4 偽りの手紙と、本当の涙
兄のドーラが領事館を去って少し経ったあと、シェーンも馬車に乗って、教区の方へと戻っていった。
彼らの見送りを終えたアランが、エントランスホールへ入ったとき、丁度、見覚えがある人影が立っていた。
「殿下、お疲れ様です」
「ブロムナーか…… どうしたんだ?」
「立て続けで申し訳ありませんが、応接室へ来て頂けませんか? アーシェさんのことで少々お話が」
大体、彼の言わんとすることは分かっていたが、
「じゃあ、向かおう」
と言って、応接室へと向かった。
応接室の中は少々、散らかっていて、所長室から回収した被害者の服や持ち物がそのまま安置してあり、そこへさらに、別の証拠品などが追加で置かれてあった。
書類などが置かれ、雑然としている長机の椅子に、アランとブロムナーが向かい合って座る。
「ドラグナム殿下がお伝えされていると思うのですが、改めてお話させて頂きます」
「アーシェをスーズリオン学園へ入れると言う話だろ?」
「ええ。――色々と協議した結果、ベリンガールへ返すより、双方に得があるだろうとなり、ひとまずそちらの方向で調整することとなりました」
「なら、俺に話を通す必要は無いんじゃないか?」
「正直、そちらの方が面倒が無くて良いのですが、残念なことに、私や他の連中だと、彼女は頑なになりましてね。殿下に事の詳細をお伝えしてもらい、動いてもらう必要が出てきたのです」
アランは、相変わらずだと思って溜息をついた。
そんな彼の心境などお構いなしと言わんばかりに、ブロムナーが書類の山の上から、紙切れを一枚、手に取ってアランの前へ差し出した。
「これは……?」
――どう見ても、書類には見えない。
「偽造した手紙の中身です」
「偽造……? 誰への手紙だ?」
「ラニータ様の手紙として、アーシェさんへ渡してほしいのです」
アランが眉をひそめた。当然の反応だったのか、どうでも良かったのか分からないが、ブロムナーはやはり平静のまま、
「今は、殿下の言うことをアーシェさんも聞いてくださります。しかし、時間が経って心変わりすると言うことも充分に考えられます。
特に、以前のような状態に戻ってしまうと、いつ学園を辞められるか分かりません。そこで、母親からの意志を引き継ぐと言う形で協力を促し、学園を卒業するまで、そこにいてもらうよう仕向けます」
「――内容を確認したい。読んでもいいか?」
「ええ、ご確認ください」
アランが偽造された手紙を拾いあげ、黙読した。
そこには、いつぞやアーシェ本人から聞き、ブロムナーに報告した事柄…… 『外の世界を知ってほしい』と言うことと、『仮に自分が死んでも、気に病むべきではない』と言うこと、それから『悪いことにはもう手を出さないでほしい』『普通の生活を送り、困っている人に手を差し伸べるだけの、心の余裕を持った大人になってほしい』と言うことが書かれてあった。
アランは読み終わった偽造の手紙を机へ置き、
「ここまでしなければならないのか?」と尋ねた。
「本来なら、ここまではやりません。一人の人間の面倒を見るのは我々の管轄外ですし、むしろ、ベリンガールへ引き取ってもらう方向で調整すべきです。
しかし、今回は事が事です。
アーシェさんの立場も考慮に入れる必要がありますし、それ以上に、奴ら黒幕の組織規模や資金源が不明な今、特定することが先決です。
どこかの誰かを支配するために、また司法操作などを企てているかもしれない…… アーシェさんと同じ境遇の人間をまた生みだす、と言うことを阻止するのは、最優先で考えるべき事柄と言えます。ある意味、爆薬の密造密輸の組織を見つ出すこと以上に優先すべき事件です」
「…………」
「偽造に関しては、バーラント様が提供してくださった、ラニータ様の私的な手紙を拝借して作成しました。加えて、偽造した筆跡も鑑定士に確認させてあります。娘と言えど、偽造されていると気付くことは無いでしょう」
「では…… その偽造した手紙を、なんと言って渡すんだ?」
「『逮捕される直前に書き残したものだろう』と言ってください。逮捕時に警備兵が回収してあったのを、ビリーが入手し、今度は我々が所長室で発見した…… そういう流れでいきましょう。
それから、学園に入学後も我々が助力することもお伝えください。以前から、密造密輸の組織を洗いだすため、エルエッサムに潜伏して調査する手筈を整えてありました。それを使って周囲の目を誤魔化す予定でいます」
「分かった。しかし…… このことは一生、彼女に黙っていることになるな……」
「特務機関ではよくある話です。だからこそ、普通の役職よりも守秘義務が求められるのです。他人の人生に大きな影響を与えるわけですから」
アランがまた溜息をついた。そうして、
「分かった、渡しておく。封筒の準備をしてくれ」と言った。
「そうですか…… では、お願いします」
「なんだ? その表情は」
「いえ。何かしら反発されると思ったので」
「あのままベリンガールの貴族社会へ放りだすわけにはいかない…… 下手をすれば第二の秋の革命だ。それに関しては、俺も兄様も同意見だった。加えて、学園へ入れて勉学に励んでもらうと言うのも…… 悪い選択肢ではないはず」
「仰る通りかと」
「――今から渡しに行ってもいいか? 早い方が良いだろう」
「では、お願い致します。封筒へ入れ、それを破いて中を確認したことにしますので、少々お待ちください」
ブロムナーが偽造した手紙を持って立ちあがる。
アランはそれを見送ってすぐ、自然と視線が下向いた。
しばらくしてから、封筒に入った手紙をブロムナーから受け取ったアランが、応接室を出て、二階にある客室へと向かった。
アーシェがいる客室の扉をノックすると、
『どなたですか?』
と、メイドの声がしてくる。
「俺だ。アーシェと面会できるか?」
『少々、お待ちください』
と言う声のあと、扉が開かれた。
「お待たせしました、殿下」と頭を下げる。
「ご苦労様。――悪いんだが、しばらく部屋から出ていてくれないか? 彼女と一対一で話がしたい」
メイドは再び頭を下げ、アランが入室するのを待ってから、低頭の姿勢で部屋から出て扉を閉めた。
アランの視線の先には、天蓋付きベッドに仰向けでいるアーシェの姿があった。
彼女の傍へと寄ってから、
「先程ぶりだな、アーシェ」と言った。
彼女は上体を起こしつつ、
「殿下、どうかなさいましたか……」
と、いつも通り生気の無い瞳で言った。小さな体に白の寝間着姿で、見た目から着せ替え人形そのものである。
「その…… 君に渡しておきたいものがあってね」
アランが懐から手紙を取りだし、彼女へと手渡した。
「すまないが、中身は先に確認させてもらっている。その上で、君に渡すべきだと判断した」
彼女が手紙を取りだそうとしないから、アランが「読んでみてほしい」と促す。
彼女は言われたままに、手紙を取りだして黙読し始めた。黙読してすぐに顔色が変わって、アランを見あげる。
それが、アランには辛く思えた。
「どこでこれを……?」
「所長室だ。――ブロムナーが言うには、死んだビリー所長の調査をしている最中に発見したらしい。おそらく逮捕直前に書いていて、ビリーかその仲間かに回収されていたのだろう」
アーシェは再び、視線を手元の手紙へと落とした。
雲に隠れていたらしい太陽が、顔をのぞかせたのか、昼下がりの明かりが窓から強く差しこんで、伸ばしているであろうアーシェの足元を強く照らし出す。
影が濃くなった彼女の顔は、さらに俯いて、前髪で目元が見えないくらいとなっていた。手紙が少し、滲んで濡れている。
――大丈夫かと、声を掛けたい。
しかし、彼女が大丈夫ではないことは明白である。そうして、騙していると言う罪の意識と相まって、アランは押し黙ったまま、肩を震わせている彼女を見守るしかなかった。
どのくらい経ったか分からないが、アーシェが少しだけ顔をあげる。
「私……」と、震える声で言った。「どうしたら、いいですか……」
「そうだな……」
こう言ってから一息ついて、しっかりした声音で続きを語った。
「良ければ、スーズリオン学園へ行ってみないか?」
「…………」
「もし行くなら、特務機関も協力すると言っている。心残りらしいトリナーム夫人に対する報復にもなるだろうし、何より、母君の意志も継ぐことになると思うし……
ただ、こちらも慈善活動で協力するわけではない。学園についての多少の調査をおこなってもらうことになりそうだ…… どうする?」
「…………」
「正直に言えば……」
今度は打って変わって、声量を抑えた声音で言った。
「今の君は、トリナーム家の遺産を相続する立場にあるんだ。
遺産自体はずっと手付かずだったこともあって、かなりの財産と言える。一年か二年ほど待っていれば、自由に使えるはずだ…… それを使って学園へ入学すると言う手も使える…… それでも、母君の意志を継ぐことになるんじゃないか?」
アーシェが天を仰いだ。そしてすぐ、目元を軽くこすってから、
「でもそれは、ホザー様と夫人のもの…… 私が手を付けるべきものではありません。それに……」
と言ったあと、今度はアランと視線を合わせつつ、
「私にもう一度、協力の機会を与えてくださって、ありがたく思います。これでまだまだ、黒幕の奴らを追い詰める機会が残されていると思うと…… 私、本当に嬉しく思えて……」
「…………」
「正直、今はもう、学園での勉強はどうでもいいです…… それよりも、お母様や夫人を殺した黒幕の奴らを明らかにしたい…… そして、然るべき制裁を与えたい…… それがお母様たちに対する、私なりの罪滅ぼしです……」
と、まっすぐに見つめながら言ってきた。
彼女の瞳は潤んで、少し赤かったが、きらきらと輝いて見えていた。それはもう、人形ではなく人間の瞳である。
――手紙一枚で、人はこうも変わるのか。
アランの心中は驚きと、どこか安堵した気持ちと、深い悲しみが入り混じっていた。それは、彼女の主体性がほんのわずかでも戻ったと感じられた喜びであると同時に、復讐と言う黒い感情を糧に、生きる意欲を取り戻したことへの焦燥感、何より、自罰的な部分が全く変わっていないところへの、やるせなさから来ていた。
――本当は、何も償う必要なんてない。彼女は、ただひたすらに被害者だ。
感謝の目で、まっすぐ見つめてくる彼女とは裏腹に、今度はアラン自身が、その視線を逸らすように背を向けつつ、横顔だけアーシェに向けていた。ほぼ無意識の行動だった。
「なら…… ブロムナーにそう言ってくるよ…… あとそれから、辛い状況なのに、協力を促すような形を取ってしまって…… 本当にすまない、アーシェ」
今の状況を考慮に入れた、精いっぱいの謝罪だった。が、彼女は首を横へ振って、
「ありがとうございます、殿下。
私にはお金も学もありません…… 私の願い…… 黒幕を見つけ出し、制裁すると言う夢と、お母様が勧めてくれた学園へ行くには、殿下のお力を借りるしかありません……
殿下、私のような人間に機会を与えてくださって、本当にありがとうございます。黒幕を捕まえるために私を使ってくださり、ありがとうございます」
彼女の頬をまた涙が伝っている。表情は柔らかく、今までに見たことがないほど、可愛らしく微笑んでいる。
その姿を見ていると、先ほどの複雑な感情は一切消えて、ただ一つ、耐えようもない辛さだけが残った。




