39 アーシェを追え! その3
「大変だッ! アーシェが裏庭へおりているッ!」
トリナーム夫人の部屋へ入るなり、開口一番、アランがブロムナーへ向けて言った。
「どうか落ち着いてください、殿下」
眼鏡を触りつつ、ブロムナーが諭す。
「状況説明が抜けていて、何を仰っているのか意味不明です」
「す、すまん……! アーシェがなぜか、裏庭へ向かうために窓から縄を垂らして、下へおりたらしい……!」
「なぜそのような――」と言ってすぐ、「殿下、すぐに部屋へ戻りましょう」と言って、廊下へと出ていった。
残されたアランは、彼の背中を見送ったあと、ハッと我に返り、すぐさまあとを追った。
ブロムナーが、アランの借りている部屋に入って早々、
「確かに」
と、あいた窓や縄付きの燭台を見ながら言った。
「縄と、あいた窓がありますね……」
「アーシェの奴、どうして勝手に……!」
「おそらく、トリナーム夫人の居場所に目星が付いたのでしょう。――あそこをご覧ください」
そう言って、ブロムナーがベッドの上にある旅行鞄を指差した。
「あれは殿下がご用意した鞄ですよね? 開いた覚えはありますか?」
「いや…… 昨日の晩には閉めて――」と言って、またハッとなる。「武器などを入れてあった鞄だ……!」
「間違いなく、持ち出したのです」
「じゃあ、今すぐ止めに行こう! 放置しているとまずいことになる……!」
「賛成です。しかし、裏庭におり立ったあと、どこへ向かったのか分からないことには……」
「ひとまず裏庭へ行ってみよう! 何か分かるかもしれないぞ!」
そう言って、アランが部屋から廊下へ出ようと扉をあけた。すると、驚いた男女が二人、立っていた。
「あっ…… す、すみません」とアラン。
「い、いえ。どうやらお忙しいときに来てしまったようで」
「ご無礼をお許しください。少々、立てこんでいまして……」
「私たちは」と、女性が言った。見るからに男性の妻らしい。「殿下がお連れになったと言う、女性にお礼を言いたくて、ここへやって来た次第でございます」
「女性……?」と言ってから、「あ、ああ……! 彼女がどうかしたのですか?」と、慌てて続けた。
「実は」と男性。「我々の娘がお世話になったそうなので、お礼をと思いまして」
「お二人のお嬢様ですか?」
アランの後ろにいたブロムナーが言った。
「お嬢様に、何かあったのですか? 実は殿下も私も、野暮用で少し宿泊施設から離れていたもので…… そのあいだ、何があったか分かっていないのです」
「お恥ずかしいのですが、娘が冒険に出ると言って、私ともはてっきり館内を回ると思って行かせたのですが…… どうも、裏庭の方へ回ってしまったらしく、殿下のお連れ様が、私ともの部屋まで送ってくださったようなのです」
「なるほど、そのようなことが……」
「お時間があれば、面と向かってお礼がしたかったのですが…… お忙しい中、申し訳ありませんでした。よろしくお伝えくださいませ」
「ああ、そうだ」
ブロムナーが場を繋いで引き留める。
「申し訳ありません、お嬢様にちょっとだけお訊きしたいことがあるのです。別に大したことではないのですが…… 確認のためにも、ご協力願えないでしょうか?」
「確認、ですか?」
「どうも、裏庭に動物か何かが迷いこんでいるのではと、アーシェさん――お嬢様を送り届けた女性が言っていたのです。小型なら問題ありませんが、最近、町にも出没し始めたと言う『魔獣』の可能性もあります。一応、念のために確認しておこうと言うことになりましてね」
「えっと…… あなた様は、殿下とはどういうご関係で?」
「申し遅れました。私、殿下の旅先案内人とお世話をさせて頂いております、ブロムナーと申す者です。以後、お見知りおきを」
そう言ってから、彼は深々と一礼した。そして顔をあげてから、
「ここの支配人からも、確認してくれると助かるとご依頼を受けたばかりでして。せっかくなら、お子様が何を見たのか確認させて頂けないでしょうか?」
「しかし…… 魔獣なんて、ロンデロントで見掛けることがありますか?」
「エルエッサムでは確認されてはおります。なので、万が一と言う可能性も捨てきれないと私は考えておりまして…… 無論、お嬢様を不安にさせるような言動は一切致しませんし、ただの取り越し苦労の可能性も高いですが…… 最近、色々と物騒なことも起こっていますし、念には念をと思った次第です。いかがでしょうか?」
少し間があいてから、
「まぁ、そう言うことでしたら……」
と、男性が答える。
ブロムナーは笑みを浮かべ、
「ご協力、誠にありがとうございます」
と、また一礼しつつ言った。
それからアランとブロムナーは、二階にあると言う夫婦と娘の宿泊部屋へと向かい、部屋の前で娘と話をすることになった。
ブロムナーが暗に、アランが訊くよう促すから、アランが膝をついて、「こんにちは。急にすまないね」と言うと、彼女はモジモジしつつ、「なんですか?」と、不安気に答える。
「俺の友達であるお姉様と、裏庭から戻ってきたんだよね?」
女の子は答えないが、表情から否定の色は見えない。そのまま話を続けることにした。
「そのお姉様から聞いたんだけど、君は裏庭で動物か何かを見たんだってね? どんな動物だったか分かるかい?」
「――動物じゃない」
「え? 違うのか?」
「女の人……」
アランの眉が一瞬だけ、ピクリと動く。
「女の人を裏庭で見たの?」
「昨日の夜、小さな建物に入っていったの」
「それって…… 裏庭から見えたの?」
首を横に振った女の子が、「部屋の窓」と答える。
アランがブロムナーを見あげる。彼はアランを見やってから、女の子の両親に、
「大変、不躾で申し訳ないのですが…… 部屋の窓から外を見させて頂いてもよろしいでしょうか? 無論、強制でもなんでもありませんが」
「まぁ、それくらいなら……」
男性が答えるから、ブロムナーが男性と、その奥様に礼を言って、失礼しますと続けてから窓際へと向かった。
窓からは裏庭だけでなく、遠くの建物や山裾も見える。左右を見渡していると、石造りの小屋が目に付いた。
「水場…… そう言うことか……」
ブロムナーがそう呟いて、部屋から退室する。そして振り返り、
「どうも、探索すべき場所の目星が付きました。いや、観察眼の鋭いお子様です。本当に助かりました」
女の子の両親にそう告げるブロムナーと、女の子に向かって笑顔で、「ありがとう、助かったよ」と、お礼を言うアラン。
二人はそのまま裏庭を目指すため、女の子とその両親に別れを告げた。それから一階のエントランスホールを通って外へ出て、建物の裏側へ回り、木製の扉をあけた先にある、石造りの小屋と水場までやって来る。
小屋の扉があいているのを確認したブロムナーが、
「間違いなく、アーシェさんの仕業ですね」と答える。
「見たところ、地下水路への入り口らしい」
「こうなってくると、少々まずい事態になっています、殿下」
ブロムナーが危惧しているのはズバリ、地下水路の増水のことだ。
エルエッサム式、またはミルドガル式の地下水路は、貯水と放流を繰り返す方法を取るため、貯水の時間には水路が水で満たされることとなる。そうすると、水路内にいる人間は溺れてしまう。過去にはそういった事故が発生したこともあり、今ではアル・ファームの定常流式の水路が広まっている。
だが、ロンデロントは古い町で、改修を繰り返してきたとは言え、基幹は未だにエルエッサム・ミルドガル方式だ……
「――確か、午前中に放流の準備がおこなわれるんだったな?」
アランがそう言うと、ブロムナーが頷き、
「貯水や放流は凡その時間でおこなわれ、正確性に欠けます。とにかく殿下は、他の捜査員にこの件を伝えてください」
「お前が地下へ行くのか?」
「当然です。いくらなんでも、第二王子である殿下を向かわせるわけにはいきません。これは、相手がドラグナム殿下であっても同じことを言います」
アランが「仕方ないな」と言ってから、「いいか? くれぐれも深追いはするな。水かさが増える前に音がするはずだから、音がしたらすぐに戻ってくるんだぞ?」
「ご安心を。私は無茶をする人間ではありませんので。――殿下こそ、伝令のあとに地下水路へ入ったりしないでください。いいですか? 万が一、水路へ入った場合は条項違反とし、除名処分とします」
「分かっている…… くれぐれも気を付けろよ、ブロムナー」
こうして、二人は別々の方向へと走り出した。




