耐えられなくて、君から話しかけた、とか?」
アランが世間話のように軽く言うと、メイドが何度か頷き、
「お恥ずかしいですが、実はそうなんです」と苦笑った。「あの子、本当になんにも反応しないし、その、口元もそうですけど、体中がアザと傷跡だらけで、痛々しくって…… どんな言葉を掛けてあげたら良いか分からず……」
ブロムナーとアランが互いの顔を見合わせ、すぐにメイドへ視線を戻した。
「すまなかったね」とアラン。「損な役を押し付けてしまって……」
「い、いえ、滅相もございません……! 事情はよく分かりませんけれど、冤罪で色々と大変な目にあってきたでしょうし、誰かを信用できないんだろうなぁって……」
――なるほど。アランはそう思った。
ブロムナーは、少女のことを説明するのに、冤罪で投獄されていたとし、それを保護しに来たとか説明したのだろう。
「とにかく」と、ブロムナー。「彼女に語りかけていたわけだ? 良かったら我々にも、何を語りかけたら喋ってくれたのか、教えてくれないか?」
「俺たちも、食事をしながら彼女と話をしてみたいんだ。少しでも落ち着いてくれるように」
アランは本心でこう言った。それが届いたのか、
「別に大した内容ではありませんけれど」と言った。
「今日の天気の話から始まって…… 迎賓館の事件のことを話したあと、どんな服が好きか、どんな食べ物が好きか…… そんなことを尋ねてました。あと、自分の出身がベリンガールなので、そのこととか」
「それで」ブロムナーが言った。「どこの話題のとき、彼女が名前を?」
「ベリンガールのときです。今度、ベリンガールへ里帰りしたとき、母へ何を持っていったら良いか迷っているって話をしたら、お母様って呟くから…… お母様はどこにおられるの? って聞いて。そうしたら、私と同じベリンガール出身だそうで」
「ベリンガール……」と呟くアラン。
「会話の糸口になると思って、私の母親の名前とか、自分の名前とかを伝えました。そうしたら、あの子も母親の名前と自分の名前を伝えてくれたんです……!」
メイドの女性は興奮しながら、随分と嬉しそうに語っていた。それは、当然だろうとアランは思った。
全く取り付く島も無いと思われた、あの小さな女の子が、やっと会話を成立させた。それにより、互いの心を通わせることが出来たのだ。
アランにはそれが、少しだけ羨ましく思えた。
「彼女の名前はアーシェルテン……」
アランが、話し終えたメイドの言葉を引き取るように言った。
「――母君の名前は?」
「ラニータ・レイナックだそうです」
アランもブロムナーも、驚嘆した。メイドは二人の顔に驚いて、
「あ、あの……」
「いや、その、すまない」アランが誤魔化し笑って言った。「知りあいの名前によく似ていて、ちょっと驚いてしまったんだ」
「そう、ですか……?」
「ありがとう」と、ブロムナーが急に言って一礼した。「おかげで、我々も彼女と話が出来そうだ。今度、あなたの母親への贈り物にピッタリの物を用意させて頂くよ」
「えっ! いや、そんなわざわざ、私のような者に……!」
「何を送るか迷っているんだろ?」と、アランが微笑む。「せっかくだし、俺からも用意させてもらうよ。あとで、母君の好みを教えてくれ」
メイドがしきりに恐縮していたが、アランが任せてほしいと続けて言うから、嬉しいやら恥ずかしいやらで、ワタワタしていた。
ひと段落して、メイドが退室するのを見送る。
そうしてから、アランとブロムナーは互いをまた見やった。
「レイナック…… あのレイナック家と言うことか……?」
アランの言葉に、ブロムナーが眼鏡を二回ほど動かし、
「確定するのは尚早です。ただ、めでたく母親の正しい名前も分かったので、本物かどうかはすぐ分かります。妾の件も、詳しく調査する必要がありそうですね。――とにかく、調査すべき事柄が増えるのは、今の段階では喜ばしいことです」
「そうだな」と言って、言葉を切ってから、「アーシェルテン・レイナック……」
と、困惑した顔で少女の名前を口にした。




