19 唯一の手掛かり
応接室には、いつもの長椅子にアーシェが座っていて、扉の近くに近衛騎士が立っている。が、もう一人の騎士の姿が見えなかった。
「彼はどうした?」
ブロムナーが言うと、近衛騎士が「台所へ向かいました」と答えた。
「台所……?」
「灰を持ってきてほしいと言うので……」
そう言って、彼がアーシェを見やる。彼女は机の上に置いてある、ランプの明かりに照らされた紙を見つめていた。大きさは、メモでよく使われる、手の平よりも少し大きめの寸法であった。
「どうして灰なんか必要なんだ?」
アランが彼女の傍へ寄っていって、尋ねる。彼を見あげたアーシェが、
「きっと、筆跡が残ってるからです」
「筆跡……?」
視線を卓上の紙へ向ける。一目で、薄っぺらい安物の紙だと分かった。
「何も書かれていないようだが……?」
「私も気付かなかったのですが」とブロムナー。「馬車の中で、取ってきたと言われまして」
「――どこから取ってきたんだ?」
「執務室です」
「その…… 他の場所に、何かしら証拠になりそうな物は無かったのか? たとえば、金庫の中とか……」
「金庫は執務室には無かったです。それでブロムナーって人が、別の場所を探しに行ったから、私は、台所へ行ってくれた騎士の人と一緒に、執務室をずっと調べてました」
「なるほど…… それで、その紙があったと?」
「少し触ったとき、明らかに違和感があったの。筆跡が残ってるなら、一番上の一枚だけだと思って、脇に軽く挟んで持ち出しました」
「そうか……」と言って、ブロムナーと近衛騎士を見やる。「お前たちはどこを調べた?」
「彼は応接室、私は倉庫など手広く調べまわりました。幸い、ドロッカーは執事やメイドを屋敷内に置いておかない人だったので、寝室以外はほぼ調べることが出来ました」
「つまり、証拠になりそうなものは全て、寝室に置いてあるってことか?」
「分かりませんが、可能性の一つとしてありそうです」
「他の可能性はなんだ?」
「証拠となり得るものを即刻、処分する性格かもしれません。そうなれば、少なくとも足元をすくわれる可能性は無くなるので」
「そうでは無いことを祈りたいが……」
不意に部屋の扉が開いて、銀皿を持った近衛騎士が入ってきた。
「失礼いたします」
「ああ、ご苦労様。事情は聴いている。――その皿の中に灰が?」
「はい。正直、私は疑わしいのですが……」
そう言って、騎士がアーシェを見やる。彼女は手を差し出し、
「貸して」
と言うから、騎士がアーシェの近くへ寄って、銀皿を手渡した。彼女はそれを卓上へ置いて、灰を指でつまみ、ねじりながら丁寧に紙の上へ落としていく。どうやら、粒子を細かくして振りかけているらしい。
細かい灰を万遍なく振りかけたあと、紙を持ちあげ、立ちあがった。
「殿下、窓をあけてください。ただ、風が強ければ閉めて貰って結構です」
アランは言われた通り、窓をあけてやった。ほぼ無風だと告げると、紙を持ったアーシェが窓際まで移動し、息を吸って頬を膨らませつつ、外に向かって息を強く吹きかける。
灰が一気に散って、外へ拡散していった。
もう一度、息を強く吹きかけたあと、アーシェが椅子の方へと戻り、近くのランプの明かりを照らしながら、指で紙面を優しくなでる。
「――見てください」
彼女がそう言うから、アランやブロムナーが近付く。傍にいた近衛騎士も、背を伸ばして覗きこんでいた。
「微かにですが、文字があります」
「確かに……」と、目を細めるアラン。「なんと書いてある?」
「失敬、よろしいか?」
ブロムナーが手を伸ばしつつ、紙を拾いあげて言った。
「――見づらいですが、昼だとハッキリ読めるでしょうね」
「私なら読めますよ? 夜目がきく方だから」
アーシェがブロムナーを見あげて言った。だから、彼は拾いあげた紙を再び、長机の上へ戻した。
アーシェは紙を凝視しながら、内容を読みあげる。
「……――十日、午後十時から半の予定」
「なんの予定だ?」
アーシェが首を傾げる。
アランがブロムナーを見やった。
彼は眼鏡を触り、
「おそらく…… いや、間違いなく鑑賞会の日付と、その時刻でしょう」
と言うと、アランがハッとして、アーシェの方へ視線を戻す。彼女はジッとこちらを見返していた。
「なるほど、確かにそうだった。アーシェの調書やカメリアさんの手紙にあった、窃盗の犯行時刻と一致する…… 十日は鑑賞秋の当日だ。――すると、アーシェが盗みに入るのを知っていたと言うことになるか?」
「そこまでは分かりません。しかし、筆跡の内容が正しいと仮定するなら、ドロッカーは、アーシェさんが盗みに入る時間を把握していたことになります」
ブロムナーが含みのある言い方をしているのは、アーシェがわざと筆跡が残るように書いたのでは、と言う疑念があるからだろう。それはアラン自身も否定できなかったから、
「今日はもう遅い。筆跡鑑定を含めた詳しいことは、明日、改めておこなおう」と言って、さらに続けた。
「皆、疲れているだろうから休んでほしい。――その紙は俺が預かるが、構わないな?」
「ええ、どうぞ」とアーシェ。「ぜひ、金庫にしまっておいてください。私でも初見の金庫はあけられませんから」
どうやら、彼女は自分が筆跡を偽装したと疑われていることを感じ取っているらしい。だからアランが、
「そうするよ、ありがとう」
と、宥めるように言った。
「君も、湯浴みしてゆっくり休んでほしい。メイドはもう寝ているから一人になるが…… 別に大丈夫だよな?」
「一緒に入ってくださるのですか? 殿下」
「何を馬鹿なことを……」と眉を釣りあげる。
「では、せめて着替えの用意と浴室までの案内をしてくださらない? どこに何があるのか、まだ分かっていませんの」
アーシェが伸ばしている指の先端を、唇へ軽くあてがった。
格好は盗人なのに、言動が一々、誇張した貴族の所作で、それがまた妙に様になっている。だからこそ、明らかに揶揄っていると言うか、馬鹿にする意図が透けて見えていた。
「――ブロムナー、お前は先に証拠品を持って執務室へ行ってくれ。俺は彼女を客室と浴室へ案内したあと、執務室へ向かう」
「むしろ、彼女の入浴が終わって、部屋へ案内し終えてからにしましょう。構いませんよね?」
「分かった。――君たちはもう部屋へ戻ってくれて構わない。今日は本当にご苦労だった」
近衛騎士の二人が敬礼し、返事をした。
その後、応接室から出たアランは、アーシェを連れて客室へと向かい、彼女に着替えの準備をさせたあと、湯浴みの浴室がある一階の水場へと向かった。
「いい加減」とアラン。「毎日使っている場所くらい、覚えてほしいものだ」
「私、物覚えが悪いもので」
「――さっき応接室で見せた所作は、どこで覚えた?」
「ダーレン様の客人です」
「母君も、そう言う所作をしたりしなかったか?」
「どうしてです?」
「レイナック夫人の可能性があるわけだし、自然とそう言う所作くらい出そうだなと思っただけで、別に他意は無い」
しばらく、二人が黙って階段を下りた。
下り切ったところで、
「していませんでした」とアーシェ。「お母様は…… 少々、お体が弱いので、基本的に寝てましたから」
「そうか…… 昔に比べて、今は良くなっているのか?」
アーシェが首を横へ振る。だから、アランは目をそらして、
「こっちだ」
と、話題を変えるように浴室へ向かって歩いた。
「――盗みはいつからやっていたんだ?」
「覚えていません」
「なるほど」
「何が『なるほど』なのです?」
「幼い頃からやっていたんだなと、そう思っただけだ。――違うなら、君には諜報活動をする才能がある」
「そう言うあなたは、あまりそちらの才能は無さそうですね」
「ああ…… 自分でも分かってる」
そう言って少しすると、アランが立ち止まって振り返る。
「ここが女性用の浴室だ。今着ている服は籠へ入れておいてくれ、メイドが洗濯してくれる」
「…………」
「どうした?」
「明日の昼頃、監獄所の所長の自宅へ行きませんか?」
「えっ?」
「あの人、殿下たちが追っている組織に関わっていると思います。それに、昼間は仕事で監獄所へ出ていっているでしょうから、侵入もたやすいかなって」
しばしアランが驚いたあと、我に返って、
「なぜ、彼も関わっていると思うんだ?」と尋ねる。
「あの人、大司教が来ていたことに戸惑ってたし、私がいることを悟られるのを恐れていたから。あと、大司教にお金を払わせていたし、処刑するのが好きらしくて、あの職についているって自白もしてたし、私のことを勘違いして、今日は子供を始めて殺せそうだからと、喜んでもいました」
――なんて奴だ。
アランはそう思い、あからさまに不快感と嫌悪感を顔に出していた。だからアーシェがアランとは真逆の、平静な表情で、
「本当に分かりやすい人ですね」と言った。
「あぁ、すまん。どうにもそう言う奴が嫌いでな……」
「ブロムナーって人よりも?」
「あいつは冷徹だが、品性まで悪魔に売ってはいない。国に売る可能性はあるかもしれんが……」
「――私はどうです?」
「どうです……? 何がだ?」
「生まれつき、身も心も汚れています」
アランは答えずに少し考えてから、
「君は、母君が『人を殺せ』と言ったら殺すのか?」
と尋ねた。
アーシェはジッとアランを見つめていたが、やがて、
「殺すかもしれません、おそらく……」と答える。
「なるほど…… じゃあ、今の君は瀬戸際に立っているんだろうな」
「瀬戸際?」
「ああ。まだ踏み越えてるようには思えない。カメリアさんの件もそうだったから」
「――あなたは、両親に殺人を命じられたらどうします?」
「例外を除き、拒否する」
「例外……?」
「戦争があったら、俺は事態の収拾に動く。そこで死ぬかもしれないし、運良く生き残っているかもしれない。だが、どちらにせよ終戦したら王族であることを放棄するだろう。それが、俺にとっての王族の存在意義だと思っている。
民のいない王や貴族なんて、宝石や食べ物が入っていない、穴のあいた袋や箱と同じだ。なんの価値も無い。
――そんなことを、亡くなった俺の母上が言っていた。だから、俺も影響されて、そう思うようになったんだろうな」
「…………」
「とにかくもう遅いし、早く湯浴みを済ませてくれ。客室へ案内しないといけないから」
「そこなら、一人で行けます。逃げたりしませんから、ブロムナーって人のところへ向かってください」
嘘はついていなさそうなので、アランが「分かった」と答え、さらに続けた。
「せっかくだし、君の提案をブロムナーに話しておくよ。そのときも、君に協力してもらう可能性が高い。悪いが頼むぞ」
「――釈放の条件ですから、仕方ありません」
そう言って、アーシェが浴室の扉を開いた。




