40 復讐するは我にあり
ブロムナーとアランが別々の目的のために走り出した頃、地下水路の奥に向かって突き進んでいたアーシェが、行き止まりにある梯子を見つける。やはり、上層部の梯子と同様に、鉄格子の蓋があげられていた。
――あいつはこの先にいる。
アーシェは梯子を使って、さらなる下層へと下りた。
小さなカンテラの中にある発光石の明かりだけを頼りに、ダーレン・トリナームの痕跡が落ちていないか、注意深く見渡しながら、暗い水路を進んでいく。
丁字路に差し掛かったとき、右手の通路に物が散乱していた。
一目散に駆け寄ったアーシェが、散乱している物を調べる。まだ散乱したばかりらしい、女性の持ち物やハンカチが落ちていた。
「ダーレン・トリナーム……!」
眉根が引き締まったアーシェが、通路の奥に薄っすら見える梯子を見やってから、足早に向かった。今度の梯子は道すがらにあり、鉄格子の蓋もあげられている。
どこまで下に続いているのか気にはなったが、それよりもダーレンを追いつめることを優先し、梯子を使って最下層の水路と言える場所へ降りて行く。
――と、不意に鉄格子の蓋らしき物が、バタンと凄い音を立て、梯子の上を塞いだ。
まだ梯子の途中にいるアーシェが、上を見やる。
明かな人影が見え、その人影が明らかに、鉄格子の蓋へ錠前を取りつけていた。
「ダーレン・トリナームッ!!」
アーシェが叫ぶ。
立ちあがった人影が鼻で笑いつつ、
「まだ生きていたなんて……! くたばりぞこないのドブネズミめッ!」
「お母様をどこへやったッ!!」
「お母様? ああ、あの女のこと……」と言うなり、クツクツと笑い始める。「とっくの昔に逮捕されたわよ。しかも、死刑になったたんですってね? いい気味だわ、ホント……!」
そう言って、彼女が懐へ手を入れているのが薄っすら見えた。
アーシェは両足首を、梯子の踏み桟の下側へ引っかけつつ、それを軸に、背後へ倒れるように上体をそらし、そのまま下へ落ちていくようにした。その途中、ホルダーから銃を取りだし、両手で銃把を握る。
ダーレンも銃を取りだして狙いを定める。
互いに引き金を引いた。
アーシェが一歩早く、夫人の銃身に弾を当てていた。そして、ダーレンが撃った銃弾は狙いとは違うところ――アーシェの服の肩口にある、フリルを撃ちぬいていた。
すぐさまアーシェが、腹筋運動の要領で上体を持ちあげると、銃の砲身ではない部分を脇へ挟みこみ、すぐさま梯子の両側の支柱を、手や肘、足の土踏まずでブレーキを掛けながら滑りおちていった。そうして脇から銃を取り、屈んだ姿勢で上を狙って発砲する。
ダーレンは撃ち返す暇も無く、鉄格子の蓋から離れた。
その後も二人は、互いを銃で撃ちぬこうと二、三発ほど撃ちあった。
やがてアーシェは、自分の足が水に取られて動きにくくなっていることに気付く。
「間抜けめ……! 撃ちあいに夢中で、放流の音が聞こえてなかったなんてさ……! 本当にいい気味だわ! そのまま死ねッ! 裏切り者めッ!」
ダーレンの叫び声だけが、梯子の上の方から響いてくる。
「せっかくこの私が、手塩に掛けて色々と仕込んでやったって言うのに、その恩を仇で返そうとするんだものッ! 本当にお前は、あのクソ女と同じッ! 寄生虫よりも性質が悪い人形なんだからさッ!!」
「お前なんか恩人じゃないッ!! 私欲のためにお母様を利用した、私と同類の犯罪者よッ!!」
アーシェは人生で初めて、悪態を大声で口にした。
「ホザー様はお前なんかにもう興味なんか無かった! 遺産も名誉もさっさと捨てて、屋敷から出ていけば良かったんだッ!!」
「黙れ小娘ッ! お前に何が分かるッ!! 夫婦の絆も知りやしないお前なんかにッ!!」
ダーレンが姿を見せる。途端に銃弾を撃ち込んできた。
動きが鈍いアーシェだったが、すんでのところで当たらずに済んだ。
「溺れて死ぬところじっくり見ててやるわよッ! アーシェルテンッ!」
すでに膝のところまで水位があがってきている。しかも、今から他の梯子や階段を探す時間は、無さそうだ。
「ほらほら! 命乞いしてみなさいな、アーシェルテンッ! お前と暮らしていた女みたいにさぁッ!!」
――くだらない人生なのに、こんなにも悔しく、無念に思えるときが来るとは。
アーシェはダーレンを生かして逃がしたと感じ、憎悪と失望感、苛立ちと憤怒が沸き起こって、目が潤み始めた。
すると、不意に銃声が聞こえる。
明らかにダーレンが撃ったものだが、銃弾はアーシェの方ではなく、別の方に飛んでいったらしかった。
「トリナーム夫人……! 銃を捨てるんだ……!!」
「こいつらもグルなの……!?」
ダーレンの声がした。そして、走り去っていく足音がした。
「待ちたまえ……!!」
――聞き覚えがある。
確か、特務機関の……
「君ッ! 大丈夫かッ!?」
ブロムナーって男だ。
彼は持っていた銃を、鉄格子の蓋に向けて数発ほど撃った。そして、腰から何かを取りだし、おそらく錠前を壊そうとしていた。暗くて見えにくいが、発光石の光で一瞬だけ煌めいたのを見るに、ナイフを使って、梃の原理で壊そうとしているらしい。
「錆びてボロボロだが、少し時間が掛かる! 落ちついて待つんだッ!!」
アーシェは言われた通り、黙って梯子をつかみ、流されないように耐え続けた。
水が腹部に到達するかと言うところで、金属の甲高い音が響く。そしてすぐに、蓋が持ちあげられた。
「急いでこちらへッ! じきに放流が始まるッ!!」
ブロムナーが叫ぶ。
アーシェは銃が水につからないよう進んで、梯子を片手でつかみ、少し昇ってからホルダーへ納めると、今度は一気呵成に昇りきった。
「大丈夫かね、アーシェさん」
息を切らせながら、「あの女……!」と言った。
「――夫人か?」
「あの女はどこッ!? どこへ行ったッ!?」
迫力に気圧されたのか、ブロムナーは遅れて、
「後ろ姿しか見ていないし、今は――」
と言い終わる前に、アーシェが通路の奥へ向かって走りだす。
「な……! 何をしているッ?! この階も水没するんだぞッ!!」
アーシェは当然のように、彼の忠告など無視して走った。
――自分の命など、どうでも良い。ただ、唯一の存在意義であった母親を見殺しにした女…… その女をこの手で殺すことさえ出来れば…… その願いを叶えるために、自分の命が引き換えとして必要なら、お釣りがくるほど安い取引だ。
復讐の連鎖など知ったことではない。復讐が何も生まないなど、赤の他人が無責任に掲げている、単なる理想論だ。
自分の心の救済は、復讐によってのみ成し遂げられる。
敬愛する母親の無念を晴らすことだけが、今の自分に出来る、唯一の親孝行であり、自分の心の救済……!
「――てやる」
走りながらアーシェが言った。
「殺してやる……!! ダーレン・トリナームッ!!」
潤んだ瞳から雫が後方へと流れ、あとには充血し、ギラついた目玉だけがあった。
道を進むと、今度は三又に分かれた分岐路に差し掛かる。
立ち止まって、どこへ行ったのか見渡していると、殺気を感じたアーシェが、後方へ飛び退いた。通過したらしい銃弾が、アーシェの後方にあった鉄の何かに着弾し、火花が散った。
一瞬の閃光で相手の存在を視認したアーシェが、そちらへ向かって銃弾を撃ち込む。が、相手はすでに隠れたか、どこかへ逃げてしまったあとらしかった。
「クソ……!」
『…………!!』
突然、聞き覚えのある声が、銃弾が飛んできた通路側から聞こえてくる。
『待ちなさい……! 待って……!!』
アーシェが、声のしてくる方向へ吸い寄せられるように歩き始めた。
聞き覚えがある声は、アーシェが歩くにつれ大きく、ハッキリ聞こえるようになってくる。そうして間も無く、道中にあった梯子の穴に辿りついた。そこはすでに鉄格子の蓋が下りている。
「た、助けてッ!!」
ガチャガチャと音を立て、鉄格子の蓋を動かしているダーレンが、そこにはいた。
先程、ダーレンがアーシェにしたように、今度はアーシェがダーレンを蓋の上から見下ろす。
ダーレンは血に染まった片手だけで蓋をあげようとしていた。どうやら敵――黒幕の一人に撃たれ、負傷しているらしい。そして鉄格子の蓋には、備え付けられた錠前ではなく、明らかに新品と分かる錠前が別に取り付けられてあった。
「アーシェ……!」
呼ばれた彼女は、ジッとダーレンを見下ろした。腰にぶら下がっている発光石のカンテラのお陰か、彼女の必死な顔がハッキリと浮かびあがって見えている。
――アーシェは自然と、口角があがっていた。得も言われぬ達成感や優越感が、胸を駆け巡っていたからだ。
今までずっと、自分のことを罵り、場合によっては窃盗や諜報などをさせてきた女が、薄暗い水路の奥深くで罰せられようとしている。
「ざまぁ無いわね、ダーレン・トリナーム…… 本当に…… 本当にいい気分……!」
徐々に下から水があがってくるのを、愉悦した暗い顔で見降ろしていた。
「お前たちのせいで私や夫は……!」とダーレン。「お前たちこそ本物の悪魔だッ!!」
「悪魔が悪魔に何を言ってるの……?」
「今まで育ててきてやったのにッ!!」
「お前に育てられた覚えなんか無いッ!!」
「あの女を敬愛するなんてね……! あいつがアンタに何をしてやったのよ?! 善人ぶって抜け目なく動いて……! 金も無ければ地位も学も無いッ! 嘘偽りの愛情でアンタを釣って、せこく生き延びてきただけじゃないッ!!」
「早く死ね……! お前みたいな人間……!! 仲間に裏切られて当然なのよッ! 誰からも愛されない人間……!! もっと叫んで死んでいけばいい……!!」
ついさっきのダーレンのように、クツクツと笑いを抑えたような声音で言うと、突然、
「アンタ、まさか何も知らない……?」
と、急にダーレンが、平静な表情で問い掛けた。
アーシェが顔をしかめる。
全く不意に、ダーレンが大声で笑い始めた。
アーシェの顔から笑みが消える。
ひとしきりダーレンが笑ったあと、
「なぁ~んだ…… 結局、こっち側の人間だったんだぁ……?」
と、今度はダーレンが愉悦した顔で見あげて言った。
「全員、とんだ馬鹿だったってわけ? アハハハッ! なんだ、怖がることなかったじゃないッ!!」
「何を言ってるの……?」
「全員、うまいこと殺されたってことよッ! 私たちの敵にッ! 結局、私たちはこうなる運命だったのよッ!」
そう言った彼女がまた笑った。笑ったと思ったら、泣き始めた。
アーシェの心の中からは、すでに愉悦感や高揚感は無くなっていて、目の女の姿を哀れに思うようになっていた。
同時に、底知れぬ不安と恐怖に襲われてもいた。
「冤罪で死刑にしてきた黒幕に、お母様も殺されたってこと?」
アーシェがそう言うと、ダーレンは首を横に振った。
「知らないわね、そんなこと…… アンタを死刑台に送ったのは私だけど、それ以外は何も知らない。アンタが窃盗で捕まったから、証拠隠滅のために、連中に消されたんじゃない?」
拳を握り込んで、「そんな理由で……! 誰ッ?! 心当たりがあるんでしょッ?!」と尋ねる。
「さぁね…… 誰かしら…… 私にはもう分からない……」
鼻をすすりながらダーレンが言った。そして、話し続けた。
「私たちの組織は大きくなり過ぎたのよ…… 分裂して、結合して…… 国と一緒…… 本当の姿が見えなくなって…… いいえ、まるで親子と一緒ね。――あなたなら分かるわよね? アーシェルテン」
「お母様は違うッ!」
「どこが違うって言うのよッ!!」
ダーレンの声が響き渡る。
「お前はどこまでいっても、私たちが望む子供になんか成れやしない……! お前なんか望まれてなかったッ!! 最初からずっと望まれてないッ!! 私と同じなんだよ、アンタはッ!!」
アーシェが固唾を呑む。
どうしていいか分からないくらい、不安と恐怖と、孤独な気持ちが芽生えていた。
「悔しいけど、確かにお前は私と同じなのさッ! 誰からも……! 誰からも愛されることなんて無いッ! 誰もお前なんか愛さないッ! お前も独りで死んでいけッ!! 私たちみたいにッ!!」
不意に、水が流れる音が増してきた。放流が本格的に始まったのだ。
「ホザー……! 私、今からそちらへ行くから……! 待っていて! 今度こそ二人で幸せに暮らしましょう……!! ちゃんと使命を果たしたから……!!」
ダーレンが、アーシェの見たことが無いほど満ち足りた顔で言っていた。そこで初めて、アーシェは焦燥感と後悔の念が心中を支配し、彼女の胸を締めつけ始めた。
顔面蒼白のアーシェは、いそいで銃をホルダーから取りだし、鉄格子の蓋に付いている新品の錠前を撃った。火花が散って、弾がどこかへ跳弾する。
ついで彼女は、銃床を打ち付ける。だが、ピカピカの錠前はビクともしない。そこで、今度はナイフを取りだし、ブロムナーがやったように梃の原理で破壊しようとした。
「アーシェルテン……」
ダーレンが、聞いたことのない柔らかい声音で言ってきた。それで、ハッとしたアーシェが彼女を見やる。
彼女は声音と同じような表情で、
「あなた、どうして助けようとしてるの……?」
「――あなたをここに落とした人間がいるんでしょ?」
「まさか、この期に及んで生け捕りでも考えてる?」
「そう言う条件で、特務機関に協力してもらってる……! 教えなさい、ダーレン……! あなたを殺そうとした人間を……!」
「知ってどうするの? 全員死ぬだけよ」
「アル・ファーム国の王族も関わってる…… 簡単にどうにか出来るような集団じゃない……!」
ダーレンが鼻を鳴らす。
「今まで組織の存在を知ることも出来なかった連中に、何が出来るの? 後始末くらいよ、あんな連中……」
「ダーレン……! そっちから押して! 死んでもいいのッ?!」
「あなたさ…… あたしに死んでほしかったんじゃないの? 憎い相手が死んでいくのを見て、気持ちよく笑っていればいいのに」
「私は……! 私はそんなことしたくないッ!」
「――アーシェ」
「!」
「ねぇ、アーシェ…… ざまぁって言った相手をさ、ほくそ笑んで見送れば…… そうすれば良かったのに…… まだ見られているかもしれないのにさ…… あなた、そう言う性格だから望まれなかったのよ…… 変に真っすぐ育ってしまって…… 損ばかりする子ね……」
ついに、水が梯子を昇ってくる。
アーシェは必死にナイフで錠前を壊そうと動かす。が、壊れたのはナイフで、刃先が割れて飛んでいく。
気付くと水位が、正座している自分の膝くらいまで増えていた。
蓋は少し浮きあがっていて、女性の背中が浮かんで押しあげているのが見えた。
アーシェはその鉄格子の蓋を両手でつかんだまま、ジッとその背中を見つめる。
水位がどんどんあがって、腰くらいまでに達した。
――が、それ以上、水位は増えることが無かった。四隅の壁にあいている穴から、水が流れ出ていたからだ。
「アーシェさんッ!」
呆けている彼女の近くに、ブロムナーがやって来て声を掛けた。
「怪我は……?」
と言ったあと、溺死体を見つけて状況を察したのか、膝をついて彼女へ問いかける。
「怪我は無さそうですし、ひとまず地上へ出ましょう」
アーシェは何も答えない。呆けたままだ。
仕方なく、ブロムナーはアーシェを俵持ちで担ぎあげ、水を蹴散らすように歩いて、出口を目指す。
彼の腰に付いている発光石のカンテラが、梯子の側から離れたことで、鉄柵に受け止められる形で浮かんでいる、ダーレン・トリナームの背中が闇に包まれ消えていった。




