1 兄と弟の会話 その1
『じゃあ、俺はこれで』
二階にある客室の扉の向こうから、アランの声が漏れてくる。
『あとは、よろしくお願いするよ』
『畏まりました』
アランが扉を開いて、廊下へと出てきた。そうして、フゥっと一息つく。
――このやり取りが続くようになって、もう一ヵ月と半月ほどだ。
毎日、昼下がりにアーシェの容体を確認し、そのついでに雑談をするように声を掛ける。最初に目覚めたときは、脊椎も損傷せずに済んだため、問題なく体が動き、二言三言は会話してくれた。
しかし、以降は謝罪の言葉が出てくるばかりで、それだとこちらが精神的に参ってくるから、もう謝らないでくれと言ったら、今度は何も喋らなくなってしまった。
振りだしに戻ったと思うものの、話してほしいと伝えると話をしてくれるし、食事などに関しても、最初は拒否していたが、アランが食べるべきだと諭した途端、人が変わったように食べたり、湯浴みをしてくれる。
以前と比べると、まるで別人。聞き分けが良い従順な娘だ。
しかし、そこには主体性の欠片も無く、強いて言うなら、アランに行動の全てを決めてもらう隷属的な状態と言えた。
「これじゃあ、ただの人形だ…… 治ったうちに入らないぞ……」
アランが心配そうに呟く。
そこへ足音が近付き、
「どうでしたか?」
と、ブロムナーが尋ねてきた。
「お前か……」
「アーシェさんに感化されてきたようですね。どうも表情が暗い」
「感化などしていない。ただ…… このままだと、彼女は生きていけないと思っているだけだ」
「それを感化と言うのですよ、殿下。ご注意ください」
「――用事があってここへ来たんじゃないのか?」
「その通りです。二つの報告書を持ってきました」
「内容は?」
「まず、ベリンガール当局による、レイナック家の再調査に関する報告書です。先にこちらで確認させて頂きましたが、特に新しい発見は無く、齟齬も無かったと言う結論です。つまり、多少の変化はあれど、大切な部分は以前の情報とさほど変わりない」
「いつもなら、そんなもの持ってこないのに…… どうしてだ?」
「届いたら、すぐ持ってくるようにと言われたので」
「ああ…… まぁ、そうだったか……」
「次の報告書は、今回の一連の放火、および殺人に加担した人間たちの、簡易的な報告書です。併せて、ビリー所長の所長室に関する報告も入れてありますので、良ければご確認ください」
そう言って、右手に持っていた紙束をアランへ手渡した。紙束と言っても、数枚ほどの長方形の紙を二つ折りにした物である。
「――トリナーム夫人の遺留品は見つかったか?」
「残念ながら、文字通り水に流されてしまったようです。宿泊施設の部屋も調べましたが、特に目ぼしい物はありません」
「アーシェが言っていた、地下水路での一連の出来事…… そちらの裏付けは?」
「一応、私も現場にいましたので、裏付け自体は容易に出来ました。残念ながら、彼女を撃ち、トリナーム夫人を殺害したであろう犯人は不明のままです」
「それこそ、全て水に流れてしまっただろうしな……」
アランが紙をめくりつつ、廊下を歩き出した。伴うようにブロムナーも歩く。
「放火や殺人の犯人は?」
「詳細に関しては報告書をご覧ください。簡単に述べますと、今回の事件に関わったと思わしき実行犯は全員、逮捕することが出来ました」
執務室の前に辿りついた。
アランが扉を開き、ブロムナーと中へと入る。そうして執務机の方へ移動し、報告書をその上へと置いた。
「指示役は?」
振り向きざまに、アランが言った。
「残念ながら特定には至ってません。どうも、当初の我々が推測していた組織像と乖離があるようでして」
「ムハク一派ではないと言うのか?」
「実行役に選んだ人間は必ずしも、ムハク一派と繋がりがあったり、陶酔している人間では無かったようです。むしろ、無関係の者がほとんどと言えます」
「無関係だと?」
困惑するアランを余所に、ブロムナーは話を続けた。
「要するに、黒幕側には様々な境遇の人間が集められていた、と言うことになるかと」
「つまり…… 傭兵のように金で雇われた奴が多い、と言うことか?」
「たとえるなら、そうなりますね。ビリー所長のように金銭や、それに代わるような物を受け取って活動していた者が大勢いたと言うことです」
「その口ぶりだと、相当数の逮捕者が出ていそうだ」
「実行犯と言っても、放火や殺人をした人間だけではありませんから。単に、その計画の一旦を担っていただけだったり、知らぬうちに加担していた、と言う人々も含まれています」
「ああ…… 確かにそれらも実行犯と言えるな。失念していた、すまない」
そう言うと、アランはまた机の方を向き、報告書を拾いあげて黙読した。
「合計で二十三人、調査中が五人か…… 正直、思った以上の人数だ」
「恐ろしいのは、政府関係者や貴族、司法関係者、実業家の人間も含まれていると言う点です。彼等の罪状の重さ、関り方、全てがバラバラ。この点を鑑みると、指示役も相当数いると思われます」
「だとすると、黒幕と思われる連中は、俺達が思う以上の人数がいる大規模な組織…… と言うことか」
「資金が潤沢にありそうなのも、見逃せません」
「話に聞くだけでも、相当にばら撒いていそうだからな……」
「これほどの規模と資金を持った組織が、なぜ今の今まで我々の情報網にさえ引っ掛からずにいたのか…… そこが、本当に分かりません。現時点での、一番の謎です」
不意に、ノックが聞こえる。
『私だ』
アランだけでなく、ブロムナーも驚いた顔となり、二人共、背筋が伸びる。
『入るぞ』
現れたのはアランの兄、ドラグナムであった。
「久しぶりだな、アラン。それからブロムナーも」
「恐縮でございます」と深く頭を下げるブロムナー。
「二人共、ロンデロントで起こった大規模な冤罪事件の収束に尽力したそうだな。改めて礼を言う。ご苦労だった」
「勿体ないお言葉、恐縮でございます」
「冤罪に関するさらなる調査は、専門組織を編成し、事に当たらせることが決まった。お前たちは引き続き、ムハクと取引していた可能性がある爆薬の密輸や密造の組織を探してほしい」
「――兄様」とアラン。「子細承知ですが、いつロンデロント入りしたのです? 言ってくれたら迎えにあがったのに」
「こちらも色々と忙しくてな。ロンデロントには昨日、到着したんだ」
「昨日?」
「シェーン大司教と王冠を、教会の方へ送り届けてきた。そのついでに、お前たち二人と話しておこうと思ってな」
――そうか。
大司教と王冠を、バルバラントへ送り届けたのは兄のドーラだ。
そうすると、兄がまた送り届ける約束をし、そのついでにここへ来たのだろう。そして時期的に、バルバラントの奉納祭はとっくの昔に終わっている。
色々あって、奉納祭の存在をすっかり忘れていた……
「向こうで何かあったのですか?」
ブロムナーが尋ねると、ドーラが頷き、
「実は、奉納祭の直前に一悶着があったらしい」
と答え、その一悶着について話をした。
具体的には、王冠が魔導具であったと言うこと。そして、爆薬の素材を仕入れたりしていた密売組織を摘発する際、二名ほどバルバラントの大聖堂がある町、カントランドへ逃げ込み、潜伏している状態であったと言うこと。
その二名を追っているうちに、今度は大聖堂で『聖女』と呼ばれているアリス・バルバランターレンが子供となってしまう騒動が起こった。
その騒動を解決する中で、取り逃がしていた二名が死亡し、事件も騒動も解決したわけだが、新しい爆薬の存在も判明し、今度はそれの出所を追っている最中だと、ドーラが説明してくれた。
ブロムナーが呟くように、
「変形させやすく携行性が高い上に、密閉性が甘くても水中で爆発する新兵器ですか……」と言った。「また厄介な物が現れましたね」
「今のところ、犯人の一人であったレックが、実験的に作成しただけと考えているが…… どうも、それだけで終わりそうな気配が無い。含水爆薬とやらを作るための素材は、どうも特殊なようだからな」
「そもそも、王冠が魔導具と言うことに驚きを禁じえません。どうにも信じられない……」
「同意見だ。しかし、聖女が子供になってしまったのは事実だし、その原因が王冠にあるのも事実だ。彼女が子供の姿になっていたのを目撃した警備兵は多くいるし、大人へ戻すため、エリカが王冠の力を行使をしている」
「――ドラグナム殿下は、ロンデロントのダーレン・トリナーム夫人はご存じでしょうか?」
「トリナーム家か。面識は無いが、知ってはいる」
「では、こちらが得た情報もドラグナム殿下へお伝えしておきます。もし詳細が知りたい場合、改めて報告書を送ります」
「分かった。それでは頼む」
と言うことで、今度はブロムナーがドーラへ、冤罪と死刑の事件の顛末と、偽物の王冠窃盗に関する情報を話した。
「そうすると」と、ドーラ。「ムハク生存の情報に踊らされたトリナーム夫人が、ドロッカー男爵と共にムハク一派へ加わるため、アーシェルテンと言う女性に王冠を盗ませたわけか」
「確実な証拠があるわけではありませんが、夫人の書いた手紙などから推測するに、そのように考えるのが妥当な気がしまして」
「しかし、なぜ夫人と男爵はムハク一派に加わろうと考えた? その点に関してはどうなっている?」
「残念ながら、詳細については不明です。ただ、これも夫人が残した手紙から推測すると、『秋を取り戻す』の前身となる組織があり、ホザー・トリナーム様も、その組織の一員だったことが窺えます」
「前身となる組織か…… 初耳だ」
「よければ、手紙の内容をお読みになりますか? 領事館内の、貴重品の保管室に入れてありますので」
「そうだな、見せてもらいたい。それから、いくつかリボンへ持ち帰り、詳細な鑑定調査をおこなおう」
「ええ、勿論です。助かります」
不意に、扉を打つ音が響いてきた。
『殿下』近衛騎士の声がしてくる。『お客様がお見えです』
「誰だ?」とアラン。
『大司教のシェーン様です』
「シェーン大司教……?」
アランがドーラを見やる。彼は表情一つ変えずに、
「何やら、お前たちに用があると見える」と答える。
「では、レイアラン殿下が応対してくださいませんか?」
「俺が……?」
「はい。私はドラグナム殿下に手紙を見てもらいたいので。――それに個人的な見解を述べるなら、レイアラン殿下は奉納祭へ行く前にシェーン大司教とお会いし、話をしていましたよね? きっと、結末がどうなったのか知りたくて、いらっしゃったのではないかと」
ブロムナーの言うことはごもっともだし、ドーラとブロムナーのやり取りに入っていけなかった自覚もあったアランは、
「そうだな、行ってくる」
と告げて、一足先に執務室から出ていった。




