1 妾の子は誰の子か
新月の闇夜に、黒い衣装をまとった少女が一人、町中の細路地を駆けぬけていた。
非常に小柄で、短めの髪型と相まって子供に見えるが、体付きはそこまで幼さを感じさせるものではなかった。
細路地を、人目に付かぬよう気にしながら駆けているのは、表通りにはまだ、人がまばらに歩いていたからだろう。
やがて、明りが漏れている大きな屋敷が見えてきた。
屋敷は、ロンデロント教会が所有する迎賓館で、教区と呼ばれる特別な区画の端にあった。
少女は長細い鉄柵を難なく乗り越え、庭の草むらや木の幹に隠れつつ、屋敷を囲むように設置されている、生垣のような花壇の近くへと向かった。
植えられている低木には深緑の葉と、室内から漏れているわずかな光でも分かるほどに赤く色付いた、牡丹や椿に似た花が付いている。無論、少女は花や葉っぱに触れないよう注意しながら、低木と低木のあいだを縫うように進み、先の方にあるガラス戸を目指した。
ガラス戸は子供なら通り抜けられそうな大きさの、片側のあげ下げ窓で、閂は前もって外してある。だから、少女は訳無く窓をあけ、這うように屋敷内へと侵入できた。
屋敷内のどこかで、晩餐会か催し物が開かれているのか、喧騒な音がくぐもって聞こえてくる。
少女は立ちあがると、すぐさま小走りで移動した。
ここからの少女の動きは迷いが無く、とても素早かった。
二階への階段に人がいないことを確認してから、あがって、数ある部屋の扉から、迷いなく一つを選んで、ドアノブを触る。当然のように鍵が掛かっていた。
少女は腰にぶら下げてある小袋から、装填数が二発か三発ほどの小型拳銃と解錠の道具を取りだし、まずは鍵穴に道具を差し込んだ。これも当然のように成功し、扉が開かれる。
小銃を片手に入った部屋は、見るからに客室で、四隅の一角に振り子時計、ベッドには旅行鞄と大きめの絵画が置かれてあった。が、少女はそれらに目もくれず、石壁に埋め込まれるように設置されてあった金庫の扉を触った。
この施錠も、やはり造作も無く解かれてしまう。
開いた金庫の中には、正方形の古い木箱が入っていた。大きさは、顔よりもずっと小さいが、手の平に収まるほど小さいわけでも無い。
少女が木箱を両手で取りだす。
蓋を持ちあげて中を確認すると、暗い部屋の中でも鈍く光っている、立派な王冠が入っていた。
無表情のまま、木箱を腰の袋へ詰めていると、
「ちょっと、よろしいかしら?」
と、声がする。
少女が身をひるがえし、銃口を向けた。
「お姫様になるのに、その王冠は必要ないんじゃないかしら」
声の主は少し離れたところに立っていて、その正体は、随分と年季の入った貴婦人――身なりの良い老婆であった。
「そもそも、人の物を盗むのは良くありませんよ? 人に銃を向けるのもね」
老貴婦人は白髪のクセ毛が綿みたいにふわふわしていて、年齢を感じさせない、よく通る声音だった。しかし少女は、
「黙ってて」と、突き放した。「さもないと、撃ち殺す」
「誰かが来るんじゃないかしら?」
「来る前に私がいなくなればいいだけ」
引き金に掛けてある少女の人差し指が、少し力む。
「私を生かしておいても、同じことになるんじゃないかしら?」
「同じ……?」
「だって、ほら…… あなたがいなくなったあと、誰かに告げ口するかもしれませんよ?」
「…………」
妙な間があく。
年の割に背筋も伸びていて、どことなく只者ではないような雰囲気を出す老貴婦人に、少女は少し声を張って、
「今すぐ死にたいってこと?」と、尋ねた。
老貴婦人は首を横に振り、
「まさか」
と答える。
「いいですか? その王冠は『バルバランターレンの王冠』で、単なる高価な骨董品では無いのです。盗品として売るのも困難で、場合によっては終身刑は免れませんよ?
その銃を撃って強盗殺人になれば、死刑だってあり得ます。あなたのような若い女の子が、そんな死に急ぐなんて…… 私には見過ごせないだけですよ」
「大きなお世話だから。――とにかく動かなければ撃たない。ジッとしてて」
老貴婦人は残念そうに首を振り、少女を見つめている。
対して、少女は銃口を向けたままゆっくりと移動し、扉をあけて部屋を出た。
部屋を出たあとは、辿った経路を逆に辿るだけである。
これと言った災難や事故も無く、少女は無事に屋敷を出て、夜の街を駆け抜け、迎賓館よりはウンと小さいが、石造りと木造が融和した立派な屋敷がある敷地に入り、裏口から中へと入った。
屋敷の中は真っ暗であった。
少女が、近くにある壁掛けの燭台に火を灯すと、周囲の明度が急にあがる。
まずは小型拳銃を近くの台へ置き、次に腰から下げていた袋を解いて、王冠が入っている古い木箱を取りだした。
「ただいま戻りました」
そう言ってしばらくすると、奥からぼんやりと明かりがやって来て、燭台を持った、中年から初老ほどの女性が現れた。寝る前だったのか、寝間着を着ている。
「ちゃんと持って帰ってきたんだろうね?」
女性がそう言うと、少女が木箱を差し出し、
「こちらに」と言った。
「そこへ置きなさい」
女性が顎で差し示したのは、壁際にある小さな卓であった。
少女がそこへ木箱を置く。
「ところで……」女性がアーシェに近付いた。「誰にも見られていないわよね?」
「…………」
突然、女性が少女の頬を手の平で打つ。
「この馬鹿女……! ヘマしやがってッ!」
今度は思いっきり殴り飛ばし、少女が勢いで横身に倒れ込む。
すかさず女性が、少女を何度も蹴った。
悲鳴は無く、ただただ無機質に、女性の怒号と鈍い音だけが部屋に響く。
女性が飽きたのか疲れたのか、蹴るのをやめて、少女の横顔を踏みつけた。そうして、踵で躙った。
「アンタはいつもそうだ……! 役立たせるために色々と学習させて、配慮してやったのに……! なのに裏切るような真似しやがって……!! この、役立たずめッ! 役立たずめッ!! このまま、あの女と路頭に放り出してほしいのかッ?!」
少女は何も言わなかった。
「あの人も厄介な子供を残したもんさ……! 妾の、薄汚い人形をさぁ……! 栄えあるエルエッサム貴族の末裔だって言うのに……!」
「…………」
「――どうするつもりよ?」
少女が「もう」と、徐に言った。「殺してあります」
女性の口角がわずかにあがり、すぐ元に戻った。
「やっと…… これでアンタも、晴れて立派な殺人犯…… ほんと、母親に似て血も涙も無いゴミ屑なんだから……! それで、あの女やお前の裏切りが帳消しになると思ってるの?」
不意に、ベルの音がした。玄関に置いてあるベルだったから、女性が少女の頭から足をどけ、
「しばらくはあの女ともども、顔を見せるな。いいわね?」
「はい」
「それから、床を掃除して。コッペリアのくせに血なんて流して……! 穢らわしい……!」
女性が立ち去ると同時に、少女は上の服を脱いで床をこすり、口元から飛んだであろう血痕をぬぐったあと、ヨロヨロと立ちあがる。そうして、足を引きずりながら裏口から外へと出た。
燭台の明かりのせいか、怪我の痛みのせいか分からないけれど、外は一層暗くなっているように見えた。その暗い庭を少し歩いた先にある、物置小屋の扉をあける。
小屋の中には生活用品や調度品が置かれてあって、数本の蝋燭の明かりに照らされている。それから、窓際にはベッドがあり、ベッドには人影があった。
「アーシェ……?」
そう呼んだ女性は丁度、ベッドの際から足を垂らしているところだった。
長髪で、年齢も先ほどの女性と同じくらいだったが、明らかに病的な顔色で、それは薄暗くてもよく分かるくらいだった。
服装は花 緑青 のコットに赤紫のシュールコーを羽織っていて、さながら貴族に見える。ただ、革の肘当てが付いているから、それが平民らしさを醸しだしていた。
「ただいま戻りました、お母様」
少女――アーシェがそう言って、母親のところへと近付く。温和な顔になっていた。
「どこに行っていたの?」
――別に何もしていない、と答えても、窓際から外を覗いていたからこそ、疑問に思って尋ねているのだろう。
そう考えたアーシェは、
「いつもの用事です」
と答える。
「今度は何をされたの? 口元を怪我しているみたいだけれど……」
暗いからバレないと思っていたが、そんなことは無かったらしい。
「気になさらないで」
アーシェがそう言うから、母親が沈痛な面持ちで、
「でも――」
と言うのを、
「それより」
と、せき止めた。
「お体の調子、今日は良さそうですね」
「え、ええ…… あなたに貰った薬が良かったのかもしれませんね。昨日から安定している気がします」
「それなら、しばらく…… 数日ほど安静にしていれば、また外に出られるかもしれません。外にはもう、花がたくさん咲いています」
「いいですね…… ずっと小屋の中にいたから、春が来たことも分かっていませんでした」
「月に一度の大事な用事、久しく行ってませんよね? 必ず体調を良くして、用事を済ませに向かってください」
「何を言っているの、本当に…… あなたって子は…… 損ばかり引きうける子ね……」
仕方なさそうに微笑んだ母親が立ちあがる。
彼女はアーシェの前まで歩みより、花 緑青 の袖を伸ばして彼女を抱き寄せた。小柄なアーシェはすっぽり包まれ、自然と目尻が緩む。
――苦しさも痛みも、母親のためならなんでも無かった。アーシェにとって、この温もりこそ守るべきもので、自分が生きている存在理由だと言えた。
「もう少し、体調が良くなったら」と、母が言った。「そろそろ、いろんなモノに決着を付けないとね」
「決着……?」
アーシェが上目になって言った。
「今は亡きホザー様と、そのご友人のお陰で今日まで生きながらえてきましたけど…… 私もこんな状態だし、あなたに、いつまでも迷惑を掛けていられません」
「迷惑だと思ったことなんて、一度もありません」
「あなたがそう思っていなくても、私はそう感じてしまっているのです。だから…… あなたにお願いしたいことがあります」
母親が何かをお願いすることは度々あった。しかし、今回は重みが違うと、アーシェは感じていた。
だから、
「一体、どうなさったのですか? お母様……」
と、不安気に問うた。
上目と相まって、それは年頃の少女なら本来、見せるべき表情の一つだと言えた。
「エルエッサムは知っている?」
「エルエッサム……?」
アーシェがキョトンと尋ねるから、母親がニコリと笑みを湛え、
「ロンデロントから、そう離れていない場所…… ここから南西に位置する、大きな国の一つです」
「国、ですか?」
「ええ。歴史は古く、昔はアル・ファームよりも大きく、世界の中心地だった場所ですよ?」
「お母様の故郷、ですか……?」
首を横に振っていた。違うらしい。
「私の故郷はベリンガール…… ロンデロントから北にある島国です」
アーシェ自身、そのことは知っていた。具体的にベリンガールがどんな国でどこにあるのか知らないものの、幼少の頃、母親が『ベリンガールのラニータ・レイナック』と言っていたのを覚えていたからだ。
だからこそ、母親――ラニータの話がアーシェには不可解だった。
「エルエッサムと呼ばれる国に、何かあるのですか?」
少し間があいてから、ラニータが語りだした。
「その国には、世界で初めての学園があります」
「ガクエン……?」
「スーズリオン学園と呼ばれる、様々なことを学ぶ場所です。今まで私のせいで、あなたは何かを学ぶ機会が無かった…… でも、そろそろ終わりにして、学びを得る時期が来たと言えます」
「私は、お母様から全てを学ばせて貰っています。貴族らしい振る舞いや作法、読み書きなども…… お陰で、私は屋敷でお母様の代わりに働けています」
「そうですね…… でも、まだまだ足らないのです。私も、そこで学べるなら学びたいくらいですから」
「そうなのですか……?」
「私はね、アーシェ。そこであなたに、様々なことを知ってほしいのです。
きっと始めてだらけのことで、戸惑うかもしれない…… けど、踏みとどまって、たくさんのことを見聞きし、色々なことを考えてほしいのです。たとえば――」
突然、扉が勢いよく開かれる。
ぞろぞろと、数人の警備兵が小屋の中に入ってきた。
警備兵だとすぐに分かったのは、腰にカンテラを下げていたからで、下からの光が顔に当たって、おどろおどろしい見た目となっている。
「我々は」
と、一番前にいる警備兵が言った。
「ロンデロントの警護および治安維持を担当している者です。――あなたがトリナーム家の小間使いをしている、ラニーさん?」
「え、ええ……」
「そちらの子が『コッペリア』さん?」
「一体、なんですか?」
後ろにいた警備兵が、前で喋っていた警備兵に耳打ちをした。それで、前にいた警備兵がうなずく。
「残念ですが、その子は強盗殺人の犯人です」
「なんですって……?」
「今日の晩、ロンデロント教区内の迎賓館から、バルバランターレンの王冠が盗まれ、その際に実業家のネイド様が殺害されました」
「な、何を言っておられるのです? 私たちのような平民が、そのようなところへ行くわけがありません!」
「それが行ったんですよ、そこの子供が。目撃者が何名かいます。状況からして、あり得る話でしてね……」
ここで言葉を切った警備兵が、アーシェを見つめた。彼女は母の腕の中にいたまま、警戒した顔色で警備兵を窺っている。
「残念ですが、ラニーさん。そこの子供は何年も前から、我々が睨みをきかせていた要注意人物でして…… 頻発した貴族の屋敷からの窃盗…… 状況からして、トリナーム家の誰かが関わっていたんじゃないかと思っていました」
「馬鹿なことを……! 娘がそのような愚ろかしいこと、するとは思えません!」
「親はみんな、子供に関してはそう言うんですよ。残念ながら、親子と言えど他人なわけで、相手の心の中なんて分かりゃしないんです」
「き、きっと私の体が弱いせいで……」
「そうかもしれませんね。薬を買うために貴金属の窃盗をしてしまった…… そこまでなら情状酌量の余地もあったかもしれない。ですがね…… その子は国宝の王冠を盗み、人を殺した。もう立派な強盗殺人者なんです。野放しには出来ない」
話し終えた警備兵が、アーシェとラニータの目の前まで近付いた。
「コッペリア。お前を強盗および殺人の罪で逮捕する」
「ま、待ちなさい……! きっとダーレンさんが、何かを企んだに違いありませんわ!」
「いいの、お母様」
そう言ってアーシェが、自分の胸元にある母親の両手を、両手で包んだ。
「私はやってない。やってないけど、この人たちに何を言っても無駄だもの。貧民の言葉なんて届きやしない」
母親の手を自分からほどくようにし、少し前に出てから振り返った。
「お母様だけ覚えていて。私が人なんか殺していないってこと……」
「アーシェ……!」
「では行こう。――お前たちは念のため、ラニーさんからも聴取をしておけ」
そう言ったあと、警備兵はアーシェに歩くよう促す。
ラニータは立ち尽くしたまま、警備兵たちに連れていかれる娘の小さな背中を見送るしかなかった。
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