37 アーシェの散歩
アランがブロムナーと監獄所にいる頃、ジッとしていられなかったアーシェは、一人で宿泊施設の中を散策することにした。
彼の言いつけを無視しても別に構わないが、それをすると、今度こそ拘束される危険性がある。トリナーム夫人の行方の手掛かりが一切ない以上、下手にアランたちと敵対するのは得策ではない…… アーシェはそう考えて、大人しく施設内の観光をすることにしたのだ。
自室から出て、廊下を子供が走っていくのを見送ったあと、しばらくはトリナーム夫人の部屋の前で佇んだ。そうしているうちに、向こう正面からやって来た貴族らしき男性が、アーシェの前で立ち止まった。
「お初にお目に掛かります、レイアラン殿下のご客人」
アーシェは頭を下げつつ「こちらこそ、ご機嫌麗しゅうございます」と会釈した。
「まさか、殿下にあなたのような可愛らしいお知りあいがいらっしゃったとは思いませんでした」
「私も、殿下とお近付きになるとは夢にも思っておりませんでした」と、作り笑いを浮かべる。
「散歩へ行こうかと思っていたのですが、あなたを見掛けましてね。殿下の客人ですし、少しお話しでも…… と思いまして」
「お話と言われましても…… 話題になるようなものは、何も持ち合わせておりません」
「実は、少々あなたに興味がありまして」
「私に?」
「昨日、友人と話をしているとき、あなたの話になりましてね」
「まさか、何かしらの粗相を?」
「いや、そう言うわけでは無いのです」
「そうですか、それを聞いて安心致しました」
「実はですね……」と、声量を落とす貴族男性。「殿下がここへ来るなんて聞いてもいなかった上に、あなたのような女性を連れてきたわけで…… まぁ、我々の悪い癖ですな。どちらのご出身なのか、殿下とはどのようなご関係なのか、色々と興味がありまして」
「申し訳ございません」と苦笑うアーシェ。無論、演技である。「その手のお話は、殿下から直接お聞きください。私はお話し出来る立場にはありませんので」
「では、殿下にとって何かしら重要なご婦人である、と言う私の認識は合っていたわけですか?」
「どうでしょう」と、困った笑顔を浮かべるアーシェ。「見ての通り、しがない小さな女でございますので」
「そうかな? とても美しく見えますよ。殿下も丁重に扱われるはずだ」
「勿体ないお言葉、誠にありがとう存じます。ただ、私が美しく見えるのは、殿下のお力で美しい衣装に身をまとえているからに過ぎません。所謂、『馬子にも衣装』でございます」
「――あら」
遠間から女性の声がしてきて、その声の主がこちらへ近付いてきた。若くは無いが、年寄りと言うほどでも無さそうな年齢である。
「ご機嫌よう。また会いましたわね?」と、男性に向けて言った。
「あぁ、ええ、そうですね……?」
「やっぱり気になりますわよね? 殿下のお客人で、とても可愛らしい女性ですもの」
「いや、彼女と出会ったのは偶然ですよ、偶然」
どうやら男性の貴族とは無関係らしい貴婦人が、男性と同じ目的――好奇心でアーシェに話しかけてきたらしい。
内心、アーシェは面倒で仕方ないと思いつつ、表の顔を絶えずニコやかにして、女性と男性の話に対応した。対応中は所々で身分や出身地、アランとの関係性について問われることもあったが、母の出生地をベリンガールと答え、自分の名前だけを答え、それ以外はアランに訊いてほしいと繰り返し答えるに留め、なんとか話題をすり抜けた。
「――そう言えば」と貴婦人。「アーシェルテン様はご存じですか? この宿泊施設で起こった怪事件の話」
「怪事件、ですか……?」
始めてアーシェが話題に反応したから、嬉しくなったのか、貴婦人は少し早口で話し始めた。
「ええ、ええ。そうなんですよ。そこの扉の先に泊っておられる、ダーレン・トリナーム様…… ご存じですか?
ロンデロントでも歴史ある貴族の家柄なんですけれどね、そのトリナーム様がご宿泊して、今日で五日か一週間ほどになるそうなんです。だけど、初日か二日目くらいを境に、部屋から一歩も出てきてないんじゃないかと噂されているのです」
「そうなのですか?」と、わざとらしくならないよう精一杯、驚いてみせる。
「昨日、レイアラン殿下にもお話をしましたのに。アーシェルテン様には何も話されていらっしゃらなかったのですか?」
「昨日は疲れていて、すぐに眠ってしまったのです。おそらく殿下は気を使って、起こさずにいてくださったのかと」
「あら、そうですのね? 長旅のあとでしたら仕方ありませんわね。――ねぇ?」
貴婦人が隣の男性に声を掛ける。彼はぼんやりした顔だったが、急に話を振られて焦ったのか、
「え、ええ。そうですね」
と、慌てた様子で答えた。
「しかし、それほど姿を見せないと言うなら、少々心配ではありますな。支配人に尋ねてみては?」
「そのような探偵や警備兵の真似事、出来ませんよ。ねぇ? アーシェルテン様」
「そうですね、恐ろしいことですから…… でも、心配ではありますし、一度、支配人に言付けしておく方が良いかもしれません」
そう言って、アーシェが二人との距離を少し取ってから、
「私、散策のついでに支配人様へお声掛けしておきます。お二人とも、私とお話をしてくださって、誠にありがとうございました。結果が分かれば、またお伝え致しますね。――それでは、これにて失礼致します」
アーシェが笑顔のまま頭を下げて一礼し、二人の傍から離れる。男性が少々不満気に見送り、貴婦人は満足そうに片手を軽く振って見送っていた。
階段を降りて一階のエントランスホールに辿りついたアーシェは、支配人にダーレンのことを話そうかどうか迷った。迷った結果、話さずに外に出て、施設の敷地内を歩くことにした。
支配人へ話さなかった理由は単純に、支配人に特務機関と関係があるかもしれないと悟られないためであり、昨日の時点でトリナーム夫人が部屋にいないのは知っているから、今更、支配人に言っても無意味だと考えたからである。
後々、貴婦人や男性貴族には『忙しそうで話せなかった』と伝えれば事足りる…… そう考えながら、アーシェの足はすでにエントランスホールから外へと向かっていた。
正面玄関から正門のあいだにある庭から、建物をグルっと一周するように移動しつつ、周囲の景観へ目をやって歩く。
ロンデロントの最高級宿泊施設であり、アル・ファームの玄関口の一つと言える場所にある施設なだけあって、様々な国の様式を取りいれた彫刻品や庭の形態が、様々な場所に配置してあった。アーシェはそれらの芸術品をじっくり眺めている。が、芸術や自然そのものへの関心から眺めているのではなく、ダーレンが隠れていたり、何かしらの手掛かりを残していないか…… その一点で眺めているに過ぎなかった。
時折、庭師や散策している貴族とすれ違うたび、挨拶をし、その人々が全員、芸術に理解がある女性なのだろうと勘違いして去っていくほどに、アーシェは熱心に周囲を見渡していた。
そのうち、建物の裏側にやってくる。
裏庭が広がっていて、よく整えられた生垣などが見える。
アーシェはそのまま進んでいき、やがて関係者以外は立ち入らないであろう、木柵と木製の扉のところまで辿りついた。扉は施錠されていない。そして、微かに水の流れる音が聞こえてくる。彼女は無論、扉を開き、その奥へと進んでいった。
扉の先にあったのは、石造りの小屋と、桶や掃除用具などが置かれた、石畳で整備された水場であった。
水場の近くまで歩いたアーシェが、湧き水のように石造りの小屋から出てきている水を見やり、その流れの逆を辿るように小屋を眺めた。
すると、不意に足音がする。
アーシェが急いで振り返ると、驚いた拍子で尻もちを突いたらしい、子供の女の子がいた。格好から貴族の子だとすぐ分かる。
「あっ……」
思わず声を漏らしたアーシェが、すぐさま女の子の方へ寄って、
「ごめんなさい、大丈夫?」と声を掛ける。演技ではない、心配そうな目を向けていた。
彼女は怖がりながらも、大丈夫だと答え、アーシェの手を取って立ちあがった。
「あなたは、ここへ何をしに来たの?」
「冒険、です……」
子供が恐々と、萎縮しながら言うから、アーシェが小さく溜息を漏らし、
「一人で動き回っては危ないでしょう? ご両親はどこにいらっしゃるの?」
「建物の中……」
「じゃあ、一緒に建物へ戻りましょう。――ね?」
女の子が素直に頷き、大人しくアーシェと手を繋いで、来た道を戻ることになった。
その道中、女の子がアーシェへ話しかける。
「あの…… お姉様も冒険してたんですか?」
「いいえ、単に散歩していただけ。あなたこそ冒険なんて言って、あんなところへ一人で行くなんて…… 危ないわよ?」
「建物があったし、何かありそうだったから……」
口ぶりから、以前に水場を見ているらしかった。気になったアーシェが、
「どこで、あんな場所を見つけたの?」
「二階の窓から見えたんです」
女の子がそう言いながら、建物の方を見やる。釣られてアーシェも、建物の二階を歩きながら見やった。
――確かに、二階の部屋の窓から裏庭を見ることが出来そう。
「あなたのご両親は、二階のお部屋に泊っていらっしゃるのね?」
女の子が頷いた。
「部屋の窓から水場が見えたから、気になってやって来た?」
「お母様が、あそこには誰も住んでいないって言うから、気になって……」
「人が住めるような小屋では無かったでしょう? 小さいし、水場のすぐそばに建っているし」
「でも、あそこには誰かが住んでます。絶対に」
アーシェが仕方なさそうに微笑み、「どんな人が住んでると思います?」と尋ねる。
「夜にね、女の人が入っていったのを見たんです」
アーシェの足が止まった。
急に止まるものだから、女の子が不安気に彼女を見あげつつ、
「――お姉様?」と尋ねる。
「あ、ああ…… 御免なさい」と、苦笑いを浮かべるアーシェ。「お化けかと思ってしまって」
「苦手……? お化け」
「ええ、苦手…… ですかね」
「でも、お化けじゃないと思います。あそこで暮らしてる人なのかも」
「――その人影、いつ頃に見掛けたか分かります?」
「二日くらい前です。
私、ここに来て三日くらい経つけど、毎晩、女の人っぽい姿が見えたんです。でも、昨日は見掛けなくて…… だから私、お母様とお父様に話したんです。でも、信じてくれなくて……」
「じゃあ、私が確認しておきます」
「でも、お化けだったらどうします?」
「こう見えても大人ですから。私にお任せください」
アーシェはそう言って、笑顔で子供を見やって、それからまた歩き始めた。
「――お姉様」
「なんです?」
「何かあったの?」
歩く速度があがっていたり、握る力が少し強まっていたり、様々な変化を女の子は機敏に感じ取っているらしかった。
アーシェは逸る気持ちをなんとか抑えつつ、
「あなたのご両親が心配しているかもしれないでしょ? 早く元気な姿を見せてあげないと……」
「ちゃんと伝えて、外に出ましたよ?」
「でも、心配していると思います。――ね? 早く行ってあげましょう」
女の子はずっと心配そうにアーシェを見やっていたが、アーシェの頭の中は、すでに石造りの小屋のことで一杯となっていて、女の子への心配は消えて無くなっていた。




