3 王立特務機関
ビリーがアーシェの頭にかぶせていた革袋を取り除く。それから、猿轡を解いた。
無理やりに袋をかぶせられていたせいか、アーシェは酸欠気味だった。その証拠に、足元はフラフラしていて、目もうつろだ。
だが、下を向いていたから、自分が両開きの床の上に立たされていることに気付くのは早かった。
すぐさま、彼女の首に大きな荒縄を掛け、締めあげる。今度は息を呑むだけで、声は出なかった。
(正直に言うとな)
ビリーが小声で言った。
(俺は犯罪者が藻掻き苦しみながら死んでいくのを見るのが好きで、この仕事を続けているようなもんだ……
しかし、そんな俺でも、お前くらいの子供を処刑するのは初めてでな…… 年甲斐もなくワクワクしている。――今日は久しぶりに、楽しい時間になりそうだ)
ビリーが嬉しそうに語るのとは対照的に、アーシェは無表情だった。
彼が絞首刑の準備を終わらせ、装置を作動させるためにアーシェから離れようとした矢先、部屋の両扉が突然に開かれ、二人の若い男が入室してきた。
「な、なんだ……?! なんだお前らッ!?」
「――ブロムナー」と、若い青年の方が言った。「間違いなさそうだな?」
眼鏡を触った青年――ブロムナーが、「そのようですね」と言った。
服装からして、間違いなく行政の担当もしている貴族と言えたが、ロンデロントの貴族らしくない。むしろ、首都のリボンで見掛ける服装だった。
「あなたが」と、彼が声を張る。「ビリー所長でしょうか?」
「な、なんだお前たち……!」
「申し遅れました、私はブロムナーと申します。王立特務機関の人間です」
「なんだって?」
「司法総監および、国王の命により、その少女の絞首刑取消、ならびに身柄の移送と捜査権限の全てを特務機関へ移管します」
「移管だと……?!」
「ええ。ちなみに、こちらがその令状です」
そう言って、ブロムナーがビリーとアーシェの立っている死刑台へと近付いていく。
階段をあがり、ビリーの近くに立って書類を差し出す。彼は書類をひったくるように、乱雑に取った。そうして目を通しているあいだ、ブロムナーが少女の首に巻き付いている荒縄を外しに掛かる。
「こんなこと、聞いてないぞ!」
ビリーが眉を引き締めながら、ブロムナーへ目を向ける。彼は首縄を解き終えたところだった。
「おいッ! ここにある『重大な懸念事項』ってなんだッ!」
「我々が動く重大な懸念事項はいくつかあります。が、それを見ず知らずの第三者に話す必要性はありません」
「なんだと……?! 所長の俺が無関係だって言うのかッ?!」
「あなたもご存じの通り、国際問題も扱っているための処置です。悪く思わないでください。
――我々の任務内容を知ることが出来るのは、特別な許可を持った人間、または、それに相応しいとこちら側で判断した人間だけです」
「俺は相応しくないって言うのか?!」
「申し訳ありませんが現状は、と言う他ありません。
もし不服がある場合、ロンデロントの司法局へ申請願います。王都リボンで協議の上、必要と判断された場合、追ってこちらからご連絡を差しあげますので」
「ふざけるなッ! こんな紙切れ一枚を持ってきて、特務機関の人間だと言われて信じるとでも思ってるのかッ?!」
「そもそも」と、ブロムナーが眼鏡を触る。「我々がこの場に来られたのは、どうしてなのか…… 武力行使でやって来たとでも思っておられるのですか?」
ビリーが大きく一息つく。彼の大きな鼻が膨れて、しぼんだ。
「ちゃんと然るべき手続きを得て、アル・ファーム王家の専用馬車で来ました。今回は通常業務として、所長であるあなたに令状を提示し、その内容を実行しているだけです」
「――なら、もっと早くに来るべきだったんじゃねぇか? 危うく執行しかけましたよ」
「ごもっともです。しかしなぜか、死刑確定が早まっていた挙げ句、ロンデロントの貴族や法務局員、司法官なんかが、我々をアレコレと引き留め、世間話をし始めるもので…… 手続きに遅れが生じまして」
「死刑確定が云々ってのは、俺の領分じゃねぇ。それから、特務機関の連中が来たら誰だってさっさと帰るよう、穏便に促すでしょうよ。今もそうだが、厄介者なわけだし……」
「世間話の続きを話すと、王冠が教会から持ち出されたと言う話もありましてね。そちらが事実なら、大変なことでしょう?」
「まぁ…… そうかもな。――シェーン大司教が持ち出して、何かやったのかもしれねぇ」
「ほう、それは興味深い」
「さっきもこっちに来てたぜ? ベラベラと説法しまくってた。会わなかったのか?」
「残念ながら」
「――時間稼ぎか?」
「時間稼ぎ? なんのために?」
「この餓鬼を死なせないためじゃねぇのか?」
「なるほど…… 貴重な情報、ありがとうございます。あとで訊いておきましょう。彼も何か知っているのかもしれない…… 王冠の管理者と言ってよい存在なわけですし……」
こう言って、少し間をあけてから「ちなみに」と、ブロムナーが続けた。
「死刑の執行は通常、あちらに立っておられる刑吏がおこなうはず。なぜ、所長のあなたが直々に?」
「腕前が錆びると良くねぇからな」ビリーがニヤリとして言った。「場合によっちゃ俺がやる必要があるし、規則でも、所長がやっちゃいけないなんて載ってねぇ。そうだろ?」
「――あとで確認しておきます」
「ああ、いっくらでも確認してくれ。それに絞首刑ってのは、斬首刑と違うコツが必要なのさ。死ぬ奴が苦しまないようにする方法ってのが。それが刑吏に求められる技術ってモンだろ? 違うか?」
ブロムナーは、さきほど自分が解いた荒縄を見やり、それからビリーを見て、
「技術、ですか…… なるほど」と答えた。それからアーシェの背中に手を回し、彼女に歩くよう、暗に催促する。
「まさか、そのまま連れて行くってわけじゃねぇですよね?」
階段の途中でブロムナーが立ち止まり、振り返って、
「何か問題でも?」と答えると、ビリーが冷笑しながら首を振った。
「いいですか?」とビリー。「そいつは凶悪犯ですよ? 今回の件以外にも、罪をたくさん重ねている。ロンデロントでも死刑決定の最速記録を持つ極悪人だ。なのに、道中で襲われて殺される可能性を心配すらしないんですか? 随分と長閑なところなんですねぇ、特務機関ってヤツは」
「凶悪かどうかは、見れば分かります。こちらも、大人しいか暴れん坊か…… 見定めるくらいわけありませんので。それに…… 何かしら問題を起こすなら、然るべき処置をするだけのこと。あなたが心配する必要は一切ありませんよ」
ビリーが鼻で笑った。
ブロムナーとアーシェが両扉のところまで辿りつくと、
「せっかくだ」
と、ビリーが声を張った。だから、全員が振り返る。
「令状を書いて働いた気になってる王族連中に、少しは動いて仕事しろって言っておいてくださいよ、ブロムナーさん。こちとら、朝から晩まで働きづめなのによぉ……!」
急に刑吏が慌てだし、ビリーとブロムナーたちを交互に見やった。
「その心配はありません」
ブロムナーがそう言って手の平を返しつつ、近くにいる若い青年を指し示す。
「こちらはアルバート国王のご子息で、第二王子のレイアラン殿下です」
ビリーが目を細め、レイアラン――愛称アランを見やる。
「初めまして、ビリー所長。以後、お見知りおきを…… それから、あなたの忠告は父上や兄上にもしっかり伝えておくよ。肝に銘じておかねばね」
そう言い終えて、すぐにアランが扉を押しあける。
「殿下」
ブロムナーが呼び止めるように言った。
「彼女はどうも、憔悴して歩くのが困難なようです。移動の遅れは先方に迷惑ですし…… 申し訳ありませんが、彼女を抱いて移動してください」
「えっ……?」
「まずは医務室へ。私は退出届の手続きがありますので、何卒……」
ブロムナーの言葉のあと、アランがアーシェを見やる。彼女は人形のように、なんの変哲も無く――むしろ生気を感じさせない、上の空の表情で、視線もどこを見ているのか判別できない有様だった。
アランは咳払いを一つし、アーシェの傍へ寄って、
(すまん。しばらく我慢してくれ)
と小声で語り、彼女をひょいと抱きあげた。そうして、開いた扉の向こうへと歩いていく。
ブロムナーも一礼をし、アランのあとを歩く。
残された刑吏や見張りの衛兵たちは二人の背中を、呆然と見送るだけだったが、ビリーだけは横目となり、悔しそうに歯ぎしりをしていた。