12 ブロムナーとの会話
馬車へ戻ったアランが、待たせていた二人の近衛騎士に対し、一人は自分と一緒に行動し、もう一人はアーシェを領事館の客室に連れていくよう命じた。
珍しく強い言い方だったのと、今は従うしかないと思ったのか、アーシェが大人しく馬車へと乗りこみ、監視役の近衛騎士とともに領事館へと帰っていく。
それを見送ったアランは、玄関まで見送りに来ていたカメリアに別れを告げ、もう一人の近衛騎士と一緒に役所――法務局へと向かった。
法務局は迎賓館からさほど離れておらず、町の中心部から少しだけ離れたところにある。十数分ほど馬車に揺られていると、車が減速し、やがて停車した。
先に降りた近衛騎士が、
「殿下、ブロムナーさんの馬車が止まっています」と言った。
「なんだって?」
アランが外へ出ると、自分が乗ってきた馬車の前方に、特務機関が使う馬車が止まっていた。誰がどの馬車を使うかは、車体の前後左右に付いている小さな印と色で分かる。三角形に白はブロムナーが乗る馬車だった。
「何をしに……?」
アランが自然と呟いていると、法務局からブロムナーが出てくるのが見えた。
「ブロムナー!」と言って、彼の元へ駆けよる。「お前、ここで何をしている?」
「殿下こそ、いったい何をしに?」
「ちょっと調べたいことがあってな……」
「カメリアさんに言われたわけですか」
間違いでは無いから、「ああ」と答えた。
「あの犯罪者はどこです?」
「アーシェのことか?」
「それ以外にいませんが?」
「だったら名前で呼べ。いくらなんでも無礼だぞ」
「窃盗犯である可能性は否定できたのですか?」
「そう言う問題ではない。被疑者なら何をしてもいいわけじゃないだろ? 王家直属の機関に属している自覚があるなら、注意しろ。兄でも父でも、その手の無礼は許さんぞ」
少し間があいてから溜息を吐き、
「彼女はどこへ?」と、仕方なさそうに尋ねなおした。
「近衛騎士と一緒に領事館へ帰らせた」
「では、殿下は何をしにここへ?」
「ホザー・トリナーム伯爵が残した遺言状を閲覧しに。――お前は?」
「諸々の用事で出入国の管理局へ行きまして、そのついで…… と言うわけではありませんが、遺言状と財産状況の確認をしに来ました」
「財産状況?」
「はい。金銭に困って夫人が犯行に及んだと言うなら、ホザー・トリナーム伯爵の遺産が底をついていると思いまして」
「どうだった?」
「ビックリするほど、手を付けていませんでした。財務状況も健全そのもののようです」
「なら、遺言状の内容は? もう見たのか?」
「いえ」と言って、眼鏡を触る。「見ておりません」
「は……?」
「正確に言うなら、紛失されたそうなので見ていません」
「紛失? 遺言状をか?」
アランが驚きながら声をあげる。それで、通行人が彼に目をやりながら歩いていた。
「――どういうことだ?」と声量を落とす。
「そのままの意味です」
「紛失って…… 遺言状だぞ? 管理の仕方に問題でもあったのか?」
「いえ、問題は無さそうでした。おそらく、何者かが侵入して抜き取ったのではないかと」
「抜き取った……? じゃあ、盗まれた?」
「そう言うことになるでしょうね、今のところ」
「いつ頃、盗まれたか分かるか?」
「残念ながら、全くの不明です。ひょっとすると十年以上も前かもしれません。遺言状の確認なんて、数年もすれば滅多にありませんから」
アランが顎をさすりながら、
「どういうことだ? いったい誰が……?」
「私は大体、目星を付けております」
「――教えてくれ」
「カメリアさんは、その辺りのことは何も言わなかったのですか?」
「盗難されているなんて想像しないだろう、普通は。指示役や黒幕は色々と心当たりがありそうだったが……」
突然、法務局に入ろうと男性が近付いてくる。二人は離れるように移動し、建物に入る男性を見送りつつ、自然と馬車の方へと移動していた。
「ここからは移動しながら、互いの情報をすり合わせましょう」
「賛成だ」
こうして、ブロムナーが乗ってきた馬車は近衛騎士に任せ、二人はアランが乗ってきた馬車へと乗り込んだ。
馭者が馬を走らせると、車輪が回って車が動く。
アランの提案で、目的地はダーレン・トリナームの屋敷の近くとなった。
「やはり」とブロムナー。「トリナーム夫人が犯人だと睨んでいたわけですか」
「確証は無い。――が、そう考えるのが人情の観点から自然だろうと。俺としては、遺言状が消えている時点でかなり正解に近付いたと思っている」
「犯人かどうかはさておき、他は珍しく同感です」
「あとは、トリナーム夫人とアーシェの母君との関係も含め、具体的にどうなっているのか把握する必要がある」
「それでしたらご安心を。私の方で調べておきました」
「――そっちも、話す必要が無いからずっと黙っていたのか?」
「殿下がカメリアさんのところへ向かったので、私は私で調査をしていただけのこと。増援も欲しかったので、その話も通す一環で、ついでに法務局の遺言状と遺産状況を確認しに行っただけです。気になるのなら、今までの経緯を全てお話しますが?」
「じゃあ、教えてくれ」
ブロムナーが眼鏡の縁の位置を、指で調節してから、
「まず始めに、アーシェさんの母親…… ラニータさんが、レイナック家の人間かどうかですが、現在、部下に調査を任せています。ベリンガールとの情報のすり合わせも必要ですので、報告は早くとも明後日の昼過ぎ以降になりそうです。
それから、アーシェさんと同じような事例…… 要するに、不自然な死刑判決が無いかの調査もしました」
「どうだった?」
「多分に私の法解釈と判断が入っている前提ですが、今回のような死刑判決がいくつかあったと判断しています。判決に至る記録も尋問の調書も杜撰な上、裁判を担当した司法官や保証人の何人かはすでに退職していたり、死亡しています。無論、全てを今回の事件と結びつけるのは早計ですが、事例として考えた場合、偶然と言うには奇妙だと言えそうです」
「どうなってるんだ、この町の司法関係者は……!」
「嘆いたり憤るのは簡単ですが、ある意味では不可抗力的に手を染めてしまったとも言えます。秋革命後は、それこそ経済や産業の構造が大きく変わりましたからね。
古い産業と貴族の利権が残るロンデロントは、貧しい人が多い。加えて、先の秋革命で一部をベリンガールに占拠され、エルエッサムやアル・ファームとの戦いの場にもなった。孤児はもちろんのこと、アーシェさんのような人は、我々が把握しているよりもずっと数が多いと考えるべきでしょう」
「だが、冤罪の幇助なら犯罪に違いない。場合によっては情状酌量の余地はあるかもしれんが…… まぁ、その件は今後、改めて捜査するとして…… とにかく、大きな組織が動いていると言って良さそうだな?」
「ここまで来ると、ほぼ確実でしょう。我々の追ってる組織かはさておき」
「具体的に、どのくらいの件数が該当しているんだ?」
「先ほども言ったように私見混じりですが、ここ三年で、おそらく十人はよく分からない判決で絞首刑となっています」
「十人……!?」
「落ち着いてください、殿下。由々しき事態で憤りたくなるのは同感ですが、今は目の前のことに集中しましょう」
「――すまん、続けてくれ」と、大きく深呼吸をしてから、アランが言った。
「過去の十人を調べるのは、時間が経ちすぎているので無駄足になると思われます。やはり、直近のアーシェさんを集中的に調査すべきです。そして、彼女の王冠窃盗の裏にある、ネイドの殺人も」
「そちらは少々、面白い話を聞いた」
「なんです?」と、少し身を乗り出すブロムナー。
「シェーン大司教の話では、鑑賞会自体が急な開催だったらしい」
「ほう?」
「それから、ネイドさんは王冠の鑑賞会があった当日、シェーン大司教に相談したいことがあると告げていたらしい。もしそれが原因で殺されたとすると、当日の鑑賞会に集まった貴族や司教、関係者たち…… 誰もが容疑者の一人となり得る」
ブロムナーが溜息を吐いた。珍しく不満気な顔で、
「カメリアさんは、いつも人が悪い。そう言うことなら、さっさと教えてほしかったものですね」
「俺たちに手紙を送ったあとに分かったことだろうな。たとえば…… シェーン大司教が監獄所へ行ったのを察知して、止めに行ったときとか」
「やはり監獄所へ行ったのですね、大司教は」
「彼のお陰で、アーシェは救われた。俺たちも無駄足にならず、今回の冤罪事件に対して大きく前進できた。そうだろ?」
馬車の音が、しばらく車内を支配した。
「少なくとも」と、ブロムナーが沈黙を破る。「我々に見つからないよう帰宅する必要は無かったのでは?」
「それはシェーン大司教に直接言ってくれ。――多分だが、余計な会話で時間を取らせたく無かったのかもな」
「まぁ、いいでしょう。鑑賞会がどのような経緯で提案され、ネイドが大司教に何を相談しようとしていたのか…… トリナーム夫人の屋敷の次に、調べに向かうべきです」
「賛成だ」
ブロムナーがジッとアランを見やるから、
「なんだ?」と尋ねると、
「今回は珍しく、意見が合ましたね」
と、ブロムナーが言った。
アランは苦笑い、
「前にも言っただろ? 俺は犯罪組織を取り締まるために特務機関にいる。お前もそうだ。方向性が一致しているなら、協力し合うのが当然だろ? アーシェを死刑台から助けに向かったときもそうだったしな」
ブロムナーは納得しかねると言った顔で眉をひそめ、両肩をすくめていた。