2 絞首刑
アーシュが逮捕されて、五日が経っていた。
そのあいだ、裁判はおろか弁明の機会すら与えられず、彼女は今もずっと、ロンデロントの監獄所にある独居房の中にいた。独居房には極小の格子窓が付いており、そこから薄っすらと曇り空が見える。
彼女の服装は当然のように変わっていて、囚人らしい、三つの穴があいた大きめのボロ布を、ポンチョのように頭から被り、残りの穴から両手を出す格好となっていた。
そして、両手には両足とともに枷が嵌められている。
食事や水を取っていないのか与えられていないだけなのか、少々やつれており、口角と右頬の腫れが目立った。
そんな抑圧された均衡状態を破るように、鉄の扉に付けられた覗き窓が開いた。そうして、扉そのものが開かれる。
「コッペリア、外へ出ろ」
呼びかけてきた刑吏らしき男の方を、アーシェがゆっくり見やる。
「お前に対する刑が決まった。死刑だ」
「――様は」
「?」
「お母様は、どうしてますか……?」
少し間があいてから、
「知らん」
と男が答え、再び部屋から出るよう催促した。
アーシェの足には枷が付いているから、歩く速度は遅い。が、それを加味しても遅かったので、途中で男が、彼女の手枷を引っ張って歩かせた。それで足がもつれたアーシェが倒れる。
しかし、男は手枷を引っ張りあげて、やはり無理矢理に立たせた。
「さっさと動け。手間取らせるな」
手枷に牽引用の縄を付けながら男が言った。アーシェは濁った瞳で足元を見下ろしつつ、男にひかれながら歩く。
――死刑。
体を動かしたせいか、頭が働いて、自分の今の状況を理解するに至った。
次に頭をよぎったのは、死への恐怖や覚悟、理不尽さへの怒りではなく、やはり母親のラニータがどうなったのか、体調が崩れていないかであった。この気持ちは、歩くごとに増していったものの、確認する方法が無い。
そうこうしているうちに、仰々しい両開きの扉が現れた。扉の両脇には男が二人いて、大柄な体躯の男が、袋を持って扉の中央に立っていた。
着ている服装などから、彼は明らかに刑吏の人間では無いし、身分も上にいそうな人間であった。
「所長? どうなさいました?」
「そいつがコッペリアって死刑囚か?」
所長と呼ばれた男がそう言うと、アーシェを引っ張ってきた男が、
「はい」と答える。
返答を聞いた所長がすぐさま、持っていた袋に手を突っ込み、猿轡と荒縄を取りだした。
「――シェーン大司教が来られている」
「えっ? 大司教が?」
「とりあえず、コレで黙らせておくぞ」
そう言って、彼は乱雑にアーシェの口を猿轡で塞ぎ、そこから革袋をかぶせ、小さく白い首ごと荒縄で縛った。そのとき、アーシェが苦しそうな声をあげる。
「黙っていろ。喋ったら、適当な理由を付けてお前を殴り殺してやる。肋骨の骨が肺に喰い込んで、苦しみ藻掻きながら死んでいくことになるが…… そんなの嫌だろ? 苦しみながら死にたくないだろ? 楽になりたけりゃ、大人しくした方が身のためだぞ。
――ったく、なんだって大司教が。本当なら、さっさと終わらせて昼飯を喰ってるところだったのに」
所長が、部下の男と交代するように、アーシェの手枷から伸びる縄をつかんだ。
重厚な両扉が開かれると、そこまで広くない部屋から鼻をつく悪臭とともに、階段付きの壇が奥に設置されており、壇の上には絞首台があった。台の柱から大きく長い縄がぶら下がっていて、さながら宙を浮く亡霊のようである。
「シェーン大司教」
所長が呼びかけると、絞首台を見あげていた老人の男――シェーンが振り返った。
「お待たせしました。今から刑を実行します」
「ビリー所長…… まさか、相手は子供ですか……?」
「子供だろうが年寄りだろうが、重罪を犯した人間は万死に値するんです。それが、大昔からの決まり事ってヤツです」
「しかし……」
「これはもう、判決で決まったことでしてね。大司教だろうが貴族だろうが、今の時代、法には従ってもらわねぇと……」
「少し話をしたい。構わないですか?」
「そいつは無理です」
「無理……? なぜです?」
「こいつ、子供っぽいが中身は悪魔そのものだ。油断したらすぐ噛みつくし、何を言い出すか分かったもんじゃない。――大司教への冒涜だけでなく、噛みついたりした日にゃ、この監獄所の恥になりますよ」
「…………」
「そろそろ刑を執行しますが、見ていきますか?」
「まさか。殺戮と見せしめを娯楽や恐怖に変えて、支配に使う時代は終わっています」
「では、お帰りください。こいつがネイドって男性を殺した犯人で、確認も取れて満足でしょう?」
「まぁ待ちなさい。彼女が悪魔であっても、最初から悪魔である可能性は低い。人はいついかなるときでも、何かで悪魔に支配される可能性を持っているのです」
「ええ、ええ、よぉ~く分かってますよォ…… 監獄所にいれば、嫌ってほど見ますから」
「とにかく、年端もいかぬ子をこのまますぐに、と言うのは、神官の人間としては忍びない。せめて、彼女に説法を解かせて頂きたい。無事に罪を償って、神の元へ行けるように」
「いや、しかしですねぇ……」
ビリーが困り顔で言ったものの、シェーンは、
「本来なら」
と、続けて言った。
「死刑囚に説法を解くのが通例のはず。なぜ、我々に黙って刑が執行されようとしているのか…… そこは司法判断と言うことにして置いておきます。ただ、彼女と私がこの場に揃った…… これは偶然の賜物であり、運命とも言えるでしょう。
――もし、依頼したはずの神官が到着しなかったのであれば、私がその人の代わりをさせて頂きたい。亡くなったネイドさんも、きっとそう願っておられるはずですよ」
「どうですかね」と口角があがる。「死人に口なし…… ネイドさんがそう考えていたなんて、誰にも分かりゃしませんよ」
「どうも……」シェーンの目元が少し細まる。「早く刑を執行したがっているように見えてしまうのですが……」
「そりゃそうですよ」と笑うビリー。「俺たちは、もう昼飯の時間なんです。それを我慢して、仕事をしようって言うんですからね。こう見えても、死刑ってのは大変な力仕事でしてねぇ…… そんな残業をさっさと終わらせて飯の時間にしたいって言うのは、普通のことでは? むしろ、シェーン大司教ともあろうお方が、どうしてこんなところへ?」
「先ほども言ったように、ネイドさんを殺したと言う人物をこの目で確認したかった。あとは、説法の依頼が教会に来なくて心配に思えたから…… ただ、それだけのことです」
「お言葉ですがね、大司教。あなたはネイドさんと、どのようなご関係で?」
「昔から、色々とご相談を受けてきた人でした。そうして、王冠を見たいと言う貴族の一人でもあった…… その王冠を、こともあろうか盗もうとし、殺人まで犯した人間がいる…… どうして、そのような愚行を考え、実行してしまったのか…… とにかく、現場で様々な人と話を聞き、その上で心配になってきたので、せめてと思い説法を解きに来たのです」
「まぁ、それは墓前でおこなってください。外国人や身元不明者なんか、共同墓地に行きますんで」
「それでは無意味です。――いいでしょう、あなたの残業に対し、私も対価をお支払いします」
「対価ァ……?」
「私の説法のために協力し、時間を取ってくれたことへの対価です。どうでしょう?」
沈黙が流れた。
「一食分以上は貰えるんですかね?」
「ええ。一日分はお支払いしましょう」
「ほう……」と、また口角があがる。「長いのは止めてくださいよ?」
「善処しましょう。――では、少々お時間を頂きまして」
と言って、シェーンが説法を始めた。そのあいだ、ビリーが足を鳴らしたり、咳込んだり、とにかくジッとしていられないと言う風な動きを見せていた。
十数分ほど経ったとき、「大司教!」と声を掛け、彼の説法を無理やり止める。
「もういいでしょう! 充分すぎる!」
「何を言っておられるのです? まだ始まったばかりですよ?」
「始まったばかり? ベラベラと話しているだけで、なんの意味があるのです?」
ビリーは明らかに苛立ち、その怒りをなんとか隠しているらしかった。
しかし、
「私も昔」
と、無視するようにシェーンが言った。
「死刑に立ちあって説法をおこないましたが、そのときは一日かけるのが普通でした」
「昔話はたくさんですよ、大司教……! 今はそんなに時間なんて掛けない!」
「ビリー所長。あなたも最近は刑の執行は部下に任せていて、説法を聞く機会がめっきり減ってしまわれたのではないですか? ――ねぇ?」
シェーンが、ビリーの近くにいる部下へ目をやりながら言った。彼は目の視線だけを外し、無言を貫く。
「大司教、我々も忙しい……! 頼むからさっさと終わらせてくれ……!」
ビリーが興奮した様子で言うから、シェーンは仕方なさそうな顔で、
「対価を支払っていると言うのに…… では、一食分に減額させてください。構わないですか?」
「ったく……! なんて……! クソッ、分かった、分かりましたよ……! もう無料でいいから、さっさと終わってこの部屋から出て行ってくれッ!」
さすがに怒りが最後に漏れていたが、シェーンはやはり変わらぬ温和な顔で、
「分かりました」
と、ゆっくり言った。
「ビリー所長がそこまで気を取り乱すほど、説法が嫌いとは思いませんでしたが…… では、最後に言葉を掛けさせて頂きます」
そう言って、シェーンがアーシェの方を見やった。
「――いいですか? こうなってしまったのは、ひとえに、あなたの身勝手な想いや夢が招いた行動の結果です。しかし、これから贖罪が始まると言ってよいでしょう。
あなたはその過程で、間違いなく様々に迷うこととなる…… しかし、その迷いを晴らすのは神ではありません。あなた自身の決断と、あなたの傍に立つ者たちの手助けが必要です。
――さぁ、信じてあなたの道をお行きなさい。本当の心を見つけ、その心の赴くままに」
少し間があいてから、
「よし、歩け」
と、ビリーが縄を引っ張った。引っ張りながら、
「出ていくなら、さっさと出て行ってくださいよ、シェーン大司教」
と、向かいにいる彼に言った。
「やるなら、スパッとやらないといけない。俺たちは仕事柄、躊躇することは許されないんだ。楽に死なせねぇといけないから」
「ええ、分かっています。本当にありがとうございました、ビリー所長」
そう言って、シェーンが懐から貨幣を取りだし、それをビリーへ手渡した。
「高くついたぜ、全く……!」と、小言を漏らす。
「失礼。――では、私はこれで」
シェーンが一礼し、出入り口の扉へ向かう。
対して、ビリーとアーシェは絞首台の方へと向かって歩いた。