4 質疑応答 その1
監獄所の外は、細かく縮れた雲の合間々々から、青空がたくさん見えるくらいには晴れとなっていた。
通り雨のあとらしく地面が濡れていて、顔を出した太陽によって蒸され、湿っぽい匂いを放っている。それから、同じように雨に打たれたらしい小さめの馬車が三台、縦列に停車してあった。
馬車にはいずれもアル・ファーム王家と特務機関の紋章がそれぞれ入っていて、車の中には何人かの人影があった。雨宿りとして馬車を使ったのだろう。
一方、馭者たちは監獄所の軒があるところにいた。そして、馬は大人しく立っていたのか、濡れた馬体が光っている。
こんなところに、監獄所の前に三台もの馬車が物々しく居座っていたら、普通だとヤジ馬が何人か来るものだが、雨が降ったお陰か、今は誰もいない。
その監獄所からアランとブロムナーが出てくると、馭者を始め、馬車内にいた部下たちも出てくる。そうして、アランの腕の中にいる傷だらけの少女を見て、騎士の風貌をした男性が近付いて安否を尋ねた。
「心配ない、まだ生きている」とアラン。「応急処置も追えているが、衰弱が激しい…… ひとまず領事館へ戻って、手当しないと」
「手当もそうですが」と、ブロムナーが言った。「彼女から情報を引き出すのが先です」
「この状態で訊こうと言うのか?」
「入手した裁判記録や彼女の調書内容は、あやふやな点が多すぎる上に年齢も苗字も不明な、杜撰極まりないものです。直接、本人から聞きだすしかありません」
「しかしだな……!」
「それに先ほど、医務室で鎮痛剤とともに栄養剤も与えさせて頂きました」
「栄養剤……?」
「甘水です」
――妹のアルメリアが茶会でたまに用意していた、甘味の強い飲み物だったはず。
「正確に言えば」
と、ブロムナーが話し続けながら、前から二番目に位置する馬車の扉をあけた。
「甘味が取れる根や葉などを煮詰めて濾過したあと、結晶化させ、それを水に適量ほど溶かし入れたものです」
「アルメリアに飲まされたことがある。そのときは柑橘系の香りがあった気がするが……」
「普通はそうやって果汁や香料を入れ、飲む物です。しかし、ご存じでしたら今の説明は不要でしたね。申し訳ありません」
「いや、よいが…… あんなものが栄養になるのか?」と、アランが眉をひそめる。
「少なくとも、今の彼女には必須のものかと。甘水には鎮痛効果や疲労回復の効果があると言われておりますので」
『疲れたときには』なんて言っていたアルメリアの言葉を思い出しつつ、アランはそれ以上の言及を避け、とにかく出発しようと促した。
彼は身を屈め、アーシェを抱えたまま車の中へと入る。それから彼女を椅子に座らせ、向かいあうように自分自身が着席した。その後、ブロムナーがアランの隣へ座り、扉を閉める。
間も無く馬車が走り出した。
「早速で悪いが」とブロムナー。「我々は、君に訊きたいことがたくさんあるから、身柄を引き取った。なぜなのか、その理由も分かるね? コッペリアさん」
「…………」
ずっと黙ったままだ。
うつむき加減で、どこに焦点を合わせているのかも分からない。
――そう言えば、彼女の声すら聴いていない。
ブロムナーは警戒する必要は無いだろうと言っていたが、この密室で暴れられると面倒だ。油断せずに、彼女を見ていなくては……
「我々が入手した情報によれば」と、ブロムナーが続ける。「君は教区内の迎賓館に入って、王冠を盗み出した。その際、六十代後半の貴族を殺害した。――これに異論はありますか?」
「…………」
「黙っていないで答えてください。あなたの命に関わることなんですよ?」
「――いりません」
か細く枯れた声だった。
ある意味、妙な返答に、ブロムナーの眉がピクリと動く。アランも目を細めた。
「いらないとは…… どういう意味だね?」
「…………」
「命なんていらない、と?」
「…………」
「なるほど。まぁ、それはそれで仕方ない。とにかく死ぬ前に、我々の言葉に答えてほしい。別に構わないだろう?」
「…………」
(おい、ブロムナー)とアラン。(お前も、妙なことを言うな)
(妙ではありませんよ、殿下。いいですか? 我々はムハク一派の爆薬の出所と、加担したであろう密造密輸に関する犯罪組織を追ってロンデロントに来ただけで、この死刑囚を拾いあげたのは、あなたがカメリアさんの手紙を受け取ったからにすぎません)
(不当な冤罪なら放っておけないだろ?)と、アランが語気を強める。(前にも言ったが、俺はお前のそういうところが好きになれない。優秀なのは知っているし、兄様のこともあるから、仕方なく俺と一緒にやっていることも分かってるが…… もう少し相手のことを考えてくれ。その子、いくつだと思ってる?)
(少なくとも、私より殿下の方が年が近いでしょうから、そんな相手に感情移入するのは分かります)
「そう言う意味じゃない。年端もいかぬ子なんだぞ?」
「やれやれ…… 私も、あなたのそう言う呑気な甘えが好きになれない。だが、確かにドラグナム殿下の一件はその通りだ。それに、調査を進めているうちに、今回の冤罪事件に関して色々と思うところも出てきました。ですから、ひとまず話を戻しましょうか」
そう言ったブロムナーが、仕方なさそうな顔で眼鏡を触った。
「失礼…… 我々には色々と忙しく、時間が無くてですね。とにかく、あなたは強盗殺人を犯した。それで構わないですか?」
当然のように押し黙っている。
「屋敷にはどのように侵入したのです?」
「…………」
「空からですか?」
「…………」
「――一階の窓からですか?」
表情も態度も変化なしだった。
「では、老人をどのように殺しました?」
「…………」
「刺しましたか? 撃ち殺した? それとも、絞殺ですか?」
「…………」
「殺害方法も答えられないとは…… 妙ですね? 本当に殺したんですか?」
彼女の瞬きが少し増えた。それでブロムナーが、
「あなた、殺した人間の性別は分かってますか?」
と、質問を変える。
「難しく考えず、男か女か…… さぁ、二択の問題です。どうです?」
「…………」
「答えられない…… なるほど、実に不思議だ」
「俺たちは」と、アランが割り込んだ。「君の犯行の一部始終を、大体は把握している」
「…………」
「君はどうして屋敷に入った?」
「…………」
「王冠を盗んだ動機は?」
「…………」
「盗んだ王冠は、どうしたんだ? 闇市か売人に売りさばいたのか?」
「…………」
「相手を殺した理由は? 盗みの場面を見られたから?」
なんにも答えない。答えてくれる気配すら無い。
アランがブロムナーを見やる。
彼は眼鏡を触ってから「実はですね」と言った。
「あなたに面白いことをお伝えしておきましょう。あなたが盗んだであろう王冠…… あれ、偽物なんですよ」
微かにだが、やっと、彼女の表情が変わった。瞳孔と口元がわずかに開いてもいる。
「もう一度言います。あれは、偽物です」
彼女は顔をうつむけていた。今度は、前髪が深く垂れ下がるくらいに。
「なるほど」ブロムナーが目を細める。
「あなた、依頼されて盗みましたね? そうでなければ、偽物だったことに動揺なんかしません。
売ったにしろ捨てたにしろ、単純な強盗目的なら、安堵するのが普通でしょう? 黙っていれば無実になる公算が高いし、そもそも失敗だったことを心配する必要がありませんから」
ここまで言ったブロムナーが、少し前のめりになって、
「偽物の王冠をつかまされた相手は」
と、畳みかけた。
「あなたの関係者に対して報復するでしょう。それは間違いない。あの王冠を欲しがるような連中が、大人しくほとぼりが冷めるのを待っていると思えますか?」
「…………」
「この問題点は相手じゃない…… あなた自身にあります。このまま見過ごしていいんですか? あなたにだって家族はいるでしょう?
――いないなんて、言わないでくださいよ? あなたが暮らしていた家は、すでに特定済みですからね?」
彼女の態度や表情は、何も変わっていない。
ただ、馬車が揺れて彼女の体が大げさに動く。それを見るに、彼女の体が硬直していているのが分かる。強張っているのがハッキリと見てとれる。しかも、膝の上に置いてある手の指が、わずかに震えていた。
「――続きは領事館でいいだろう。そろそろ到着するはずだ」
アランが、痛ましい気持ちを抑え込んむように告げた。
ほどなくして、三台の馬車が領事館に到着する。
領事館の屋敷は隣接するように二つ並んでおり、一つは政府関係者、もう一つは王族や貴族のためにある。
「着いたな」
アランがそう言うと、ブロムナーが扉の取っ手を押しつつ、
「申し訳ありませんが、殿下。彼女をまたよろしくお願い致します」
「えっ?」
「私は一足先に屋敷へ向かい、容疑者を客人として迎えいれることになった旨を説明しておきます。無論、特務機関の件は伏せますが」
アランが『ちょっと待て』と言うよりも早く、ブロムナーが屋敷の方へさっさと行ってしまう。呼び止めても、彼は足を止めなかった。
「身勝手な奴だ……!」
――仕方ない。
アランは溜息を吐いてから、アーシェの方を向いて声掛けし、彼女を自分の方へと引き寄せた。それから抱きあげて、屋敷を目指して歩く。
腕の中の彼女は、相も変わらず蛻の殻みたいに、ぐったりしていた。そして今度は、あまりの軽さに気付いて、
「君、食事は取っていたのか?」と尋ねる。
当然のように黙っているから、アランはちょっとした決意を胸に、王族や貴族が使う方の屋敷へと向かった。
屋敷に入ってエントランスホールまで来ると、人々がアランを出迎える。アランは軽い挨拶のあと、傍にいた衛兵へアーシェを預かっていてほしいと言って、困惑するのを無視するように手渡した。
それから、出迎えに来ていた近衛騎士を傍に来るよう言って、
「この子について、ブロムナーから話は聞いてあるな?」
と、尋ねた。
「ハッ。自分は子細、伺っております」
「なるほど、そうだったか……」
と言ってから、アランが目に付いたメイドに、
「では、そこの君。ちょっと来てくれ」
と言って、呼び寄せた。
「ひとまず、この子に湯浴みをしてやってくれ」
「えっ、湯浴みですか?」
「ああ。
それから、身だしなみを整える前に、医務室で傷の手当てを頼む。応急処置はしてあるが、ちゃんとした治療が必要だ。
それらが終わったら、メイドは軽食の準備を。衛兵は湯浴みのところまで、その子を連れていってくれ。それだけで構わない。
あと騎士の方は、応接室へその子を案内するまで、メイドの傍にいて手助けをしてほしい」
そう言ってから、アランが近衛騎士に近付いて耳打ちした。
(まだ完全な白と決まったわけではない…… 油断はするな)
(了解しました……)
(俺は今すぐに手紙を書く必要があるから、執務室にいる。何かあったら遠慮なく呼んでくれ)
アランは、困惑するメイドと衛兵にもう一度、お詫びとお願いを伝えつつ、足早に執務室へと向かった。