38 交錯
無事に女の子を二階の自室前まで送り届けたアーシェが、そのまま三階の自室へと戻った。
扉を閉めるなり、すぐ着ていたドレスを脱ぎさり、動きやすい服装に着替える。これは夜間用の服装では無く、念のために用意した日中用のもので、控えめなフリルが付いた上着に、黒色で、ドロワーズとフレアカットが組みあわさったような形の、しかも、丈を合わせるために裾を切ったパンツドレスと言う組みあわせだった。
少々奇妙な格好と言えるが、散策のために遠出するからと言えばまだ通る。何より、メイドに勧められたパニエにスカートを履くくらいならと、アーシェ自身が選んだものでもあった。
そんな、子供っぽい彼女に些か不釣り合いな格好へ、さらなる不釣り合いなものとして、解錠道具、発光石入りのカンテラ、ナイフと拳銃の入った革袋を腰ベルトに装着する。
無論、このままエントランスホールへ出ると人目に付くのは確実なため、縄を使って窓から裏庭の地面に直接、降り立つことにした。
アランの鞄から縄を取りだし、あけた窓から縄を垂らしていく。そして、手元に残した縄を、壁掛け用の燭台に結びつけ、それが壊れないことを、縄を引っ張ることで確認した。
準備を整えたアーシェが、地面まで垂れた縄を掴み、スルスルと慣れた手つきで降りて行く。
幸い、裏庭やその先にある裏路地には人気が全く無く、また、部屋の窓から外を覗く者もいなかったから、見つかることは無かった。
縄が残っていると厄介なことになり得るので、アーシェは縄の先端へ石ころを結び付け、それを窓の方に目掛けて投げる。一度目は壁に当たって失敗するが、二度目にはしっかりあいた窓に石ころが入っていき、縄が遅れて窓に入っていく。
それを見届けたアーシェは、すぐさま走って水場の管理区画まで走って行った。
木製の扉をあけ、石造りの小屋の周囲に人がいないことを確認してから、解錠の道具を革袋から取りだし、小屋の扉に付いている錠前を手早く解く。
小屋の扉が、嫌な音を立てながら開かれた。
アーシェは袋からカンテラと銃を取りだし、カンテラを腰からぶら下げ、銃をホルダーへ入れてから、身を低くしつつ侵入する。
小屋の中はほぼ何も無く、地下に続く大きめの階段があるだけだった。
(地下水路……)
アーシェが小声で呟き、階段を降りていく。
どうやら、大昔に作られた地下水路の出入り口に宿泊施設を建て、水仕事の効率化を図っているのかもしれない。
――子供が見たと言う女性が、もしトリナーム夫人だったら、この地下水路のどこかに潜伏しているのは間違いないはず。
アーシェは不安よりも、夫人を追いついめていると言う実感と、その高揚感で胸が一杯になっていて、思わず口角があがってしまった。
やっと、自分への理不尽な暴力と母への仕打ちに対して、制裁が下せる…… 場合によっては、殺すことだって出来る…… そんな憎しみと暴力を振るえる喜びが交じり合った、得も言われぬ気持ちが心を支配している。必然的に足取りもどこか軽やかで、殺し合いが待っているかもしれない、暗くじめじめした水路を歩いているとは思えぬほど、早歩きで突き進んでいた。
しばらくして、水路の途中にある鉄格子に、明らかにおかしい物が引っ掛かっているのが見えた。近付いて見分すると、スカーフらしき物だと分かる。
「間違いない……!」
彼女はそう言って、口角をあげる。もはや殺人鬼の愉悦と言っても良かった。
――この鉄格子の先に、母の敵である女がいる。
逸る気持ちを必死に抑えながら、迂回するように通路を歩く。忍び足であっても、水を踏む音は抑えられず、ピチャピチャと水路に反響していた。
通路の奥まで行くと、さらに下へおりるための梯子があった。そして、梯子の近くには鉄格子の蓋らしき物が跳ねあげられている。普通なら侵入防止のために、梯子の上には蓋がされているはずだから、これは、明らかに誰かがあけたに違いない。その誰かとは、もはや明白であった。
アーシェは迷わず梯子をおりていく。
心臓が高鳴っていて、その脈拍で胸や首がピクピクと動いているような錯覚に陥っている。
梯子をおり切ってすぐ、一旦、落ち着くために息を整えた。
それからまた早歩きで、先の見えない奥の道を突き進んでいく。
――――――――
一方その頃、アランが宿泊施設に到着していた。
彼は部屋へ戻る前に、アーシェが外へ出ていったかどうか、受付の人間に尋ねる。
分かりかねると言うことで、支配人が現れ、玄関で応対のために待機していたボーイに、アーシェのことを尋ねてくれた。
ボーイが言うには、一度、外へ出ていったものの、迷子だったと言う女の子を連れて戻ってきたと言う。
「それ以降は、見掛けておりません」
ボーイがそう締め括るから、アランは「ありがとう、助かったよ」と礼を言い、支配人には「すまないが、まだ話があるんだ。向こうで話を聞いてほしい」と言って、エントランスホールの四隅へと向かった。
「――いかがなされましたか?」
「実は…… 昨日の晩、宿泊している貴族の方々から話を聞かされたんだが……」
と言って、トリナーム夫人が部屋にいない可能性を指摘し、一度くらいは確認したのかと尋ねた。
「いえ…… 当施設は、お客様の言付けを第一に考えておりますので」
「しかし、部屋で倒れていたりしたら、大変なことになるんじゃないか? 今日はまだとしても、昨日はちゃんと見掛けたのか?」
「いえ、その…… 見掛けておりません」
「最後に見掛けたのはいつ頃だ?」
「そうですね…… 数日前かと……」
「数日前だって?」と、大袈裟に驚いてみせる。「本当に大丈夫なのか? 俺は少し心配になってきたぞ……」
「しかし、料金は頂いておりまして……」
「払いに来てるのか?」
「いえ、前払いです」
「だったら、君が一度は確認すべきだろう? 死んでいたらどうするつもりだ? 何も無いなら、数日も人前に現れないことなんて、無いんじゃないか?」
支配人が考え込む。
熟考した結果、彼は確認だけしてみると答え、アランも言った手前、一緒に立ちあおうと言い、二人でダーレンの部屋がある三階へと向かった。
「――トリナーム夫人、支配人でございます」
ノックのあとに声を掛けるも、返事が無いことに心配そうな表情を浮かべ始めた。
「さすがに中を確認すべきだ、支配人。――あけるよう進めたのは俺だし、万が一の責任は俺が持とう」
アランがこう言って、支配人が鍵をあけるのを催促した。
状況が状況なため、支配人は仕方なさそうな顔で、ポケットに入れてある鍵束から、ダーレンの部屋の扉に合う鍵を差し込んだ。
やっと開いた扉の先には、誰もいない、からっぽの部屋の中だけがあった。
中に入って狼狽する支配人に、アランは「落ちついて、大丈夫だから」と諭す。
「幸い、ロンデロントには特務機関の人間が滞在している。昨日の放火犯や殺害犯を調査中だろうから、俺が理由を説明し、トリナーム夫人の行方を極秘裏に捜査してもらおう」
最初は渋った支配人だったが、現にダーレンがいない状況を重く受け止め、騒ぎになる前に解決してもらえるならと、アランが思っていた以上にすんなり了承した。
だから、アランは施設の従業員に、監獄所で調査している特務機関に知らせを届けてほしいと依頼した。
従業員の使者が、上手いことブロムナーに接触し、言付けを伝えてくれることを祈りつつ、彼が到着するのを待つ。待つこと十数分後、ブロムナーがトリナーム夫人の部屋へと入ってきた。
「――なるほど、了解致しました」
話を聞いたブロムナーがそう答え、支配人に安心するよう伝えてから、通常の業務に戻るよう伝える。
あとを任されたブロムナーが、
「もう一度、部屋を調べてみますか?」
と、アランに尋ねた。
「ああ。しかし、その前にアーシェを連れてくる。一人にしていると、何をしでかすか分からないから」
「そうですね。では、私はこの部屋でお待ちしております」
頷いたアランが、部屋から出て、自室の部屋へと戻った。そして、扉をあけて早々、床に投げ出された縄とあいた窓の光景が目に付いた。
「なんだ、これは……!」
慌てたアランが、窓際に寄って外を見やる。外には誰の姿も見掛けない。
ついで、床にある縄を見やり、その両端の先がどこにあるのかを辿っていく。
石ころと、燭台だった。
「まさか、下へおりたのか?」
また窓際へ移動する。
縄を使って、裏庭におりたに違いない…… だが、どうしてわざわざ……?
そう考えたアランは、急いでブロムナーのところへと戻った。




